姫巫女の決意(その8)
「……話したがり屋のルースから聞かなかった?」
「聞いた。でもやっぱり納得できない。きみの口からはっきりと聞きたい」
顔を上げて、しっかりと彼女の顔を見つめる。
叶唯も真っすぐに慎人を見返していた。
「生きてるって聞いて最初はびっくりして、昔と変わらないきみの姿を見て嬉しくなって。でも今は──ここが本当に何百年も未来の世界だって実感しちゃったあとは、ごめん、それがすごく怖い。怖いんだ」
「変わらないんじゃない。変われないんだよ――フィセの、この『腕』のおかげでね」
しかしその言葉とは反対に、叶唯は、その一瞬で別人と入れ替わってしまったかのようにその表情を一変させた。
完全な無表情で、慎人の前に自分の右腕を突き出してくる。
服の袖越しでもわかる細い腕。
なんのことはない叶唯の腕。女の子の腕。
「見た目はわたしの腕だけど、違うの」
叶唯は手早く袖を折り返すと、懐から折りたたみ式のナイフを出してパチンと開き、間髪入れず裏返した腕へと突き刺してみせた。
ナイフが肌に触れる直前、皮膚の上に小さな魔導円環が出現して受け止めようとしたが、叶唯のナイフはそれをあっさり砕いて自身の腕を深々と貫いた。
「なっ――!」
「黙って見てて」
完全に腕を貫通したナイフを、やはり無造作に引き抜く。
かすかに白っぽい粉が舞ったような気がしたものの、だが他には血の一滴も零れることはない。そこにあった切り傷も、慎人の目の前でみるみる塞がっていく。
「わたしは一度死んだ。間違いなく──でもこの『腕』のせいで生き返っちゃったの」
頭痛と吐き気が再び慎人を襲う。
あの災厄の夜が甦る。
やけに広い教室。
包帯だけの体。
無表情で救急箱を抱えていたコー。
そして「叶唯は死んだ」と告げる『片腕』のフィセラ――
「この『腕』にはとてつもない魔力が籠もっている。世界を変えるほどの、死者を目覚めさせるくらい朝飯前の凄まじい力がね」
しかもその復活に際して、叶唯の体に対する『腕』の支配率が大きく上昇してしまった。
今や「主」たる叶唯の方が、『腕』の付属物に近い存在となってしまっていた。
おかげで叶唯は、この『腕』に引きずられるような形で、死ぬことはおろか老いることさえなくなってしまったのだった。
「じゃあやっぱり、それって本当に『神さまの片腕』なのか?」
ナイフをしまい袖を元に戻しながら、叶唯はゆるく首を振った。
「これはね、ある特別な人の腕――というか、腕の形をした魔法具なのよ」
この世界にあの『竜灰災厄』をもたらした別の宇宙――魔法が暴走して滅亡した世界の、その最後の生き残り。
魔法の異世界で今なお暴走し続ける魔力の全てを一身に受けて、永遠に死ねなくなった男の──その片腕。
魔法の使用にはかなりの制約がある吸血鬼フィセラはもちろん、魔導神経を持つ人間――叶唯にとっても、それは強大な魔力を無限に提供してくれる、まさにこの世界のルールを無視した異世界の超魔導兵器なのだった。
「聞きたい? あんたが眠っていた間に起きたことを。わたしがこの『腕』でしてきたことを」
叶唯の言葉は、かすかに震えていた。
慎人も腹の底から深呼吸をして、覚悟を決めて、うなずく。
それから叶唯は一気に語った。彼女の帝国の建国物語を。
彼女の再生と共に復活したこの世界の、その血まみれの歴史を。
「フィセラの柩を守り、慎人の未来を築くための最大の障害──それは魔物でも吸血鬼でもなく、魔法を忌避する旧バチカン勢力、すなわち『人間』そのものだった……」
『彼ら』は、彼らが自分たち以外の神々を弾圧する過程で手に入れ、独占し、暴走させ、世界を崩壊させた力――魔力と、そしてそれを操る全ての魔法使いたちを逆恨みしていた。
異世界最強最後の魔法使いの『腕』を得て不死となった叶唯、さらにその腕の主たる『彼』と最初に出会った伝説の吸血鬼フィセラは、その筆頭だった。
世界の復活・再生と叶唯の覚醒との間に一〇年を越える時間差があったことも、その狂騒に拍車をかけた。『腕』の魔力で命を繋いだ叶唯が実際に動けるようになるまで、しかしなおそれだけの時間が必要だったのだ。
その間人類は、暴走する魔力によって凶悪化した魔導生物や、激変してしまった自然環境に対し、事実上無防備でさらされることとなった。
結果としてこの新たな世界は、その端緒たる一〇年で、先の災厄時代を超える荒廃を経験することになる。
慎人や叶唯の両親も、叶唯が目覚める前に死んでしまっていた。
その命を魔物に喰われて。
そんな中で目覚めた叶唯は、世界の救世主であると同時に、世界を滅ぼす悪魔でもあった。
生き残っていた仲間たち──今や一〇歳年上となったかつての「魔法少女」たちと再会し、自らの置かれた状況を把握した叶唯は、悲嘆する心を封じて直ちに行動を開始した。
バチカンとは話し合いの余地など微塵もなかったし、もはやその時間すら惜しかった。
仲間たちの力を得て、何よりもまず慎人が眠るフィセラの柩を確保する。
あらゆる妨害は、その魔力をもって徹底的に排除した。
必然的にバチカンとの対立は激化していった。
幾度もの衝突を経たのち、それは事実上の戦争へと発展していった。
そうして自ら選択した不可避の戦いを、叶唯は自ら先頭に立って戦った。
「慎人と柩を守るため、世界の維持に不可欠な魔法の存在を守るため、必死に戦った――手を組めるなら相手が吸血鬼だろうと魔獣もどきだろうと関係なく仲間にしたし、逆に柩を狙う相手は、たとえ誰であろうと容赦はしなかった」
『腕』の魔力によって復活し事実上不老不死の存在になったとはいえ、元々人の身である叶唯に与えられた時間は決して長くはなかった。
ちょくちょく柩を抜け出しては「外」の様子を観察していたフィセラからも、
「せいぜい一〇〇年――それ以上は何より心がもたないぞ」
と警告されていた。
もとより容赦など、したくてもしている余裕はなかった。
戦乱は、だが長く続いた。
人々は戦う一方で、もう一つの戦いを――生存競争を勝ち抜かなくてはならなかったから。
効率よく敵を殺す強力な魔法に血道を上げる一方で、この凍った大地に作物を根付かせる術を模索する。
敵も味方もなく、ひたすら大地を耕し続けた時期もあった。
そうして気がつけば、世界は叶唯たち新興魔法帝国とバチカン教会連邦とに二分されていた。
全地球凍結で海が凍り、大陸と地続きになった日本を出て、シベリア鉄道を伝うよう攻め上がってゆく叶唯たち。
最初こそ劣勢だったものの、旧連合王国・ニューポート島を要塞化して占拠していた吸血鬼たちと手を組むや、一気に敵の拠点である灰竜災厄の爆心地──旧バチカン区を制圧する。
戦いは有利に進んだ。
しかし同時にフィセラが予告した叶唯の「一〇〇年目」も迫っていた。
その双方を見据えて、叶唯はここで一つの決断をする。
『竜灰災厄』の元凶となったドラゴンの復活──!
当時のフィセラが、その『腕』と引き換えにして灰滅させたドラゴンを、現在『それ』を持つ叶唯が復活させようというのだ。
現状では灰の形で地球上にばら撒かれているドラゴンの魔力──それを無差別に放置するのではなく、いったん元の姿へと戻した上で、叶唯の持つ『腕』の力で完全にコントロールするのがその目的だった。
「できるのか、そんなこと……?」
いやできたとしても、それはやっていいことなのか。
世界を滅ぼしたドラゴンを、もう一度人の手で復活させるなんてことを。
「わたしも限界だったし、この世界を魔法で救うには他に方法がなかったのよ」
魔法的に不老不死となった身にも事実上の限界があるように、無限に等しい魔力を持つ『腕』の力もまた、無制限に使えるわけではない。
つまるところ最大の問題は、他ならぬ叶唯が「人」であるということだった。
そうしてドラゴンの復活を決断しものの、自分の限界に不安を感じていた叶唯は、最終的にフィセラの力を借りることにする。
当時ちょうど柩を出ていた彼女も、あっさりと叶唯への協力を快諾した。
フィセラの真意に叶唯が気づいたのは、全てが手遅れになったあとだった。
「フィセは復活させたドラゴンの力を利用して、自分の願いを叶えようとしたの」
自身が真に望む世界の創造──叶唯の持つ『腕』と、復活したドラゴンの力を合わせて、ついにフィセラはその世界へと到る『扉』を開くことに成功する。
……だが。
彼女は間違えた。
「それは別の『扉』だった。彼女が迷い込んだのは魔法の根源たる世界。魔力に満ちあふれたもう一つの宇宙。わたしたちとわたしたちの世界をめちゃくちゃにした元凶――」
叶唯がその右腕を示す。
「この『腕』の持ち主にして、フィセの永遠の想い人たる『あいつ』の生まれ故郷だった」
そのままでは、フィセラが開けてしまったその『扉』から、雪崩をうって異世界の魔力がこちらの世界へと流れ込んできてしまう。圧倒的な力で一つの世界を押し潰したその魔力が、今度こそこちらの世界の全てをも押し流してしまうだろう。
本当に起こってしまったら、それは聖書級の洪水どころの話ではない。
ギリギリの大ピンチだったが、しかし一方で「希望」もあった。
怪我の功名ではないが、もしもその『扉』を上手くコントロールすることができれば、魔力過多のあちらの世界からこちらの世界へ流れ込む魔力を調整する、いわば「ガス抜き弁」として利用することもできる……かもしれない。
叶唯はやむなく戦場を離れ、『扉』の制御とフィセラのサルベージに全力を注いだ。だがその処置に手間取り、結果として優勢だったバチカンとの戦争も必要以上に長期化してしまった。
彼女の数十年に及ぶ努力の結果、それでも『扉』自体はどうにか閉じることができた。
しかしフィセラの方は、彼女が姿を消してから二〇〇年を経た今もなお行方不明のままだった。




