表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/56

後夜祭(その6)

         ☆


 ドラゴンが月から落ちてきたのは、ぼくが生まれる前の年のことだった。


 正確にはドラゴンが落ちてきたのは前年の一二月で、ぼくはその一〇ヵ月後に生まれた。


 大げさに言えば、この地上にドラゴンが落ちてきたちょうどそのとき、いずれはぼくの母となるべき人の中にぼくの小さな命の灯火がともったことになる。


 ドラゴンの直撃を受けた欧州から伝わってきた破壊と混乱が大陸伝いにこの国を揺さぶり始めた頃の話──そんな世界的大混乱の中、当時大学生だったぼくの両親はいったい何をしていたのやらw


 ぼくが生まれる頃には、すでに「ドラゴンの灰で奇蹟を起こすシンデレラ」たち──後にいう〈アッシュテイカー〉たちが出現し始めていたものの、生活物資や食料の不足はもちろん、電気やガスといったエネルギーインフラも壊滅状態。


 ひとことでいえば相当に厳しい時代だった。


 それでも半ば強引に学生結婚した二人(両親の友人たちが盛り上がって後押ししたらしい)の許で、そんな友人たちの間に生まれたもう一人の子ども──幼なじみの女の子と一緒に、ぼくは無事にすくすくと成長することができた。


 今でも四人が顔を合わせると、「あの頃は大変だったけど、でも毎日がキャンプみたいで楽しかった」という話になる。


 幼なじみの女の子と一緒に大人たちの話を聞いていたぼくは、当然ながら「キャンプ」なんてしたこともなかったので(というかそれ自体どういうものかよくわかっていなかったくせに)、それはもうすごくうらやましく思ったものだった。


 その四人と、ぼくと、彼女と──あの頃のぼくにとっては、それが世界の全てだった。

 ぼくの世界の物語にはこの六人しか出てこなかった。


 でもそれだけでじゅうぶんだったし、幸せだった。 


 そう。

 世界はこんなだったけれど、でもぼくは、ぼくたちは確かに幸せだったんだ。


 だから、わずか六歳にして彼女が〈アッシュテイカー〉となったあの日も。

 その魔法が暴走してぼくが死にかけて、その恐怖で彼女の名前が呼べなくなったあとも。


 それでもぼくは。

 ぼくたちは。

 頑張って生きてきたんだ。

 みんなで一緒に。力を合わせて。

 この世界で。

 

 生きてきたんだ。


      ☆


 ──どこかで、しゅうしゅうと湯気の立つ音がしていた。

 燃える木がぱちぱちと爆ぜる音もする。

 かすかに漂う、懐かしい灰の匂い。

 揺らめく火に淡く照らし出されている室内は、見慣れた教室のそれだった。


 ただし、見事なまでの散らかり放題。


 椅子や机が全て乱暴に壁際に押しやられていた。

 見える範囲の窓ガラスも全部割れている。

 落ちたヘリの爆発で吹き飛ばされたらしい。


「ヘリ……? いってえ」 


 何か気になったけれど、ひどい頭痛がして、それ以上考えられない。

 頭に手をやりながら、そろそろと窓側へ顔を向ける。


 窓枠だけになったそこから見える空は相変わらず暗い灰色で。

 けれど何か変だった。


 空を覆う灰色のそれは、雲というより、灰色に塗った平べったい天井みたいな感じがした。

 今まで雲に隠れていた「舞台裏」が、それがなくなって見えちゃったような。


 もうちょっとよく見ようとして体を起こす。

 寝かされていたのは体育用マットの上だった。

 

 頭痛もだけど体中がめっちゃ痛い。

 ただし傷の痛みではなくて使いすぎた筋肉の痛みに近い。


 我慢できないことはないけれど、ちょっと半身を起こすだけで屋根の雪かき三軒分は体力を消耗した気分。

 上半身を支えるのが限界で、とても立ち上がるのは無理っぽい。


 改めて体を見ると、両腕はもちろん、破れたシャツの中まで包帯だらけだった。一瞬びっくりしたけれど、でもあちこちゆるゆるで、単にぐるぐると巻つけただけのようだった。


 着せ直す時に間違えたのか、糸の緩んだボタンがちぐはぐに留まっている。

 靴は履いていた。

 ただしぼくのものではない。

 よく見ればシャツも別人のものらしい。


 すぐそばにヘッドホンもあった。

 ただし耳当ての片側はなくなっていて、残ったほうも半分溶けて原型を留めていなかった。


 ウォークマンは見当たらない。

 コートもマフラーもない。

 でも教室の中心で燃えている焚き火のおかげか、それとも体のほうがどうかしちゃったのか、それほど寒いとは感じなかった。

 

 ざっと見える範囲に「彼女」の姿はない。

 喉が鳴ったけれど、口の中はからからでつばを飲み込むこともできない。

 さらに頭痛。吐きそう。


 体の内外から襲う痛みから逃げるように、再び窓の外へ視線を向ける。


 とはいえ床に腰を下ろしたままでは、やっぱり視線が低くて町の様子がほとんど見えない。

 うっすらと漂う「靄」の向こうに背の高いマンションらしいものがやっと見えるくらい。


 残っているはずのヘリの姿はない。

 そのあたりを飛んでるような音もしない。


 あれだけの爆発があったのにサイレンの音も聞こえない。

 仲間のヘリはどこへ行ったんだろう。助けを呼びに戻ったんだろうか。


 何度見てもやっぱり空に雲はない。

 あの分厚い雪雲が、すっかりなくなってる。

 代わりに見えるのは、でも青空でも夜空でもない。


 それは言うなれば作り物の天井だった。

 むき出しのコンクリートで覆われた、どこまでも続く灰色の天井。


 とてつもなく巨大な実物大の映画のセットにでも迷い込んだ気分。

 そこまでの大作映画なんて、「竜灰の災厄」以降は作られたことはないけれど。

 

 教室内に目を戻す。


 机や椅子が隅に追いやられたその場所は、いつもよりずっと広く見えた。

 中央には輪切りにしたドラム缶が置いてあり、廃材らしい木材が燃えていた。

 横には家庭用の卓上ガスコンロもあって、「用務室」と書かれた黄金色のヤカンが湯気を上げていた。


 その焚き火の向こうで、女の子が一人、ちょこんと椅子に座っているのにやっと気づいた。


 一瞬「彼女」かと思った。


 でも名前を口に出す前に違うとわかってしまう。


 同じ黒でも大人用とはデザインの違うシスターズドレスに、白のヴェール。

 膝の上に置いた救急箱を両手で抱えるようにして、国籍不明の幼い瞳に不思議な違和感をたたえてじっとこちらを見つめている。


「えっと……きみが手当てをしてくれたの、かな?」


 思いきってそう聞いてみた。

 われながらすっかり掠れてひどい声だったけれど。

 

 でもそのきょとんとした顔に変化はない。

 それどころか、呼吸すらしていないんじゃないかと思えるほどまったく動きがなかった。


 それでやっと違和感の正体に思い当たった。

 人一倍大きな瞳なのに、全然瞬きをしない。

 まるで人形のように――いや、作り物でも何がしかの表情のあるぶん、まだしも人形の方が愛想があるような気がする。


 何も言わずにいると、また元の静寂が戻ってきた。

 相変わらず他者の気配も、ヘリの音も、パトカーや自衛隊のサイレンもない。


「――脆いものだな、人の世界など」


 扉のない出入り口のほうで誰かの声が言った。

 そこにはいつの間にか、二人の小さな女の子に支えられてあの黒装束の吸血鬼が立っていた。


 頭を覆うヴェールがなく、不自然に赤い髪がそのまま肩や胸元を覆っていた。

 漆黒のシスターズドレスはボロボロで、腰の鎧のようなコルセットも傷だらけ。

 そしてやっぱり、右側の腕は肩から先がないようだった。


 ぼくの手が反射的に自分の〈マトック〉を探る。


 元々吸血鬼という存在は、〈魔物〉の中でも最上位に位置する人類の天敵だ。

 人語を解する知性と人に倍する力、そして何より不死たる体を併せ持つ。


 いずれにせよ見つけ次第トップクラスの〈アッシュテイカー〉総動員でやっつけるのが基本。

 間違ってもぼくが一人でどうこうできる相手じゃない。

 それでも手探りで見つけた〈マトック〉を握り、持ち上げようとした──が。


「うわ何だこれ、重っ!」


 一瞬「彼女」の──久保の〈マトック〉かと思った。

 でも何度確かめてもそれはぼく自身のものだった。


 前に一度久保の〈マトック〉を持たせてもらったことがある。

 見た目に反してそれはとてもじゃないが手で持てる重さではなかった。

 こめた魔力の差よ、とあの時久保は言っていたが──


 一方の少女姿の吸血鬼といえば、そんなぼくにおかまいなく、


「見守りご苦労だった、コーティ――それとくたばり損ない少年。こいつはおまえの分だ!」


 教室に残っていた女の子が、顔だけを彼女に向けてこっくりとうなずく。

 それだけでもびっくりするような変化に思えた。


 おかげで、隻腕の少女が投げてよこしたコンビニ袋がもう少しで顔面を直撃するところだった。


 思わず〈マトック〉から手を離して何とか受け取った袋の中には、メーカーも種類もバラバラのカップ麺が数個と、ペットボトルのお茶が入っていた。


 なるほど、あのヤカンの湯はこのために沸かしていたのか。

 何か拍子抜けした気分。


「遠慮はいらない。カップ麺はいいぞ。いつどこで食べてもちゃんと同じ味がするんだ。たとえそこが遠い異国の墓地の下でも、滅びかけた世界のど真ん中であってもな!」


 楽しげに語る少女の、前に一度だけ見たことのあるあの青い空が焼きついたかのような碧眼が柔らかな弧を描く。


「……悪いけど、食欲がないんだ」

「そんなことはないだろう。おまえはひのふのみー、三日も寝てたんだぞ」

「三日? ぼくが?」


 こんなマットの上で? どうりで体が痛いわけだ。


「それだけじゃない。ここへ運んだときのおまえは全身大やけどでほんとに死ぬところだった。それをどうにかそこまで治癒させたんだ。三日がかりでな」

「魔法で?」

「他に方法があるか?」

「誰の? まさか──」

「残念だが」


 名前を出す前に否定された。

 それで全部わかった。

 でも、それでもぼくは聞かざるを得ない。


「なら、あいつは? ……久保は?」

「死んだ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ