呪いが効かない人間
フェンが空を見上げると、雲一つない青天が赤みを帯びてきていた。
仕事の終わりをエルに告げようとした時、目の前に大量の薬草を抱えたエルが現れた。
「どうするんだ、そんなにたくさん。」
フェンは少しばかり奇妙なものを見るような顔をした。
「これぐらいないと、足りないんだ。何しろ数がいるから。」
隠す様子もなくエルは言ってのけた。フェンはエルの顔を正面から覗いたが、エルはそれ以上話そうとしなかった。最近エルが仕事終わりに必ず出かけるようになっていた。最初は好奇心いっぱいの顔をしていたのだが、今はその顔に薬草付きである。怪我人がいるのであれば、フェンも同行する旨を申し出てみたがあっさり断られた。
「今はダメなんです。でもいつか全て説明します。」
エルはいつもの決まり文句を言って、頭を深々と下げて目的地へ向かって向かった。
フェンはそんなエルの後ろ姿を、嬉しさと寂しさの混ざった思いで見送るのだった。
『コトリ達の声がする…』
イリスは声の聞こえるほうに顔を向けてみた。ひどく身体が重い。例の式典の後のようだった。
『ココは…ベッドの中?』
手触りで自分の居場所を確認するが、頭が働かず、どうして今ここにいるのか思い出せない。
重い頭の中に軽やかなコトリ達の歌声が聞こえてきた。家の外でコトリ達が笑っているのだ。
無意識のままイリスは起き上がり、コトリ達の方へ向かった。長い休息の時間は、イリスの足の感覚を鈍らせてしまったため、ふらふらとおぼつかない足取りでゆっくりと扉へ向かう。少し扉を開けてみると、夕陽が温かく照らしてくれた。
夕刻を確認するように全身に光を浴びたイリスは、いつもなら帰る時間であるはずのコトリ達がまだ居ることに少し疑問を感じながら扉を開けきった。
すると、歓喜の声が一斉にイリスを取り囲んだ。
嬉々に弾む声、嬉しさに震える声、安堵に穏やかな声、寝過ぎだと叱咤する声、どれもがイリスの目覚めを心から喜んでいた。その声を聞いてイリスは身体の疲れが癒されていくのを感じた。
《イリスーーー!》
タックルするように飛び込んできたレウィは、イリスの胸にしがみつき嬉しさを全身で表現した。
「レウィ、元気そうだね。」
温かな光を包むかのように、レウィに手を添えながらイリスは周りのみんなも無事であることを確認した。
《イリスが助けてくれたからだよ。》
レウィがイリスの頬に自分の頬をくっつけて感謝の気持ちを伝えながら言った。
《あの時、正直、本当にもうダメかと思ったし。》
その瞬間、イリスは忘れてた記憶が一気に蘇ってきた。忘れたいようなあの記憶を。人間に見られたという、約束を破ってしまったという苦々しい記憶を。
《でもね、アイツも助けてくれたんだ。》
イリスが口を開く前にレウィがさらりと言いのけた。
イリスは返す言葉が見つからないまま、レウィの言葉の意味を考えていた。
《アイツが、イリスがつないでくれた私たち命とイリスの傷を治してくれたんだよ。》
「アイツって…?」
《アイツ。》
「誰?」
イリスは答えを聞く前に、目の前にいたコトリ達が脇によけるのを感じた。そして、その開けられた正面にコトリでもウルフでもない者がいるのに気がついた。
イリスは身体が石になったかのように動けなくなってしまった。
どうして気がつかなかったのだろう、なぜ何も考えずに外に出てしまったんだろう。
イリスは後悔でいっぱいの頭にめまいを感じて、吐き気をもようしてきた。
そんなイリスの異変を当然起こりうることと考えていたレウィは、イリスの頬を叩きながら言い続けた。
《大丈夫、大丈夫よ、イリス。アイツはイリスを見ても死んでない。見た感じ何の異変もないの。変だと思うでしょうが、これが事実よ。現にアイツは死んでいないし、それどころか私たちの看病もずっとしてくれていたのよ。驚くわ、だって私たちのことも見えているのよ。話だって出来てしまうんですもの。》
レウィの声を上の空に聞きながら、イリスは鈍い頭を動かそうと必死だった。
夢と思いたいのに、頬を叩かれる痛みは現実を示している。それなのに、これからどうすればいいのか考えがまとまらない。いや、思いつきもできない。ただただ、この時間がずっと続いてしまうような気がした。
「傷はもう大丈夫か?」
イリスの反応を、あらかじめレウィから宣告されてから、エルは何と切り出すかずっと考えていた。
「オレの名はエルブ、植物学者だ。君やこの土地に害を及ぼす気はない。」
初めて会った時の言葉を繰り返しながら、イリスに歩み寄っていった。
「大丈夫、レウィに呪いのことは聞いた。でも、オレは何ともなってないし、たぶんこれからも大丈夫だと思う。」
イリスは近寄って来る人間から逃げることも、隠れることも思いつかず立ち尽くしていた。
「まずは深呼吸をして、それからゆっくり話そう。」
イリスは条件反射のようにエルの声かけに合わせて深呼吸をした。息を吐ききったところで、力も一緒になって抜けていきそのまま崩れるように座り込んでしまった。
エルはそんなイリスが驚かないようにゆっくりと近づき、すぐ近くに腰を落ち着けた。
コトリ達はそんな二人のやり取りをはらはらしながら見ていたが、イリスがパニックで倒れたり暴れたりしなかったことに一安心していた。
「早くしないと陽が沈みきってしまうから、みんなの方を先に見よう。」
そう言ってエルは持ってきた薬草がたくさん入ったバックを開いた。アニスやディルの葉を両手で包みこんで名前を唱えると、苦々しいような葉の香りがした。その葉を、エルは丁寧にコトリ達の傷に塗っていった。
『アイツも助けてくれた』
レウィのその言葉の意味をイリスはやっと理解した。この人間が、自分が眠っている間、傷ついたコトリ達の手当てをしてくれていたことに。
《じゃあ、また明日ね。》
コトリ達は一斉に飛び立って家に向かって行った。腰が抜けて動けないイリスと、それに寄り添うレウィと、笑顔のエルを残して。
「さてと、じゃあ、キミの足を見せて。」
イリスは言葉の意味を理解できず、ぽかんとした。
「あ・し。まだ完全に塞がってないから、消毒しないと。」
イリスはまだぽかんとしている。次第にエルはおかしい気持ちになってきて笑いたくなるのをぐっとこらえた。そしてイリスに近づくと右足にそっと触れた。
「少し染みるかもしれない。」
エルはイリスの足を壊れ物を扱うかのように、丁寧に優しく手当てをした。その間、無言の時間が流れたが、今までのような張り詰めたものではないことをエルは感じていた。そしてレウィもそれを感じ取って、何も話さす、ただ手当てが終わるのをじっと待っていた。
エルが包帯を巻き終わったとき、イリスが口を開いた。
その動きを見逃さなかったエルはイリスと正面から向き合った。イリスの口が何か言おうとしてパクパクしているが声が出てこない。まるで話し方を一生懸命思い出そうとしているかのようだった。そして、長い長い練習の後イリスの喉から声が生まれた。
「イ、リス」
最初は何のことを言っているのかエルには分からなかった。しかし、次のイリスの行動で理解ができた。
「イリス」
もう一度そう言って自分を指さしている。エルはだいぶ遅れたイリスの自己紹介にとうとう吹き出してしまった。
ここ数日、誤解が解けた後のイリスの第一声を色々と想像していたのだった。エルは、自分への追及とか呪いの具合とか、手当てへの礼などが来るだろうと思っていた。しかし、答えは、すでに知っている彼女の名前だった。予想外の答えに、エルの中にあったイリスへの構えが少し和らいだ。
イリスはそんなエルの笑い声を聞きながら、緊張して何か変なことを口走ってしまったのではないかと不安になった。しかし、この目の前にいるであろうこのエルという人間は、何か温かい感じがするなとも思った。怪我をしている右足にはまだエルの温かさが残っていた。