第9話『魔王ちゃんとシロガネ先輩』
「アイラ様は今日もお暇そうですね」
玉座に座るアタシにそんな無礼なことを言うのは――。
もちろん、毒舌魔神のバルギウスだ。
アタシは呼んでいた本を閉じると、ふぅ……とため息をついた。
「バルギウス……対勇者のため兵法書に目を通すアタシに意見? アナタも偉くなったものね! 身の程を知りなさい!」
ぎろりと睨むアタシの眼力に気圧されたのだろうか。
バルギウスは片膝をつくと頭を下げた。
「申し訳ありません、とんだご無礼を。それにしても、タイトルが『ぴゅあっぴゅあっぴな彼ぴっぴ』とは変わった兵法書ですね」
「え!? や……こ、この漫画は……ほ、ほら、ヒントってどこに隠れてるかわからないじゃん? 色々なものに目を通すのも重要っていうか~」
「そうですか」
バルギウスはアタシの手からひょいっと本を取り上げると、ペラペラとページをめくる。
「えー『あたしの彼ピはとーってもピュアで、“ぴゅあっぴゅあっぴ” な彼ぴっぴなのですッ♡』」
「声出して読むなしーっ!」
「アイラ様……」
「ち、ち、違うもん、違うもん! これはちょっと休憩してるだけだもん! さっきまでは、ちゃんと考えてたんだもん!」
手足を振って反論するアタシに、バルギウスはニコッと微笑んだ。
「まだまだ余裕がありそうですね。こちらに報告書を置いておきますので、今日中に目を通しておいてくださいね」
そう言って、サイドテーブルの上に書類の束を置く。
その分厚さは、超厚切りハニートーストなんか目じゃないほど!
「うええええ、バルギウスの鬼! 悪魔! ブラック企業ー!!」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めてなーいっ! おかげで最近は学校にも全然行けないしぃ……」
「はっはっは、それはそれは」
「……笑い事じゃないんだけど」
がっくりと、うなだれるアタシ。
「さて、アイラ様のお戯れに付き合うのはこれくらいにして、先程からお客様がお待ちですよ」
「え、お客?」
促されるまま、玉座の間の入口に目を向ける。
そこには鬼神族の女性が立っていた。
銀髪のゆるふわポニーテール、前髪は左眼を隠すスタイルで。
鬼神族の特徴でもある額から伸びる二本の角は、細く長く天に向かって伸びていて。
その艶やかな立ち姿には、思わず息を呑んじゃうほど。
洗練された風雅は、身に纏う東方の国の民族衣装、“着物” と良く似合う。
彼女はアタシと目が合うと、花が咲いたように微笑んだ。
「アイラちゃん、お久しぶりね~」
「シロガネ先輩!」
「アイラちゃん、最近学校に来ないんだもの~。寂しくて、私が会いに来ちゃったわ~」
「あー、マジごめんなさい。色々と忙しくてー」
彼女の名前はシロガネ・キズナ。
アタシが通う、魔界王立メルゼルク学院の1つ上の先輩なの。
「そうよね~、忙しいわよね~」
先輩は瞳を閉じると、うんうんと頷いた。
その、のんびりとした所作や優しい喋り方は、荒んだ世を払う清流。
そよ風のような麗しボイスから付いた二つ名は “癒し手”。
先輩に相応しい呼び名よね!
「アイラちゃんは今や、人間界の魔王様ですものね~」
「そうなの! 見て、これっ!」
アタシは、積み上がった書類の束をパーンと叩いた。
「大変ね~。魔王職に加えて、勇者問題もあるんでしょ?」
「え、勇者!?」
ドキッ!!
心臓が大きく脈打つ。
え、え、え、先輩、アタシと勇者たんとの関係を知ってるの!?
「頻繁に戦いを挑んできて、アイラちゃん困ってるって聞いているわ~」
あ、ああ~、そういうこと。
あー、ビックリした!
アタシの勇者たんラブを知ってるのかと。
魔王が敵である勇者に恋をする。
これはトップシークレット事項!
たとえシロガネ先輩でも、知られるわけにはいかない!
勇者のことは……!
勇者たんのことは……!
……。
…………えへっ。
勇者たん、しゅきぃ~♡
『アイラ様……』
心の中に響いてくる呆れたような声。
あぁもう、バルギウスの前ではトップシークレットも皆無ぅ!!
アタシは心の中で血の涙を流した……。
「いい風ね~」
頬をなでる風に先輩は目を細めて言う。
アタシたちは気分転換にバルコニーへと出てきた。
今日みたいに天気の良い日は、ここから人間界が一望できる。
視力30.0、天体望遠鏡以上の目の良さを持つアタシのお気に入りの場所なんだ。
席に座るとバルギウスがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
慣れた手つきでティーポットからカップに注ぐ。
上品な紅茶の香りが、ふわっと辺りに広がる。
「ありがとう、バルギウスくん~」
先輩は歳上でも君付けで呼ぶ。
でも、それはとても自然で。
嫌味なんかも全然なくて、素直に受け入れられちゃうのよね。
「――そういえば、あのときのアイラちゃんは~」
「え、マジ? そんなことあったっけー?」
「んふふ、それからね~」
アタシたちはお茶とお菓子を片手に思い出話に花を咲かせる。
あっという間に時間が過ぎてゆく。
「ふぅ~」
ひとしきり話したシロガネ先輩は、一息つくとアタシの顔を見た。
「こんなに話したのはいつぶりかしら~? アイラちゃんは昔のままで良かったわ~」
そう言って微笑む。
小首を傾げた上品な仕草には余裕が感じられる。
「……先輩は少し変わった感あるよねー。大人になったってゆーかー」
「あら、そう~?」
「うん、髪だって昔はストレートだったのに、今はゆるふわパーマでめっちゃお姉さん感あるしー」
「んふふ、ありがとう」
優しい笑みを見せる先輩に胸がチクリと音を立てた。
「うん……。先輩は綺麗になったのに、アタシ一人だけ子供のままで……なんか悲しいなーなんて」
内心を誤魔化すように笑うアタシ。
それを先輩はじっと見つめた。
「アイラちゃん……人は変わってゆくもの、私も昔のままじゃいられないから。でもね、心配しないで。あなたもいつかきっと、素敵な大人の女性になるときが来るから」
「そう……なのかな……」
「私が保証するわ」
先輩はうなずくと、紅茶の入ったカップを口に運ぶ。
その何気ない仕草でさえ洗練されたものに見えて、寂しい気持ちが込み上げる。
昔の先輩はもういない。
アタシだけが何も変わらず過去に取り残されている……。
……あれ?
先輩の少しだけめくれた着物の左袖。
その腕に巻かれた包帯の存在に気が付いた。
「先輩、その包帯は?」
何気なく口にした言葉。
だけど先輩は慌てて腕を隠した。
「こ、これは、なんでもないのよ!」
初めて見せた動揺。
そこに先程までの余裕は感じられない。
「……先輩?」
「ちょっとお化粧室を借りるわね」
アタシの答えを聞く前に立ち上がる先輩。
急ぎ足で去ってゆく背中を、アタシはアゴに手を当てて眺めた。
* * *
「はあっ、はあっ、はあっ!」
荒い息遣い。
化粧室に飛び込んだシロガネは、壁の巨大な鏡を見つめた。
そこには、顔面蒼白となった自分の顔が映っている。
(見られた!? 見つかった!? 気付かれた!?)
「どうする!?」
「――ならば殺すか?」
不意に響く声。
それは明らかにシロガネとは違う、心の芯まで凍るような冷酷な音色。
だが、その声は彼女の口から発せられていた。
シロガネは鏡に身を乗り出すと前髪をかき上げる。
隠れていた左眼があらわとなった。
右の翠眼に対し、左は緋眼。
彼女はその左眼を睨みつける。
「緋眼の王! 私の許可なく喋るな!」
その瞬間、左眼が光り謎の紋様が浮かび上がった。
「ククク、良いではないか。ここには我とお前しかおるまい?」
「そ、それはそうだが……」
「それよりもあの女……アイラと言ったか? 我らの秘密に気付いたのなら始末するしかあるまいて」
その言葉をシロガネは即座に否定する。
「あの子には手を出すな! 彼女は私の大切な親友だ! 聞け、緋眼の王・邪竜エキゾーストノートよ! 事を荒立てるというのなら、私の体から追い出すぞ!」
左袖をまくり、腕を掲げて巻かれた包帯を一気に外す。
現れる白く美しい肌。
だが、そこには黒ずんだ竜の形の痣があった。
彼女の左眼が緋色に輝く。
「フッ……我を追い出すだと? お前にできるのか? 我らは一心同体、共に運命を共有する者だというのに」
「……わかっている。私たちはあの日を誓い合った者、血の盟約を交わした同士だ。無駄に争うときではない」
「ククク、それでいいのだ我が主殿よ。孤独な幻想は終焉を待つ運命なのだからな」
「ああ、エキゾーストノート。深淵も覗けぬ愚民どもは闇の中で震えて眠るがいい。“魔女の祝宴” はもうすぐだ! ンフッフッフ……ハーッハッハッハ!」
* * *
「先輩……」
化粧室の扉に聞き耳を立てるアタシ。
板を一枚隔てた向こうからは、先輩の高笑いが聞こえてくる。
「アイラ様、盗み聞きなど行儀が悪いですよ」
扉にめり込むようなアタシをバルギウスが窘める。
で、でも、そんなの構うもんか!
「だってバルギウス! 先輩が、先輩が!!」
先輩の声はまだ続く。
「う~ん、邪竜エキゾーストノートじゃ少し迫力に欠けるかしら~? もっと強そうな呼び名は~…………あ! “暗黒邪神竜” なんてどうかしら? 緋眼の王・暗黒邪神竜エキゾーストノート! あぁ……いいわぁ、ゾクゾクしちゃう~! 忘れないうちに “私の設定ノート” にメモしておかなくちゃ~!」
アタシはバルギウスを振り返った。
「先輩、昔のままだったー!!」
そう、先輩は孤高のチューニ病。
◯チューニびょう【チューニ病】
思春期に増大する魔力の影響を受け発症する精神疾患。
憧れによる強い思い込みが特徴。
多くは成長するに連れて落ち着いてゆくが、まれに大人になっても完治しない者もいる。
その名称は、この疾患を発見し、生涯をかけて研究にあたった魔界博士ロベルト・チューニに由来する。
しかも “隠し属性” と “こじらせ属性” のオマケつき!
「それにしても~、魔法市で買ったこの “緋眼のコンタクト” は素敵な魔道具ね~。『緋眼の王』という言葉に反応して光ってくれるのだから、気分も上がっちゃうわ~。私だけの大切な秘密~、んふふ」
そして本人は、このことは誰にも気付かれていないと思っている。
でも、実は知り合いのほとんどが、昔から先輩の癖を知っていて……。
だけど、それを伝えるのはなんとなく憚れる気がして……。
こうして彼女は立派なチューニ病先輩に成長したのでした、まる。
「バルギウス、アタシ嬉しい! アタシの知ってる先輩はちゃんと生きてた! 何も変わってない……ううん! 一人二役とか、むしろパワーアップしてる感すらある! よき~、マジでよき~!!! もー、今すぐ抱きしめたいっっっ!!!」
バルギウスはアタシの肩に手を置くと首を横に振る。
「アイラ様、そっとしておきましょう。人には知られたくないこともあるのですよ……」
~その後のアイラ&シロガネ~
「ただいま、アイラちゃん~。ごめんなさいね、遅くなっちゃって~」
「ううん、ぜーんぜん大丈夫ー!」
「あら~? ニコニコしてどうしたの? 何か良いことでもあったのかしら~?」
「えへへー! 先輩は、これからも素敵な設定でいてねっ!」
「え……設定!? な、何のことかしら~?」
「先輩、だーい好きっ!」
最後までお読み頂きまして、ありがとうございます!
「面白い」
「続きが読みたい」
「更新が楽しみ」
「アイラ可愛い!」
と、少しでも思って頂けましたら、
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