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姫巫女の決意(その10)


          ☆


 休戦記念式典の飾りつけも華やかな帝都の街を、一人の男が行く。


 その身を包む漆黒の僧服は、かつての宿敵たる者たちの象徴だった。


 事実上戦争が終結したとはいえ、人と吸血鬼が共に暮らすこの地では奇異であることに変わりはない。

 だか道を行き交う人々も、吸血鬼でさえ、誰も「彼」を気に留めない。


 まるでそこには誰もいないかのように。


 帝宮行きトラムの停留所前で、神父姿の男は足を止めた。

 小さな女の子が、停留所近くの雑貨屋の前にしゃがみ込んで泣いていた。


 神父を見上げた女の子は、鼻をすすり上げながら、「にゃーが死んじゃった」と言った。


「にゃー?」

「猫よ」

「そりゃまたストレートな名前だね」

「にゃー、死んじゃった。トラムにぶつかって」


 神父は自分も女の子の前にしゃがみ込むと、「それはよかったね」と言った。


「ええ? なんでよ」

「死ぬのは、生きていたっていう証拠だから」

「……?」

「死ぬためにはまず、生きなくちゃならない。この世に生まれて来なくちゃならない」

「にゃーは、死ぬために生まれたの?」

「死っていうのはね、ちゃんと生きた命への、神さまからのご褒美なんだよ」

「死んじゃうのが、ごほーびなの?」

「死ぬことは、希望なんだ。次の命への。それは、死にゆく全てのものたちから、生まれ来る全てのものたちへの讃歌なのさ!」


 しゃがんだまま、両腕を大きく広げてみせる神父。


「……わかんない」

「にゃーが死んでも、その代わりに別の猫がどこかで生まれて、もしかしたらその猫は、空が飛べるようになるかもしれない。人とお話ができるようになるかもしれない」

「にゃーとお話ができるの!?」

「ごめんね。にゃーはもう死んじゃったんだ。だけどそのおかげで、新しい命が、新しい可能性がまた一つ、この世界に生まれたんだよ」

「にゃーが死んで、生まれたの? 新しい猫さんが?」

「そうさ。そうして命は未来へと巡っていくんだ。命から命へ。どこまでも、どこまでも!」


 にこりと笑う神父の背後で、停留所に並んでいた人々がざわめき始めた。


 地面がぶるぶると振動し、道路の向こうからどんどん人が走ってくる。

 女の子も不安そうに、


「どうしたの?」

「大丈夫。でもここから動かないでね」


 女の子の頭にぽんと手を置いて、神父は立ち上がった。

 やがて建物の向こう側から、逃げ惑う人々を押し出すようにして巨大な黒い塊がやって来た。


 それは地球横断列車アーシアン・エクスプレスを牽引する、超重量級の巨大法気機関車だった。


 派手な火花と盛大な蒸気と鉄の灼ける匂いとを撒き散らしつつ、街中に轟くような擦過音を響き渡らせて、青いリボンのヘッドマークをつけた巨大機関車がトラムの小さな停留所に停止する。


 右往左往する人々を横目に、神父は出しっ放しになっている昇降用ハシゴに手をかけると、ゆっくりと昇り始めた。


 運転台から運転士姿の老人がぬっと顔を出してきて、神父は思わず身をのけぞらせる。


「あなたは……」

「帝都内でこれ以上騒ぎを起こされちゃかなわんからな――ポイントとシステムは切り替えてある。いざというとき装甲列車を帝宮へ突入させるために整備した特別線に繋がってる。このまま行けば、帝宮への貨物搬入用引き込み線を経由して一気に宮殿内へ突入できる」


 仏頂面で老人――列車運転士に扮したルース帝国元帥閣下が言った。


「それはありがたい。ですが、いいのですか?」

「てめえのためじゃねえ。何より帝国のためだ。自分で自分の始末もできねえ男は黙ってろ」


 無言で両手を挙げた神父を、ルース卿はやっと運転台へと迎え入れた。

 運転台には他に二人――漆黒の女の子たちがいた。


「ごくろうさま、二人共」

「フィーさまのためです」


 まったく表情を変えずに女の子の一人が言った。


「わかってるよ、ロージィ──じゃあ行こうか、ベルリィ」

「うし! ではしゅっぱあつ! 皆さま列車より三歩下がってお待ち下さ~い!」


 運転台の椅子を占めたもう一人の女の子が、喜色満面で腕を突き上げた。


「――ねえねえ! どこへ行くの!」


 轟音を上げてゆっくりと動き出した機関車へ、雑貨屋の前から女の子が聞いた。


「お城さ!」


 聞こえないはずのその声に、運転台から半身を突き出すようにして神父が答える。


「お城のじょうおうさまは死なないって、ほんとう?」


 不死の女皇と柩の少年の伝説は、こんな女の子でも知っている。


「もし本当に死なないのなら、彼女はきっと、世界で一番可哀相な人だよ!」

「あんなお城にすんでても?」

「あんなものただの飾りさ! ――それに大丈夫、この世に死なない人なんていないから」

「そうなの? でももしいたら?」


 神父――デコートは、加速してゆく機関車の運転台から帝宮を見上げて、


「その時は、ぼくらがちゃんと死なせてあげないとね」

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