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後夜祭(その3)


 文化祭の歓迎門に積もった雪。

 それを、逆さに持った竹箒でせっせと払い落としている。


 傍らには車輪のスポークにまでみっちり雪の詰まった通学用自転車。

 紺色の通学バッグが押し込まれたカゴの横には特別製のホルダーがあり、彼女の〈マトック〉が天地を逆にしてつっ込まれていた。


 全体的にぼくの持つそれよりも長く、先端部分も威嚇的に大きい。

 加えて今は上にある下端側には、他のものにはない独特の飾り――教会のミサで司祭が振る香炉にも似た球状の物体が、アクセサリーの根付けのようにぶら下がっていた。


 あれなら中型クラスの魔物どころか、真物の吸血鬼だって一撃だろう。


 遠目に見えたそんな彼女の横顔。

 その口元でリズミカルに白い吐息が息づいている。

 

 歌っていた。


 ヘッドホンの中の歌声とその息遣いが見事にシンクロしている。

 偶然か、それとも──いや。


 考えるだけ無駄というものだ。

 だって彼女は魔法使い──真物の魔法少女なのだから。


 コンビニ袋の音に気をつけつつ、夢中で歌う彼女の背後にそっと近づく。

 軽く目を閉じ息を吸い、そして、


「委員長代理、ごくろーさまでっす!」

「わあー、びっくりしたー」


 声だけで驚いて見せた少女――久保叶唯(くぼ かのい)が、人懐っこい笑顔で勢いよく振り返った。


 凍えるような寒さの中でもふんわりと艶やかなボブカットにウサギ顔のイヤーマフ。首元にはぼくと同じ柄のマフラーをぐるぐる巻いて、彼女は今日も元気いっぱいだった。


「遅いぞヒラ委員その一! とっくに後夜祭の時間だぞ? 遅刻、遅刻!」

 右手に巻いた大振りのデジタル式腕時計を、ピンクの指先でこんこんと叩いてみせる。

 ぼくはヘッドホンをしたままウォークマンの音量だけを絞って、


「そんなもの、とっくに電池切れで止まってるくせに」

「へっへーん、よく見なさいって。ちゃんと動いてるでしょ!」


 灰色の文字盤には、確かに無味乾燥なデジタル数字が並んでいた。

 その腕時計は、そもそも中学進学記念にやはりぼくが父さんから譲ってもらったものだった。


 けれど忘れもしない中学二年の夏。魔法修行のために旧ローマへ──ドラゴンが落ちた爆心地に新設された魔法学校への留学が決まった彼女に、半ば強制的にプレゼントさせられたのだ。


「でも電池代とかバカにならないだろ? コンビニの乾電池また値上がりしてたぞ」

 それ以前に今どきの粗悪な乾電池は、この寒さも手伝ってすぐに使えなくなってしまう。


「お金なんて。放っておいてもいくらでも入ってくるわ」

「そうでしたな」


 彼女たち〈竜灰の魔法使い〉に対しては、国からはもちろん、所属する国際機関──この未曾有の全人類的危難に立ち向かうべく設立された国連国際魔導救援救済機構、別名〈竜灰教会〉から定期的に一定額の報酬が支払われていた。

 正確な金額は知らないけれど、それでもかなりの高額であることに間違いはない。

 相応の活躍はしているので当然の対価ではあるけれど。でもうらやましい。


「そう?」

「じゃないの?」

「だって今の時代、いくらお金があってもあんまり意味ないじゃん」


 久保の手袋をしていない指先(よく寒くないな)が、ぼくのヘッドホンをちょんとつつく。


「本当にいいものは、もうお店には並んでいないから──たとえばこれ、いくら出せば売る?」

「いくらでも売らない。決まってるだろ」

「ね、そういうこと」

 そしてまた腕時計つきの右手をこちらへ突き出す。


「この誰かさんからもらったボロ時計だって同じこと。たとえわたしの全財産と同額のお金を差し出されても絶対手放さない。欲しければこの腕ごと切って奪うのね!」


 もちろんそんなことができるやつなんてこの地上には存在しない。

 何たって彼女は──久保は〈アッシュテイカー〉の最高峰、地上最強の魔法少女なのだから。


「ありがとう嬉しいよ。ボロは余計だけど」

「大丈夫よ。ボロでも一生大事に使うから」

 彼女の茶色がかった大きな瞳がにこっと笑う。つられてぼくも笑顔になる。


「それよりほらほら、もうこんな時間! さっさと動く動く!」

「へーへー。けど後夜祭って言っても、文化祭自体は二日も前に終わってるしなあ」


 実のところ学校行事としての文化祭は、すでに何年も前からずっと中止が続いている。

 けれど今年は違った。

 魔法学校から戻ってぼくと一緒にこの高校へ入学した久保が自ら実行委員会委員長に立候補して、学校非公認のゲリラ文化祭を強行開催したのだ。


 結果としてそれは大成功を収めた。

 本校の生徒だけではなく、自分たちの活動の発表場所を求めていた地元バンドや演劇集団がいくつも飛び入り参加して、体育館でずっと避難生活している人々も巻き込んで、それはもう盛大なお祭り騒ぎになった。


 一足先に事実上崩壊したネット世界から追い出された連中が、その持て余した創作意欲をリアル世界にぶちまけて、おれたちはまだまだ生きている、神さまなんかクソ食らえと全員揃ってシュプレヒコールを挙げた。


 基本的には電気も魔法も使わないアンプラグドイベント。

 魔法なしにこだわったのは久保自身。


 できるだけふつうの学生らしいノリを目指したいということで、おかげでバンドもアンプは使えない。

 ボーカルだけは学校備え付けのマイクを使うけれど、リズムマシンもキーボードもない。アコースティックギターに素のドラムセットを組んで、あとはもう力任せに弦を弾きドラムを叩くだけ。


 中には自前の貴重なガソリンと自家発電機を持ち込んでスタンドアローンボカロライブを実現させた連中もいて、伝説のボカロ少女に久保のオリジナルソングを歌わせたりしていた。


 それでも最後は今年一番の第一級吹雪がきて、彼女が一番楽しみにしていた後夜祭を前に強制終了。

 学校も明日まで休校となった。

 今日の午後になってやっとその吹雪が収まったので、これから二人だけで後夜祭のリベンジマッチをやろうというわけだ。


「でも文化祭自体は大成功だったんだし。おまえだってヒマじゃないんだろ。明後日から二週間アメリカだって言ってたじゃん。今さら無理して後夜祭までしなくてもさ」

「だって夢だったんだもん。高校で文化祭で後夜祭で花火を上げて、それで最後は……」

 久保はちらりとぼくを見て、でもすぐにさっと目をそらして、また歓迎門を見上げた。


「あ~あ、今夜でこの門ともお別れかあ」

「学校側が設置を黙認してくれただけでもめっけものだって」


 いかにも手作り感いっぱいのそれは、ぼくと久保が、やはり魔法抜きで名ばかりの夏休みいっぱいをかけて作り上げたものだった。

 とはいえご案内の通り、久保は世界中からひっぱりだこの身。

 たまに帰ってきてはティッシュペーパーの造花を何個か作ってまた海外へ──ってノリで全然役に立たず、八割方はヒマなぼくが頑張って作ったのだが。


「まあ確かに、あっさり壊しちゃうのは名残惜しいよな」

「うんうん、頑張ったもんねわたしたち。言うなれば二人の初めての共同作業ってやつだね」

「他に言い方はないのかよ……それに頑張ったのは主にぼく一人だ」

「だから感謝してますって。もうこのまま美術館とかに寄贈したいくらい」

「やめてくれ」


 まだ門を見上げている久保の横にしゃがみ込み、コンビニ袋の中身をチェック。

 今や品不足で値段が倍にも跳ね上がったお菓子やホットドリンクのポット、夏の間も降り続いた雪のおかげで出番のなかった花火等々(あってよかった)。


 久保に比べたら氷山と雪だるまくらいに差のある小遣いを残らずはたいて、やっと買い揃えた後夜祭盛り上げグッズの数々。


 それらを見ているうちに、なぜか笑みがこみ上げてきた。

 まったく世界が滅びようってときに、ぼくらはいったい何をやっているんだか。


 元凶たる魔法の少女はまだ雪化粧の歓迎門を見つめ続けている。

 この滅びゆく世界で。

 けれどまだ滅んではいない世界で。

 ぼくは生きている。

 彼女もまだ生きている。


 ぼくはまだ一人じゃない。

 一人ぼっちじゃないけれど。

 でも。

 けれど今なら。

 今ならどうか。


 って何が?

 え? まさか。でもだけど、ええい、くっそ!


「ごくり」


 氷のように冷たい生唾を飲み込んた喉がやけに大きな音を立てた。

 そうきたかちきしょう。


 突然の決意。

 なぜそんなことに思いが至ったのか、もうわからない。


 ここまでぼんやりとした印象しかなかったものが、突然ピントが合ってくっきり見えた。


 今か。

 今だ。

 今しかないんだな。

 そうだ。

 後悔しないな。

 する。絶対する。

 そうか。よしわかった!


 決意が靴底の氷よりも強く固まる(もっといい例えはなかったのかぼく)。

 一応の礼儀として、ヘッドホンを外す(人とちゃんと話をするときには外すものだ)。


 そうとも。

 世界が滅びて自分だけが生き残った世界で声に出しても遅いのだ。


 もういろいろ手遅れになっているけれど、でもそうだ。

 まだまだできることはある。


 手遅れにならないうちに、やれることがある。

 そのあとでどうなろうと知ったことか。

 どちらにしても世界は滅ぶのだ。

 わっはっは。

 

 よし──握り締めた拳の下でコンビニ袋ががさりと揺れた。


 いっそこいつを放り出して立ち上がれば絵になるかもしれない。

 でも小遣いをはたいて買い集めた今や貴重な品々を、そう軽々と捨てるわけにはいかない。


 第一そんなことすれば誰よりも神さまよりも彼女が激怒するに決まっている。

 そのあとでどれだけ言葉を尽くして告白したところで(うわあ言ってもうた!)、絶対受け入れてもらえない。


 逆にあの実戦用〈マトック〉で凶悪魔法の二つ三つ食らって、そうなればもう骨も残らない完全犯罪成立だ。


 ……って、ぼくの価値はコンビニのお菓子以下か。そうか。

 ぼくは大きくうなずく。


 そうさ。その通りだとも!


 事実上たった一人でこの世界を支えているも同然の彼女に喜んでもらえるのなら、むしろコンビニ菓子上等!


 ていうか、だからそんな彼女に告白しようとしてる段階で自分何様だと。

 でも一方で彼女は──久保は、ぼくにとっては幼い頃から一緒に育ってきて、当たり前のようにいつも隣にいた大切で大事な幼なじみの女の子なのだ。


 それはどうしたって変わらない。

 変えられるわけがない。

 たとえ世界が滅んでも。


 ぼくは恋と世界を天秤にかけて、前者を選んだのだ(うわあだから恋とか!)。

 そのこと自体にもう後悔はないのだ。

 ならばあとは実行あるのみ!


 雪の上にしゃがみ込んでいたせいですっかり凍えた足に気合を入れてその震えを止める。


 立ち上がりざまによろけてしまったら格好がつかないし。

 ついでにコンビニ袋もしっかり掴み直す。

 よし大丈夫。準備完了。

 行け。行け行け!


 さあ立て。立つんだ矢和慎人(やなぎしんと)! うおう!


「………………ねえまだ?」

「うおわっ!」


 太ももに手を置いていざ立ち上がろうってところで、けれど先に痺れを切らせたのは当の久保だった──らしい。


「ええっと、何が?」

 この期に及んですっとぼけてみた。

「おいおい」

 わかりやすく裏剣をかます久保。


 しゃがんだままのぼくの頭上でむなしく空を切る小さな手。


「決心がつくまでは一晩でも待とうとか思ってたけど、まさか本当に待たされるのも嫌だし」


 いやいやどこぞの魔法使いでもあるまいし、一晩中こんなことしてたら死んじゃうって。


「あのもしかして久保さん、全部わかってらっしゃる?」

「わたしを誰だと思ってるの」

「インチキ反対。魔法反対。プライバシー保護の観点からも魔法の対人使用には厳しい制限が」

「黙れ」

「はい」


 はふうとため息をつく魔法少女。

 湿った吐息が一瞬ドラゴンの吐くブレスのように見えた。


「バカ。こんな大事なことに魔法なんて使うわけないでしょ」


 久保はやっとこさ立ち上がったぼくに合わせるようにして顔を上げながら(身長はぼくのほうが頭一つ高い)、念押しするようにぼくの胸に指を突きつけて、


「わたしはあんたの幼なじみなのよ」

「けど世界を救う最強の魔法使いでもある」

「そんな立場いつでも捨ててやる」

 問題発言だ。


「世界が滅ぶよ」

「それがどうした」

「おいおい」


 今度はぼくが突っ込む番。

 けれど久保はむしろ胸を張って、


「だからあんたは何も気にしなくていい。責任は全部わたしが取るから。さあどんとこい!」


 って何を? とかボケたらあの〈マトック〉で撲殺されるだろな。

 魔法抜きで。

 うわ痛そう。

 

 仕方がない。

 もうこうなったらさっさと済ませて楽になろう。


 ──では改めて。


「久保」

「コラ違うだろ」

 いきなりダメ出しされた。


「名前、名前で呼んで」

「ええでも」


 久保の手がすっと彼女の〈マトック〉へ伸びる。


「了解りょうかい! わんもあちゃんすぷりーず!」

 たぶんもう氷点下二桁近い空気をぎりぎりまで吸い込んで体と頭を冷やす。


 冗談はここまで。


 ちょっと頭を下げて、こちらを見上げる彼女をまっすぐ見返す。

 さっきまで自信満々だったのに今はどこか不安げなその顔に、逆に笑みが浮かんでしまう。


 小さい頃からそうだった。

 何か不安なことがあって彼女がそんな顔をしたとき、ぼくは逆に笑ってみせて「大丈夫だって」と頭をなでてやったものだ。

 

 つられるように久保の小さな口元にも笑みが戻る。

 まるで小さな女の子のような笑顔。


 そうだな。今なら──今だったら、こいつの名前を口に出せるかもしれない。

 ちょっと背中の古傷が痛む気がしたけれど大丈夫だ、うん。


 よし。では。

 こほん。


「かの──」


『──盛り上がってるところ悪いけれど、ちょっといい?』

 外したままのヘッドホンから、初めて聞く女の子の声が言った。


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