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板張りの床が半分と畳の床が半分、広い部屋の奥には神棚があり、その下には大きな鏡が壁一面に張られている。そして壁には名札がいくつもぶら下がっている。帝国の人間ならば一目で道場だと分かる場所で、初老の男が木刀を振るっている。
男が木刀を振る音だけが響く道場に、引き戸が動く音が加わる。
「先生、お久しぶりです」
「お、おお! 久しぶりだな!」
頭を下げて挨拶する重蔵に、初老の男が笑顔で手を上げ返した。
彼は笠谷隆章。幼い重蔵に剣術をたたき込んだ男だ。
「今日はどうした?」
「いえ、少し頼みがありまして……」
重蔵が後ろを見て、隆章も視線を向ける。少し緊張した様子のニーが頭を下げている。
「……黒エルフとはまた珍しいな」
「ちょっと、道場を貸していただけませんか?」
重蔵はそう話を切り出して、経緯を説明する。
サイアムから東京までやってきたニーだが、どうやら東京で終わりではなく余所も回るつもりでいたらしい。どうも満州まで行くつもりではないかと危惧した重蔵は請負人を護衛として雇ってはどうかと提案した。
満州は二重帝国圏内ではあるが、治安は日本本土ほどよろしくはない。大陸に逃れた反政府組織達の標的にもなっているぐらいだ。請負人であれば電脳持ちも一定数居るから通訳にも困らない、人は斡旋所で探して貰えば良いのが見つかるからと。
しかし、ニーはコレを渋った。せっかく一人で来たのだから気ままに回りたい、それに自分は戦えるから一人で海外に出たのだと。
だから危ねえんだよと重蔵は繰り返したが、ニーは自分は強いから大丈夫だと言って納得しない。
じゃあ、強いところを見せると重蔵の刀を指しながらニーは言った。
「で、手合わせの場所を借りたいというわけか」
「事務所は部外者入れられないんで……」
隆章は渋い顔だ。教え子が久しぶりに顔を見せたと思ったら場所を貸せではそうもなろう。
しかしながら彼女を放置できない。日本側で最も安全と言える日本本土ですら請負人の護衛が必要になる場合があるのだ。彼女がどのぐらい強いかはともかくとして、一人で大陸に渡ろうなどと考える女性を見逃すのは善良な市民としてありえない。
「お前が勝てば言うことをきくのか?」
「条件は決めてませんが……俺が優位なら請負人を雇うぐらいは納得させられるでしょう」
「お前が請け負えばいいだろうに」
「組合通しますよ。満州に詳しい事務所の方がいいでしょうし」
請負人の仕事は多岐にわたる。ゆえに事務所によって得意な仕事が違うのだが、依頼人にそれを配慮して選べというのはなかなかに酷だ。そこで生まれたのが請負人組合だ。組合に紹介を頼めば依頼内容に合う事務所を紹介してもらえるのだ。請負人としても得意な仕事を回してくれたり、ある程度平等に仕事を回されるために定期的な収入が得られるなどの利点がある。
特定の事務所に依頼したいという理由がなければ組合に依頼を出すのが一般的だ。組合を通さずに直接依頼すれば安くはなるので大きな事務所への依頼は組合を通さないことも多いが。
隆章はニーを見る。少なくとも、彼女が相当な鍛錬を積んでいるのは歩き方を見ていれば分かる。芯がぶれず音もしない、なおかつそれをごく自然に行っているのだ。エルフは天然の狩人、しかし鍛錬がなければ宝の持ち腐れ。彼女は間違いなく高度な鍛錬を積んでいた。
興味深げに周りを見回しているニーを隆章はジッと観察した。
「……ま、審判ぐらいはしてやろう。サイアムの武術も知れるしな」
隆章はニィと笑い、重蔵は苦笑いで答えた。予想通り対価としては十分だった。武術狂いには武術を対価とするのが一番だ。
『ニー、許可が出たよ』
「ア、アリガト、ゴザイマス」
ニーは拙い日本語で頭を下げてお礼を言うと、隆章は嬉しそうに笑う。
「お、嬢ちゃん日本語が喋れるのか」
「スコシダケ」
「おうおう、それでも分かれば上等よ」
ニーは嬉しそうに笑っている。意味は十二分に分からずとも褒められているのは理解しているのだ。
厳しい人ではあるが褒めることは忘れない。隆章に褒められ自信になったことを思い出し、師に何度目かの感謝を感じた。
『ニー、武器は何を使う?』
『えっと、銃は無理だし……短剣ってある? あるなら二本』
重蔵は二刀流用の竹刀を渡す。重蔵はもちろん普通の竹刀だ。
ニーは感覚を確かめるように竹刀を軽く振るう。
『随分と軽い』
『試合用だからな、不必要な怪我しないように、だ』
実戦剣術を看板に掲げるぐらいだから型稽古などは基本は刀だが、流石に試合は竹刀を使う。
『面倒だからルールは特になし、審判は先生。道場への損害はなるべく避けるように』
『分かった』
重蔵の言葉にニーはニヤリと笑って頷き、腰を落として構える。
重蔵は軽く息を吐くと竹刀を中段に構える。間合いは広く、何歩か近付かなければ
重蔵の構えを見たニーの顔に緊張が走る。重蔵の構えから実力を察したようだ。
しかし、ニーから先に動いた。強いからこそ先手を取らせないという判断だろう。
ニーの動きは速い。エルフらしい軽快な速度で一気に間合いを詰めてくる。身体能力の劣る人間や魔族には出せない速さ、種族の強みを生かした先制だ。
だが、重蔵にはその動きが見えている。電脳による思考速度の高速化による恩恵と、同じ事務所のエルフとの訓練で慣れていたからだ。
回り込んできた一撃を最小限の動きで弾く。その動きはエルフに匹敵しており、ニーは驚いたように目を開いた。
魔術による身体強化。古くから存在し、研究されてきた古代魔術とも呼べる技術だ。実用的と呼べる魔術となるには電脳の登場を待たなければならなかったが。
食事と薬物と訓練による肉体改造で身体強化魔術に耐えられる肉体を作り上げ、その上で電脳による魔術制御でようやく他の種族に対抗できるようになったのだ。
弾いた返しによる重蔵の一撃をニーは背後に飛んで避け、構え直す。
ニーは薄らと笑っていた。故郷の剣術とは明らかに術理の違う重蔵の剣。正直、剣を見たかったわけではないのだが、それでも故郷から出なければ見ることもなかった。そして、そういうものが見たくて出た来たのだから、態々国を出た甲斐を感じていた。
ならばとニーは先ほどとは違う構えをする。重蔵はともかく隆章の興味津々な視線をニーは感じている。技を見せることが対価になるのであれば存分に見せるべきだろう。
ニーが動く。先ほどとは違う、緩急を付けた動き。まるでうねる蛇を錯覚させる動きから、唐突に飛び込むようにして左右から挟み込むような一撃。
対人用剣術、と重蔵がそれを見切る。先ほどのは動物を追う狩人の動きだったが、今のは人を想定した動き。機を掴ませないような動きから、防御のしづらい左右からの同時攻撃。おそらく、彼女の使用する刃物は鉈かそれに似た重量のある武器なのだろう。
ニーの一撃は防がれる。ニーが飛び込んだ瞬間に重蔵も前に出たのだ。ニーの双刀は外れ、重蔵に突っ込み、体格差により弾かれる。踏鞴を踏んだところで重蔵の竹刀がニーの首に触れた。
「そこまで」
勝負有りと隆章は止め、重蔵が竹刀を引く。ニーがホッと息を吐いた。竹刀と言えども、試合と言えども、首に剣を当てられるのは恐ろしいのだ。特に武芸者であればより現実として状況を想像できてしまう。
『ちゃんと俺の警告を聞くか?』
『……分かった。護衛を雇う』
早速とばかりに問いかけた重蔵にニーが苦笑しながら答えた。
『お前ほどの実力者が危険というのだから本当に危険なんだろう。お金はあるからちゃんと雇う』
『ああ、それがいい』
『しかし、魔族とは思えない動きだ。もしかして、義体ってやつか?』
ニーはジッと重蔵の体を見る。重蔵は首を振る。
『全身生身だよ、強いて言えば電脳ぐらい。動きは最新の身体強化魔術だよ。義体はともかく強化義体は面倒なんでね』
身近に強化義体者が居るがゆえに、重蔵はそれがよく分かっていた。
強化義体というのは本当に面倒なのだ。清一郎の場合、ただの義体であれば右腕は前腕の左半分、左上では手首から上の八割ほどを義体化すれば済んだらしいのだが、今は両腕の九割を完全義体化、上半身の大半の筋肉を人工筋肉で追加補強し、両腕から肩甲骨、背骨に肋、骨盤までを金属で強化、内臓の一部機能も底上げしている。そして、それをまともに扱えるようになるにはかなりの訓練を必要とする。その上に最大駆動させれば薬が必要になるし、義体や補強した体は通常の体と違い自己治癒しないので定期的に検査を受ける必要がある。
確かに強いは強いのだ。清一郎の拳銃による電磁加速砲も強化義体がなければ不可能な技だ。しかし、余りにも不便すぎる。清一郎も怪我さえなければ強化義体などにはしなかっただろう。
『負けたことは認めるが、あれはズルいだろ。もしコレが剣だったらお前は飛び込まなかっただろう?』
『まあね』
最後の技、双刀による挟み込み。アレは蛇のように見えたニーの動きや似たような剣術の技から連想して防いたのだ。来るか来ないかは賭けではあった。もしもニーが刃物を持っていたら踏み込まなかっただろう。
『ウチは実戦剣術でね。特に文言でもない限り今手に持っている武器が前提条件だ』
竹刀は刀の代わりじゃなくそのまま竹刀として試合をするということだ。重蔵がニーの首元で竹刀を止めたのは昏倒させることが可能だったからで、隆章が止めたのもそれを理解してのことだ。
『そういうことは先に言えよ……』
『人間以外が一人で満州へ行こうっていうなら、それに気が付くぐらいの警戒心は欲しいところだね』
満州は治安は内地よりも悪いのは事実だが、無法地帯というわけじゃない。ただ、人間以外の他種族が狙われることが多いのだ。だから、ニーには護衛を頼めと言っている。
ニーは悔しそうに顔を顰めると、ゆっくりと双刀を構える。
『負けたままは悔しいからもう一試合』
「先生、もう一試合いいですか?」
「おう、好きなだけやってくれ!」
隆章はいつの間にかメモ帳を取り出して色々書き込みをしていた。