少年の街(その4)
腹の底から殴られたようにどん! と心臓が跳ね上がる。
「そうよシント! だから早く帝都へ――あっ!?」
少女の声に慎人が顔を向けるのと、拝殿の障子戸が左右に吹っ飛んでいくのが同時だった。
重そうな賽銭箱が軽々と地面に転げ落ち、さらにその上を何やら黒い塊が飛び越えてくる。
慎人が目覚めた時、自分の体の上で重なっていた女の子たちだった。
ひと塊になって転がるように飛んできた三人の女の子。
その中の二人が神父姿の青年の前で止まる。
だが残る一人は、転がるような勢いのまま、巫女少女の横をすり抜けて慎人の腰のあたりへ飛びついてきた。
「コー! この裏切りもの!」
青年の前で止まった女の子の一人が叫ぶ。
「そっちこそ! ロージィ!」
慎人の腰にひっついた女の子が怒鳴り返す。
その頭はようやく胸元のあたりか。
「わたしはベルリィよ! わざと間違えたわね!」
「すまん! あんまり無口なのでついな!」
「コーこそ! 人の子に入れ込むなんて、柩の角に頭でもぶっつけたんじゃないの!」
「こいつにひっついて何があっても離れるなと言ったのはフィーさまだぞ!」
「仕方ないでしょ! そのフィーさまを助けるためよ!」
睨み合う二人の女の子。
残る一人は、青年の横で無表情のまま黒衣の汚れをぱんぱんと払っている。
たぶん彼女が「ロージィ」なのだろう。
どうやら彼女は二人の口論に参加するつもりはないらしい。
「シント――」
その口論に紛れるような小さな声で、顔を前に向けたまま巫女装束の少女がささやく。
「これが最後よ。あたしが次に魔法を放ったらあんたは全力で逃げて。いいわね?」
慎人の返事を待つことなく、少女は、叶唯のものらしい〈マトック〉の下端から香炉のような球体を引きちぎった。
それをテニスのスマッシュのように放り上げ、
「ウェイク!」
落ちてきたところを〈マトック〉で叩く。
直後球体が爆発するように弾け飛び、白い粉のようなものが周囲へ噴き出した。
それが空中で新たな魔法の円環を形成してゆく。
ただしそれは、前に叶唯が出現させた魔法陣のように発光することはなく、石膏かチョークの粉を固めたかのように真っ白だった。
さらにその白い円環の中には、石版に彫ったレリーフ像のような姿の有翼の魔物――ドラゴンが囚われていた。
円環状の回転する牢獄の中で、石から彫り出されたかのように見えるそれが、まるで生き物のように苦しげに身もだえている。
「竜灰魔法――柩を守る姫巫女殿、それが何を意味するか、きみには判っているのか?」
感嘆ともため息ともつかない声で警告する青年に、口元だけで少女が笑い返す。
「知るわけないでしょ! 使うのはこれが初めてなんだから!」
言って、けれどためらう様子もなく再度〈マトック〉を振り下ろした。
「我が命に従いその身を砕き地に還れ! ――ブレイク!」
砕け散る白い円環。
同時に響き渡るドラゴンの咆吼。
何が起こったのか理解する間もなく、容赦なく襲いかかる爆風に慎人の体は軽々と吹き飛ばされた。
さらに巫女少女が手放したらしい〈マトック〉が額を直撃し、目の奥で盛大な火花が散る。
直後、白と赤の衣服を纏った彼女が視界の端を横切って、それが否応なくあの夜の叶唯の姿と重なって見えた。
思わず声にならない叫びが口をついて出た――と思ったら、いきなり地面が消え、気味の悪い浮遊感に続いて固い角が何度も体にぶつかってきた。
鳥居を抜け、その先の石段の上に放り出されたらしい。
さらに転げ落ちようとする体が、しかしがくんと止まった。
おそるおそる目を開けると、あの黒衣の女の子が、その小枝のような片腕一本で慎人のブレザーを掴み、彼の体を支えていた。
「早く立て! 出来損ないの魔導人形でもあるまいし!」
女の子に言われ、立ち上がろうと手をついた横にあの〈マトック〉があった。
反射的に手を出して掴む。
その重みを覚悟して腰を入れ、両手でえいやっと持ち上げる。
だがそれは予想以上に軽くて簡単に持ち上がってしまい、足場の悪い階段の上でかえってバランスを崩しそうになる。
「わっとっと!」
「何をやってる! さっさと来い!」
「待った、ちょっと待った! あの女の子は! 何かすごい爆発してたし――!」
「ほっとけ! 口を閉じてさっさと走れ人間! さもないと舌をかむぐげっ!」
涙目の女の子に手を引かれて一気に階段下の道路まで駆け下りる。
だが履き慣れない靴に加えて、地面にはうっすら雪が積もっていて滑りやすい。
慎人を引っ張る女の子の力も予想外に強い。
走る以前に、転ばないようにするのが精一杯だった。
「もう無理だって! ちょっと止まって――ぐあ!」
いきなり女の子が急停止して方向転換、その場にあった建物の隙間に滑り込む。
止まりきれず雪に足を滑らせて派手に転げた上、そのままひきずられてきた慎人を、それでも手だけはしっかり握って放さない女の子が、何か不思議な生き物でも見るかのような目で見下ろしていた。
女の子が手を放してくれないので、片手だけでどうにか立ち上がる。
「できれば、もう少しお手柔らかにお願いしたいんだけど」
「黙れシント──人間だ。人間たちがいる」
当たり前のように自分の名を呼んだことはさておき、女の子にならって、建物の陰からこっそり道路の方をうかがう。
慎人と同い年くらいの男女が数人、固まって走ってゆくのが見えた。
全員が同じような服を着て、さらに手には細い棒のようなものを持っている。
いったん立ち止まって何かを探すようにあたりを見回していた彼らは、結局、そのまま石造りの外壁をパステル調に彩った家々の間へと消えていった。
「――おい、どうした?」
ほっとした瞬間、いきなり背後から声をかけられた。
女の子と二人、思わずぎくりと振り返る。
二人の後方、建物に挟まれた細い道を、慎人と似たような服装の少年がやって来るのが見えた。




