姫巫女の決意(その12)
☆
ふと妙な感じがして、慎人は顔を上げた。
見ると、部屋の真ん中に慎人の身長ほどもある白灰色の魔導円環が浮いていた。
頭に置かれていた慎人の手をはねのけるようにしてコーが立ち上がり、慎人の前に出る。
透過光のない、灰や石灰を型にはめて作ったかのような魔導円環。
その中心には、本来そこにあるべき異形の魔獣──魔導生物の姿はない。
代わりに一人の男と、そして二人の女の子が囚われていた。
刹那、音もなく円環が砕け散った。
視界が一瞬白い灰に覆われる。
部屋中に満ちた灰は渦を巻きながら大小三本の柱へと分かれ、それぞれが徐々に人の形を成してゆく。
全てが終わった時、そこには漆黒の僧服を着た痩身長躯の青年と、そしてコーにそっくりな姿をした二人の女の子が立っていた。
慎人がこの世界で目覚めた時にその場にいた男と、彼に従った柩姫たち。
「あなたは──デコート神父、ですか?」
青年がうなずく。
「といっても、今のこの身は魔法で作った影のようなものだけどね。本当の僕は別の世界にいる――フィセと一緒に」
「フィセラと?」
「すまない、シントくん。今は詳しく話をしている時間がないんだ。でも少しでも彼女のことが気にかかるのなら、お願いだ。一緒に来てくれないか」
珍しく黙っているコーが、振り返って慎人を見た。
とても人造の魔導生物とは思えない、表情豊かで大きな真紅の瞳が、じっと慎人を見つめる。
神父の傍らに立つ二人の女の子たちも、同じ瞳を慎人へと注いでいる。
一瞬、叶唯のことが頭をよぎった。でも。
「……話を聞くだけなら」
「もちろんだとも!」
☆
待機していた衛兵たちが扉を開けるのももどかしく、叶唯はヘルゼの部屋へ突入した。
しかしそこにはもう慎人たちの姿はなく、一人の女の子がぽつんと立っているだけだった。
「コー……じゃないわね?」
女皇専用に強化された魔導鎚を構える。
瞬時に数枚の魔導円環が自動生成される。
けれど黒衣の女の子の表情に変化はない。ただ淡々と叶唯を見つめている。
「慎人はどこ――って、聞くだけ無駄か! ブレイク!」
呪文抜きで真ん中の一枚を砕く。
連鎖的に全ての魔導円環が砕け、暴風に乗って炎が飛ぶ。
女の子の前にも防御用らしい魔導円環が浮かんだが、あっさり砕かれ、爆発し、その小さな体が部屋の反対側にまで吹き飛ばされた。
叶唯は彼女には目もくれず、さっと周囲を見回す。
ぬいぐるみの詰まったクロゼットが移動していて、一見何もない壁が露出していた。叶唯はまっすぐにその「秘密の扉」へと向かう。
だが途中で見慣れない青白い魔導円環に阻まれてしまった。
躊躇なく魔導鎚でぶっ叩く。
叶唯の二の腕ほどの直径もない小振りの円環は、だがびくともしない。
「何この術式……? この世界のコードじゃない? ──神父か!」
はっとした顔で叶唯は振り返ると、やっと起き上がった女の子の前をやはり無視するように素通りして取って返し、正面の瀟洒な扉を思いっきり蹴っ飛ばす。
蹴った先で一瞬だけ浮かび上がった同様の青白い魔導円環を見て、ちっ! と舌を鳴らす。
「……わたしを破壊しない限り、その円環は砕けない」
初めて女の子が口を開いた。
「仮初の命すら無駄にする吸血鬼の魔導人形が! やつが泣くぞ! ──ウェイク!」
怒りの声と共に叶唯は再度、魔導鎚を振り上げた。
☆
暗く狭い通路を行く神父の足取りは確かで迷いがなく、そして速かった。
対してコーの手を取って続く慎人の方は、彼に言葉をかける余裕すらない。
置いて行かれないようひたすら早足で彼に続くしかない。
最後尾にいるもう一人の女の子も、ほとんど駆け足でついてくる。
梯子のような手すりだけしかない自動昇降機を昇った先。
足場のついた正面の壁に、以前ヘルゼと一緒に来た時にも見たオレンジ色の魔導円環が淡く輝いていた。
神父姿の青年に促されて手を触れると、これも前回と同様、円環があっけなく砕けて消えた。続いて、やっと人が通れるほどの細い出入り口が開く。
そうして慎人は、コーと共に再び女皇執務室の光の下へと進み出た。
まるで放課後の教室にまた戻ってきたかのような、妙な気分。
さらに壁に開いた抜け道から、慎人に続くようにして神父と女の子も姿を見せた──直後、無数の魔導円環が部屋中に出現し、中に囚われた魔導生物たちが一斉に警報を叫び始めた。
重厚な扉が開き、重装備の警備兵たちが飛び込んでくる。
時間差をつけて二名ずつ。計四名。
「ちょっと油断しちゃったかな」
ただ見ているしかない慎人の前で、しかし神父は慌てる風もない。
開いた手の上に青く光る小さな魔導円環を出現させると、彼の細長い指先がそれをつついて砕いた。
たったそれだけで、ルース卿自慢の警備兵たちが声もなく倒れる。
「軍の特殊魔導騎兵だよ。心配ない。ちょっと眠ってもらっただけだ」
警報の方も、神父に言われるまま、慎人が魔導円環の一つに触れただけで、全ての円環が一瞬で砕け散ってしまった。
「どうなってるんです、これ?」
「この城の中では、きみは特別なんだよ──さあ、こっちだ」
神父は続き部屋の奥、先に叶唯が出てきた円筒形の扉の前に慎人を立たせた。
ここでも彼に言われるまま、扉に向かって手をかざす。
と、その前に数枚の光輝く魔導円環が重なるようにして浮かび上がった。
慎人が一番手前の円環に触れると、一枚目から順番に左右に回転しつつ次々と砕けてゆき、全ての円環が砕けると同時に両開き式の扉が開いた。
円筒の中は薄暗い縦長の空洞だった。
昇降機のような箱はなく、代わりに円筒の幅いっぱいの魔導円環が、淡く光りながら床と平行にぽつんと浮いていた。
円環内のドラゴンは、通常と違って、頭ではなく背中をこちらに向けている。
全員がその背中に乗ったところで扉が閉まり、円環が下降し始めた。
ほどなくして円環の速度が緩くなり、やがてどことも知れぬ闇の中で停止した。
待つまでもなく目の前で光の線が上下に走り、と思ったら左右に広がって、慎人はやっと扉が開いたのだと気がついた。
外に出ると、今度は漆黒の魔獣が、まるで狛犬のように扉の両側に控えていた。
二頭。でかい。
一頭がむくりと頭を上げ、じろりとこちらを見た。
真っ先に慎人と目が合う。
思わす仰け反るように背筋を伸ばし、後ろへ下がろうとしたものの、けれどすぐ後ろにいたコーたちに、再び円筒の外へと押し出されてしまった。
魔獣の方は、そんな慎人に向かってふんふんと匂いを嗅ぐように鼻を鳴らすと、すぐにまた組んだ前足の上に頭を置いて眠ってしまった。
「彼らは警備用の魔導狼兵――侵入者には絶対容赦しない、地獄の番犬ってところかな」
とりあえずほっと息をつく慎人の横で、神父がふむふむとうなずく。
「やっぱりきみは、帝宮内の全システムに対して完全に不可侵な存在のようだね」
「どういうことです?」
「あちこち勝手にうろついた挙げ句、迷い込んだ先でしつけのなってない犬どもに噛みつかれないようにってことだろ! やーい、くやしかったらお手をしてみろ!」
コーとそっくりなもう一人の女の子──ベルリィが、べーっと舌を出す。
けれど魔狼たちが再びかったるそうに首をもたげるのを見るや、さっと慎人の背中に隠れてしまう。
魔狼たちと目が合った慎人が思わずえへへ、と笑うと、魔狼たちはふん、とでも言いたげな顔でまた床へと寝そべってしまった。
ほっと息をなで下ろす慎人&ベルリィ。
お互い顔を見合わせてにはは、と笑う。
慎人を見上げるベルリィの顔がちょっとだけ赤くなる。
けれどコーのジト目に気がつくと、すぐにつん! と神父の方へ走って行ってしまった。
苦笑いしてベルリィを見送った慎人は、
「それで? ここが目的地なんですか?」
行儀よく並ぶ柱に支えられた低い天井の下で、妙に長細い空間が続いている。
地下鉄のホームみたいだなと慎人は思った。
実際すぐ先には、トラムを小さくしたような車輌が一両、停車していた。
さっそく運転席へと走り出すベルリィに続いて、歩き出した神父と一緒に慎人とコーもその車輌へ向かう。
「ここは見ての通り、ただの中継駅だ。ぼくらの目的地はこのミニトラムに乗った先にある」
対面式の座席に、神父と向き合うようにして座る。
コーは当然のように慎人の隣だった。
出発進行! というベルリィの車内放送と共に扉が閉まり、車輌が動き出す。
出発直後から急な下り坂となり、そのままどんどん下ってゆく。
地下鉄というより、登山鉄道のケーブルカーのようだった。
「この先に、フィセラがいるんですか?」
慎人の前で長い足を折り曲げるようにして座っている神父は、
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。あえて答えるなら、どこにもいない、かな?」
「からかわないで下さい!」
「いやいや、本当のことさ。彼女は今現在、この宇宙のどこにも存在していないんだ」
神父は焦らせているというより、どう説明しようか迷っているといった感じで、
「彼女は、彼女の宇宙にいる」
「フィセラの、宇宙?」
「この宇宙の外にある、もう一つの宇宙のことを聞いたことはないかい?」
「……魔力が多すぎて滅んだっていう世界のことですか?」
「そう。彼女は、その滅んだ宇宙の中にもう一つ別の宇宙を――自分の宇宙を作ったあと、そこから出られなくなってしまったんだよ」
☆
どかん! と扉が開いて叶唯が飛び出す。
群がっていた魔導騎兵たちを蹴散らして回廊を突っ走る彼女の手には、ヘルゼの部屋の暖炉に飾ってあった、懐かしい魔導鎚があった。
傷らだけの黒い十字架のついたロザリオが、なくなった灰炉の代わりのように、その柄に乱暴に巻かれている。
叶唯はちらりとそのロザリオを睨みつけ、だがすぐ手前に浮かぶ携帯通信環へと目を戻す。
「手加減してたら時間食ったわ! クルガー、慎人の行き先は!」
『予想はついてると思うけど――クォンタル・ペインだ』
グリーンに光りながらくるくる回る円環の中、狼風の魔導生物がにやりと笑う。
『あそこなら人間の衛兵はいないし、派手な攻性魔法は全部無効化されるからね。あいつ──シント少年がいればフリーパスも同然だし、じっくり話し合いをするには絶好の……』
「お黙り!」
昇降機へ飛び込み、数階上がって飛び出し、執務区画へ出ると全速力で真っすぐ自分の執務室へ向かう。
クロゼット裏の通路──狭い抜け道を使うよりもその方が早い。
『……ねえ陛下、もう一度だけ言わせてくれないかな』
「嫌、聞きたくない! ――わたしの執務室に救護班と代わりの警備をよこして。第二級深層催眠者が四名。ほっといても勝手に目を覚ますけど邪魔だわ!」
『手配した――これはあいつが自分で決断する問題だ。ぼくたちが口を挟むことじゃない』
「決断も何も、慎人は自分がどこへ行って何をさせられるのかすら知らないのよ!」
『だったら教えてやればいい』
「フィセがどうなっているか、正確にわかる者は誰もいないわ――あの男も含めてね!」
執務室のソファへロザリオを放り出し、魔導鎚だけを持って奥の扉へ向かう。
「それともクルガー、あんたにはわかるってわけ? ルース、あんたはどうなの、聞いてるんでしょ!」
走る叶唯の前に別の通信用円環が開き、鼻メガネをかけた熊顔のそれが口を開く。
『わかっていることはただ一つ――もし吸血乙女の救出に失敗すれば、シント少年はもう二度とこちらの宇宙には戻って来れない。永遠に彼女の宇宙をさ迷い続けることになる』
手をかざして封印の魔導円環を砕き、円筒形の扉を開いて中に浮かぶ魔導円環へ──ドラゴンの背に飛び乗る。
「そしてそれこそがルース、あんたの望みってわけね。でしょ!」
きっぱりつきつけられた叶唯の断言に、けれど熊顔はむしろにやりと笑って、
『あの少年が新たな柩――フィセラの世界に囚われている限り、カノイ、おまえは死を選ぶことはできねえ。そして帝国には、いやこの世界には、まだまだおまえの存在が必要なんだ』
「クルガー、あんたはどうなの! あんたもそんなにこの帝国が大事?」
『残念ながら女皇陛下。ぼくはただ、あいつがフィセラを連れ帰る方に賭けてるだけさ』
「あんたたちの言い分は確かに聞いた──今度はこっちが言わせてもらう番ね」
二つ並んだ円環の中に浮かぶ魔狼と熊をそれぞれ睨みつけ、叶唯は宣言する。
「今すぐフィセの宇宙へ続く扉を、ドラゴンの牢獄を閉じてやる――クォンタル・ペインを止めてやるわ!」




