イリス
《ちょっと、イリス!何やってんのよ!こんなところで!!!》
陽の光が十分に箱庭内を照らしきった後、朝の訪れを告げるためにやってきたコトリ達が目にしたのは大木の前に座り込む少女の姿だった。その姿を一番最初に見つけたコトリが母親が子供を叱るような口調で少女に近づいていった。
「レウィ…」
今にも泣きそうな声で名前を呼ばれたコトリは一瞬ためらったが、すぐに切り替えした。
《こんなところで寝ちゃ駄目でしょ!ここで寝たら風邪を引いちゃうっていつも言ってるでしょ、もう。》
イリスと呼ばれた少女は、レウィの忠告など耳に入っていないかのようにぼんやりとしているため、レウィの怒りの沸点が沸々と沸いてきた。イリスの耳元で大声を出しているのに、全く相手にされていないそのレウィの姿を飽きれるように見ているコトリもいれば、同情するコトリもいた。
しかし、レウィにはそんなイリスの異変に心当たりがあり、心配になってきた。
《ねぇ、聞いているの?イリス。本当にどうしたのよ。…昨日の式典そんなに嫌だった?》
「…」
《そりゃ、約束だもの。約束は守らなきゃいけない、そうでしょ…ね?…だからイリスは間違ったことはしていないのよ…たとえ歓迎されていなくても…》
「……」
《でも…あいつらに歓迎されてもさ、ほら、嬉しくないしょ?…ね、うちらとは違うんだし。》
「………」
《あたしが葉っぱかけて行かせたから…怒っているかもしれないけど…》
「…見られた…」
《…でもさ、ほら、理由はともあれ一年に一回ここから出られるチャンスだしさ》
「……聞かれた…」
《怒んないでよ、ね、イリ…ス?……何?何か言った?》
「…見られた」
消え入りそうな声で訴えるイリスにレウィはますます小首を傾げたくなった。
《聞かれた?え?何が?》
それ以上何も話せなくなったイリスの頭上を、くるくると回りながらレウィは懸命に暗号のような言葉を解読しようとした。そして、ちょうど21周目入る前、にイリスの落ち込みようから、一つの考えが浮かんできた。レウィは回るのを止め、イリスの右肩に乗るようにして近づき声をかけたが、声が裏返ってしまっていた。
《…イリス、ねぇ…その…姿を……見られたの?》
イリスは反応を返さなかった。そのイリスの答えに、レウィは頭が真っ白になった。
《《えーーー!!?》》
レウィのその叫び声に、各々の時間を過ごしていたコトリたちがひっくり返った。
《ちょっと待って、待って、待って!!!見られたって、人間に見られたってコト???》
レウィはイリスのウソを見抜こうと、イリスの髪を思いっきり引っ張って、自分に向けようとした。イリスはそんなレウィと正面から話すために、やっと向き直った。
「そう、見られた。人間に。」
《んな……そんな………》
わなわなと震えているレウィの周りにコトリたちが集まってきた。
《で、でも…でも、式典何かで姿見られたのなら、今ここには居られないでしょ?》
レウィはまだシンジラレナイって顔をしながら問いかけた。
「式典じゃない…ココに来たんだ。」
イリスの答えにコトリたちはますますシンジラレナイというような顔を示した。
《--うそでしょ?箱庭に?箱庭だよ?こんなところに人間が入れるの?てか、人間がどうして来れるの?どうやって?何で?何が目的?--》
ざわめいたコトリたちは、疑いたいそのイリスの発言に穴がないか必死だったが、イリスがウソを言うはずがないという結論につまずいていった。
《それは、本当に人間だったの?ウルフじゃなくて?》
コトリたちのなかで一番冷静なクレマがゆっくりとイリスに問いかけた。
「言葉を…話せたんだ。わたしに話しかけてきたんだ。ウルフじゃない。」
その答えに、コトリたちは疑いようもなく、イリスを信じることしかないことを悟った。
《その人間はどうなったの?》興味に目を少し輝かせながら、声の高いマリリが聞いてきた。
「それが…何も起こらなくて…また明日来るって…」
《また来るってどういうこと?姿を見られたのなら…その呪いとか…さ、かかるんじゃなかったの?》
レウィが言いにくそうにイリスに問いかけた。
「分かんない。でも、何も起こんなかったんだ。でも、ほら、何も隠せなかったんだよ…見られてるよね…わたし…」
イリスはうなだれるかのように再び樹に深く向かい合い、身も心も沈んでいった。
コトリたちはイリスが“約束”を守り続けてきたことを知っていたし、守り続けていきたいと思っていることも知っていた。そのため、今、その“イリスが守ってきた約束”を何とか守ってあげたいが、どうしようもできないことをもどかしく思い、かける言葉が見つからなかった。
《とりあえず休みましょう、イリス。身体を休めないと毒だわ。》
クレマが答えのない迷宮からいち早く抜け出し、イリスに寄り添った。しかし、イリスは動けなかった。その姿を見て、レウィが唇をきゅっと締めて決意したかのようにイリスに向かっていた。
《イリス、顔をあげて。あなたは何も悪くないわ。ここはあなたの家。人間が入れないようになっているのに、そこに入ってきたのは向こうの方。あなたが、防ぐ余地を与えなかったのも向こうの責任。その責任は向こうにも負ってもらうべきなのよ。》
その言葉に、イリスは再びゆっくりとレウィと顔を合わせた。
《さぁ、イリス、家に入りましょう。身体が冷え切ってしまっているわ。昨日の人間がどうなったかなんて、ここにいても分からないわ。仮に、運よく呪いがかかっていなかったとして、人間がもう一度来たとしても、家の中に居れば逢う事もできないでしょ?さぁ、立って。》
そのレウィの言葉に導かれるように立ち上がったイリスは、コトリたちに連れられて家の中へ入っていった。しかし、イリスは昨日この箱庭に来た“エルブ”という人間のことが忘れられなかった。