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重蔵とニーは近場の喫茶店に入った。立ち話もなんだからと重蔵が誘ったのだ。
座ってすぐ、ニーが居心地悪そうに辺りを見回している。客も店員もチラチラと重蔵達の様子を伺っている。魔族に褐色エルフという組み合わせは東京どころか大都でも珍しいのだ、注目されるのは仕方がない。日本生まれ日本育ちゆえに見られることになれている重蔵と違い、褐色エルフが当たり前の国で暮らしてきたニーには気になるのだろう。
店員に案内され席に着き、メニューを取り出したところで先ほどのナンパ野郎共と同じ事を自分がしていることに重蔵は気付いた。
『どうしたの?』
メニューを持って固まった重蔵を不思議そうな表情でニーが見ていた。
『なんでもない。先にどうぞ』
重蔵が答えてメニューを渡すと特に気にした様子もなくニーがメニューを見始めた。
初対面にも関わらずニーが当たり前のようについてきた辺りサイアムでは普通のことなんだろうかと重蔵が悶々としていると、メニューを見てニーが唸り始めた。
『どうしたの?』
『書いてあることがよく分からない……』
しょんぼりとするニーからメニューを受け取り、重蔵は簡単に説明をする。
『よくコレで旅をしようなんて思ったね』
『……仕方ないじゃない、分からないんだもの』
ニーがバツ悪そうに目を反らした。
喫茶店に入る前にニーが日本に来た目的は聞いている。異世界というものを一度見てみたかったという種族的に出不精なエルフとしてはかなり珍しい理由だ。初めての海外旅行を一人で代理店も通さず行こうとする辺り無知というか無謀すぎる。
『ところで、帝国人って本当に珈琲飲むんだね。ウチの国で作ってるから一度飲んだことあるけど、ただ苦いだけで飲めなかったんだけど』
『門』が開いた後、珈琲豆やカカオや胡椒などの日本側の輸入品を仕入れるのが難しくなった二重帝国は、葦原側で育ちそうな気候の国に取引を持ちかけて種を運び入れて育てさせて輸入することにしたのだ。その取引により裕福になる国が増えたため、葦原側の周辺国には親二重帝国が多かったりする。
『こっちでも珈琲だけで飲む奴は少ないよ。大抵は砂糖入れるか牛乳入れるかするね』
『牛の乳? そんなもん飲むの?』
『あ~、いやまあ、向こうの牛とはチョット違うけどね。君らは他の動物の乳とか飲まないの?』
『飲まない。なんで飲もうとするのかが分からない』
ニーは理解出来ないと首を振る。本当に外国から来たんだなぁと重蔵は頷いた。両親も日本では生の魚を食べるというのはデマじゃなかったのかと心底驚いたと言っていた。そういえば、サイアムの家庭料理に虫料理があるというのは本当だろうか?
『せっかくだから珈琲に入れて飲んでみたらどうだ? そういう目的で来たんだろう?』
重蔵は蛇を突くまいと疑問を引っ込めた。目の前の表情が顔によく出る可愛らしい子が虫をばりぼり食ってる姿を想像したくない。
『ん~、ゲテモノを飲み食いするために来たんじゃないんだけど』
『知り合いのエルフは毎日牛乳飲んでるし大丈夫だぞ』
もちろん、ウメコの事である。まだ成長するからとグビグビ飲んでいるらしい、あの136歳は。
『嫌なら砂糖だけでも入れてみたら? どうしても無理なら俺が貰うし』
『ん、ん~、分かった試してみる。せっかく日本にまで来たんだしね……』
ニーは意を決するように頷いた。
店員を呼んで注文する重蔵をニーがジッと見つめる。
『なんと言ってるのかなんとなくわかるけど、言葉が全然出てこない。行けると思ったんだけどなぁ』
『次はちゃんとしたところで習ってから来るといい』
『それにしてもあなたはサイアム語が上手だ。ウチの国にそんなに興味があるの?』
『あ~、そうじゃなくてね……』
重蔵は自身のサイアム語の種明かしをする。電脳を媒介した通訳だと聞いてニーは驚いたように目を見開いた。
『……電脳なんて都市伝説だと思ってたんだが』
『実在する技術だよ。ほら』
重蔵が耳の後ろにある接続端子を見せる。
『頭を弄るのって怖くないの?』
『施術の度合いによるけど、基本的には脳は弄らないよ。科学というよりも魔術というべき手術だし』
脳の強化というのは魔術師により古くから研究されてきた。魔術師の弱点である魔術の発動速度と魔術を覚える記憶能力を補うためだ。それの最新技術が電脳だ。
『俺の場合は脳は弄ってないけど神経系は少し弄ってあるかな。だから上手く発音できるわけだし』
『おおう……これが先進国か……』
ニーがショックを受けたように頭を抱えたところで珈琲が運ばれてきた。
重蔵は運ばれてきた珈琲に牛乳と角砂糖を一つ入れて飲む。
毒味するように飲んだ重蔵を真似るようにニーは牛乳と角砂糖を入れて、ぎゅっと目を瞑り飲んだ。
『……美味しいなこれ』
『でしょ?』
驚くニーに重蔵は得意げに答えた。
ニーがチビリチビリと味わいながら飲んでいるのを眺めているとサンドイッチが運ばれてくる。
『ところで、今後予定はあるのかい?』
『……言葉が通じないからどうしようかとは思ってたが』
ニーが半目で重蔵を睨む。
『初めて会った女に随分と親切だな』
『美人には優しくと親父に教育されたからね。それに君だって初めて会った男に誘われて食事してるじゃないか。サイアムじゃそれが普通なの?』
『いいや。ただ、今を逃したら魔族とお茶する機会なんかもうないだろうと思ったんだ』
ニヤリと笑うニーに重蔵は苦笑いで答える。確かに、貴重な機会と言えば機会だろう。
『正直言えば、俺も下心が全くないとは言わないけど、主な理由は暇だからだよ。仕事が休みでね、目的もなくブラついてたんだよ。せっかく出会ったのも何かの縁、観光案内ぐらい引き受けようと思うぐらいに暇でね』
ニーは、ふぅんとニンマリ笑い、意味ありげに重蔵を見つめる。
『それじゃあ、案内をよろしく』
『お任せください、お嬢様』
キザったらしい重蔵の返しに、ニーは声を上げて笑った。