十七話 弱り目祟り目人の優しさ。
目を開く。
首を横に動かすと、頭の上から何かがずり落ちた。
「……タオル?」
額に触れる。これ、冷えピタか。
目線を動かして、枕元のデジタル時計を確認。十一時か。
俺、いつの間にベッドに移動して、病人の眠る体制を整えたのか。そんなわけない。誰だ?
「やはは。起きた?」
ひんやりとした手が俺の頭に触れた。
「……志保?」
「あっ、ようやくそっちで呼んでくれた。いや、弱っている証拠かな?」
思わず体を起こした。横を見れば、確かにそこには朝倉志保がいる。
「うえっ」
「急に動くからだよ、ほら、横になって」
ぐらっとした感覚に頭を抑えると、そんな心配そうな声が聞こえた。幻覚、ではないな。
「せんぱーい。言われた物全部買って来ましたけど、私料理とかできないので良いですか?」
階下からそんな声が聞こえ、俺はまた頭を抑える。
「お前ら、何でここに?」
「えっ? メッセージ送ったの史郎じゃん」
「えっ?」
朝倉の見せた画面は、俺とのチャット画面だ。
『すまない。体調がヤバい。先生に知らせておいてくれ』
「いや待て。それで何故お前が俺の家に来るんだ」
「だって心配じゃん。こんなの送ってくるってことは、史郎の親、仕事でいないってことだし。実際いなかったし」
「……萩野が家にいる理由は?」
「んー。あぁ、それはねぇ。史郎が萩野ちゃんに、『朝倉が気づかなかったときのために、俺が林間学校に行けないことを久遠に知らせておいてくれ』って送ったからだよ。そっか、久遠ちゃん、まだ聞けてないんだ」
そうか、あの状況で念には念を入れる慎重さを発揮していたのか。
そして萩野は学校休んでまで来たのか。
朝倉も林間学校休んでまで。
「すまない」
「なんで謝るのさ」
「いや、悪いことをした」
「やはは。史郎がしおらしい、やはは。気にしないで良いよ。今は自分の体調だけ考えて」
「あの先輩方。いちゃつくのは良いのですが。私が料理すると炭が出来上がりますよ」
「ごめんごめん、すぐ行く」
朝倉と入れ替わりで萩野が入ってくる。
「先輩、大丈夫ですか?」
「この状況を見て、大丈夫だとしたら、それは空元気だ」
「ですね。びっくりしましたよ、玄関先で朝倉先輩と会って。それで朝倉先輩がどこからか鍵を持ってきて、扉を開けたら、先輩がぶっ倒れているのですよ。慌ててベッドに運びました」
そうか、まぁ萩野の腕力なら納得だ。
そして朝倉、まだ覚えていたのか、鍵を失くした時用の予備鍵の隠し場所。
「すまん」
「急に謝られても困りますよ。私が勝手にしていることですよ」
「お前、学校まで休んで」
「良いですって。成績は良いので」
「親にはなんて説明してるんだ?」
「正直に話していますよ。結果を出せば許してくれるのが、我が家ですから。はい、先輩、水分を取って毒を出す。大事なことですよ」
「悪い」
「あと、薬も買って来ました」
「あぁ、ありがとう。金は……」
ベッドの脇に置いてあるリュックから財布を取り出し、適当に万札を掴んで渡した。
「良いですよ。先輩。こんな」
固辞する萩野に押し付けるように渡す。ここまでされて何も思わない奴なんて、いるはずが無いのだ。
「悪い、少し休む」
万札片手に固まる萩野にそう告げて、目を閉じた。
「史郎、お粥できたけど、食べる?」
「食べる」
脊髄で返答した。
実際、朝倉の作る料理は美味いからこの返答自体に後悔は無い。
付き合っているころ、食べさせてもらったことがある。
美味しいと感じたのが、恋心故か、本当に朝倉が作るのが上手だったのか、今では定かではないが、今は栄養を取ることも必要だ。
何もできない、情けない。重い身体が憎たらしくなるくらい邪魔だ。
「あっ、萩野ちゃん用にインスタントだけどラーメン作ったから」
「あっ、食べます!」
「おいお嬢様」
まぁ、ハンバーガー美味しそうに頬張ってたから、案外庶民派なお嬢様なのかもしれない。
というか、たまにお嬢様だと意識していないと忘れそうになる。
「今晩はカレーだから楽しみにしてて。キャンプ気分を少しは味わえるし、史郎、カレー好きでしょ」
「あぁ。懐かしいな」
朝倉が本気でカレーを作るとなると、半日かけるくらいはする。だからきっと、既に準備を進めているのだろう。
土鍋乗った盆を受け取ろうと手を伸ばすが、朝倉はそれを押しとどめる。
「食べさせてあげるから、史郎は動かなくて良いよ」
「いや、そこまでされると逆に……」
「良いから良いから」
レンゲで掬ったお粥。
「大丈夫、ちゃんと冷ましてから持って来たから」
「あ、あぁ。いや、やっぱり自分で」
「良いから。人の好意くらい素直に受け取れば良い。誰の言葉だったかな?」
「それは……」
付き合っている時、俺が言ったことだ。
今になって、返ってくるのか。
「なぁ。俺と付き合って、後悔とか、してるか?」
「全然」
「そうか」
少しだけ、安心した。
「そんなことを聞くなんて、本当に弱ってるね、史郎」
「かもな」
「やはは」
土鍋はすっかり空になった。
「美味しかった?」
「体調が悪いと味もわからんよ」
「やはは。もう少し塩入れた方が良かったかな」
「病人には薄味が丁度良いだろ」
「確かに」
腹が膨れて、眠気が来た。欠伸が零れた。
「そういえばお前、親にはどう説明するつもりだ?」
「んー、あぁ、泊ってくから良いよ」
「は?」
「流石に、正直に親に話せないでしょ。林間学校ちゃんと行った振りするよ」
「そうか。……悪いな」
「今の史郎に謝られると、変な気分だよ。ほら、薬飲んで。夕方くらいまで寝ると良いよ」
「そうする。……お前も移される前にさっさと部屋を出るんだな」
「やはは、少し調子出てきた? あっ、そういえば」
「なんだよ」
もう枕に頭を預けている。後は目を閉じるだけだ。
「これ、久遠ちゃんから」
朝倉が見せてきたスマホの画面。久遠からメッセージが届いていた。
『お大事に。クラスは任せて』
それだけ。真面目な委員長様らしい。
俺は別にそこまでクラスに思い入れがあるわけではない。けれど、頼もしさがあった。
「なんで教えていないんだ。俺の連絡先」
「本人からのご希望でございます」
「なんだ、俺の連絡先とか、登録すらしたくないほど嫌われたか」
「そんなわけないじゃん。意地悪なこと言わないの」
額を指で弾かれる。地味に痛いな。
「どう? 可愛い女の子に甲斐甲斐しく奉仕される気分は?」
「自分で言うか? 可愛いって」
「史郎、付き合っている時どんだけ、可愛いとか、綺麗とか、言ってきたのさ。それとも、わかっていて、『私、可愛くなんか無いですよ~』とか言って欲しい?」
「……それはそれで腹立つな」
「やはは、でしょ」
ため息を吐いた。
「そろそろ眠いかな。久遠ちゃん帰ってきたら、ちゃんとお礼、言わなきゃね」
その言葉には答えず、薬を水で流し込み、目を閉じた。




