後夜祭(その2)
約束の時間を刻む時報代わりの久保の歌を聞きながら、淡々と歩を進めてゆく。
除雪が追いつかず、片側三車線の国道いっぱいに淡く輝く雪が積もっていた。
雪煙にかすむ視界の先まで真っ直ぐに続くそれは、まるで一本の広い滑走路のよう。
逆に飛行機が飛ばなくなった現代の空港は巨大な雪捨て場になっているが。
それほど大きな道だけれど、見渡す限り人通りはほとんどない。
明かりのついている店も数えるほど。車道もたまに車が通るくらい。
信号も半分くらいは消えたまま。
でも誰も困らない。だから誰も直さない。困ったもんだ。
前に一度、この通りで立ち往生していたコンビニトラックを自衛隊の戦車が牽引して救出しているのを見たことがある。
雪道にも強い戦車は、〈アッシュテイカー〉たちの足代わりとして根強い人気がある。彼女たちの魔法で動いているので燃料代もかからない。
まさに最強の雪上車だ。
同じ魔法で彼女たちはヘリコプターも飛ばす。
久保に言わせると自分で飛ぶよりも楽らしい。
でもさすがにこちらはめったに見かけない。
空は常に雪混じりの暴風が吹き荒れているし、残り少ない貴重なヘリに何かあれば、さすがの〈竜灰のシンデレラ〉たちだって「こめんなさいね、てへ」では済まされない──はず。
たぶん。きっと。
とはいえ今や世界は、彼女たちの行使する魔法によって支えられている。
必要最小限の電力を供給する発電所を動かし。
陽光が途絶えドラゴンの灰と雪に埋もれた土地でも育つ作物を創出し。
その灰の魔力によって現代に甦った数多の魔物たちを撃退する。
誰がなんと言おうと文句なしの大活躍だ。
一家に一人とはいかないが、声の届く範囲に一人はいてほしい。
あまり近すぎるのもそれはそれで大変だが(いえウソです久保さん最高!)。
人類は滅びかけていたけれど、おかげで世界は、大方の悲観的な予想を超えて平穏だった。
地域差はあるものの、誰もが恐れた同時多発的全世界終末戦争はとうとう起こらなかった。
もっとも今日戦争をするだけのエネルギーや資源があるのなら、それを明日生きるために使えよってこともあるのだが。
でもやはり一番の要は、久保たち竜灰魔法使い──〈アッシュテイカー〉たちの使う魔法だ。
地に落ちて燃え尽きたドラゴンの灰を触媒にして、様々な「奇蹟」を顕現させる女の子たち。
なぜ魔法を使えるのが「女の子」だけなのかについては諸説ある。
久保のオリジナルソングの中にも一つあって、地に落ちたドラゴンを最後まで庇って一緒に死んだ少女シスターの行為にドラゴンが報いて魔法を授けた──というのがその歌詞の大雑把な内容だ。
いずれであれ、世界はもはや彼女たち「魔法少女」なくしては成り立たない。
そして誰あろう久保叶唯こそ、世界でも第一級の実力を持つ〈アッシュテイカー〉なのだった(歌のほうの実力はノーコメント)。
そんな彼女がたとえ遊び半分でヘリを飛ばして落っことしたところで、誰が文句を言えるというのか。
国家元首か? 亡国の大統領か? 新国際連合統合本部議長か?
それとも一緒に生まれ育った幼なじみポジションのぼく?
いやいや! とんでもない!
でも──うん。やっぱりだめだ。それではいけない!
世界を守る要だからといって必要以上にやつらを甘やかしてはならない!
彼女たちの魔法がなければ世界はとっくに滅んでいたからといって萎縮してはだめだ!
言うべきことはしっかりきちんと言わなくてはならない。
何よりも彼女たちのために!
『はあ? 何か言った?』
「うわごめんなさいすみません! もう二度と言いません魔法少女万歳やっふー!」
──って歌の歌詞か。ああびっくりした。
ヘッドホンは快調に歌っている。
五曲目。これもオリジナル。
ぼくの両親と久保の両親を巡る複雑な友人(恋愛)関係を切なく歌い上げたラブソング。
歌自体は好きだけど、そう思って聞くとちょっと鳥肌ものだ。
だって歌詞を素直に解釈する限り、絶対誰か呪い殺されてるし(たぶんぼくの父さん)!
もちろん生きてますけれども。今のところは。
頑張れ父さん。次は秘蔵のカメラをください。
とにもかくにも学校までの猶予は残り一曲。約三分半。
これ以上吹雪かれたらアウトだ。
歌声に押されるように足が速まる。死ぬな父さん! 違うって。
こうなると徒歩圏内に学校があったのが、果たしてよかったのか悪かったのか。
自分の足で歩くのは大変だけれど、でも電車やバスはあまり使いたくない。
〈アッシュテイカー〉たちが頑張っているけれど、地上を走る乗り物は、数が少ない上に時間の遅れや立ち往生が日常茶飯事なのだ。
さらに強まった風に、〈マトック〉に絡めて提げているコンビニ袋がバサバサと音を立てる。
寒い。
他に感想なんてない。
こればかりは魔法でもどうにもならない。
地球温暖化云々なんて遠い遠い昔話。
どころか氷河時代を超える究極の極寒世界──全地球凍結「スノーボールアース」時代の到来すら現実の危機として語られている。
「やっぱり滅びるのかなあ、この世界」
などと空を見上げみても、重たげな灰色の雲が一面を覆っているだけ。
地上に目を戻しても、青みがかった常夜の街が続いているだけ。
平日の、たぶんまだ午後六時前だというのに走る車も、歩く人影さえもない。
もしかしたらとっくに世界は滅んでいて、もう自分しか残っていないのかも──とさえ思える。
たとえば、もし本当にそうなったら?
今この世界にいるのがこの自分だけだとしたら?
そう、久保さえもいなくなってしまって、本当に最後の一人になってしまっていたら?
最後の一人として。
誰もいないその世界で思いっきり声に出して叫びたいことは?
ヘッドホンから歌が聞こえる。
その歌をうたう彼女の顔が浮かぶ。
その幻の瞳に向かって、ぼくは「その言葉」を言うのだろうか。
言えるのだろうか。
「……って、何だかなあ」
盛大なため息。自分の吐息で視界が真っ白になる。
つまりぼくはあれか。世界が滅び彼女も死んでしまった後でないと口に出せないのかそれを。
あいつが初めて「魔法」を使ったあの日以来、面と向かっては名前で呼べなくなってしまった女の子への、それでもずっと心に凝っているこの想いを。
……どれだけへたれなんだ自分。
でもいずれにせよ、残念ながら今のぼくは一人ぼっちじゃない。
確信をこめて最後の角を曲がる。
合わせたように次の曲が再生される。
懐かしい歌。
どこぞの異郷からやってきた魔法のドラゴンを歌った異国語の合唱曲。
『パフ・ザ・マジックドラゴン』
道なりに背の高い金網を巡らせた向こうに、見慣れた建物がシルエットで見えてくる。
ごくありふれた県立高校。
その校門前で、一人の女の子が雪と格闘していた。