1話 6月11日火曜日
ひ魔人のターン!
夢。
睡眠中にあたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。
あるいは、将来実現させたいと思っている事柄。
似ているような似ていないような意味を持つ言葉。現実に近いが現実ではないもの。
誰がこの二つのものを同じ“ゆめ”という言葉で表したのだろうか。
そしてこれは日本語だけではなく、英語でも dream と日本語の“夢”と同じ意味を持つ言葉がある。他の言語は知らない。
言語が違うということは物の見方見え方が違っているということ。そんな違う言語でも同じ見方見え方をしている二つの“ゆめ”。
改めて考えてみると、睡眠中に見る夢としたいと願う夢は違うものだと思う。同じ言葉だから似ているように思えてしまうけど、たぶん、きっと、確実に違うものだ。
なぜ、どういった経緯でこの二つを同じものとして捉えたのだろうか。
こんなどうでも良いことを、僕はある時から繰り返し思い出しては考えている。
たぶん、小学4年生の時に見ていた、あの“夢”が原因だ。
そこは大型駐車場を備えた総合スーパー、スーパーマーケットの階の上にある駐車場。あるいは服やおもちゃが置いてある階。
どちらもきまって照明は薄暗くジジジと淡い白色の光を放っていて、周囲は全体的に薄暗かった。
そしてその夢の世界にはだれもいない。
まるで閉店した後であるかのように。
何台もの車が停まっていて、商品もずらりと並べられているのにも関わらず、そこには一切人の気配が無かった。
気が付くと僕はそこで独り彷徨っている。
なにかを探している。
僕だけが取り残された灰色の世界で。
すこしすると、ここが夢の世界だと僕は気が付く。
しかし、どんなに起きようと努力しても決して起きることが出来ない。
頬をつねっても叩いても、痺れて太くなったように感じる足を叩いているような鈍い触覚があるだけ。
そして夢の終わりの方で、僕はなにかから逃げ出す。
必死に、車と車の間を、商品棚の間を、並べられている服の間を縫うように必死に逃げる。
最後は毎回お母さんに起こされてその夢は唐突に終わりを迎える。
小学4年生のある時期から、僕は毎日のように同じ夢を見ていた。
いつまで見ていたかは覚えていない。小学6年生の頃には目覚ましで朝早起きしてゲームをしたりマンガを読んだりするようになっていた。
夢だと分かっても決して自分から抜け出すことの出来ない夢。
もう忘れてしまった、僕が夢の中で探していたもの、夢の中で逃げていたもの。
今から思うとあれはきっと悪夢だったのだと思う。
けど不思議なことに、あの頃の僕は毎日見ている同じ夢を怖いとも不思議にも思わなかった。
だからお母さんにも誰にも相談していない。
夢には、はかないという意味もある。
確かに寝ている時に見ていた夢も、小学生の頃に見ていた将来の夢も覚えていない。
ほんの少し前のはずなのに、思い出そうとすると、それは霧のように掴もうと伸ばした手の隙間から逃げ抜け溶けて消えていってしまう―――
「長谷! 長谷、起立!」
「は、はいッ!」
僕は名前を呼ばれて反射的に椅子から立ち上がった。
「なんだ寝てたのか?」
「あ、いえ。寝ては、ないです」
「まあいいから教科書読め」
「教科書……?」
昼休みが終わった後の五時間目の科目は現国。
完全に別の事を考えていた僕は、先生の言う「教科書」の場所が分からず、黒板と教科書を交互に見る。だめだ、分からない。
黒板の前に立っている先生が教科書を手に僕が読み始めるのを待っている。
「153ページ」
隣の席の姫野さんが小声で教えてくれた。
僕は慌ててそのページを開き、文の先頭を指さして確認すると姫野さんが頷いてくれた。
五時間目の授業の終わりを告げるチャイムがスピーカーから流れる。
先生は中途半端なところで終わり号令を掛けて、早々と教室から出ていってしまった。
「佑音、お前さっき寝てただろ」
授業内に書ききれなかった板書をノートに書き写していると、後ろの席の橋本が話しかけてきた。
「いや、本当に寝てない。ちょっとぼうっとしてただけ」
「まあ分らんでもないけどな。五時間目の現国とか、マジ眠すぎ。俺も半分くらい寝てたし」
「無理矢理仲間にしようとすんなよ、僕は寝てないからな」
「いやあ、今日は昼寝日和だと思うんですわ~」
そう言って橋本はぐだぁっと机の上につぶれて窓の外を見た。
つられて僕も窓の外を見る。
青空一つ見えない完全な曇り空だった。窓から流れ込んできたこの季節特有の湿った生ぬるい風で、夏服の下がじんわりと汗ばむ。
「がっつり曇りじゃん」
「次の授業なんだったけ?」
僕は黒板の横の掲示板に貼られている時間割を確認する。
「数Ⅱ」
「ああダルイ眠い~。数学ⅠAは簡単だったのにⅡに入った途端に難しくなりやがって。マジ文系に進めば良かったわ~」
「橋本、文系出来たっけ?」
「そりゃもう、五択だったら20パーは当たるね」
「それ確率のまんまだし。て言うか、当たるって言ってる時点でもうダメだし」
「ああ‶~」
橋本は気の無い返事をして机の中から数Ⅱの教科書を取り出すと、それを枕にして本格的に寝始めた。
僕は残りの板書を写そうと前に向き直る。
「あ、」
板書は教科係りによって、汚い黒板消しで白く引き伸ばされ、解読不可能になっていた。
次の話はミカンせいだよん!