第六話 出かける準備。
「朝倉先輩。わざわざすいません」
バイト終わり、私は朝倉先輩の家の前にいた。
「おぉ、広々してる」
ドアが開き、入って来ての最初の一言がそれだった。最近では軽自動車でもそこそこ広い作りになっていると聞いているのだが。
「本日は、よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げた。
今日は九重先輩にお茶しましょうと言わずに、電話でお願いして車を出してもらった。
「やはは、凄い、椅子もフカフカ。良いなあ。テレビで見た高級車そのものだ。乗れる日が来るなんて思わなかったよ」
隣で感動している朝倉先輩は、無邪気に無駄に広い車内をきょろきょろと見回している。
ここまで素直に喜んでもらえると、親の持ち物が少しだけ誇らしくなる。
「そろそろ着きますよ」
「えっ、早い。動いてたんだ」
「窓の外くらい見ましょうよ」
自動で開いた扉から外に出ると、店員さんがすぐさま出迎えてくれる。戸惑って立ち止まる朝倉先輩の手を引いて、私は父がいつもそうしているように、堂々と店の中に入った。
「……中学生にエスコートされる私って……」
一般的な観点で言うところの、お高い服屋さんだ。
「それで結局、九重先輩ってどんな服が好みなんですか?」
そして、私はミート&ベジタブルでの会話の続きを切り出す。
九重先輩の好みや思い出を聞きだしていたのだ。
「んー。例えばこれとか」
ピンポイントで差し出して来た服を見る。
「ちょっと、ハードル高くないですか?」
「史郎は、女性の身体のラインに美しさを見出すタイプだから」
「さらっと凄いこと暴露してくれますね」
でも言われてみれば、朝倉先輩は、細いながらもそこには不健康な印象は無く、均整の取れた美しさがある。
委員長のようにぼいんとあるわけでもなく、あくまでバランスが良いのだ。
自分の身体を見下ろして、すとーんと地面が真下にすぐに見えて、少し悲しくなった。
改めて、勧められた服を見てみる。
否、女性の価値は、あるか、ないか。大きいか、小さいかで決まるわけではない。
「試着します」
「こちらへどうぞ」
服を手に持ちそう宣言すると、店員さんが素早く誘導してくれる。
父さんがいれば、恐らくこの棚にある私のサイズの服を、黒いカード一枚で買い占めてしまうのだろうけど。
けれど私は別に服はそこまで数はいらないのだ。
着ない服があるとか、作ってくれた人に申し訳ない。
「どう、ですか?」
「良いね。良いと思う。やっぱり似合うね!」
「これ、朝倉先輩が着た方が似合うと思いますけど」
「やはは。確かに私も似合うとは思うけど、でも、これは萩野ちゃんに着て欲しいな」
自分に自信がある。素晴らしいことだと思う。
「……先輩は、欲しい服とかありますか? この中に」
「えーっ。うん。そうだなぁ。これ、かな」
「買いますよ、それ」
「えっ?」
返事を聞く前にその二着と、あと適当に朝倉先輩に似合いそうな服の組み合わせを三つ手に取って店員さんに渡す。
「これ買います」
クレジットカードを持てない中学生らしく現金払い。
「えっ、えぇ……」
「今日のお礼です。受け取ってください」
「あっ、ありがとう……」
「お礼を言うのはこちらですよ。九重先輩の好みなんて、朝倉志保先輩である、という事しか知りませんから。今の所」
「萩野ちゃんは、史郎の事、好きなの?」
「無いですね。ただ、ちょっとあの人がデレデレするところが見てみたい、そう思っただけです」
ただ、それだけ。それだけの話。
「ふーん、そうなんだ」
「何ですか? その含みのある言い方は」
「べっつにー。やはは」
「昔から、あんな感じなのですか?」
「んー、そんな事は無いよ。もう少し、言動は素直だったよ。何だかんだ甘いというか、優しいというか、そういうのは変わってない。ただ、あそこまで捻くれさせちゃったのは、私なんだって思うと、少し申し訳なくなる」
「傲慢なことを言いますね」
「ん? なんで?」
「朝倉先輩のせいで歪んだ。先輩が九重先輩の人格に影響を与えた。そう思っているのですね」
「だってそうじゃん」
どうしてかムカッとした。私がしようとしていることをやってのけた、そう言っているのだから。だから、否定したくなった。
「受けた言葉、体感した出来事をどう解釈し、受け止めるかは本人次第なのですから、影響を受けるも何もありませんよ。本人がどう解釈するか、なのですから」
「おぉ、なるほど」
その場で適当に練り上げた屁理屈を、先輩は素直に受け止めたようだ。
単純すぎて心配になる。将来、変な人に騙されないだろうか。
「どうぞ、上がってください」
「お、お邪魔します」
朝倉先輩を連れて家に入る。
そのまま私の部屋に直行した。
「当日の髪型まで見てもらっても良いですか?」
「んー、そうだねぇ」
あれやこれや。先輩の元カノさんに、お出かけの協力をしてもらう日が来るとは。
「凄いです。私が可愛く見えます」
「君は可愛いよ」
「先輩に比べたら、そんなこと言えないです」
目の前にいる朝倉先輩の美貌の前には、お出かけのためにお洒落した私でも、霞んでしまう。
「でも、そっか、君みたいな子がいるなら、もう安心だね」
「なにがです?」
「ん、何でも」
「あの、朝倉先輩は、何で九重先輩を振ったのですか?」
「私はね、逃げたの」
静かに微笑んだ朝倉先輩は、どこか悲しげだった。
「私は、自分が思うより弱かったの」
それは、思わず抱きしめたくなるような。でも、足が動かない。明らかな拒絶を感じて。
「萩野ちゃん、史郎のこと、好き?」
「それは、違います」
「そう。でも、史郎のこと、お願いね」
朝倉先輩の言葉は、頷くこと以外、許していなかった。
「やはは、美味しかった。夕飯までご馳走になっちゃって、過剰な報酬をもらっちゃったよ」
朝倉先輩の家までしっかり送り届ける。
過剰とは言うが、私の中ではまだ足りない。
「あの、先輩」
「ん?」
「ありがとう、ございました」
車から降りて、しっかりと頭を下げた。
「頑張ってね、当日」
「何をですか?」
私は別に、あの憎まれ口をデレデレにしたいだけだ。頑張るどころか、私は先輩の反応を楽しむために行くのだ。
「やはは、何でも、だよ」
そう言って、きっとこの笑顔に落ちたんだろうな、先輩は、そう思わせるものを残して、先輩は家の中に消えていった。