闇の拡大
「なぁ、イリス、キミは本当に一人でココに住んでいるの?」
イリスの自己紹介の笑いから復活したエルは、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「レウィ達は、キミのことはキミ自身に聞けって言って教えてくれなかったんだ。」
その問いかけに、イリスは無表情で、無言だった。レウィはイリスの傍にいながらも、エルとイリスの会話には入ろうとせずくつろいでいる。
いつまで待っても返事が返って来ないため、エルはもう一度聞き返そうとしたが、
「わ、わ…たし、ひとり…」
イリスが言葉を落とした。言いたくない話し方ではなかった。エルはそんなイリスの姿をしばらく眺めてみた。目隠しの布が顔半分を覆っているため、表情が読み取りにくい。
「じゃあさ、どうしてここにひとりで住んでいるの?」
この問いかけに、イリスは首を傾げた。そのまま、さっきよりも長い沈黙が流れた。軽く一分は超えていたが返事がない。エルは堪らずレウィに救いの目線を送ってみたが、見事に反らされた。エルは悩んでイリスを見ると自分と同じように首を傾け続けている。
「あのさ、何でなのか分からない…とか?そういうこと?」
自分と同じしぐさをしているイリスに同意を求めるかのように聞いてみた。
すると、イリスが傾けていた首を直してしばらくしてからうなずいてきた。
「え?あ、あぁ、分かんないでここにいるの?」
今度は早めにうなづき返ってきた。
「へぇ、そうなんだ」
そうあいまいに返事しながら、エルは噂の言葉を思い出していた。魔女と呼ばれているから、箱庭と呼ばれているここに閉じ込められているのではないかと…
しばらくエルが悩んでいる間、イリスはエルに全神経を傾けていた。
目立った武器は、持っていない。周りの草々とは違う緑の香りが漂っている。肩から大きな布を下げていて、そこからは強い緑の香りがする。背丈は自分と同じぐらいで、たぶん声の雰囲気からしても歳もそう違わないだろう。
そこまで観察していたイリスの視線のようなオーラにエルはようやく気がついた。
そして、思いついたように聞いてみた。
「目は生まれつき見えないのか?」
イリスはうなづく。反応が早くなってきた。
「不便じゃないか?」
少し首を傾げてからイリスが口を開いた。
「不便…ではない。」
そして、エルが答える前に、イリスは自分の脇でくつろいでいるレウィを指さして言った。
「レウィ、ここ」
そのイリスの言葉が、不便じゃないということの証明になるのかエルが考えていると、今度はイリスの指がエルの前にスッと伸びてきた。そして、顔の中心でぴたりと止めた後にさらりと言った。
「エルの鼻、ここ」
驚いてエルは言葉を返せなかった。目の見えていないイリスにそこまで正確に言い当てることができるのが信じられなかった。
しかし、聞き返す前に初めてレウィが初めて自ら口を開いた。
《もういい?》
二人に話しているようにしながらも、エルに向かってもう一度言った。
《今日は、もう疲れちゃった。また今度にしよ?》
少しおあずけをくらったような気分だった。しかし、頭上には高々と月が昇っていた。
「あぁ、分かった」
そうエルが答えると、イリスは振り返ることもなく箱庭にある唯一の建物の中に入って行ってしまった。残されたエルはますます寂しくなった。
同じ頃、ルヴェニール国城内の一室に、セルシアと一人の男がいた。
「私の力ももう衰えたな」
さびしげにセルシアがつぶやいた。
「そのような事を軽々しく口にしないで下さい。あなたは国王ですよ。この国を支えることができるのはあなたしかいないのですから」
男は厳しく返した。
「お前はいつも厳しいな」
セルシアは苦笑いをした。
「厳しくしているつもりはありません。しかし…」
「私は衰えた」
男の言葉を遮って、セルシアが同じことを繰り返した。男は、そのことに反論しようと口を開きかけたが、外を眺めるセルシアの表情を見て口をつぐんだ。
「この手は、もう抑えるので手いっぱいなんだ。前みたいな力はない。だから、一刻も早くフェンに見つけてもらいたいんだ。たぶん、あそこに何か手掛かりがあると思うんだ。」
自分の手を見つめながらセルシアは寂しげに言った。
そんなセルシアに男はもう何も言えなかった。ただ、その代わりに何が自分にできるのか考えていた。
空中に漂う雲が太陽をすっぽりと隠してしまったある日、フェンとエルはいつもより暗く深い森の中にいた。
「ここは、随分と、木が・・すごい、な」
フェンの後ろをついていくエルは息が上がっていた。今日はいつものような青々とした緑いっぱいの森の調査ではなったのだ。
「ここは大分ルヴェニールから離れているからな」
フェンも安定しない足場に少し息が上がってきた。
国王から頼まれた調査を始めて2週間は軽く過ぎていたが、ほとんど確証に近づける物はなかった。フェンの中にも少し焦りがあったが、急くことが解決じゃないと自分に言い聞かせていた。
だが、まったく手掛かりがないというわけでもなかった。
今自分たちがいるまさにその場所が怪しかった。国から森に近づけば近づくほど、闇は濃くなり、植物も枯れている。
歴史書ではこの世界は緑一色と言っても過言ではないほど潤っていたと記されている。しかし、今は、緑が枯れかけ、闇が少しずつ広がってきている。その範囲が掴めないほどに。
フェンが国王に頼まれたのは、この国の闇の拡大を防げる手掛かりがないかというものだ。
年々広がりを見せる闇への対策が必要不可欠であるにもかかわらず、誰にも何もできないのだ。そのため、植物学者の目線で何か活路が開けないか調査依頼が入ったのだった。
「なんだ?これ?」
枯れた大木の観察をしていたフェンの耳にエルの声が聞こえた。
振り返ると、跪いたエルのすぐそばに10cm程の小さな黒い穴のようなものがあった。
フェンは自分の中の消えかけていた思い出が一気に駆け上がってくる感じがした。それと同時に、全身に警報が鳴る感じに襲われた。
「だめだ!エル!!」
「!!」
エルはフェンのそんな声を初めて聞いた。
「すぐに離れろ!決して触ってはいけない!!早く!」
暗闇でも分かるほど、真っ青な顔をして現れたフェンは明らかに動揺していた。
エルも緊張した顔でその場から離れた。そして、自分の目の前にあった穴を良く見てみた。
そして、それが穴でないことに気がついた。地面が掘られている感じが一切ないのだ。まるで黒のペンキを一滴落としたかのようにくっきりと描かれているようだった。
「フェン、これは…」
自分の隣で険しい顔をしている師匠に尋ねてみた。
「…すまない。記憶がおぼろげなんだ。でも、まずいことになっているはずなんだ」
フェンのただならない感じを受け取ったエルは、そのままフェンの考えがまとまるまで待った。
「…よし、やはり、一旦引き返すぞ。調べたいことがあるんだ。結論はそれまで出せない」
エルは黙って従い、フェンの後に続いた。
しかし、エルはもう一度だけ見ておきたい衝動にかられ、少しだけ振り返ってみた。
穴のような黒い丸は確かにそこにあった。
そして、その時、ちょうど真上に舞い降りた枯葉が一瞬で吸い込まれてしまうところを、エルは瞬きとともに見落としてしまったのだった。
前を向いたエルは、イリスのことを考えていた。最近はやっとまともに会話ができるようになってきた。最初はかなり緊張していたのだ、とイリスから聞き出すこともできていた。
しかし、それでも普通の人との会話に比べると圧倒的に得られた情報が少ない。まだ、核心でもあるあの大木について何一つ聞けていないのだ。
はやる気持ちはあったが、フェンのただならぬ背中を見ながら、しばらくは仕事に専念するべきであるなと考えるのであった。