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熱き時代への羨望

作者: 山口准将



 自分はたまに70-80年代位に大学生をやれていたらなぁと思うことがある。なぜかそれは熱い時代だった、学生が魂を持った時代だったと感じるからだ。逆に理想論的な破壊と夢想の失敗の時代であったことも拭えない事実である。

 比較といっても自分が実際に生きている今と歴史でしかなく肌で感じたことのない過去では、比較できないが敢えて比べるでみると今の時代の学生は一般的に言って無気力的であると感じる。ただそれが悪いことであるとは感じない。おとなしいと言い換える事もできる。ただなんとなく自分はそんなおとなしい時代で生きているのが苦しい時がある。

 自分が所属している新聞会はノンポリなのだが、昔の新聞会は学生運動真っ只中らしい活動をしていたようだ。しかし、その紙面の内容たるや凄まじい熱量のあるもので、大手新聞社に負けない内容である。学生自治やベトナム反戦等々思想的な偏りがあるものの力強い「熱意」というものが伝わってくるのだ。そんな紙面を見ていると上述したようなおとなしい今のノンポリのおとなしい紙面を見ると思うところがある。(ただしそれに優劣があるとは思わない。)

 こんなことを書いていると今の時代に学生運動やりたいの?と思われるかもしれないがそういうことではない。別に自分は共産主義者ではないし、(文化として好きなことは好きだが政治思想としては相容れない)真に自分が思うことは「学生の熱意」だ。暴力的な面に関してや政治思想的な部分は、好きではない。しかし、学生たちを突き動かした熱意これこそが自分の羨望する対象なのだ。ネットもない時代に全国組織を作り上げ、動員し学生が社会を変える力があると信じた時代。自分もその輪の中でこみ上げる情熱や若い行動力を燃やしてみたかった。多くの仲間とともに時代の変革を信じて、行動をしてみたかった。そういう羨望なのだ。

 といっても前に書いた懐古的ナショナリズム的な昔はよかった論法と似た構図の上に成り立つ願望なのかもしれないが・・・

 きっと熱き情熱をたぎらせ行動に移している同世代の若者もいるのだろうけどそれは個人的な動きであって時代的なものではない。かといって時代を創り出すカリスマは自分にはない。そんな日々を過ごすとなんというか浦島太郎的な孤独感を感じるときがある。

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