第十二話 行事の気配。
「……じーっ」
「なんだ?」
「じじじじーっ」
「萩野。そんな目で見たところで仕事は終わらんぞ」
「ここ数日放置されていたので、何を言おうかと思いまして」
「既に最初の一言は済んだな」
出勤したら当たり前のように萩野がいた。客のいない店内、カウンターに座ってぼんやりしていた。
客がいない時までしっかりしろ、なんて言わない。締める時は締めて、緩める時は緩める。それが上手い生き方というものだ。
「酷くないですか? 一日一緒に過ごした仲なのに、連絡一つ寄越さないって」
「お前の連絡先なんぞ知らねぇし、俺も教えていない」
「じゃあ教えてください」
「断る」
「即答ですか……」
「当然だ。何が悲しくて俺はお前に連絡先を教えなければならない」
「そんなぁ……いくらですか? いくら払えば良いですか? 言い値で買います」
「へっ」
馬鹿なことを言う後輩に贈る言葉なんて思いつかない。仕事だ仕事。客が居なくてもできる仕事はある。
テーブルを一通り点検して、カウンターでグラスを磨く。
まぁ、祝日明けだ、そんなに来るわけが無いが。
それは思った通りで、夕食時になっても、全然来ず、料理長は当然ながら、マスターも厨房から出てこない。
新作メニューを考え出すと、そうなるのは知っているから、気にならないが。何て言ったってもうすぐ夏だ。きっと期間限定のメニューとかあるのだろう。
そんなわけで、フロアは俺と萩野、二人きりだ。
「そうだ先輩」
「あ?」
萩野が手を差しだしている。
「なんだ、金か?」
「違いますよ。スマホ貸してください」
「は?」
「良いから、貸してください!」
「痛い痛い。やめい、わかった。わかったから離せ!」
あまりの握力に逃げの一手を選ぶ。手がまともに機能しなくなってしまう。これでは。
買収と脅しを使い分ける後輩に慄きながらスマホを差し出す。
「どれどれ、ふむふむ。おっ、インストールされてますね。よしよし」
「いや、何で俺のスマホのロック解除できるんだよ」
「えっ、あー。これは名誉のために言わないでおきます」
「いやまぁ、何となく入手経路はわかったけど。どっちだ?」
「胸部が大きい方です」
「あっさり吐いたな。そうか、委員長様か」
あの眼鏡ストーカー委員長なら。あいつ、どこまで知っているんだ。
「せっかくぼかしたのに。というか、意外ですね、一部の特徴だけで個人に繋げられる程度には、人を見ていたのですか」
「俺を何だと思っている」
変えとくか、ロックナンバー。
平穏が音を立てて崩れていく。はぁ。
もう良いや、テーブルでも拭こう、ってその前に。
「返せや」
「あっ。まぁ良いです。目的は果たしました」
「えっ?」
俺のスマホには萩野の連絡先が追加され、萩野が得意げに見せるスマホには、俺の連絡先が追加されている。
「消すか。消してブロックだな」
「やめてくださいお願いします。いくら払えば許してくれますか!」
袖に縋りつき、涙目で懇願する萩野に、流石の俺も心がぐらつく。少しだけ。
「えっ、そこまで?」
「なんか悔しいですし。朝倉先輩の、消してないじゃないですか。というか、何で朝倉先輩とは交換してるんですか? 多分無理矢理だと思いますけど、それにしても消して無いのが腑に落ちないです」
「むっ……」
「なんでですか?」
その問いかけに、すぐには答えられなかった。
悩む。萩野が、そして俺が納得できる答えを。
しばらく、こめかみを抑えて唸った。
「わからない」
「素直ですね、珍しい」
俺の自分でも残念と思える結論に、萩野の反応は結構優しかった。
仕方ない。登録だけはしておこう。
「返信は保証しないぞ」
俺のその言葉に、萩野は笑みだけで応えた。
一息ついて、カウンターに戻る。一人座る眼鏡の少女がいた。
俺は見なかったことにして、箒を手に持ち掃除にかかる。
「今こっち見たよね、九重君」
「いたのか、久遠」
「いたのかって……視界に入っていたはずなのに」
「悪い幻覚でも見たのかと思ってな……身体は良いのか?」
「うん。もう大丈夫。ありがとうね。司会進行してくれたんでしょ」
「肩書に応えただけだ。お前のためじゃない。だから礼もいらん」
わざわざそんなことを言いに来たのか。朝倉から俺の連絡先貰ってるなら、それで済ませれば良いのに。
「ったく、律儀な奴だな。注文は?」
「じゃあ、ホットコーヒーとBLTサンドで」
「はいよ」
厨房に注文を伝え、とりあえずコーヒーだけ淹れて出す。
「しかしお前、俺より毎回帰りが遅いが、何しているんだ?」
「ん、あぁ。もうすぐ林間学校だから、先生と色々、班分けとか、レクリエーションの内容とか、話し合っているんだ」
「ふーん」
「聞いておいて興味無さそうなのは、どうにかならないの?」
「ならんな。そうか、林間学校か」
心底面倒な行事が来たな、と素直に思う。
だがまぁ、そういう行事も、ちゃんと参加し、滞りなく完了させなければ、深く関わらないなんてスタンスは許されない。
ただの嫌な奴と、孤高の人間は、違うのだ。
孤高を気取るつもりは無いが、俺の目指す先は確実にそうなる。道の果ては決まっている。
「寂しいですが、先輩、いえ、休んで長めのシフト入っても良いのですよ」
「断る。そもそも、長くシフト入れても、お前は学校だろうが」
「まぁそこは、学校終わって迎えを呼んで、速攻で来れば良いわけですし」
「お嬢の権力を乱用するな」
「私の力では無いのはわかっていますとも」
意外な答えが返ってきて、思わず萩野の方を見た。
萩野に特に変わった様子は無い。
それは、多分、かねてから思っていることだから、だろう。彼女に根付いた考え方、ということだろう。
少しだけ、彼女への印象を改めた。
「まぁ、あるものを使わない方が愚かだと思いますけどね」
「少し残念だが、その考えには同意するよ」
ドアベルが鳴る。お喋りはおしまいだ。
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