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少年の街(その3)

上姉うえねえさま――! うひゃ!?」

「え――うわっ!?」


 石段を駆け上がってきたらしい人影と正面からもろにぶつかった。


 靴底が滑り思いきり背中から落ちる。


 さらにその上から女の子が降ってきた。


 息が詰まる。

 声が出ない。


「何ボケっとつっ立ってんのよ!」


 彼女もまた、先の女性と同じような巫女装束に身を包んでいた。

 日本人離れした顔立ちも一緒だった。


 ただし髪の毛や瞳の色はまったく違う。

 その緑の瞳が、のしかかるように慎人を睨む。


「ここは進入禁止区域よ! ってうちの生徒? ちょっと町の魔獣レイヴン退治はどうしたのよ! まさか逃げてきたかこの腰抜け! 警護は何してんの! ていうか上姉さまはどこ!」


 腰が抜けているのは確かにその通りだが、それ以外のセリフは全て慎人しんとにとって理解不能だった。


 掴まれた襟首をがくがく揺さぶされつつ、慎人はそれでもどうにか言葉を返す。


「何人か参道で倒れてたけど。あ、あと巫女さんが一人、拝殿の中に――」


 みなまで言わせず、ぐいと襟首を引っ張り上げられる。


 女の子の顔がぐぐっと近づく。


「無事なの! 怪我は! 意識はあるの!?」

「わ、わかんない。息はしてるようだけど」

「そんな! 上姉さま──!」


「ちょっと待った!」


 自分を放り出して立ち上がった少女の袖を、思わず掴んでしまう。


「うわっちゃ! ──何よ!」

「待てって! ここを襲ったやつがまだ残ってるかもしれないだろ!」


 灰になったあの男の正体も不明だし、仲間がいないとは限らない。


「望むところよ!」


 そう言って巫女少女が振り上げた手には、拳大の丸い香炉のような飾りを下げた〈マトック〉があった。


 慎人の目が、少女の持つ〈それ〉に釘付けになる。


 偶然かもしれない――でもそれは、その杖は、「彼女」の〈マトック〉にあまりにもよく似ていた。


 思わず力の抜けた慎人の手から装束の袖がするりと抜ける。


 だが少女の方も、その場に立ちつくしたまま、なぜか慎人の方をじっと見つめていた。


「もしかしてその〈マトック〉って――」

「そういえばあんたの顔、どっかで――」


 二人同時に声を上げる。


「まさかそれ久保くぼの〈マトック〉じゃ!?」

「まさかあんた、あの『シント』なの1?」


 再び同時に顔を見合わせる。


「なんでぼくの名前を知ってるんだ!?」

「なんで勝手に柩の外に出てるのよ!?」


 お互いの答えを待つような数瞬の沈黙。


「あの、えっと、ぼくは……」

「――どいて!」


 だが巫女姿の少女は、言いかけた慎人の体を突き飛ばして前に出ると〈マトック〉を構えた。


 その先――拝殿と鳥居の中間ほどの場所に、いつの間にか一人の男が立っていた。


 黒衣に包まれた長身痩躯の男。


 それは間違いなく、拝殿で灰になったあの青年だった。


「あんた、デコート……デコート・グッドライン神父?」


 巫女少女がその名を呼んだ。男がうなずく。


「神父の資格は、遙か遠い昔に剥奪されてしまっているけれどね」

「……伝承じゃ、片腕がないって話だったけど?」


 神父と呼ばれた青年は、上げた「右腕」を軽く動かしながら、


「残念ながらこの体は偽物でね。本体はまた別の場所にあるんだ」

「どうでもいいわそんなこと! 上姉さまたちに何をしたの!」

「心配はいらない。少しの間眠ってもらっただけさ」


 男の右腕がすっと前に出る。

 その掌の上で、半透明に光る小さな円環が浮いていた。


「どうしても彼の──シントくんの助けが欲しくてね」

「この魔導鎚を持つあたしの抗魔力は吸血鬼レベルよ。催眠魔法なんて通用しないわ!」


 ひとり息巻く巫女少女におかまいなく、男はじっと慎人の方を見つめたまま、


「思い出してくれ、シントくん。そしてフィセを――フィセラを、助けてほしい」


 男の手の上で、ぱりん、と円環が砕け散った。


 瞬間、それまで頑なに思い出されることを拒否していた記憶が、赤髪青眼の女性の姿となって慎人の中で甦った。


 あの悪夢のような悲劇の夜、一緒に柩へ入った「少女」──


 大切な幼なじみを死に追いやった、決して許すことのできない「敵」──


 例えそこがどんな世界であろうと、一緒にいると約束した隻腕の「吸血鬼」――


 はっとして振り返ると、慎人は赤い鳥居の向こうに広がる町並みをもう一度見渡した。


 見覚えがないのも、破壊の跡がないのも当然だ。

 

 ここは元の時代ではない。


 一緒に柩に入った「彼女」の言葉を信じるなら、元の世界ですらない。


 一度終わった世界の先で、新たに誕生したもう一つの世界なのだ。


「そうだ――彼女は? フィセラは!」


 慎人が目覚める時には必ずその隣にいると、一人にしないと約束した青い瞳の吸血鬼。


 なのに拝殿で目を覚ました時、彼女はそこにはいなかった。


 代わりにこの黒衣の青年が立っていた。


「フィセは今、ある所に囚われている。そこから助け出すには、きみの協力が必要なんだ」

「誰が協力なんかするもんか! このエセ神父!」


 慎人が答えるよりも早く、巫女少女の罵声が飛ぶ。 


「ええいもう! どうして警察も軍も来ないのよ! これもあんたの仕業なの!?」

「今の僕にそんな力はないよ」


 青年はひょいっと肩をすくめると、

 

「僕はただ、現在の状況を利用させてもらっただけさ……彼女の『柩』に封じられていた魔力が一度に解放されたことによる魔導結界や緊急警報システムのダウン、一般及び軍警用魔導通信網の混乱、そしてこの町始まって以来の魔獣大発生――」


「もういい! 誰であろうとシントは渡さない! それがあたしたちの役目よ!」


 少女は大きく息を吸い込むと、改めて声を張った。


日凪月凪瀬玲稲荷ひなぎつきなぎせれいなり神社筆頭巫女ヘルズレイテルの名において命じる! 即刻全ての魔法発動を解除し、投降しなさい! 従わない場合は実力をもって滅殺する!」

「実戦での対人魔法戦闘は初めてかい? せっかくの魔導鎚が震えているようだけれど」

「かもね!」


 眼を鋭くしたまま、にやりと笑う巫女少女。


「でもだからって甘く見ない方がいいわよ。あたしは柩とシントを守るためなら、相手が誰であれ、無制限で戦闘用の一級戦術魔法を振るうことが許されてるんだから!」


 青年へ〈マトック〉を向けたまま、少女がちらりと慎人のほうを見た。


「何してんの! 早く逃げて!」


 知らんふりをするときのクセで耳のそばへ上げた両手が、しかし空振りする。

 遅まきながらヘッドホンをしていないんだと気がつく。


 仕方ないので真正面から反論する。


「だめだ、できない!」

「つまんない男のプライドなんか張ってないで! さっさと逃げなさいっての!」


「そんなんじゃない! ──もう嫌なんだ、こういうの!」


 初めて見る本物の金髪ツインテの揺れる巫女少女の背中が、黒いボブカットをした「彼女」のそれと重なる。


「目の前で自分を守って女の子が傷つくなんて! 死ぬなんて! もうそんなことは絶対――!」


「生きてるわ!」


「――え?」


 慎人は一瞬、少女が何を言ったのか理解できなかった。


「生きてるの! だから早く逃げて! この町を出てレアル=ダナグへ行って!」

「どこ、だって?」

「帝都よ! 帝国の首都! そこで待ってるから! かあさ――あなたの想い人が!」


『彼女』のマトックを振るう少女がその名を口にする。


「──カノイが!」


「かのい? かのいって、叶唯かのい……久保、が?」


 久保が――生きてる?


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