第二十二話 変わりたい人たち。
「面倒だな、書類仕事とは」
「だから私がやるって言ってるのに」
「気まぐれだ。何も無い放課後とは不気味なものだからな」
バイトがあり、萩野にどこかに連れ回され、朝倉にたまに楽し気に話しかけられて、久遠の仕事を気まぐれに手伝う。それが日常となっている俺にとって、特に何も無い夕方は不気味なのだ。
かと言って、いつもより長く勉強するほど集中力に優れているわけではない。
だから、今日は久遠に仕事を貰うことにしたのだ。中間試験も終わり、そろそろ夏休み、つまり俺達の任期がそろそろ終わる、
「不備はあるか?」
「まぁ、無いけど。何度見ても、意外だ……」
「何が?」
「こういうこと、できるんだね」
「書けと言われてることを書けば良いだけだろ。できるできないなんて無い」
「まぁ、理屈の上ではそうなんだけど。思ったより綺麗な字で書いてるし。普段からこうすれば良いのに」
「普段から気を引き締めて集中力を高めでノートを取れと? ヤダよ」
神経が焼き切れてしまう。
「そういえば、そろそろテストだけど大丈夫?」
「問題ない。中間の結果を見ただろ」
「まぁ、ね」
総合の結果、久遠が一位、それに続いて俺が二位だった。
普段から勉強していればこんなものである。今は二年の範囲の勉強をしている。
ただまぁ、高校に入ってからのにわか勉強家と、生粋の性根にまでしみ込んだ勉強家の差は激しいもので、久遠は既にセンター試験の勉強を始めていた。
今から二年後のことを備えるか? 恐ろしい。
「まぁ、問題は朝倉だな」
中間で赤点を三つ出して、テスト前補習でひぃひぃ言っていることだろう。
「九重君が他の人を気にする日が来るなんてね?」
「おかしいか?」
「うん」
「そうか」
まぁ、確かに。
俺の中の根幹は揺らぎに揺らいで。
もう本当の自分というものがわからなくなっていた。
でも、これ良いのかもしれない。
俺は、俺の心に従うのが、正しいのかもしれない。
相手を見て、自分の心に聞いて。
それが、人間関係のバランスの取り方なのだろう。
「じゃあ、帰ろっか。やること終わったし」
「あぁ」
家に帰り。スマホを開いた瞬間、画面が着信を知らせる画面に切り替わる。
切ろうか。と思った。でもそれだと、俺がスマホを見ているのがバレる。
仕方ない。無視だな。
二回目。三回目。
粘るな。結構。
四回目、五回目。いい加減、出るまでかけてきそうだな。
「何の用だ?」
「史郎、やっと出た……。お願いします。助けてください」
予想通りの内容だった。あぁ、面倒だ。
「んで、何で三上までいるんだ?」
「聞かないでください」
珍しく丁寧な言葉遣いでそう告げられる。それだけで察しろという事だろう。
バイト終わりの休日、着替えてそのまま店の方に入ると、二人は勉強道具をわきに退けて、それぞれ夕飯を食べているところだった。
「先輩方、勉強会ですか?」
萩野も俺に付いてきた。これはまぁ、いつものことだ。
最近体重が気になり出したらしく。駅まで話して帰ることの方が多くなった。
「うん。萩野ちゃんもそろそろ試験の時期じゃない?」
「そうですねー。では、私も混ぜてもらっても良いですか?」
「もちろん!」
まぁ、中学の内容も大丈夫だろう。
と思っていたのだが、その甘い目論見はすぐに打ち砕かれる。
それは、俺が中学の内容を忘れている、なんてことではなく。
「三上先輩、違いますよ。公式くらい頭に入れておいてくださいよ」
「は、はひ」
気がつけば、萩野と俺がそれぞれマンツーマンで目の前の相手に教えていた。
「萩野ちゃん、何者なの」
「優秀な後輩なんだろう。素晴らしいな。ほら、手が止まっているぞ、どうにか理解してもらうぞ」
「うー。うん」
「理解とは、相手に解説できるようになることだ。覚えたとは、とりあえず手順通りできるようになることだ」
「それ、中学の頃から何回も聞いたよ」
「そうだったな。まぁ精々いい点とって楽しい夏休みでも過ごせ」
「はーい。先生」
まぁ、朝倉が良い点取らなくても俺の人生に欠片も影響はない、
ただ、時間を消費したからには、それ相応の成果を出してもらわなければ、気分が悪い。
「やはは、史郎、今こいつ赤点回避しなかったらどうしてやろうか、とか考えたでしょ」
「正解だ。よくわかったな」
「史郎のことだから」
「熟年の夫婦みたいなこと言いますね、先輩方」
「ゾッとするようなことを言うでない」
ゾッと、するな。うん。すると思う。
「ふわっ、ちょっと眠くなってきた」
「そうだね、あたしも」
「そうですか? どうしますか? 九重先輩」
「そうか、じゃあ終わりだな」
教科書と参考書を閉じる。眠い時に無理矢理やっても、効率は最悪だ。だったら寝た方が良い。目の下に隈を作って徹夜でやるなんて、時代錯誤も良い所だ。
グッと伸びをして、水を飲む。
今からコーヒーを飲むのは睡眠時間的にヤバいから。欠伸を噛み殺しながら帰るとしよう。
「ねぇ、史郎。今から家行って良い?」
「何を馬鹿なことを言っているんだい?」
一人で家路につく。
ただ、目の前の人影を、俺は無視できなかった。
「委員長が深夜徘徊か?」
「まだそんな時間じゃないよ」
「定義上ではな。だが、女子が一人で出歩いて良い時間ではない」
「本当、優しい所見せてくれるようになったね、九重君」
眼鏡の奥の久遠の眼は、澄んでいる。
ただ純粋に俺を見ていた。
「九重君」
「なんだ?」
「君の家行って良い?」
「お前まで何を言っているんだ」
「お前まで、って、誰のお願いを断って来たのかな?」
「朝倉」
「志保ちゃん大胆」
さっさと歩き出すが、久遠は着いてきた。
「帰らなくて良いのか?」
「今日は良い。友達の家に泊まるって言っておく」
「不良委員長が」
「たまには良いじゃん。夏休み前だよ」
たまには悪い子にもなりたくなるんだよ。
そんな小さな呟きが聞こえた。
「……はぁ」
家の前に着いた。
「上がれよ」
「うん。ありがとう」
もう良いや。と諦めの感情の方が強かった。
「実は泊まり道具持ってきています」
「さよか」
文句を言う気力も起きなかった。




