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03:一週間後

「殿下、遅くなり、申し訳ございません」

「遅刻ではありませんから、謝ることはありません。どうぞかけてください、エルシー嬢」


 通された部屋は以前とは違い、部屋の奥には執務をするための机が備えられている。その机の前にローテーブルがあり、テーブルを挟んで、ソファセットが置かれていた。

 

 片方のソファに座ったライナスの側には、ブラウンの髪を一つにまとめた、眼鏡の男性が立っている。

 

 エルシーは、勧められた向かいのソファに一人で座った。今日は、返事は自分でできるとたった一人で登城したのだ。


「なんだか、一週間ぶりという感じがしませんね」

「……えぇ。殿下があんなにマメな方だとは知りませんでした」


 顔を顰めて少し棘のある言い回しをすると、ライナスはふふっと口角を上げている。

 

 この一週間、ライナスは、建前であるはずの「自分のことを知ってほしい」という言葉どおり、毎日、エルシーに向けて手紙を届けさせた。

 

 そして、その手紙を読んで返事を毎日送り返すエルシーを、両親と屋敷の使用人たちは、すっかり生温かい目で見るようになってしまった。おそらく、この状況も全て計算通りなのだろう。

 

 エルシーは、ポーチから封筒を取り出す。今日は自分で返事を持ってきたのだ。


「こちらが昨日のお返事です」


 最初は、好きな食べ物や色のこと、逆に嫌いなもの、趣味などの当たり障りのないプライベートな情報を交換するような内容だった。

 

 しかし、一週間後が迫るにつれ、だんだんとスキルについての質問が増えていった。


「ご質問にはお答えしました」

「ありがとう。あとでゆっくり読みますね」


 ライナスは、傍にいたトレイシーに手紙を受け取るように視線で合図する。エルシーは立ち上がって手紙を渡しつつ、トレイシーに挨拶をした。


「ご挨拶が遅れました。エルシー・クルックと申します」

「経緯は全て聞いております。トレイシー・ドランです。お預かりします」


 王家の補佐として、由緒正しい血筋のドラン公爵家、長男。例に漏れず、トレイシーも次期皇太子ひいては国王と名高いライナスの側近として活躍している。


 きっちりと後ろで一つにまとめられた少し暗いブラウンの髪と冷ややかさを感じさせる黒の瞳に、銀縁の眼鏡がよく似合っていた。

 

 トレイシーがライナスの側に戻ったのを見て、エルシーは改めて腰掛ける。

 

 お茶と菓子を持ってきた使用人が部屋を出て行ったのを合図に、ライナスが口を開いた。


「早速ですが、エルシー嬢、お返事を聞きましょうか」

「……婚約者候補の件、謹んでお受けいたします」

「良かったです。ありがとうございます」

「ですが」


 エルシーは、膝の上に置いた手をぐっと握りしめてライナスをまっすぐ見つめる。


「お役目を終えましたら、私に不利にならないように解消をお願いします。伯爵家の娘ごときに、殿下の婚約者が本当に務まるとは思えません。その後に影響がなければ、解消理由は殿下にお任せいたします。お約束いただけますか?」

「……分かりました。もちろん、お約束しましょう。これは、あなたと私の契約ですね。書類を準備しましょうか?」

「お気遣いありがとうございます」


 会話を聞いていたトレイシーが部屋の端にある自分の机に向かい、紙とペンを取り出した。

 

 契約書の内容はすぐに決まった。

 

 一つ、役目を終えた後は、速やかに、その後のエルシーが不利にならないような婚約解消の手続きを取ること。

 二つ、功績に合わせて、褒賞を贈ること。

 三つ、エルシーのスキルに関して、役目を退いた後は忘れること。

 

 ここまでは、エルシーがライナスに求めることだ。ここまでの内容にライナスは頷く。


「では、私からも良いですか?」


 四つ、婚約者候補期間は、第三者がいる時は、親密な関係を演じること。

 五つ、他の協力者について、家族を含めて、他言しないこと。


「エルシー嬢の演技に期待してますよ」

 

 ライナスは、エルシーに片目を瞑ってくる。エルシーは、その顔から目を逸らしつつ、しぶしぶ了承した。

 

 この人と親密な関係を演じるなんて、緊張でいつかどうにかなってしまいそうだが。まずは目を慣らすところから始めなければ。

 

 トレイシーの作成した契約書に二人はそれぞれサインを記入する。


「契約成立ですね。エルシー嬢、いえ、婚約者候補ですから……、エルシーと呼ばせてもらっても?」

「……はい、殿下」

「こちらの書類は、封筒に入れ、封をして、私が預かりますがよろしいですか? 勝手に開けて、書き変えたりはしませんので、ご安心を」

「わかりました。屋敷に持ち帰って誰かに見られてはいけませんから、そうしていただけると助かります」


 トレイシーに契約書を保管するように合図して、ライナスはエルシーに向き直った。


「では、エルシー。あなたには、表向きとはいえ、婚約者になるための教育を受けてもらわなければなりません」


 この国では、王子の正式な婚約者になるために、数ヶ月の教育を受けることが義務付けられている。その期間は、候補ということになり、実質的には婚約者であるが、素質がないと判断された場合は、王家の者がいつでも失格にできる。

 

 王子の一目惚れなどの個人的理由で、素質のない者を未来の王妃にしないために作られた制度だという。

 

 そして、この数ヶ月の教育というのが、とても厳しいものであるということが、貴族令嬢の間ではまことしやかに囁かれていた。

 

 普通の教育を受けてきて、周りから優秀と言われる令嬢でも、根を上げたくなるらしい。


「ただ、契約のこともありますので」

「えっ」


 名ばかりの婚約者候補の自分に何か配慮があるのかと目を輝かせたエルシーに、爽やかにライナスは笑顔を返す。

 

「私もできる限りでお手伝いします。万が一、失格になられては困りますからね」


 ありがたいような、ありがたくないような、期待外れの申し出に、エルシーは小さくため息をつき、早く解放されたいと願うのだった。







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