二十話 後輩、仕掛ける。
「先輩」
「何や」
「返信くれるのは嬉しいのですが。なってません!」
「何が?」
「これが女の子に送るメッセージですか?」
「何がだ?」
萩野が画面を向けて来る。
場所はバイト終わりの休憩室。さっさと退散しようと思ったが、萩野の着替えの方が早かった。女子の方がかかると思っていたのだが。
いや。髪を結っていないという事は、服だけ着替えてさっさと出てきた、といったところか。
「なんで、あぁ、とか、そうだな、とか、良いんじゃないか? とか、適当な相槌しか返ってこないのですか?」
「返しているだけマシだろ」
「むっ……否定できないですね」
「だろ」
いい加減、こうして普通に話していることが理解できない。
多少は関係を維持する努力というものを始めたとはいえ、こいつが俺に積極的に構う理由など、もう無い筈だ。
わりとクズだと思うぞ、自分でも。
「先輩、今日はどうしますか?」
「どう答えても無理矢理でも連れていくだろ、お前」
「いえ、そろそろ芸が無いと思いまして」
「まぁな」
足は止めない。
ここで足を止めたら負け……何と戦っているんだ?
俺は、何と戦っているんだ?
「どっか行くか?」
「い、良いんですか? ちょ、ちょっと待ってくださいね?」
自分の行動指針のブレを感じる。
見つからない。
「じゃ、じゃあですね。そうですね……あれ、どこ行きたいのだろう。私」
「ここでお前が悩むのかよ」
「えっと、えーっと」
待ってることにする。今この瞬間、この時が大事な気がした。
「そ、そうだ! 先輩、夕飯はまだですよね?」
「あぁ」
何かを思いついたのか、萩野はどこかに電話をかけ始めた。
「では、少し待ちましょうか」
「おう」
この時点で何を呼んだのかはわかった。
車が必要な場所に行く気なのか。
そしてしばらく。見るからに高いと、車に関しての知識が少ない俺でもわかる車が来た。
「では、乗ってください」
「あ、あぁ。失礼します」
何だ、これは。動き出したのに気づかなかったぞ。
「どこに連れて行く気だ?」
「私の家です」
「は?」
待て待て待て。何をされるというのだ? いきなり家庭訪問だと。
俺の頭の中でスーツ姿に日本刀の父親か。着物に薙刀の母親とか。そんな幻想が舞い踊った。
「先輩、顔色悪いですが? 大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫」
「緊張しているのですか? 先輩。可愛いですね」
「あのなぁ」
ため息を一つ。
やたら広い車内で、密着しかねない勢いで席を詰めてくる後輩。
空間の無駄遣いである。
「ねぇ先輩」
「太もも撫でるな、気持ち悪い」
「そ、そんなに嫌がらなくて良いじゃないですか!」
「いや、流石にビビるぞ。お前、デレさせるとか言ってたが、やってることがわりとおっさんのセクハラじゃないか」
「おっさん……私、おっさんですか?」
「おう」
「そんなぁ」
身体一つ分の距離が空いた。
信号待ちなのか、車が停まる。ちらりと、運転手がこちらを見た。目が合う。優しく目が細められる。
逆に緊張するのですが。
そして、再び車が停まる。扉が自動で開いた。
「ありがとう」
萩野はそう言って降りる。俺もそれに習う。
「うわ、でかっ……」
豪邸だ。とりあえず、敷地が広い。
家は二階建て、なのだが、横にもデカい。何部屋あるんだ、これ。
「あっ、こっちです」
すれ違う給仕服を着た人たちが立ち止まってお辞儀していく。
変な汗をかいてしまう。こんなの。
俺はこんな風にされるような立派な人間じゃない、声を大にしてそう叫びたくなるのだ。
「ここ、私の部屋です。そうですね、ここで待っていてください」
「いや待て。客間あるだろ。いや、良い。廊下で良い。俺を立派な部屋で待たせないでくれ! いや、廊下も駄目だな。そうだな。俺は帰る。帰らせてもらおう。そうだ、適当なレストラン寄っていくか? それが良い、そうしよう」
「うるさいですよ。ほら、さっさと入る」
そうだ、俺はこいつに力勝負で勝てないんだった。
部屋に放り込まれ、扉が閉まる。外から鍵をかけられる音がした。
あぁ。女の子の部屋だ。
朝倉の部屋を思い出した。あいつの部屋、どうしてか良い匂いがしたな。
天蓋付きのベッド何て初めて見た。
絨毯が敷かれ、座り心地のよさそうな椅子がある。
自然と目が行ったのは衣装だな。すぐに首を振る。それは最低すぎる。
否。女性の部屋は何処を見ようと罪になる気がする。
「理不尽だ」
そう呟いて。開き直る。
選択肢は三つ。
・ここで立ち続ける。
・大人しく椅子に座る。
・いっそのことベッドにダイブ。
「嫌。無いわ」
流石に無いわ。絶対後悔する奴だ。特に最後のは。
なら、リスクが低いのは……。
くっ、妙に生活感があるから、どうにも動き辛い。
萩野はいつもそこで寝て、そこで着替えて、疲れたらそこに座って、勉強はその椅子に座ってその机を使っている。この絨毯の上を歩き回っている。
触っただけで首を撥ねられそうだ。
考えるのをやめた。
もう、どうにでもなれ。
ふらふらと、ベッドの方に向かう。
「いや、落ち着け、俺!」
「先輩、そこで何をしているのですか?」
「あぁ、萩野。これはだな、そうだな」
俺が今いる場所はベッドの目の前。さて、どう言い訳したものか。
「そんなに興味あります?」
飲み物が乗った盆を机に置くと、萩野は扉に鍵をかけ、こちらに歩いてきた。
「な、何をする気だ?」
「大丈夫です。私も初めてですから」
「な、なにが?」
「女の子の口から言わせる気ですか? ちなみに先輩は攻めるのと攻められるの? どっちがお好みで?」
「待て、よし。落ち着こう」
「大丈夫です。人払いはしてあります。一時間は余裕がありますよ」
ベッドの方に押そうとする萩野と押しとどめようと全力の俺。
あぁ、この暴走した後輩を止める手段よ……。
「お前、俺が本気で襲いだしたらどうするつもりだったんだ?」
「先輩ならどうせヘタレると思っていましたから」
途中で「うっそー」とか言いながら、さっさと椅子に座ったバイト先の後輩は、そう言ってにんまりと笑った。
「信頼と受け取っておくよ」
プラスに解釈しないと精神が保てそうにない。
「でも先輩。ほら、現に何も起きていないじゃないですか?」
「そうだな。あぁそうだ。本当にお前の将来が心配になるよ」
からかうために何てことしてるんだ? 本当、末恐ろしい。
「俺以外にするなよ」
「あら、束縛が強い男は嫌われますよ」
「既に嫌われるような人間だからな。なんてことない」
さて……。
どうやって帰宅する流れに持って行こう。




