第五話 ゴールデンウィークの過ごし方。
「先輩。土曜日空いていますか?」
「空いていてもお前に消費する気はない」
ゴールデンウィークに入り、バイトして勉強して、何も無い日は部屋に籠って無難に活動している。
当然友人は作らず、俺のスマホの連絡先は家族くらいしか登録されていない。
それでもあの二人はしつこく俺に構ってくる。
そして、朝倉も、ちょくちょく話しかけてくる。
これだけ見ればなんか充実しているように見えるが、俺の望むところではない。
「……なんだよ」
ジトッと俺を見て来る視線に、応えてやるとする。
「ではこうしましょう。九重先輩が私との思い出、中学時代のですよ。今日のバイト終了までに思い出せなかったら土曜日付き合ってもらいます」
「俺にメリットが無い。やり直し。そもそも、乗る義理が無い」
「ではこうしましょう。思い出せたら私は先輩の邪魔をしません」
「ほう」
邪魔をしないとな。
「良いだろう」
考え始める。こいつとの思い出か。
中学時代の仲という話だが、そういえば久遠が、印象変わったとか言ってたな。
「無理ゲーじゃねぇか」
だがもう勝負を受けてしまった。口約束でも約束は約束。
思わず舌打ちしそうになるが、ドアベルの音に俺は堪えた。そして、マニュアル通りの言葉が喉元まで出かかる。
「は? なんで?」
「やはは、本当に働いてるんだね、史郎」
「朝倉、何しに?」
「やは、驚いてるね。もちろん、ご飯食べに。おすすめは? 店員さん」
「……シェフの気まぐれサーロインステーキセット」
「どれどれ、一番高い奴じゃん」
「相応しい値段と言ってくれ」
ジーンズに白いTシャツと、動きやすそうな装いは、付き合っている時と変わらない。
「やはは、じゃあ、君の好きなメニューは? 食べたことあるでしょ」
「チーズハンバーグとポテト」
「じゃ、それで。やはは、好み変わってないんだね。あっ、食後にコーヒーもお願いします」
朝倉の言葉に思わず顔が歪んだのがわかった。
今更、どういうつもりなんだ。
朝倉の悪気の欠片も感じさせない様子に、怒りすら湧かない。そもそも勤務中に感情を乱したくない。
「はぁ。少々お待ちくださいませ、お客様」
元カノとしてではなく、お客様として扱うことで、精神衛生を保つことにした。
俺と入れ替わるように、萩野が朝倉の所へ行く。客は今朝倉しかいないから、別にどうでも良い。
客がいる状況で大っぴらに掃除するのは好ましくないので、カウンター席を拭くことで、暇な時間を過ごす。
朝倉と萩野が何やら話し込んでいた。
世の中、案外自分が思った通りに行かないや。
中学の頃の自分が思い出せない。
誰も好きにならない。誰とも深く関わらない。環境が変わったこの時が、その生き方を実行する好機だったはずなのに。
「九重君、嫌われたいわけじゃないんでしょ?」
「否定はしない。そしていつの間にか来ていたんだな。いらっしゃいませ。おひとり様ですね、ご注文お伺いいたします」
久遠委員長様が、何故か制服姿で、カウンター席、俺の目の前に座っていた。
「嫌われるつもりなら、もっと徹底的にしなきゃ駄目だけど、君しないもんね」
「おい、注文は?」
「あぁごめん。じゃあ、マルゲリータで」
「はいよ」
注文を伝えるために一旦離れる。
そうだな。でもそれはわかっているから。一人で生きていけるほど、自分ができた人間ではないことを。俺は傲慢ではない。
ただ、もう俺は誰にも心を許さない。自分の気持ちを預けない。それだけ。
ちょっと嫌な奴、そう思われれば良い。
「お冷忘れてた」
「ありがとう」
店員としての義務は果たさねばならない。やることやらねば、深く関わらないでいることは許されない。
「そういえば、日曜暇かな?」
「は?」
「はいはい怖い怖い。クラスの親睦会の買い出しに行きたいの。お菓子とか、飲み物とか」
「そんなもん先生にやらせとけよ」
「あくまで生徒主催だから」
「ゴールデンウィークの課題やりたいからパス」
「そうだね。それでは、もし来てくれたら、手伝ってあげます。課題」
「いや、別に困ってないが」
「ん? 私の記憶が正しければ、君、中学時代課題提出毎回ギリギリだったと思うんだけど」
むっ。確かに。
しかし、なるほど、確かにクラスメイドだったのかもしれない。
「これ、君一人でやりきれるの?」
それは、縦二十、横四十マスの単語暗記用書き取りプリント。きっちり裏表ある。古文の宿題、正直、面倒だ。
「五枚、期限までやる気ある? 残り三日だよ」
「やらなきゃ駄目だろ」
「うん」
久遠の笑みは優しい。そして、俺の答えを確信している。
「……三枚だ」
「良いよ。この課題結構好きだし。というか、やっぱりこの課題を残してたんだね」
真面目委員長らしいお言葉である。
「それじゃあ、日曜日、朝の十時、駅前に集合で」
「わかった」
怠惰な俺に負けた。そう解釈しよう。俺はまだまだ弱いようだ。
久遠が店から出ていく。朝倉は美味しそうにポテトを食べている。
「お客様、お皿をお下げします」
「うむ」
「なんで無駄に偉そうなんだ?」
「やはは、あれ? おかしかった?」
「会釈だけでええわ。萩野も、いつまで駄弁ってる」
「あっ、ごめんなさーい」
ったく。
「ところで先輩。私の事、思い出せましたか?」
「いや、全然。でも、お前俺が負けたとして、本当に来ると思っているのか? すっぽかす可能性は?」
「史郎に限ってそれは無いと思うよ。それよりもアルバイトの店員史郎さん、食後のコーヒーお願い」
「萩野、行ってこい」
「はーい、先輩」
予想外に反論も抵抗も無く、素直に萩野は厨房に引っ込む。
「やはは。先輩してるねぇ。前からなんだかんだで面倒見良いもんね、史郎は」
「なんだと?」
凄んでみても、ニコニコと気にした様子は無い。
敵意も悪意も、あっさり流してしまう。
あぁ、嫌なことを思い出してしまう。
「なぁ、新しい彼氏、できたのか?」
「できてたら、君とお話しに来たりしないよ」
思わず、睨むような目になってしまうのがわかる。
「じゃあ、何で俺を振ったんだ」
聞きたくても、聞けなかった問いが、あっさりと口から飛び出した。
「……言いたくないな。私は逃げたようなものだし」
「はぐらかす気かよ」
「そんなところ」
「お待たせしましたーコーヒーです」
トンと音を立てて湯気立つマグカップがテーブルに置かれた。
「……お前、あんなお高い喫茶店に当たり前のように入っていくわりに、仕事には活かされてないな」
「? 何がですか?」
「いや、良い……じゃあ、土曜日な。駅前十時」
「はい、楽しみにしています! やった!」
上機嫌にスキップしながらカウンターを拭き始める。さっき俺がやったばかりなのだが。まぁ良い。あぁくそっ。これで二日潰れた。
「史郎、めんどくさくなったでしょ。相手にするの」
「よくわかってんな」
「じゃあ、私は月曜日の十時で。ゴールデンウィーク最終日だし」
「は?」
「あれ? そういう流れかなと。ダメ?」
見上げてくるような目線が真っ直ぐに俺の眼に注がれる。
こいつのおねだり上手は、全然変わっていなかった。
気がつけば断った方が悪い、そんな風に思っていて。
「あぁわかったよ。良いよ。駅前な!」
「やはは。もうやけくそ気味だね。うん、良いよ」
こうして、俺の連休残り三日が埋まった。