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月の刻

 月が星空の一番高いところに位置したとき、深海のような森に深く入り込まないよう注意しながら、見回りをする2人の兵士がいた。唸るような風の響きに怯えたような表情を見せる相方にエニーは声をかけた。

「大丈夫か?テラ?君は今日が初めての見回りじゃないはずだぞ」

「ああ、確かに今日が初めてではないが…」

テラと呼ばれた青年は、青ざめた顔でちらりと空を見つめた。その視線の先をエニーも追ってみようとするが、テラはすぐにうつむいてしまった。

「どうしたんだよ、この森に近づいてから君はずっと変だぞ?」

「…エニー、君は本当に何も知らないのか?」

テラの怯えきった声を聞き、エニーは足を止めてテラと向きあった。テラは恐る恐る顔を上げ、穏やかなエニーの表情を垣間見た。

「すまない、テラ。僕は君が何に怯えているのかが分からないんだ。君が打ち明けてくれたら、その怖さを共有して半分にすることができるんじゃないかな?」

微笑むようにしてさらりといいのけたエニーを、今度はじっくり見つめた後、テラは小さな声で話し始めた。

「うちのさ、ばあちゃんって、すごい年だろ?そのばあちゃんがさ、今日見回りだって言ったら、変な事を言うんだよ。『月の刻』に気をつけろって。『月の刻』何て聞いたことないから聞き流そうとしたんだけどさ、それからずっと言い続けてるんだよ『月の刻、月の刻』って。」

「『月の刻』?聞いたことがないな」

「オレも初めて聞いたんだ。で、あんまりにも言うから、それは何だ?って聞いたんだよ。そしたらさ、変なコト言うんだよ。『月の刻は闇の刻。月明かりの届かない漆黒の森の奥で手引きの風が唸る。引き寄せられたら戻っては来れない。闇夜に染まってはいけない。』って。作り話にしてはさ、今日というタイミングが良すぎて…気味が悪くてさ…」

笑うなら笑えよ、とでも言いたげなテラの顔を、手にしてる灯りで照らすようにしてエニーは言った。

「そうか、ならば、闇夜に染まらないようにしていこう。君のおばあさんは長生きで有名だ。長く生きている分物知りだろうし、きっと、月の刻は本当に危ないのだろう。さあ、行こう。」

明るく照らされたテラは、少し顔を染めながらエニーについていこうとした。

その時、彼は視界に何かが走った気がした。テラの心臓が大きく跳ね上がった。腰の剣に手を添えて構えようとした瞬間、赤い紐がふわりと頭上から落ちてきた。その気配に振り向いたエニーは、竜が落ちてくるようなうねりを見せる赤い紐に見入ってしまった。地面に落ちるのを拒むようにふらりともう一度浮いて見せた後、赤い紐はゆっくりと横たわって動かなくなった。

「紐…?何でこんなところに…」

エニーは屈んで落ちてきた物体を手にしようとしたが、テラが急いで引き止めた。

「待てよ、エニー。駄目だ!危険すぎる。ここは漆黒の森の森だぞ。今さっき、ばあちゃんの話をしたばかりじゃないか。」

手を止めて、しばらく紐を見つめたエニーは触ることなく腰を上げた。

「ただの紐にも見えるんだが…。でも、何でこんなところに落ちてきたんだ?」

「それは、分からないが…。漆黒の森の中は誰も入らないから、何がいるのか分かっていないじゃないか。それにニファーの住処だってみんな言ってるから、きっとあいつらのいたずらだよ。あいつらは悪いことばかりするんだ、いつも」

「ニファーか、考えられなくもないな。分かった、これはこのままにしよう。仮にニファーのいたずらだとしたら、何か仕掛けられているかもしれないしな。」

 そう言って、エニーは空を見上げた。さっき見たときよりも星がだいぶ動いていることに気がつき、本来やるべきことを思い出した。そして、テラと共に、赤い紐に後ろ髪を惹かれる思いのまま見回りを再開したのだった。



 その月が、明るく照らしている箱庭の中では、少女が戦闘態勢を取っていた。

 少女のいる箱庭には本来高い石畳の壁のために何者の侵入もできないようになってはいた。しかし時々、天敵の侵入者がいた。彼らは箱庭の外から急に現れ、箱庭の中の少女の小さな畑を荒らすだけでなく大きな樹にも襲い掛かるのである。少女は初め、その獣たちの唸り声に怯え、何もできなかった。しかし、少女が何よりも大切にしている大木に大きな傷跡を残したとき恐怖より怒りが勝り、戦うことを覚えたのだ。今日は式典で疲れているというのに、最悪のタイミングで現れた天敵に少女の怒りは倍増していった。しかし、そんな少女の耳に聞こえてきたのは唸り声ではなかった。

 

 「ごめん、誰かがいるなんて知らなかったんだ!驚かせるつもりはなくって…」

 その声を聞き、言葉の意味を理解するまで少女は永遠とも思える時間がかかった。

 『人間がいる』その事実に呆然とした少女は、自分の姿が何者にも隠されていないことに気づき、身を隠すように素早く屈むことしかできなかった。

 「え?え?何?どうかしたの?」エルは急に屈んでしまった少女に慌てて声をかけた。

 『どうしたの?じゃない、何で人がこんなところにいるのよ?何で?何で?』

 少女は突然の人間の来訪者にただただ驚き、パニックになっていた。しかし、すぐに次の疑問が湧いてきた。

 『何で?何でこの人は平気なの?私の姿を見てしまっているのに…それに、さっきは私の声を聞かせてしまっているはず…』

 少女は全てが分からなくて、どうしていいものか全く考え付かなかった。そして、エルはエルで、何を話しかけても微動だにせず石のようになってしまった少女を見て、少女の安否が気になり始めた。

 「なぁ、具合でも悪いのか?大丈夫か?」

 エルはそう声をかけ、ゆっくり少女の肩に手をかけようとしたその時、近づくエルの気配を察した少女は勢いよく立ち上がり大木の裏に隠れた。そして、永遠のような長い沈黙の後、少女は意を決して口を空けた。

 「去れ。」

 はっきりと、凛としたその言葉に、エルは逆らえることができない気がした。しかし、目の前にある大木はすんなりと立ち去るにはあまりにも惜しいものだった。しばらく考えたエルは少女と同じようにはっきりと言い放った。

 「オレの名はエルブ、植物学者だ。君やこの土地に害を及ぼす気はない。ただこの樹を調べたいだけなんだが、君が先客のようだし、今日は帰るよ。だから、明日また来ることにする。」

 少女の頭の中にエルの言葉はなかなか入っては行かなかったが、最後の『また来る』というところだけしっかり理解できた。そして『そうじゃない、もう来てはいけないんだ。』と訂正したい気持ちを言葉にできないことに葛藤しているうちに、エルは去ってしまった。

 

 少女の胸は早鐘のように高鳴っていた。今起きたことが信じられなかった。物心付いたときから、箱庭と呼ばれるこの敷地内に母親以外の人間が入ったことはなかったし、会話すらしたことがなかった。

 少女は『呪われた身の上』といわれていた。母から最初に教えられたのは『存在を隠すこと』。自分以外の生き物に、その姿だけでなく声すらも聞かせることで相手に呪いをかけ苦しめることを教えられ生きてきた。他者との関わりをなくし隠れて生きる、その生活を何年も続けてきて、破ったこともなかった。

 しかし、今の侵入者の人間に姿を見せてしまっただけでなく、声も聞かせてしまった。呪いとは後から来るものなのか、それとのあの者がその呪いに気づいていないのか…

 破ってしまった約束に呆然と立ちすくんでいた少女はそのまま崩れるかのようにしゃがみ込み、その樹に寄りかかった。そのままコトリが朝の来訪を伝えに来るまで、少女はその場から動けなかった。そして、その姿を頂上から少しずれた月だけが見ていた。




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