少年の街(その8)
「なんだ、そんなことも知らなかったのか! ひのふのみー、ざっと三〇〇年だ!」
目と口をぽっかりと開けたまま、慎人は静まり返った車内を――自分たちを見つめる少年少女たちを、その間から見える車窓の町並みを――見回した。
「三〇〇年……? ここがぼくらの時代から三〇〇年先の未来だって言ったかおまえ今!?」
「ああう? シント、おまえこそ何をそんなに驚いてるんだ? たかが三〇〇年くらいのことで──」
「そりゃ柩の蓋からすればたかがかも知れないけどな! じゃなくって!」
慎人は椅子の背もたれに向かって裏拳をかますと、
「だからそれってつまり、ここはぼくらの時代から地続きの世界ってことか!」
「だからそう言ってるじゃないか。何を聞いているんだおまえは──うきゃん!」
思わず立ち上がった慎人に圧されて、コーの方がぺたんと席にしりもちをつく。
「だってだって、それってつまりだからそれは、ぼくらのいたあの世界が滅んでいなかったってことだろ!」
だったら! それなら!
慎人は確信する──久保はいる。この世界で生きている!
元の世界から多少の変容はあったようだが、それでもこの地続きの未来世界のどこかで、あいつは確かに生きている!
生きているんだ!
「っしゃーーーー!!」
思わずガッツポーズ。
でもすぐに、あっと気づいて呆然と席へ座り込む。
「シント、シント? 大丈夫かおまえ、すっごい変な顔になってるぞ?」
周囲の連中はもちろん、きょとんとするコーすら置いてきぼりにして、コーいわく「変な顔」のまま慎人は必死で考える。
けど待て。ちょっと待て。
それってどういうことだ?
だって三〇〇年だぞ?
ぶっちゃけ三世紀分。
つまり「ここ」は二四世紀の未来ってことだ。
それだけでもびっくりだけど、それはともかく。
たとえ世界が滅びずに続いていたとしても、どうしてそんな未来に久保がいるんだ?
「帝都」とかって場所にいるのは、本当にあの久保なのか。
それもあいつの魔法や『腕』とやらのなせる業なのか。
けどフィセラは確か、久保にも人としての寿命はあるって言っていた。
だったらどんなに頑張っても、一〇〇年がそこらが限界だろう。
人は吸血鬼にはなれないはずだし。
魔法が発達してついに不老不死が実現したか。
でもそんな存在になった久保は、はたしてぼくの知っている久保なのか。
あの時代から地続きの久保なのか?
父さんのアーカイブにあった昔のアニメで見た、何度も何度も自分の体をコピーした挙句にしわしわのジジイになって死んだ、自称神さま男の姿が目に浮かぶ。
まさか久保も、あんなことになってないだろうな?
つまるところぼくは、この状況を素直に喜んでいいのか?
それとも──
「いったいどうなってんだよ……」
「それはこっちのセリフだ。おいこら顔を上げないかシント!」
「コー?」
「しっかりしてくれ、そんなんでフィセさまを助けに行けるのか!」
そんな約束をした覚えはないが、コーの中ではどさくさで既定路線らしい。
この子はこの子でいろいろ問題になりそうだな──慎人は思う。
だが今は、この「(吸血鬼の)妹」を名乗る女の子のおかげで、辛うじて車内は平静を保っている。
その凍ったように静まり返っていた車内が、身震いするようにがくんと揺れた。
トラムが停止し、終点を告げる車内放送が流れる。
派手に空気の抜ける音がして、前方と中央の扉が同時に開いた。
それでわれに返った学生たちが、慎人たちを横目に次々と車両から降りてゆく。
今回ばかりは、あの少年も慎人に言葉をかけることなくさっさと車外へ消えた。
気が付けば、車内に残るのは慎人とコーの二人だけになっていた。
学生を追い出し慣れているらしい運転士に促され、慎人たちもやっと外へ出る。
温かい車内に慣れていた身がぶるっと震えた。
とはいえやはり見た目ほどの寒さはない。
コート姿の学生も半分ほど。
気候が温暖化したのでなければ、町全体に冷気を和らげる魔法でもかかっているのかもしれない。
停留所のすぐ目の前には、教会の聖堂のように重厚な建物があった。
どうやらそこが魔法学校らしい。
対する道の向こう側には、学生相手の商店や食堂がずらりと軒を連ねていた。
トラムを降りた学生たちが先を争うようにして道を横切り走ってゆく。
停留所につっ立っていた慎人も、次のトラムが近づいてくるのを見て、とにかくコーの手を取って歩き出す。
横断歩道の見当たらない道路を適当に渡って商店街の方へと向かう。
コーが素直に手を握らせてくれて、慎人にはちょっと意外だった。
「なんだ?」
ちらりとコーが見上げてくる。
「いや……おまえのこと、ずっと気づけなくて悪かったよ」
「コーも反省してる。未来で目覚めるのはおまえにとって初めてのことだし、そんなおまえの不安を和らげてやるためにコーはいるんだから」
小さな手がしっかりと慎人の手を握り返してくる。
「だから、その、シント──」
「ああ。これからもずっと一緒にいてくれ。コー」
小さな頭がこくんと頷く。
慎人もこくりと頷くと、ふうっと盛大に白い息を吐き出した。
「さてと。んじゃまずは三〇〇年振りの朝メシタイムといきますか!」
できればシャワーも浴びたいところだが、どちらか選べといわれたら、やっぱり食事だ。
近くの食堂からも、そこそこいい匂いが漂ってくる。
ここが本当に三〇〇年も未来の世界であったとしても、まったく食べられないものが出てくる心配はなさそうだった。
店先に置かれたサンプルを見ても、見た目にはむしろ滅亡寸前だったあの時代よりも遥かにましなものが並んでいて、いよいよ期待が高まる。
となれば、残る問題はどこで食べるかだ。
ちょうど朝食時で、店はどこも学生たちでごった返している。
そんな中で慎人は、漢字で『在処屋』と書かれている看板を見つけた。
「ありかや?」
車内で「魔法携帯」を使っていた女子の会話が頭に浮かぶ。
友人と食事の約束をする中で、そんな名前の店が出てきたような気がする。
店先に置かれたサンプルを見ても、山盛りの白飯に味噌汁っぽいスープ、照り照りの焼き魚、それに飲み物と果物がついていて、かなりいけそうだ。
「行ってみるか?」
「好きにしろ。コーには必要ない。食うのはおまえだ」
というわけで慎人は、手をつないだコーと一緒に、すでに学生たちでごった返しているその店へと向かって歩き出した。
☆
乗っていたトラムが止まるや、開き始めた扉をさらに手でこじ開けて、ヘルゼは外に飛び出した。
車内からちらりと見えた少年と女の子の姿は、間違いなくあの二人だった。
「あーもう! どこ行ったのよ!」
停留所にはすでにその姿はない。
素早く周囲を見回す。
手前にそびえるのはラグレアム高等魔導専門学校。
竜灰時代から奇蹟的に残る司教座聖堂を大改装して学校としたものだ。
すでに校門は開いている。
だが制服だけで乗れるトラムとは違い、学生たることを証明する特別な魔導円環を示さなくては中には入れない。
魔獣退治の現場指揮をしていた指導教官の話からも、見慣れない男子学生と風変わりな吸血鬼の「兄妹」が、朝食用の無料券を持ってトラムに乗り込んだのは間違いない。
となれば、やはり道路を挟んで向かいに並ぶ食堂のどこかに入ったと見るのが妥当だろう。
トラムの件ではまんまと出し抜かれたが、そう何度も幸運が続くわけがない。
夜明け前から動き回っていたせいで空腹も限界に近いし、さっさと見つけてこちらも腹ごしらえをしたい。
いつもの朝食セットに雪シャケの照り焼きを追加してやる。
「待ってろ雪シャケ! じゃなかったシントめえ!」




