終わりのその後で
お久しぶりです。
優しすぎる全ての当て馬に幸せがきてほしいです。
やっと、決意することができた。
長年抱えてきた苦しいほどの想いを、ようやく手放す決心がついたのだ。
そう思い、私は机の上に長らく放置されていた婚約破棄の紙にサインする。
案外あっけなく終わるものだな。
そう思った時、突然扉が乱暴に開けられた。
「ラナ!!」
「ロベルト…」
そこには愛おしくて、そして同じくらい憎んでいた2歳年上の幼馴染みであり、婚約者のロベルトが息を切らせながら立っていた。
おそらく私を探し回っていたのだろう、彼の額は汗ばんでいた。
「すまなかった、ラナ。
俺は君の本当の気持ちに気づくことが出来なかった。
けれど…こんな愚かな俺に、もう一度、もう一度だけチャンスをくれないか。」
縋るような表情で私を見つめる、幼い頃から大好きで、愛おしかった人。
誰が私を幸せにしてくれるか、そんなことはとっくの前に分かっていたのに…私はあまりにも長い時間をかけすぎてしまった。
幼い頃から大好きでたまらなかった。
だけど想えば想うほど、私達の間には大きな壁ができていた。
けれど今、その壁はようやく崩れようとしている。
目の前にいるロベルトに、私は涙をこぼした。
「もう、遅いのよ…」
さようなら、初恋の人。
私の心はもう貴方にはない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
チリン、とベルを鳴らす。
するとすぐに男の使用人が出てきて、用件を伺った。
「フィンブル様に、ラナ・カルニスが会いにきたと伝えてくれる?」
そう言うと使用人は私を客室に通し、少々お待ち下さい、といって自身の主人を迎えにいった。
一人になった私は、客室にかけられた美しい薔薇の絵を見つめる。
そういえば、フィンブル様は薔薇を好んでいて、庭園で薔薇を育てていると言っていた。
そして幼い頃にロベルトに変な髪色だと言われ、私のコンプレックスになっていた赤茶色の髪を会うたびに薔薇のようだとよく褒めてくれた。
そのことを思い出すと心が暖かくなると共に、フィンブル様は私のした決断をどのように思うだろうか、と不安に駆られた。
トントン、と扉をノックする音が聞こえ、そしてフワフワの茶髪と優しげな茶色の瞳を持った男性が入室してくる。
「やぁ、ラナ。昨日はロベルトが来て必死に走って何処かへ向かったと思えば、その翌日に君が来るとは。
君たちはいつも突然だね…まぁ、だけど、ついに仲直りが出来たという報告にきたのかな?」
そう言って微笑むフィンブル様に、私は曖昧に微笑むことしかできない。
するとそれを勘違いしたのか、フィンブル様はロベルトと私が元鞘に戻ったと思って話を進める。
「本当に良かったよ、君達が仲直りできて。
あの男は不器用だけれど、君のことをすごく愛してるよ。
昨日だってつい最近まで勘違いして僕のこと無視してたくせして突然すごい剣幕で「ラナはどこだ!」って言うんだから。」
そう言ってその様子を思い出したのか苦笑いするフィンブル様。
フィンブル・レイスド様はレイスド伯爵家の子息で、ロベルトの騎士育成学校の同期兼親友だ。
だからだろう、昔からロベルトの婚約者であり年下である私をフィンブル様は気にかけてくれていた。
卒業した後はロベルトは騎士の道へ進み今は第二騎士団副団長まで登り詰め、フィンブル様は学校を卒業してすぐ亡くなったお父上の跡を継ぎレイスド伯爵として文官の道へ進み、今は宰相の補佐官として働いている。
それでもなお二人は親友で、心を許し合い、よく会っては語り合う仲だった…私とロベルトの間に問題が起こるまでは。
私は決心し、閉ざしていた口を開く。
「あの、フィンブル様…私、今日はお願いがあってここに来たの。」
「ん?なんだい?可愛いラナのお願いなら喜んで引き受けるよ。」
「あの…その…」
慈愛深い、兄のような瞳を私に向けるフィンブル様。
本当に、この人に言っていいものだろうか。
私はこれから言うことは、この人から親友を奪ってしまうかもしれない。
彼はそれでもいいと笑ってくれるだろう。
だけど私はこの人の優しさと好意につけこんでまで、幸せになるべきなの?
罪悪感で決心が揺らぎそうになる。
すると言葉が出ない私を見かねたのか、フィンブル様は向かい側の席から立ち上がり、私の側で膝をついて、すらりとした、それでもって男の人らしい節ばった手を緊張で握り締められていた私の手に重ね、優しい声で私に語りかけた。
「ラナ、何があったのかはわからないけれど、僕は君の味方だよ。
前にも言ったよね、"もしロベルトと上手くいかない時は僕が受け入れる"って。
でも君はそれでもロベルトを想ってた…僕に勝ち目がないことはわかってたんだ。
だけど僕は君が困ってるなら助けてあげたいし、幸せならそれが一番嬉しい。
だから言ってごらん、何があったんだい?」
「フィンブル様…その、実は…」
私はその優しく美しい瞳と目を合わせる。
本当は、とっくの前に気づいていた。
誰よりも私を深く愛し、幸せにしてくれるのはあなたしかいないことに。
私はカルニス伯爵家の遅くにできた第二子として、両親と歳の離れた兄に可愛がられて育ってきた。
カルニス伯爵家は代々騎士を輩出する家で、お父様は三つの騎士団をまとめる総括騎士団長で、6歳年上のお兄様は第一騎士団の団長を務めている。
そしてお父様と昔から親交のあるヴィニュス家は文官を輩出する家だったけれど、一人息子であるロベルトは騎士を志した。
私は6歳の頃初めて会った時からロベルトが大好きだった。
まるで物語の王子様みたいにキラキラ輝く金髪に、澄んだ空のような瞳。
この人なら私を幸せにしてくれる、そう思ったのだ。
ロベルトは最初私に付き纏われめんどくさそうにしていたけれど、わたしが転んだらすぐに心配そうにかけより、乱暴な言葉遣いをしながら手当てをしてくれた。
私はそんな不器用で優しい彼が大好きだった。
そして私が10歳の頃、私たちの仲を見た両親は婚約を結ぼうかと私たちに提案し、ロベルトは照れくさそうな表情を浮かべながら承諾してくれた。
幸せだった。そしてきっとこれからはもっと幸せになれるのだと信じていた…。
その後すぐにロベルトは騎士育成学校に入り、忙しくて年に数回しか会えなかった。
寂しかったけれど、ロベルトの夢を応援したかった私は我慢し、ロベルトの前では笑顔を取り繕った。
私は16歳になり、ロベルトは無事学校を卒業して第二騎士団へと配属された。そしてその傍らには学校の同期であり、相棒となった銀色の髪が美しい女騎士のソフィア・クルーネが常に立っていた。
周囲は美しいロベルトとソフィアが並んでいるのを見るたびに、実は恋人同士なのではないか噂した。
けれどソフィアはいつだって私に優しかったし、噂のことも何度も否定した。
それでも私はソフィアが羨ましくて、それ以上に妬ましかった。
ロベルトは私と二人でいる時もソフィアの話をして、最高の相棒だと幸せそうに話す。
だけど、本人達が否定しているのに私の勝手な気持ちで二人を引き離すのはお門違いだとわかっていたから我慢した。
私は我慢して、我慢し続けた…その結果、ささいなことで修復できないほど粉々になってしまったのだ。
ある日、頼まれた着替えを渡しに第二騎士団を訪れた時、ふと広場で剣を振るうソフィアと私を見比べたロベルトは何気ない一言は私の心を大きく抉った。
「やっぱり、ソフィアの銀髪は綺麗だな。まぁ、でも…」
私は言葉の先を聞かないまま、衝動的にその場を走り去った。
もう、ダメだと思った。
好きでいればい続けるほど、私の心は壊れていく。
これ以上傷つけられたくなかった私は咄嗟に逃げ出したのだ。
その翌日、私は婚約を破棄したいとロベルトに告げ、自分のサインを入れた婚約破棄の紙を突きつけた。
ロベルトは私の言葉に動揺し、私の肩を掴み、何故だと問いただした。
そんなの、怖いからに決まってるじゃない。
噂が本当になって、いつかあなたが私の元を去ることが怖くてたまらないの。
私だけがあなたを好きなまま、壊れていくなんて…そんなの嫌。
だったらそうなる前に私が自分でこの恋を手放す。
だけどそんな醜い私の心をあなたに見せることはできない。
複雑な思いを抱えた私は平然とした顔で嘘を吐いた。
「他に好きな人が出来たのよ。」
「昨日まで俺に好きだと伝えてきたのに?」
ありえない。そう言い切って婚約破棄の紙を破り捨てたロベルトに、私は悔しくなって黙ったままその場を立ち去った。
そうよ、私はまだあなたを愛してる。
だからこそ近くにいるのが苦しかった。
それ以来、私は一切ロベルトに近寄らなくなり、パーティのパートナーもフィンブル様に頼むようになった。
その様子を見た周囲は私達が婚約を破棄したのではないかと噂し、そしてソフィアも自分の責任だと思ったのか、相棒を変更したいと上司に告げ、ロベルトとソフィアが一緒にいる姿を見ることはなくなった。
その代わりソフィアも私も居なくなったことで有望株が空いたと思ったのか、沢山のご令嬢がロベルトにまとわりつくようになった。
その様子を見るたびに心が痛んだが、引くに引けないところまできてしまっていた私は何事もないようにふるまった。
フィンブル様はそんな私の様子をずっと見守ってくれて、いつも優しく寄り添ってくれた。
「もし君がロベルトと元に戻れなかったとしたら、僕が君を支えたいと思ってる。」
「フィンブル様…でも私は…」
「あぁ、わかってるよ、君がロベルトをまだ愛していることは。
だから今だけでもいい、僕を頼ってくれ。」
パーティ会場のベランダで私の肩を支えるように優しく掴んでくれたフィンブル様。
でもまだ私の心の中にはロベルトへの想いが残っていて、彼の想いに気づきながらも見ないフリをすることを選んだ。
明日こそは、ロベルトが会いにきてくれるかもしれない。
私の思いに気づき、それでも愛していると言って抱きしめてくれるかもしれない。
自分から婚約破棄を告げておいて、そんな淡い願望を抱いている自分自身が愚かなことはわかっていた。
だから罰が下ったのかもしれない。
その翌日、私を訪れたロベルトは私の願いとは真逆に、私を睨みつけるようにしてサインの入った婚約破棄の紙を叩きつけた。
「まさかラナがフィンブルとできていたとはな、知らなかったよ。
二人して俺を騙して楽しかったか?
望み通り婚約破棄してやるよ、好きに生きればいい。」
この裏切り者。ロベルトは心底軽蔑したように言い去り、私はまた心を大きく抉られた。
どうして私達はこんなにもすれ違ってしまうの?
大人になればなるほど、甘かった初恋はぽろぽろと崩れていく…なんて脆いものなのか。
呆然と彼が乱暴に投げ捨てた婚約破棄の紙を眺め、ふと脳裏にフィンブル様が口癖のように言っていた言葉がよぎった。
"ラナ、僕に遠慮しなくていい。
君が幸せになれるなら、僕は君たちの恋の踏み台になるのも大歓迎だよ。
本当は少し、悔しいけどね。"
何故かはわからないけれど、彼が私に好意を向けていてくれていることにはずっと前から気づいていた。
だけど彼は私がロベルトを深く愛していることを知り、諦めようとしていた。
けれど今、私は彼を利用して中途半端な立場に置き、諦めるにも諦めきれない状況に追い込んでしまっている。利用している。
そして私自身、徐々にロベルトへの想いが薄れていく中で、フィンブル様とロベルトの間で揺れ動いていることに気づいていた。
最低ね、私。
ロベルトの言葉を完全に勘違いだと言い切れないのだから…
きっと、私はどちらを選ぶのか決めなければいけない。
そしてその時はもうすぐだ。
私は一人自室で涙をぽろぽろと流し、数日間かけて12年にも及ぶ初恋に別れを告げ、ついに昨日私がサインしたことで婚約破棄が成立した。
ロベルトは諦めきれない表情をしていたが、私の意志が固いことに気づいたのと、私に対して罪悪感があるのか、一言も文句を言わなかった。
そうして私達はお互いに言葉を交わさないまま別れた。
失恋した後なのに、不思議と気持ちはすっきりとしていて、そこには悲しみでも寂しさでもなく、新しい感情が芽生えていた。
自らを犠牲にしてまで、私を支えてくれた彼への想いが………
「そういう訳なので…フィンブル様、わ、私と、幸せになりませんか!?」
「………え?」
予想していなかっただろう私の突然の告白に、フィンブル様は驚いて文字通り固まり、黙ってしまった。
やっぱり、突然すぎたかな…
いや、もしかして私のことなどとっくに好きではないのかもしれない。
ただの同情心でそう思わせてくれただけかも…
静かな時間が経つほど次々とそんな考えが浮かんできて、現実味を帯びてくる。
私の恋はまた叶わないのね…そう思うと、涙が出て、苦しくてたまらなくなった。
長い初恋を終え、始まったばかりの恋なのに…今度は短すぎる。
けれど散々世話になったフィンブル様に負い目を感じさせるわけにはいかない。
「ごめんなさい、今のはじょうだ…」
私が無理やり微笑み、今のは冗談だと言おうとしたその瞬間、固まっていたフィンブル様が私を強く抱きしめた。
私はあまりに突然のことに思わず涙も引っ込み、フィンブル様って文官なのに意外と筋肉がついてるのね…騎士育成学校に行っていただけあるわ、となんとも見当違いなことを考える余裕まで生まれる。
しかし筋肉を堪能する時間は一瞬で、フィンブル様は慌てて離れて、自身の左手で赤くなった顔を覆った。
「あぁ、ごめん、ラナ。思わず嬉しくて…まさかこうなるとは思わなかったんだ。僕はずっと二人の当て馬役になるのかと思ってて…それでもいいと思ってた。」
「そんな、フィンブル様…」
「いいんだ、君がロベルトしか見えていなかったのは出会った時から知ってる。
でも僕は、君のそんな一途さを好きになっていって…あいつの不器用さと親友であることにつけこんで、君のその想いを僕に向けさせようとした。
僕は君が思う以上に最低で、卑怯な人間なんだよ。」
フィンブル様は悲しそうに目を細める。
きっとフィンブル様は今私が自分を好きになったのは弱い時につけこんだからであって、きっと私はまたロベルトのところへ戻ってしまうと考えているのだろう。
だけどそれは違う。彼はいつだって私が弱っている時につけこむフリをしながら、背中を押してくれていた。
つけこむなら、もっと別の手段をとっていたはずだ。
だけど彼はそうしなかった。
私の幸せを願い、自分の苦しみを決して見せようとはしなかった。
そして今も自らを卑怯な人間だと言い、私がロベルトの元へ戻りやすくしようとする。
私はどこまでも優しい彼に心がギュッとなり、今度は私の方から彼を抱きしめた。
「それでも、私はあなたを選びます。
私はロベルトじゃなくて、あなたと幸せになりたいと思った。
私を幸せにしてくれるのはあなたしかいなくて、あなたを幸せにするのも私しかいない。
そう思えたから、私はここに来たんです。」
そう言うと、彼の腕は強く私を抱きしめた。
顔も見えず、言葉もかえってこないけれど、それが私を拒むものではないことはすぐに分かった。
私は安堵して微笑み、ロベルトがよく呼んでいた彼の愛称を呼んだ。
「愛してます、フィル。
沢山遠回りをしてきてしまったけれど、これからは私達で一緒に幸せになりましょう?」
「…っ、僕も愛してる。ロベルトになんか負けないくらい、深く愛してるよ。
一生君を幸せにしてみせる。君の幸せが、僕の幸せだから。」
そう言って私達はお互いに向き合って嬉し涙を浮かべながら微笑み、唇を重ねた。
さようなら、私の初恋。
もし私が我慢せず、はっきりとロベルトに想いを伝えられたら、こんなことにはなってなかったのかもしれない。
でも全く後悔はしていない。
自分を当て馬だと言った彼は私を深く愛し、そして私も王子様ではない彼を愛したから。
その後私達は一年もしないうちに結婚し、その後3人の子をもうけた。
私達が結婚すると知ったロベルトは複雑そうな表情をしていたけれど、ちゃんとお祝いしてくれた。
彼はまだ引きずっているのかもしれない。
それくらい私達の恋は長すぎた。
けれど私の心はもうフィルに埋め尽くされているので、それを慰めるのは私ではない。
そう思って放って置いたら、彼は十数年後意外な人物と結婚することになった。
本当に、人生ってよくわからないものね。
過去を振り返り、そう思った私はふと隣にいるフィルによりかかり、フィルは不思議そうにしながらもだいぶ白くなってきた私の髪の毛を愛おしそうに優しく撫でた。
あれから、社交界で密かに令嬢達に人気だった夫はロベルトの二の舞になるつもりはないと言い、私と両想いになった後はずっとどこへいくにも私から離れないようになり、私を心配させるような行動は一切取らなかった。
両想いになるまで知らなかったけれど、夫は案外私以外の人間には厳しいようで、なにをしたのか私がそばにいても近づいてきた令嬢達はある日を境に私達に近寄りすらしなくなった。
でもそんな腹黒いところも含め、私は夫を愛していた。
だから年老いた今も私と子供たちにはどこまでも甘く優しい夫に、私はたまにこうやって愛を囁く。
「優しい当て馬さん、愛してるわ。」
これが私の、ハッピーエンド。
実はロベルトの結婚相手はラナの娘だったり…年の差22歳ですが笑
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