第九話 変わったことと変わらないこと。
「やはは。やっぱり十分前には来てるんだね」
朝倉は珍しく、待ち合わせの十分前、つまり同時に着いた。
月曜日、ここで待ち人を待つこと三日目。それぞれ違う女と出かけている。それだけ聞くと、浮気性の軽薄男みたいだな。
「てっきり遅れてくるものだと思ったのだが。三分くらい」
「いつまでも昔のままじゃないってことだよ」
やはは、と相変わらずの変な笑いを零しながら歩き出す。
「どこに行くんだ?」
「ん、そういえば、どこに行こうか」
「考えていなかったんだな。相変わらず」
思えば、俺達のデートは、まずどこに行くか決めるところからだったな。
「じゃあ、どうするか」
「久々に読書デートは、積もる話もありそうだし却下かな」
「そうだな」
何も変わらず、駅前にて困り果てる二人になる。
いつまでも学ばない姿がそこにはあった。
「じゃあ、カラオケ行こうか」
「午前中からか?」
「二時間くらい歌って、それからご飯食べようよ」
「それで良いか」
思いつきの、適当な決定。どこまでも、俺達らしい。
綿密な計画を立てて、きっちり時間を管理して、何て息苦しくてやっていられない。
そんなわけで、一番近いカラオケに入る。
「じゃあ、歌うね」
朝倉は歌が結構上手い。聞いてて苦にならない。
それは今も変わらない。そんなに期間は空いていない筈なのに、もう過去になっていた。あの日々が。
「じゃあ、次は俺か」
「うん。いやー音痴直すの苦労したなぁ。懐かしい。やはは」
「そうか」
当然ながら、朝倉の中でも、過去になっていた。
まぁ、いつまでも覚えていられても困るけど。
とりあえず昔よく歌っていた曲を入れた。カラオケなんて、しばらく来ていない。前奏が流れて、歌い始めるまで、声の出し方が思い出せなかった。
楽しそうに聞いている顔を眺めながら。少しだけ、過去に浸って、曲が終わって帰ってくる。朝倉は、楽しそうだ。何がそんなに楽しいのだろう。
「ねぇ、史郎。史郎は、何で私と付き合おうと思ったの」
歌い終わり、曲を入れていないのか、宣伝が流れ始める。
朝倉の眼は、真っ直ぐに俺を見ていた。
「それは、好きだったから」
「ん、他には? 何で好きになったの?」
「それは……いや待て。今日は俺もお前に聞きたいことがあった」
「なーに?」
首をくいっと傾けながらそう言う。俺が一番ドキッとする仕草と知っての事だろう。
話を逸らそうと思って、素直に乗ってくれる朝倉に少しだけ感謝しながら、俺は、息を吐いた。
よし。決着をつけよう。
「なんで俺を振ったのか、だ」
「それは言いたくないって言ったよ」
「それで納得できたら……」
朝倉の笑顔が、一瞬曇ったのが見えた。たったそれだけ、たったそれだけのことで、情けないことに俺は怯んでしまった。
「……チッ」
「どうかした?」
「いや、何でも。この話はやめよう。今日は普通に遊ぼう」
「そうだね、それが良いよ。お互いにとって」
リモコンを操作し、朝倉は曲を入れる。
俺が好きで、カラオケに行く度にリクエストしてた曲だった。
昨日決めた覚悟も、決意も、消え去った。あっさりと砕けた。弱い。弱すぎる。
「今更昔のデートの再現か?」
「嫌な言い方するね、もう。今も好き?」
「……あぁ。聞かないようにはしていたけど。好みは変わっていない」
丁度前奏が始まる。心が盛り上がる。
歌が始まる。目を閉じて、耳を傾ける。
瞼の向こうの朝倉が、そんな俺を見て、しょうがないなぁと笑っている気がした。
「やはは、ダブルなチーズのバーガーセット、相変わらずのチョイスだね」
「お前も、ポテトじゃなくてコーンを選ぶのは相変わらずだな」
毎回、遊ぶのがメインで、ご飯は適当な俺達は、こうやって食事は近くで見つけた店で適当に済ませる。酷い時は、コンビニでおにぎりを買って、次の目的地に向けて歩きながら食べる。
でも、こんな適当さのおかげで、知らない美味しい店を見つけることもある。その度に、小さな感動を見つけるのだ。
「前みたいに、志保って呼んでくれないの?」
「気分じゃない」
「まぁ、仕方ないね、こればかりは。私のせいだし。やはは、失言だね」
苦笑いしながら、コーンをスプーンでちまちま食べる。
「そう言いつつ、俺を普通に誘えるんだな」
「だって、悲しいじゃん、折角出会ったのに。恋人関係を解消したからって、もう顔を合わせる事すらないって、悲しいじゃん」
「……そうだな」
心が痛みに耐えられるのなら、関係が一歩後ろに下がっただけ、そう解釈できるかもしれない。痛みに、耐えられるのなら。
「まぁ、君は被害者だもん。加害者の感傷なんて、気にすること無いとも言えるけど」
「俺は……!」
「いつまでも被害者面する奴は大っ嫌いだ。違う?」
「……正解だ」
「やはは。君は嫌いなタイプの人間がはっきりしてるから良いね」
言葉とは裏腹に、朝倉は朗らかに楽しそうに、何の憂いも感じさせない、朝倉印のスマイルを見せた。
「だから飲み込もうとしている。そしたら俺は一つ強くなれる。でも俺は今の俺が、大っ嫌いだ」
「そっか。ねぇ、史郎」
「ん?」
「また、仲良くなれたら良いね」
ガリっと奥歯が嫌な音を立てて鳴った。イラっと来た。心がざわつく。無理矢理落ち着かせていたものが、抑えきれなくなる。
口を開く。最初に出たのは深いため息、朝倉に焦りの色が浮かんだ。
どんな言葉が出てくるのか、自分でもわからない。
「……そうだな」
でも、漏れ出た言葉を冷たくすることはできなかった。
「家まで送ってくれるんだ。変わらずに」
「あぁ、お前は危なっかしいからな」
「私だっていつまでも子どもじゃないよ」
付き合っていた頃も一時期、家まで迎えに行くことも検討したが、それは固辞された。
そんなことをしたら、ギリギリまで寝てしまい、寝起きの姿を見られるからだとか。
本屋に行って、買った本を公園でそれぞれ読んで、読み終わったら本を交換してまた読んで、感想を交換して。結局午後は読書して終わった。
「萩野ちゃん、良い子だよね」
「急にどうした?」
「ん。何でもない」
朝倉の家が見えてくる。いつもなら、ここで別れる。
いつも別れるその場所で、合図も無く、俺たちは足を止めた。
「ごめんね、傷つけちゃったんだね」
「傷つかない奴なんているか」
「そうだね。やはは。ノーダメージですって方が微妙な気分になる」
少しの沈黙。
風が吹いた。
背を向ける朝倉に、俺は、言葉を投げることを選ぶ。
「でも、お前を好きだったのは、間違いなんだ。だから……上手く言えないけど、でも、好きだったこと自体に、後悔はしてない」
「ん。ありがとう」
俺はどんな顔しているのだろう。朝倉はどんな顔をしているのだろう。
「じゃ、また」
「あぁ」
一度も振り返らないまま、家の中に消えていく姿を、見送った。
更新時間、何時が良いかなぁと。通勤通学、昼休み、放課後、退勤後。どこで読むのかなぁと考える。