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えもいえぬ闇にして炎を呼吸するもの   まさしく「聖く」在って永久に「淫ら」なるもの

   四十一番歌  幼き性の想い出


 出合い瞬き、水をはじきながら金色の陽の光に輝いていた腹は、

今は甘える男の頬擦りを許して、おおらかに息づいている。

立ち去りがたい餅肌のその中ほどの可愛らしい笑窪に男は優しく接吻を与えながら、

そこだけに潜む微かな匂いに気付いた。

男は改めてその弾力ある丘の緻密から始めなおして、笑窪のその周囲へと息を潜めながら

その微かな匂いを探った。

皮膚に潜む汗の痕跡であろうか、その甘酸っぱいと()ぎとれる匂いは幼い日々に知った

母たちのそれに(つな)がって、女達の間に独特の匂いを初めてかぎ取った日の秘めた記憶が

(よみがえ)ってきた。


もう夏も去ろうという頃、樽の中で熟成させていたスモモの果肉を陶の鍋でゆっくりと

煮詰めている母と姉達の華やいだ声を聞きながら、生まれたての子犬の柔らかな腹に

その鼓動を聞いて遊んだ暖かな午後の庭。

 

大きい姉は私を捉まえて椅子に掛けさせ、その尊いピンクの爪先で私の髪を梳きかえ

しながら「もっときれいに洗いなさい」と頬をつねって抱きしめてくれた。

そんな姉のお腹の辺りに顔を埋めて、後ろめたくも密かに嗅いだ匂い。

秘密にしておきたい自分の企みを、強く抱き着く頬刷りにごまかして、

何度も嗅ぎ探った幼い性の戯れ。


目の前に横たわる女神の肌の(かす)かな匂いと穏やかな浄福感を伴って記憶された

「女たちの匂い」とが同質であることを男はゆかしく想った。 

それらは本能の中枢に仕舞い込まれた「母性の匂い」であり姉達「異性」のそれであった。


浄福なゆかしさを伴う記憶は薄く影なすその(くぼ)みに一層親密な愛おしさを

覚えさせて、随分とねんごろな執心が続いた。

その間女神は男の艶やかな巻き毛に指を絡ませて不思議なその振る舞いを訝しく

見詰めながら、そのこそばゆさを愉しんだ。





   四十二番歌 分別の闇


 女神の腹の柔らかな緻密が男の眼と手を立ち去りがたく逡巡させた。

何度もそのもち肌に眼と手を往復させながら、若しかしてこの豊穣の宮に自分の子胤を

宿らせることが出来るのではないかと不意に不遜な思いが脳裏を掠めた。


この行為の行き着く喜びは期待出来ても、女神に子を宿させるとは思いもよらなかった。

たとえそれが睦合う行為の果てにであっても・・・・しかしながら、このまま行けば、

この不埒な想いも「うつつ」となりうるのではないか。


 男は見たことがあるのだ、姉が臨月の近づいたお腹をおおらかに突き出して、

母に純白の腹帯をしっかりと巻いて貰っているのを。

その時の姉のお腹には不思議な濃い線が胸元から真っ直ぐ下ってお臍を際立たせて

そのまま大きく膨らんだ下腹部まで伸びていって、はっきりと浮かび上がっていたのを。

そして、母はその線をなぞるように嬉しそうに愛でて、「もうじきだね」と優しく

彼女のお腹を(さす)ってあげていたのを。


   「まさか、あんなことに・・・・

   女神がおれの子を宿すなんてことが・・・・」


幼い瞳がひそかに仕舞いこんでいた性の感興は、今こうして愛しい女の甘やかな肌に

鮮やかに蘇えって、男の心に畏怖と控えめな希望が行き来した。


男はやはり己の仕出かす不埒に内心たじろいでいた。

改めて目の前のたおやかな姿態に見惚れながら、男は考える。

今わが身に横溢する愛しい者への情動の激しさは、その素直に向かう正直さは、

自身を鼓舞する嬉しい真実であり、許されて 受け入れられた 

めくるめく恋の歓喜であるのだ。女神は「如何様にでも」と言ってくれたではないか。

「アクタイオンよ、臆することなどないのではないか・・・・・・」


男は分別の闇から帰還した。

美しい身実(むざね)が目の前にたおやかに息づいている。

目に手を添えて男は前線に復帰していった。





   四十三番歌 子をなす宮の鎮台(ちんだい)


出会いの瞬き女神が本能的に抗い隠した和毛(にこげ)()すデルタと、

その奥の神聖な(しべ)様子(さま)が強く気がかりになりだした。

出合いの際、女神の手を何度か()ね退けて執拗に接触を試みたが、

成功した記憶のないまま、(あらが)いがたい微笑みの前にその意思は

完全に砕かれてしまっていた。


 今こそは臆せずに其処に触れ、神秘の淵を探りたいと、男は盗むように覗き見た。

手を差し向け、覆うように添えて、にこ毛の陰に潜む柔らかな花弁の膨らみを指先に

映し得た瞬き、初心(うぶ)な男ははそれだけで緊張してしまった。


「此処まで進む己の我武者羅は果たして本当に許されるのだろうか、

犯すべからざる神聖を此処まで・・・・・」

と、(こぼ)れるような柔らかさに触れ得た喜びは、ここまで来てまた、戸惑っている。


躊躇(ためら)っている男の手を女神の手が追ってきた。

新鮮な侵略を拒もうとしたのではなく、期待して送り出した手のその素早さを、

かえって男は誤解して、「はッ」として、撤退してしまった。


一瞬にして気弱になった男のぎこちなさを「初心なのだ」と女神は嬉しく微笑んで、

幕紗から洩れてくる陽を肌の緻密に淡く受けながら、背を向けて繻褥(しとね)に打つ臥した。

三つ編のそぞろに解けた黒髪は肩から流れて今は光と戯れ波打った。


怏々(おうおう)とした情欲は主人の股間を叩いて逡巡(しゅんじゅん)(いさ)め、

開放を求めて奔りだす。

戸惑う思念は情欲の猛りを(なだ)めながら、測測と充ちてゆく思慕の情意を謌いあげる。


   「たおやかな峰

   笑み割れた峪、

   秘めやかに潜む 薔薇


   見咎(みとが)められるほどに卑猥(ひわい)な俺の眼が

   ひたすらに 一層赤裸々に

   「観たい」と叫ぶ


   おお、

   これぞ(なさけ)(はぐく)む究極

   子をなす宮の鎮台(ちんだい)

   歓喜の住まう霊山(りょうぜん)


   おおどかに 確かに 在って

   ひそやかに 誇らかに

   吾が思慕を誘う 峰々」


 怕れて萎縮した情欲も、桃割れた肉叢(ししむら)の新たな出現に励まされ、改めて

たおやかなその台地の割れ下る峪間の奥の薄く影ひくあわやかな深みに再び向かった。

今は、その緻密の包蔵する宝と巡り合う歓喜の極みを念ずるのみである。


 男はその丘陵の谷間に頬を静かに沈めて、そして、篤く熱く接吻(くちづけ)た。

女神は不意な、しかし期待するその侵略に切なく腰をくねらせて応えた。

男は訴えるようなそのうねりを喜んで思うさまの愛撫と接吻(くちづけ)を緻密な高みから

それに連なる柔らかな太腿の内外(うちそと)まで与えた。


今こそと豊かな臀部(でんぶ)をしっかりと抱き捕って、想い強く己が肌を押し当ててゆく男。

ゆくりなく()り出し強請(ねだ)る男の喘ぎに、熟れて俟つ女は、その一途に向かう切なさを

一層励まそうと慰撫の指を向ける。


(みなぎ)(いなな)(ふと)まりは、摺り寄る指の、あからさまなしなやかさに耐えきれず、

「いまは はや・・・・・」とせがんだ。

女も悦んで、自らを責めたてる甘やかな疼きを大きく開いた。

   

   「あずま はや」 


  「あやに な恋きこし 」


(難字・異字 解説)

 怏々  不平なさま  満足しないさま





四十四番 降る雨のように


 目覚めた二人の枕元に気を利かせたニンフが冷たい水と桃の実を運んできた。

女神は紅潮した肌を大きな房飾りのある枕に預けて、その(もたら)らされた豊穣(ほうじょう)

甘やかな香りを深く嗅いだ。

「とても良く熟れていてよ」と優しく口付けて、眸をうつして微笑みと共に男に与え、

自らも口に含んだ。


柔らかな産毛の淡く照り映える桃に白く歯をたてたまま見合う二人は互いの(ひとみ)

大きく綻ばせて、その美味に(うなず)きあった。


唇から溢れ零れて喉元をつたう蜜に、(くび)をすくめながら指を添える女神の咄嗟(とっさ)

仕草を愛おしく見ながら、男は一方で乳房に(したた)り落ちて光る雫の、その豊穣の峪を

つたう躊躇(ためら)いがちな道筋を目で追っていた。


無心な女神の、その肌をつたう滴りのそこはかとない情緒さえも覗きうる、

そんな嬉しい間柄になり得たことに頷きながら、男は手にした桃の実をつくづくと

見詰めなおし、独り言のように・・・・・・・、


   「夏の日の午後

   風の渡る小道の先で

   たわわに実る桃の実を見た


   枝先に笑うその豊穣は

   見上げる視線に溢れて 

   あまつさえ

   天に恥じないその色は

   魂をも魅了し

   ひそやかな情意をこそ誘って

   遥か虚空の(あお)に揺れていた


   俄かの雨に

   肌は水銀と輝き

   甘やかに、

   ひそかに

   内なる没薬をくゆらせて

   匂い立たつ うまし実ぞ 汝れは


   ああ

   魅せられて、立ち尽くす、寄る辺なき魂は

   暮れてゆくあの天の底まで堕ちていって

   見果てぬ夢、恋の牢獄(ひとや)

   哀れこの身を繋ぐ」



水面を渉ってゆく午後の光、心地よく届けられる感傷。


   「逢えるはずもない貴女が、唯、無性に恋しくて・・・

   「いつの日かきっと会える」と信じて・・・

   この季節、貴女を訪ねては、いつも見上げたことでした。

   白い雲と蒼い空にこのピンクはとてもよく似合って・・・


   幾度か母への土産に持ち帰ったことも。

   母は「女神様からの頂き物だね」と貴女を祀る祭壇に 

   蜜蝋(みつろう)のお灯明(あかし)(とも)して

   お(そな)えしていました。


   「どうか、この子に良いご縁が参りますように・・・・」 と

   貴女に祈っている母の後ろ姿を見つめながら

   心の中で「申し訳ありません」と謝っていました。

   私には貴女しかいなかったのです。


  「この子の深く切ない悩みがどうか(いや)されますように、

  そして、いつか心優しい娘に出会えますように、

  その娘を心から愛し、慈しみ、子宝に恵まれますように」


   誰かに恋していること、その相手とは到底結ばれそうもないこと等々、

   すべて見通していたようでした。 

   ですが、母は心配を決して口に出して聞いたりはしませんでした。

   母のことを思うと、今すぐにでも行って、この喜びを伝えてやりたいと

   思うのですが、しかしそれは出来ないことです。

   私が恋した相手がこともあろうに、貴女だと知ったなら、

   母はその場で天を仰いで死んでしまうに違いありません。


   貴女を慕って通う孤独を何度この実は(いや)してくれたことでしょう。

   すでにあのころ貴女を独り想うその甘やかなひと時は、

   夏の日の夕方に降る雨のように、

   私の心にやさしい平安を届けてくれていました」


女神は彼の髪に優しく手をやりながら、その一途な心を偲んだ。

この男が自分のためにだけ歩んできた歳月の尊さを今更ながらに想い、

ほたほたと溢れ来る母性につよく促がされて・・・・・・・、


  「ああ、貴方はバカよ

  何の(すが)るものとてない孤独にずーと耐えて

  私に()(ごころ)を捧げる日々を今日まで !

  ごめんなさいね、もっと早くに、こうして・・・・・」


女神は男の胸に顔を伏せて、差し出された誠意を無為に過ぎゆかせた日々に

(あやま)り、声を震わせた。

そんな女神を胸に抱きながら、男は如何(どう)して良いか判らぬまま唯々当惑して、

彼女の髪に顔を埋めてこみ上げる愛しさに胸を詰まらせた。


   「私のために涙して下さるなんて 

   ああ、ディアーナ

   好きです。

   心からお慕い申し上げます


   この今こそが、私の「永遠」となりました。

   私はまさにこの今に「在り」ます。

   未来永劫 ひたすらに 

   貴女を慕ってまいります。

    

   貴女の涙によって励まされた私の恋心は   

   貴女という至高の光に向かって昇りつづけて参ります。


   ああ、愛しています」


   女神も男の胸の中で何度も頷いて、


  

  「私もよ、私も心から愛していてよ

  貴方のいない世界なんて、もはや(ながら)うに(あたひ)しないわ。」

    

と、(あつ)く伝えて強く男を抱いた。





   四十五番歌  小さな(ほくろ)


踏みだした逢瀬に戸惑いながら(うつむ)いたまま繻褥(しとね)に横たわる女神。

未来(さき)の見えぬ想ひにぼやけ出した眼でそれを見つめる男。


うつ伏せた女神の背に小さな(ほくろ)の潜むのに気づいた男は、

その一つ星のそこはかとない在り様に心囚われた。


襟足(えりあし)が左の肩に移る辺りのゆるやかな肌の上にそれは楚々と輝いていた。

男は女神の横顔とその星を交互に眺めた。

白い(はだ)えにただ一粒、孤高なその星の存在は愛する女神のその(たお)やかな

絵姿を一層印象的に心に焼き付ける(よすが)となって、(はかな)い夢と知れる

この逢瀬(おうせ)(こと)のほかしみじみとした想ひを添えた。


この(はか)らずもの邂逅(かいこう)と、そこから生まれ出て永遠に続いてゆくであろう

女神へのいや増す憧憬(あこがれ)と、それゆえに新たに生まれ出る寄る辺ない孤独な

彷徨(さまよい)とを想いあわせながら、愛しい女人がその肌に(ひそ)ます秘めやかな

星の在り様に強く()かれて・・・・・、


   「なんと心惹()く星であろうか

   この星の在り様をいったい誰が覗きえたというのだ

   女神の肌が宿すこの秘めやかな情緒を・・・・・・


   ああ、このあえかな印象は

   夜空に輝くベガのようだ

   白くほのめいて、天の川の岸辺に甘く(またた)

   たわやかな姫星

  

   干嗟乎(あああ)

   まさに俺は彼女を恋い慕うアルタイルなのか 

   今は結ばれて(またた)けたとしても

   明日をも知れぬ(はかな)逢瀬(おうせ)・・・・・

   

   であれば いっそ天に昇って

   ()がれ(またた)いて

   永遠にベガを恋慕う 

   アルタイルになろう・・・・・


   ああ、(あま)(かけ)(とり) アルタイルよ 

   聴き届けてくれ

   愛しく想ひ 激しく焦がれるこの恋心を

   狂おしく夜も日もないこの胸の痛みを

   どうかお前のいる天へ引き上げてくれ

   同じ心に泣くお前の(かたわら)へ・・・・・・・」



男は焦点の合わぬ眼を女神の肌に落しながら、いっそこの身を女神の神性に捧げて

心から願ったこの恋の祭壇に身を投じて果てようと思った。




   「神々の間にある鋭敏な叡智(えいち)

   我を不毛の混迷から保護せよ

   わが不遜を許し

   不滅の信念(おもひ)鼓舞(こぶ)

   この祈りを高く大空に保て


   そして・・・・・、

   この肉は(ほろ)ぶとも

   この荒びし魂魄(たましい)を永劫の光の中に解き放ち

   永く流れゆかしめよ

   憧るる想ひの

   (ねが)うがままに

     ・・・・・

   ああ、無辜(むこ)なる我が魂よ」




流れ落ちる涙で女神の美しい姿態が視界からぼやけていった。


   「この()きをおいては俺は生えないのだから・・・・・」


 

女神の神性は想ひに沈む男の心の内をそっと聴いていた。

そして、静かに身を返してその美しい容貌(かんばせ)を男に向け直して、心に滲み入る

優しい微笑を浮かべて、「あまり、思い詰めぬように」と男の心に囁いた。


そっと(いだ)き合い交し合う口づけからはもはや情意は消えさり、

和みあう閑雅な想いに充たされていた。





   四十六番歌  女神の慎ましやかな営み


風が吹き出していた。水面(みなも)に立つさざなみの移りゆく波紋が光を反して、

ふたりの天蓋に見事な虹を映しだして、ゆるく薄絹のカーテンをなびかせた。


二人は互いに肩を寄せて乱舞する天蓋の虹を眼を細めて眺めていた。



  「このまま少しやすみましょう」

   

   「ええ・・・・・・・」



  「ここの風景を私は心から愛しているの。 

  だって、貴方との最初の出会いから今日までの全ての思いは此処に

  つながっているのですもの・・・・・・。

 

  私が貴方のことを思うときはいつもこの風景があったわ。

  貴方と水辺を走ったり、泳いだり、草原の中で深く愛し合ったり、

  この風景の中で私は貴方と過ごすことをずーと夢見てきました。




女神は男の手をとって外へと誘った。

真夏の雲が高く昇っていて、アポロンは相変わらず陽気に日輪を(きし)ませて、

午後 の軌道をひた走っていた。

しばらくするとその軌道を大きな白い雲が覆い始めた。 

そして、あたりに涼しげに色あせて、水面は銀の大皿と化した。


女神は今日という日のために、密かに襟の豊かな白い薄絹のガウンを用意していた。

それには葡萄の蔓の浮き立つモチーフが胸元から流れ落ちて裾のあたりで絡み合って、

それら総てが美しい金色の糸で縫取られて、所々に熟れた果房が山繭の薄緑の糸で

盛り上げられて、さり気ない蔓の流れが後ろ身頃まで流れているといった、

それはそれは軽やかに薄く透けた寛衣(ガウン)に仕上げられていた。


また、それには上品な群青色に染め上げた縦糸に金の緯糸を織り込んだ

インド・モールの腰帯が添えられていた。

それに添えて、細く裂いた革紐に金糸を()り合わせて作った、

それも美しいアザミの華のモチーフで全体が構成された、

黄金色(こがねいろ)のしなやかなサンダルも用意されていた。



  「ああ、ぴったりね、良かったわ・・・・・」


  「貴方の寸法を採るのに苦心したのよ。

  私に会いに来て、そっと身を寄せる祭壇の高さと比べてみたりして・・・・・

  でも、楽しかったわ、生地を選んだり、刺繍(ししゅう)の図案を考えたり、

  金の糸を吐く黄金の蜘蛛をシリアの砂漠まで探しに出かけたりして・・・・・


  それにこの金のサンダルは遠くインダスの神々にその作り方を教わったのよ。

  此処とは違ってとても繊細で、皮を薄く細く切り揃えて、それをやさしく撚ってから

  金糸をからげて編んでゆくのだけれど、出来映えに満足した後はもう幾つも作りたく

  なって、気付いたら指にタコが出来ていたわ。


  私がこんなことするなんて可笑しく思わないで。

  みんな貴方に会う日のために考えたことなの、そして、  

  そうした日々はとても愉しくて心は癒されていたわ・・・・・」



男は思いもよらぬ女神の言葉と、その証を肩に掛けて貰いながら、言葉を失ってその場に

立ったまま、羽織らせてくれたガウンの絵模様に見惚れた。

自分が孤独に耐えて過していた日々を、女神はこうやってその優しさを密かな営みにかえて

今日まで過して来たと知って、またも感極まってしまった。

  


  「私は心から愉しんだわ。

  そうやって、貴方に逢うことを楽しみに過すことで、

  「オリンポスの煩雑」からも逃れることができたの。

  いつも、私は貴方に助けられて、

  気鬱な日々を振り払って来れたわ」




四十七番歌 覗き込む闇


二人はお揃いのガウンを着て、その裾を吹く風に(ひるがえ)しながら、

軽やかに金のサンダルを歩ませて(みぎわ)に向かった。

薄絹のガウンはそれぞれの肢体をその美しい光沢の中に(まぶ)しく泳がせて揺れた。


ニンフたちは再び二人を取り巻いて花を撒きながら歌った。

 


     久しき吐息

     分かち合い

     (えま)(ゆた)けく

     夏のひと日は

     暮れずとも良し

 

     空に横とう天の川

     岸を隔てて偲び合う

     いずれわかたぬ心とて

     儚きものとは 

     思わなそ


 (きらめ)(しな)うサンダルを苔の絨毯(じゅうたん)に軽やかに沈ませながら、

女神は、周りの風景をしみじみと見つめなおした。そして、共に歩む男の肩に頬を

もたせながら、ゾヒィーのことを思い浮かべて、今観ている風景を彼女が懐かしんだ

ように眺め直してみた。

この愛しい男に精一杯のことをして上げるためには、この地に(ねんご)ろに親しん

で育ったゾヒィーの眼を借りることで、心からの贈り物をこの風景のなかから

見つけ出せるのではないかと、ふとそんな風に思えたからである。



  「貴方は知っていますか。アレトゥーサを・・・・」



   「アルカディアの西隣、

   イオ二ヤの海に面したエーリスに住むという・・・・・・」



  「あら、詳しいのね・・・・・そう、私に忠実なニンフの一人です。

  貴方も知っての通り、恋や結婚にはまこと無関心な、無垢な美しい子でした。

  悲しいことに、そんな子に限って、不埒な河の神が見初めて付き纏いました。

  その執拗な求愛から救うために私は彼女を泉に変身させたのです。

  私は彼女が哀れで愛しくてなりませんでした。

  此処を改めて神籬の地と定めたとき、彼女を密かに此処に呼び寄せたのです。

  彼女が親しんだイオ二ヤの海から大きなシャコ貝を取り寄せたのも、 

  彼女の心を慰めるためでした」



   「彼女のことは私の友人達の間でも少なからず話題となっていました。

   神々の世界と違ってニンフ達のそれは一層私たち人間界に身近に思われて

   いましたから。 

  

   事実、ニンフを娶った話は枚挙にいとまないくらいですもの・・・・・・。

   私たちには、「ひょっとすればわが身にも出会える機会があるかもしれない」

   という期待もあって、それに彼女はたぐいまれな美貌(びぼう)の持ち主だったと

   聞かされていましたから。


   「アレトゥーサのような美人と添いたいものだ」 と友人などはよく言ったも

   のです・・・・・・。

   でもあの祠がアレトゥーサを祀っているとは全く知りませんでした。

   何処にもそのようには示されてはありませんもの・・・・」



  「本当に綺麗な子です。優しくて一途でね・・・・。

  それと、「密かに呼び寄せた」といったでしょう。 

  不埒ものはまだまだ大勢いますもの・・・・・ね


   「そうでしたか」


  「そう・・・・、で、貴方には「可愛い人」は居なかったの・・・・」


   「えっ、どうして、そんなことを聴かれるのですか・・・」



  「あぁ、ごめんなさい、

  誤解なさらないで、意地悪をして言っているのではないの。 

  貴方のお友達の話しを聞いて思い当たる子がいるの

  そう・・・・・・、貴方のことでエフェソスに来る若い()がいるからよ。

  その娘は、「あの方が恵まれますように。狩から無事に帰ってこれますように」と、 

  何度も私に祈って、しおらしく深々と頭を下げて帰ってゆくのよ」


   「そんな、・・・・・・

    それは違います・・・・・・・

    いや、正直に申し上げます。 その娘は存じてはおります。

    しかし、彼女は全く妹のような、そう、幼馴染みというだけの間柄です。

    ただ、それだけです。

    それに彼女のことは親友のアクティウスがとても()いているんですよ・・・・

    僕の無二の親友が・・・・。

    それに、今そんな話をなさらなくても良いではありませんか・・・・・・・」


男は不意を()かれた戸惑いから不機嫌そうな素振りをして抗弁(こうべん)した。

女神はその様子を無視するように幾分悪戯(いたずら)っぽく言葉を継いだ。



  「幼馴染なのよね、あの()

  こうしている私が言うのは可笑しなことだけど、

  とても、いい子だわ、お似合いよ。

  どうしたことか、あの娘のことが最近どうも気がかりなの。

  「どうか、時には私の方を振り向いてくださるように、

  女神様、あの方の心をお導きください」とも祈って帰ってゆくのよ。

  あの娘のことを思うと、私はお前を独り占めしている気がしてならないの。

  彼女の願いを聞き届けてやりたいような、

  やりたくないような変な宙ぶらりんな自分を感じたりもして・・・・・」



此処まで言って急に黙り込んでしまった女神は伏し目がちになって



  「ああ、私の心は闇を見ている・・・・・・・」 と呟いた。


女神は自身の中に沈潜していった。


  「私こそ、正直にならなければ・・・・

  私はあの娘が現れたとき、咄嗟にゾフィーのことを思ったわ

  それと私自身の気持ちと・・・・・・


  既にあの時、私はエロースの矢で射すくめられて恋の業火にこの身を焦がし始め

  ていた。だからゾフィーとあの娘が私自身と重なって渦となっていつも気懸かり

  なのだ。私は自分自身が好ましいと感じた男にゾフィーを娶わせたいと想い始め

  ていた矢先だったから・・・・・・・

 

  ああ、

  忌まわしいエロースの禍をこともあろうにこの身に宿してしまうとは・・・」



抑えることの出来ぬ強大な呪縛を宿してしまった己の「恋心」が

愛しいゾフィーまで引き込んでしまったその理不尽を悲しんだ。


女神は今朝程(けさほど)ゾヒィーが我が名を崇めながら意識を去っていった

その恍惚の表情を思い出していた。


「なんで今、あの娘の話題を持ち出してしまったのだろう」と自身の心の内の

気がかりを探り当てて女神は戸惑ったのである。



  「そう、この人にゾフィーを娶わせたいと思っていたわ・・・・・

  私はゾフィーの母親代わりだもの・・・・・

  そうした想いがあったればこそ彼女もここに・・・・・

  ああ、

  私自身が私自身をどうしたいのか判らなくなっているんだわ・・・・

  何と不埒(ふらち)な、そして、なんと傲慢(ごうまん)な・・・・・・・・・」



女神は深くため息をついた。

そんなこととは露ほども知らぬアクタイオーンはきっぱりと彼女に向かって言った。


   「今までも、そして、これからも見詰めつづける “光 ”は

   貴女だけです。

   私は貴方に捧げた祈りに忠実で在りたいのです。

   私は「生き死にを超えて」貴女を慕って参ります 

   どうか、もう、そんな話はお止めください」



  「ああ、誠実な瞳

  なんと心打つ言葉

  私こそ

  この人とずーと過せるものなら・・・・・・」


女神は己の戸惑いの核心を()かれた思いで男を見上げた。

男の顔には毅然(きぜん)とした意思と誠実な覚悟が滲み出ていた。



  「怒らせてしまったのね、 

  ごめんなさい

  貴方の心を試した訳ではなくてよ

  ごめんなさい

  本当に、

  本当にごめんなさい」


女神は男の言葉に強く惹かれた。



  「「生き死にを超えて」とは、 

  この今となっても「死を見詰めている」ということなの・・・・・・・、

  私の天賦(てんぷ)の神性は苛烈(かれつ)であることに覚悟しているのだわ。

  死を賭して恋い慕ってくれているとは・・・・・・・」





   四十八番歌   揺れ惑う女神


女神は心の中で、自身の気持ちの正直なところを探った。

探りながら、頬にはとめどない涙が溢れ出してきた。

女神は泣きながら、仕切りと弁解するように、



  「ああ、なんと馬鹿なことでしょう。

  あなたの気持ちを(もてあそ)んだわけではないのよ、 

  でも、ずいぶん(ひど)い女になってしまったわ、

  一番私が嫌っている者に私自身が成り下がってしまっているなんて、

  いったいどうしたというの・・・・」


   

女神はすっかり普段を失っている様子に見えた。

男は慌てて駆け寄り、彼女を抱いた。。

震えていた。小刻みに震えて泣いていた。

  

   「どうか、もう、泣くのはお止め下さい。

   どうか、もう・・・・・


貴女が私とのことでそんなに・・・・・

 

   微笑みを見せてください。

   貴女の優しい口づけをください。

   さあ、泣くのは止めて、

   私からも差し上げましょう。


   そう、

   尽くしきれぬほどの愛を誓います。

   光ほどに真っ直ぐに憧れで

   生きてゆきます。


   さあー、私を抱いて、強く抱いて・・・・・

   お願いです

   ディアーナ・・・・・

   さあー・・・・・・・・・」



女神は一層泣いた。

男は彼女の肩に手をやって、頬に頬を寄せて、優しく水辺に誘った。

男は手を清めて、女神の涙で濡れた頬を冷たい指でそっと拭ってあげた。


女神の唐突にニンフたちも動揺していた。

そのことを気遣った男は、皆の方に向き直って優しく笑顔を見せながら、



   「心配は無用です。    

   さあ、今一度、楽しい歌を聴かせてください。

   心の晴れ晴れとさせる陽気な・・・・」



しかし、女神は彼女らに背を向けたまま小さく首をふって、



  「いいの、それには及びません。

  それよりも、今は、私たち二人だけにしてください」



と、ニンフ達を下がらせた。



  「貴方にだけ見せたいの、本当の私を。

  貴方とだけ居たいの、こうして・・・・甘えながら

  お願い、やさしく支えていて、

  少しの間 貴方の強い腕の中でこうしていたいの


   

   「分りました。

   此処に腰を下ろしましょう。

   少しお疲れがでたのでしょう・・・・・・。

   

   心地よい風が吹いてきます、

   アポロンも雲のむこうに

   ・・・・・・、

   ほら、漣が立ちはじめています。

   水に浮く雲を銀の(うろこ)に変えて

   私たちの足元に送ってきます

   ・・・・・・、

   あ、桃の木がみえます

   貴女の白い歯に映えた

   あの淡いピンクが、

   あんなにたわわに実って・・・・・


   さあ、あなたも笑って魅せて、、

   やさしい唇に隠れている美しい宝石を

   私に魅せてください・・・・・」




やっと、女神はしゃくりあげていた背中を返して、はにかみながら男を見た。

男は優しく頬伝う涙に口づけをして、そのまま静かに彼女の唇を吸った。

女神も静かに微笑んで白い宝石を魅せた。

二人はしばらくはそうして肩を寄せ合って歩みを進めた。


睦まじく腕を組んで水辺の苔の絨毯を棕櫚の木の岸辺を歩んでゆく二人の後姿を

残されたニンフ達は遥かなものを眺めるように立ちつくし、やがて、

目撃する二人の甘やかな様子に見惚れながら、夫々しどけなく身を寛がせて

羊の群れのように一塊となって放心していった。





   四十九番歌 心躍らせた疾駆(しっく)の跡


男は歩きながら水辺に残る足跡に眼をやって、その向かった先を追った。

神殿の方へ走っていったと思われる真新しい、それも女人と思しき足跡に、


  「ここの水辺を駆けて神殿に向かった人がいますね。」

  

  「あぁ、・・・・・、

  それ、私なの・・・・」


  「貴女でしたか、たいそう早足で、飛ぶように駆けて・・・・」


 「えぇッ、

 えぇ・・・・」


会話が続かない。

男は焦った。「まだ気掛かりな何かが・・・・・」と、女神の横顔を盗み見た。

 

女神は足跡を見詰めながら、ゾフィーの歓喜に満ちた湖畔の疾走を思った。

何も知らず、何も疑わす一心不乱に駆けて、神殿に向かった巫女の素直な心持ちが

その足跡からは良く感じとれて、胸深く刺すものを感じた。


  

  「ああ、ゾフィー 

  懐かしさに心躍らせて駆けてきたゾフィー

  ここに呼び寄せたことを心から喜んだゾフィー

  真摯に私に向き合って、

  祭壇を浄め、(おそ)れずに身を投げ出したゾフィー

  私のかわいいゾフィー


  この地でならどんな過酷な想ひでも

  (ねんご)ろに奉祀(ほうし)できると心決めたお前

  ここを無二の場所と()でて安堵し

  素直に身を捧げてくれたゾフィー

  私は、そのお前の覚悟に甘えて

  好き放題をしてしまいました


  干嗟乎(あああ)

  生命もなく死もない

  神の身であればこそ

  この恋のなんと魅惑的なことか

  どうやってもこの想いを貫きたいと思う身の(たぎ)りを

  打ち消す術を「エロース」は私から奪っています


  私は風のように奔放で強引な神となって

  天翔(あまかけ)る恋に()いしれたい・・・・・・

  あああ、

  どうか、ゾフィー

  許して下さい

  ・・・・・・・」



女神が深刻に何かと向き合い、それを見詰めていることに気付いたアクタイオーンは

しばらく、自らは沈黙を()()して、ただ寄り添うだけの影に甘んじた。

女神は彼の瞳に小さく(うなず)いてその思いやりに感謝して、

また、自身の心の内に沈潜(ちんせん)していった。


対岸の林を見た。其処から巫女の歓喜はほとばしり、迷わぬ疾駆(しっく)となって、

一心に湖畔に抜け、そのまま神殿まで・・・心震(こころふる)わせてあふれる涙を

そのままに走ってきたゾフィーの心の内が女神の身と心に(よみがえ)ってきた。

 

女神は視線を(めぐ)らせて、(なぎさ)にゾフィーの「心躍らせた疾駆(しっく)の跡」を追った。

()り出された爪先の向かう先には白亜の宮がある。


女神は砂の上にサンダルを脱いだ。

自らゾフィーの足跡にそっと足を重ねて、砂を()って走っていった土踏まずの

(こころ)(はず)ませた躍動(やくどう)をしっかりと感じて、

思わず心の内でゾフィーに語りかけた。


    

  「ゾフィー、貴女は本当にいい子ね

  力強い足のその大地を蹴る素直さ

  こんなに正直な証拠はないわ、

  お前の喜びがどんなであったか

  私にはよく判ってよ」 



眸を()らして足跡を見つめる女神の身の内に、あの切なく胸を膨らまして疾走する

巫女の気象が(よみが)えってきて、神殿を見詰め続けて走る彼女の眸に溢れていた

暖かい涙までもが今女神の頬を伝っていた。

耳の後ろに回りこむ空気の流れ、襟足(えりあし)にほつれる髪、息切れをものとはせずに

一気に駆ける巫女の疾駆(しっく)のあからさまな感覚を女神は今その同じ肌に感じていた。


女神は軽い眩暈(めまい)を覚えて、水際に膝をついた。

アクタイオーンは慌てて駆け寄って女神を抱き起こした。

女神は男の助を受けながら、いや、やや拒むながら拒みきれぬままに、

その腕を受け入れて、しかし、眸を送って巫女の足跡を視ようとしていた。


  「私はお前の誠実な心に(こた)えねばなりません。

  お前の誠意に神の身を奉げて応えねば・・・・

  お前にはその(いさお)があります。

  お前の素直さは私の本来の喜びです。

  それは私が一番良く知っています。


  ですが、しかし、私はいま

  天翔る()むに止まれぬ想いを彷徨(さまよ)っているのです。

  一心不乱な、まっすぐな道を突き進む

  想いそのものになって、

  「恋」という、吹きすさぶ嵐の中にいます。


  いまの私は恋に身を焼く女そのものです。

  お前を巻き込んでまでも、

  (くす)しき道をひた走っている

  (やむ)むに()まれぬ想いそのものです。


  ああ、ゾフィー、・・・・・今こそ、

  貴女に託さねばならないことが・・・・・・」



女神は男の腕の中で萎えた。





   五十番歌 「天界の秘儀でありますれば」


男は驚いて、至極動転して、女神を抱いたまま何度も呼んだ。

女神を目覚めさせようと、力の抜けた彼女を支え・・・・・・・、


   「ディアーナ、

ああ、ディアーナ、

   

どうしよう、


女神さまが・・・・」


ニンフたちの方を振り向いた。


彼女たちは一斉に駆け寄ってきた。

すぐさま年かさのニンフが幾人かの若い者に細い指示を与えて林へ走らせ、

いま一組をアレトゥーサの泉に走らせた。そして、また、違うグループには

西南の斜面にいって、実のついた杜松(ねず)の枝をたくさん()ってくるようにと言いつけ、

残ったグループにはお旅所へ行って祭壇と全てを清めるように指示した。


それぞれがそれぞれに向かったのを見届けた年かさのニンフは

「女神様を御旅所にお連れ下さいますように」

と男を促がして、自らは奔って向かった。


 

うす雲のかかり始めていた空が次第に色を失って、当たりが暗くなりだして、

水面には幾重(いくえ)もの(さざなみ)が立ちだした。

アクタイオーンは女神を抱いて、水際に残る巫女の足跡に沿って御旅所に向かった。

先回りした年かさのニンフは手際(てぎわ)よく祭壇を清め、男の来るのを待ちきれぬ呈で

祭壇の女神像に祈りをささげ始めた。


やがて現れた男は促されるまま女神を内陣の床の上に横たえた。

「女神を床に・・・・・?」と男は(いぶか)しく思いつつも言われるままに従った。

其処が巫女が女神の顕現(みあれ)を仰いだ床であることなど男は知る(よし)もなかった。


まず、アレトゥーサの泉から清らかな泉水が玻璃(はり)の器で祭壇に(もたら)された。

それには心臓を象った梶の木の若葉と、その樹皮を(うつ)()ぎにして白く艶やかに

仕上げられた白和幣(しらにきて)が添えられてあった。


それから、やや在って、斜面に出かけていたニンフたちが実をつけた杜松(ねず)の小枝を

いっぱい()げて帰ってきた。


早速、年かさのニンフの指示で杜松(ねず)の実は摘み取られ、これも玻璃の器に盛られて、

祭壇に奉げられた。

鋭い針の葉をつけた小枝は、横たわる女神の回りと、祭壇の神像の周りとに、

それぞれを囲むように隙間なく並べられた。また同時に、つややかな白和幣(しらにきて)

同じように延べ回された。

それはまるで邪悪なものから女神と神像を守る結界の様であった。


それらが整うと、数人のニンフが振り香炉の火舎の灰を改めだした。

祈りとともに火打ち石がカチカチと打たれ、()り出された火花が火舎に盛られた

(がま)穂炭(ほずみ)の上に散った。


真綿のような穂炭に落ちた火が「ポーッ」と照ってその部分が僅かに赤らみだした。

すかさず一人が優しくその赤らみに「ふぅーう」と細く息を吹きかけると、

穂炭は見る見る光を増して全体に「ホワホワ」と火影が回り出した。


と、いま一人がまず白樺の樹皮を薄剥ぎにした火寄木(ひよせ)に火を移して

ささやかな焔を作り出してから、脇に控えていたニンフ託した。

彼女はすかさずその上に松の脂出瘤(しでぼっこ)を細かく裂いて作った火立(ほたて)

そぉーと載せてゆく。


今度は脂の()ぜる「パチパチ」という小さな音がし出したかと見るうちに

「ポッ」と鮮やかに燃え上がった。


見守るニンフ達から一斉に「おぉー」と安堵の声が漏れた。


火立に香炭が幾度か継がれて優しく吹かれて赤々と炭が()きた。

炎の収まるのを俟って、その()きた炭に丁寧に没薬がくべられてゆく。

「ジユク、ジク」と音を立てて(くゆ)り立った火舎は、

美しい透かし彫りの施された銀の振り香炉に戻されて、

待機していた幼いニンフの手に渡された。


その重たさをいたいけな手で精一杯持ち提げて、トコトコと歩み出した幼な子。

その歩搖(ほよう)に合わせてコトコトと揺れる香炉は白い煙を

可愛らしい背中に送り出した。


内陣はみるみる重く甘やかな香気に満たされていった。

幼子はおずおずと年かさのニンフの顔を見ながら内陣を三度振り巡って帰ってきた。

香炉は皆に回され、各々がその煙でそれぞれの身を浄めた。


年かさのニンフはアクタイオーンに近づき一礼して手に持った香炉で彼の身を清めた。

そして丁寧に、「これから行われることどもは全て天界の秘儀でありますれば」と告げ、

「ご心配には及びません。女神様は少々お疲れでいらしたのでしょう。どうか、

暫く先ほどの水辺にてお待ち下さいますように」と促した。


彼は横たわる女神に眼をやって何かを告げたげに一歩踏み出したが、

何も告げえぬまま祭壇に向き直って、つねに祈りをささげた心床しい女神像に

深々と一礼して現身(うつしみ)の無事を祈った。


独り水辺まで下がった男を今しがたまで女神が履いていた金のサンダルが、

脱がれたときそのままの格好で待っていた。


「女神は必ずここに戻ってこられる。・・・・・・・」と、

泣き出しそうな顔で主の去ったサンダルを手に取って胸に抱き、

事ここに及んでもなお二人の間に峻厳(しゅんげん)(へだ)ての在る事を知り

、一人取り残されて(そば)近くに付き添えなかった悲しさから、

膝を折って肩を震るわせた。


今わが身を包む慕わしい絹のガウンとそのぬくもり、

己を深く愛してくれていることをはっきりと確信させた嬉しいぬくもり、

それゆえに女神を独り石の床に横たえてきたことが一層悔やまれて、

心許(こころもと)ない不安から、ひたすら無事を祈った。



御旅所ではニンフたちによるひそやかな祈りが始まっていた。

この祭祀に際して選ばれたニンフは十三人であった。

一年に十三の月を改める女神につかえる者たちである。

祭壇に向かい整列したニンフたちは、改めて居ずまいを正し、

三度礼拝し、三度体を床に投げた。

そして、立ち直ると改めて肱をついて深く額づき、そのまま控えた。

 

年かさのニンフが独り立って祭壇に赴き、女神がこのたびの御幸(みゆき)(した)しく

(たず)えて来た梓弓(あづさゆみ)(うやうや)しく()(いただ)いて下がってきた。

彼女は静かに弓に(つる)を張り、その張力を(あらた)めた。

そして、


    「「四方山(よもやま)(まも)りと(たの)む 梓弓(あづさゆみ) 

      (かみ)(たから) と 今調(ととの)えてん」と(もう)すことを 

      ()(まつ)払戸(はらえど)大神(おおかみ)集侍(うごな)はれる

      祝部等(はふりら)たち、諸々(もろもろ)(きこ)しめせと()る 」


(とな)え挙げて、その場に控えた。


(しば)しあって、改めて威を正し、胸元近くまで弦を引き矯めて、虚空に向けてそれを

放った。弦は音太(ねぶと)く「ブン」と響いた。


弓は三度び(はじ)かれ、三度び唸った。


峻厳(しゅんげん)なその響きが天井に吸い込まれて消えると、

(はし)に控えるニンフが声をあらためて、


    み()らしの 梓弓(あづさゆみ)の 長弭(ながはず)の (おと)すなり 

    朝狩(あさか)りに 今立たすらし   暮狩(ゆうか)りに 今立たすらし 

    み()らしの 梓弓の 長弭の 音すらし 


と古歌の詠った。


年かさのニンフが再び弦を強く引き放った。

天上をねぶる厳かな響きに、控える者達がくぐもる声で低く「をーー」、と応えた。


三度び弦は引かれ、三度び声が応えた。


弓を自らの座に按じた(くだん)のニンフは、再び祭壇に向かい、供えられた

アレトゥーサの聖水を恭しく高く戴いて下がると、横たわる女神の(かたわ)らに進み、

(かじ)()にそれを受けて女神の唇に注いだ。


そして恭しく拝礼をして立ちあがると、今度は祭壇に進み、そこでも同じように

神像の唇に注いだ。

そして、恭しく天を仰いで、


    うぶすなの神の(みや)()

    たたなづく(みづ)青墻(あおかき)

    遠々(とおどお)し(ひな)磐座(いわくら)

    (つが)の木の いや()ぎ継ぎに

    天の下 ()さし(まつ)りし 

    天津(あまつ)(こと)(だて) 

    その言立(ことだて)も はや

    

    神ながら 

    神さびいます姫神の

    すさぶる(こころ) 滾つ身に

    (まど)い さ惑い

    遊離(ゆり) 揺られ 

    天津言立

    ゆら 失ひてん

    

    (うご)()はる

    (みづ)郎女(おとめ)

    たまきわる (いのち)(とうと)

    白栲(しろたへ)の 斎草(ゆぐさ)()()でて 

    御魂(みたま)()き 

    魂招ぎなさむ

    (みづ)郎女(おとめ)ら   

    


とを申し上げて、


    「皆ここに控えおります

    どうか、心安くお鎮まりくださいませ

    ただ今よりお迎えにまいります」


と、神像を拝した。




年かさのニンフは祭壇に恭しく拝礼の後、弓を戴して再び登壇して、

同じく女神の持物(じもつ)である十三個のブルー・サファイアとルビーを

あしらった首飾りを高く戴いて、それを弓の末弭(すえはず)に懸け垂らして、

皆に示し、左右に「ゆらゆら」と振り揺らかした。

 

それまで慎んで額づいていたニンフたちは静かに立ち上がって、

揺れて澄んだ玲瓏(もゆら)を響かせる玉の緒を見上げながら、

それぞれの身を緩やかにゆるやかに揺らしはじめた。

そして、誰からともなくさざめくように、慎ましやかに輪唱をはじめた。



一の歌  


     (あめ)の下

     (ひさ)しき御代(みよ)

     (しるし)にと

     神の命の

     頸懸(うなが)せる 

     玉の御統(みすまる)

     そよ

     あな玉 はや


十三人によって順々に輪唱されてゆく声は幾重にも内陣に響きわたり

、外にも漏れて水面(みなも)を渉った。

ニンフたちは輪唱しながらキトンの裾を花のように咲かせてクルクルと旋舞したのち、

歌い終えた者からゆるやかに静かに舞いを収めて各々床に伏していった。


年かさのニンフが首飾りを恭しく祭壇に奉安しなおして、元の座に帰ると、

改めて濃く没薬は継がれて、弓の弦が三度び響いた。

太くねぶる弓弭の響きに伏し控えていたニンフ達が一斉に、


     「をーー、  をーー、  をーー」


と地の底の磐にも届けとばかり、長く低く応えた。

    

男は何事も聞き漏らすまいと耳をそばだてた。

伝わってくる荘重な響きに動揺している心は次第に鎮められてはゆくものの、

事の次第が見えぬだけに不安はそのまま重く心を支配していった。


暫く静寂が辺りを支配した後、弓の弦がまた三度び引かれて、

それに応える警蹕(けいひつ)が低く響いた後、各々が立ち上がり、

ゆるやかにまた旋舞して輪唱してゆく・・・・



二の歌  次第一の歌に同じ


     あめつちに

     きゆらかすは

     さゆらかす

     神わかも

     神こそは

     巫女(きね)きこう

     きゆらならば


歌い終わって、暫くの沈黙の後、再び弓は引かれて三度び「おーー」と

答えて立ち上がり、三番歌を緩く輪唱しながら再び丁寧にしめやか

に旋舞をはじめる



三の歌  次第は同じ            


     少女(おとめ)ども

     少女さびすと

     唐玉(からだま)

     (たもと)(まき)きて

     少女さびすも



四の歌  次第は同じ


     神なれば 

     ゆらら  

     さららと降り給えへ

     いかなる神か 

     物恥ぢはする



五の歌  次第は同じ

     


     いかばかり

     よきわざしてか

     天翔ける

     神の御魂を

     しばしとどめむ

     しばしとどめむ



ここまで歌い終わったとき、

先ほどらい女神と神像に廻されていた白和幣が外されて、

細く紐状に裂かれながら皆の手に渡された。

皆はその細い白和幣を揺ら揺らと振って、自らも揺れながら舞い、

再び歌い始めた。



六の歌  次第は同じ


     いかばかり  

     よきわざしてか

     御魂(みたま)()

     (わか)やる(むね)

     (たま)ちとらさね

     御魂(みたま)がり

     (たま)がりましし

     (かみ)ぞ ()ませる

     神ぞ、きませる


     いかばかり

     よきわざしてか

     (たま)ちとらさね




美しく輪唱して次第に高揚して舞って・・・・、やがて謡い終わると、皆が一斉に

空中に白和幣を投げて遊ばせて、優しく手に戻して固く魂結びの仕草をした。そして、

逃さぬように、愛しむように「みたまふゆ」(御魂殖ゆ)と息を吹きかけてから、

自らの胸元にそっと納めた。


祭壇に向かい膝を折って皆が慎む中、年かさのニンフが独り登壇して、

女神の御腰のものである三日月に象られ白く透き通ったアラバスターの

短剣を恭しく戴いて下がり、横たわっている女神の顔の近くに進み出て、その短剣の

金瑠を施された(つか)(じり)を使って杜松の実の幾粒かを床に砕いた。

清冽な香りが女神の周りに立ち篭めた。

彼女はすぐさま祭壇立ち戻り、同じく杜松の実を祭壇に砕いて、座に戻り、吶吶(とつとつ)

秘めやかに、しだいに高みに向かう声で、女神の魂魄に語り掛けた。


    ふるえ 

    ゆらゆら ふるえ

    瓊音(ぬなと)も 玲瓏(もゆら)

    きゆらなれば 

    ふるえ 

    揺ら揺ら ふるえ


結ばれた白和幣が幼いニンフの手にする銀の()(まん)に集められ、

横たわる女神の元に運ばれた。

幼子は恐る恐る 「ひ ふ み よ いつ む なな や ここの とお、

とお と収めて、また、ひ、ふ、み」 と数え上げた後、

その華鬘を恭しく戴いて祭壇に向かい、登壇して、女神像の足元に納めた。

かくて、滞りなく「魂招(たまま)ぎ」を終えたニンフ達は、謹んで床に控えた。



神像から淡く仄めく光が床なる女神に降り注ぎ、零れ弾けて辺りに満ちた。

皆が喜び平伏する中を床なるディアーナはおもむろに蘇った。


(難字・異字 解説)

白和幣  梶の木の樹皮で作った白い和幣

三の歌  古代歌謡 雑歌(琴歌譜)より 

四の歌  同じく梁塵秘抄 「神ならば」より

二の歌・六の歌 これらは「十一月中寅日鎮魂祭歌」に倣う







   五十一番歌  目覚めた女神


目覚めた女神は普段の如くその神々しい姿を歩ませて自らの祭壇に赴き、

しずかに皆の方に振りむいた。


  「心配をかけました」


幼いニンフを呼び寄せて抱き上げ、その頬にやさしく接吻をしてあげてから、

一人ひとりに普段の美しい笑みを返した。


皆はほっとして、女神に会釈をした。


    「女神様が素足のままでいらっしゃる、 

    あら、大変、忘れて居りました。どういたしましょう」と、


年かさのニンフが慌てた。

女神は微笑をそのままに、


  「かまいません。そのままに・・・・・、後ほど、私が参りますから」


と、制止ながら、

皆をねぎらうように自ら進み出て一人一人に手を差し伸べて礼を言った 


はにかむニンフたちに取り囲まれながら、女神の表情からうっすらと微笑みが

消えていくのを年かさのニンフがすばやく察して、

皆に一旦引き取るように目配せをした。

ニンフたちはそれぞれ女神に会釈をして、庭の木々やカンパニュラや泉へと、

本来の姿に帰っていた。


女神は静かになった内陣をゆっくりと歩きながら、考えこんだ。


  「サンダルを脱ぎ忘れた水辺には愛しい人が気を揉んでいることだろう。

  私のこの身の火照りもいまだ収まってはいない・・・・・・。

  あの人とこれから・・・・・・・」


気持ちの昂ぶりに任せて、ゾフィーまでも巻き込んでしまったことは、

自身にも説明のつかない、もはや言い逃れの出来ぬ事実である。

それから眼を反らすわけにはいかない。

覚悟して、正直にアクタイオーンには話さねばと思うのだが・・・・・。 



  「 私はゼウスに願い純潔の守り神なって自身の身にも

  純潔を守り通してきた。 しかし迂闊にもエロースの涵養に堕ちて、

  こうやって奔放に過ごしてしまった。しかし、

  それはまた私自身の奥底に潜む年来の希求(のぞみ)の故でもあったのだ。

  

  まことに「魅惑的な涵養」であった。

  ああ、しかし、たとえそうであっても・・・・・・・・・」



女神は年かさのニンフを呼び戻した。


  「アレトゥーサを見かけませんでしたか。

  呼んできてくださらないこと。

  私が今すぐに会いたがっていると伝えてね」



年かさのニンフが奔った。


女神は、そっと外の様子を、とりわけ、彼のいる水辺を覗き見た。

彼には自分の目覚めたことを未だ知られたくなかったからだ。

暫く経って、恐縮した様子でアレトゥーサが女神の元にやってきた。

  

   「お待たせいたしました。」


  「久しぶりでした。

  相変わらず、お前は若々しく、綺麗だこと」


   「ご機嫌麗しゅうございます。ご無沙汰いたしました。

   このような時に留守を致しまして、誠に申し訳のないことをいたしました」


  「やはり、そうでしたか。

  イオニアの海が懐かしいのであろう・・・・・

  障りなく過ごしているの」


   「はい、特段なことはございません」


  「それは祝着です」



女神はアレトゥーサを奉安室に伴った。


  「さて、急ぎ来て貰ったのは、他でもない。お前も懐かしかろうと思って、

   ほら、其処に横たわっている子の顔を覚えているでしょう。

   そう、あの可愛らしいゾフィーです。

   お前の泉のおかげで、こんなに美しい肌を持つ子に育ちました」


   「あら、本当に。 

   お優しそうな面立ちで、女神さまとそっくりではございませんか。

   本当にお美しくお育ちになられましたこと・・・・・・

   あの心優しく利発なゾフィー様が・・・・・・」


  「アレトゥーサ、聴いて欲しいことがあります。

  今は詳しく話す余裕は無いのですが、掻い摘んで話します。

  とても悩ましいことなの。

  少し相談に乗ってください」


と、言いながら女神は奉安室から静かに歩みでた。

アレトゥーサも従った。

女神は内陣を行ったり来たりしながら、アクタイオーンとの次第、

そのためにゾフィーをここへ呼んでしまったこと、そして、

そのことで自身が混乱をしてしまっていること等を正直に話した。


そして、最後に少しはにかんだ様子で、

今でもこの恋心を愛しく大切に思っていること、しかも、今もその男に強く

惹かれていることを訴えるように話した。



   「なんと御可愛そうな女神様。

   ああ、でも私になんの妙案がございましょう。


   大神エロース様はすべての神々に先駆けてお生まれになられた

  「夜」と「風」の申し子でございましょう ! 

   

   女神様がたとえご自身の神性の普遍を志されても、

   彼の神の「涵養」からは逃れられるものではございません。

   これはこの宇宙に漲る真性な「(ローメー)」によって惹き起こされた

   「お心の受難」なのでございますから。

   

   きっと、お優しい女神様がそのお方を「愛しい」と思われて眼を細められた

   その瞬間を「大神エロース」は見逃さなかったのでございましょう。

   いったん身に添うた「エロースの涵養」を気強く、無視できるお方など

   居られましょうや」



  「されど、このままでは・・・・」



   「申し上げるまでもございませんが、「エロースのご意志」は強靭で

   その導く先は往々にして苛酷を迎えることもございますようで・・・・


   されど、人間界との交わりに先例が無いわけではございません。

   事実、お父君ゼウス様がそうでございましょう。

 

   フェニキヤの姫エウロパ様を恋慕われ、白い牡牛にまで変身なさって

   思い遂げられたではございませんか。

   また、アルゴスの姫ダナエ様とは、黄金の驟雨に身を変えられてあの

   エチオピアの姫君、お美しいアンドロメダ様と連れ添われたペルセウス様を

   もうけられたではございませんか。

   それぞれ後の世の繁栄の(もとい)となられました。

   

   アクタイオーン様は、わたくしが(さか)しらに申し上げるまでも

   ないことではございますが、オリンポスでは貴方様の甥御様の御子

   となられますし、エウロパ様の御縁すじにあたられます。

   女神様にとっては誠に床しいご縁と申せましょう。

   ですから、天界と人界の隔てにお悩みになられてご自身をお責めになられるこ

   とがおありでも、オリンポスの皆様がとやかく申し上げることはございません。


   この度の出来事は女神様の心からなる発心を見抜いた「エロース様の涵養」に

   他なりません。どうか、あまり深くお悩みくださいませんよう。

   もちろん、私は女神様が大切になさっておられる、ご自身の神性を汚すような 

   ことをお勧め申し上げておる訳ではございません。



  「ありがとう、よく判っています・・・・」



   「それにでございます、それほどまでに愛しいとお思いのお方ならば、なお、 

   このまま別れてしまわれたら、女神様のそのお優しいお心は後々まで後ろ髪惹

   かれたまま必ず後悔の日々を過ごされましょうし、アクタイオーン様に於かれ

   ましてもきっと、自責の念重く、心をお痛めになられて、いつまでも貴女様の

   お姿を求めて、山野を彷徨われることとなりましょう。

   それとも、このまま、お命をお召し上げになられますか・・・・・・・・」



  「命と、・・・・・・・確かに天の定めは過酷です。

  このままでは、私は苛烈な神にならねばならなくなります。

  それも、私に責めがありながらです・・・・・」


 「どうか、共に想いをお遂げ遊ばされませ・・・・・。

 それと、思いますに、このお(やしろ)を御建てになられたとき、確か、キプロスの 

 王ピグマリオン様に彫像をご依頼なされたでは御座いませんか」 



「いかにも」



 「きっと、アクタイオーン様はピグマリオン様と同じ尊いお心をお持ちなので

 はありませんこと・・・・・。御自分で理想の女性ガラテアの像を彫られて、

 出来上がったその彫像に恋をなさったという・・・・」



「ガラテアに・・・・・・、いや、まさしく そのように私を・・・・・・・」



   「わたくしなどが申しあげることでは御座いませんが・・・・・

   人を恋する心は何ものをも押し退けて、真っすぐに向かうもので御座いましょ  

   う。そして、気づかぬうちに心は身から離れて止め処なく高揚して、生き死に

   を超えた世界を彷徨うものでございましょう

   ・・・・・遣る瀬無く、せつなく・・・・・・・


  「アレトゥーサ、貴女・・・・・、 ひょっとしたら、貴女も・・・・」



   「はい、女神様、私は女神様のお近くに伺候させて戴いてより、女神様を理想 

   と仰がせていただいて生きてまいりました、あの、忌まわしい事件までは。  

   河の神アルペイオスの執拗なまでの追跡に戸惑う私を女神様にお救い戴き、こ 

   こで(かくま)っていただきました。

   されど所詮長くは隠れ(おお)せませんでした。

   私のくみ上げる泉はいずれ大河に向かいますゆえ・・・・・・・・。


   正直に申しあげます、お察しくださいませ。

   私は今は狩の好きなだけの女ではないのでございます。

   アルペイオスは女神様の留守を良いことに時々忍んで参っておりました。

   最初は死ぬほどイヤで御座いましたが、日の経つにつれ、言葉を交わすうち

   あの者を遠ざける心持が薄れ出し、いささか心許すようになって参りました。

   元来、あの者はエーリスにおいては尊崇を一身に集める大河の神でございます。

   ゆくりない出会いとは申せ、あの男は心に一本筋を持った偉丈夫(いじょうぶ)

   ございました。

   留守を致しましたのも、あの者の普段をもっとよく知りたくて、こちらか

   ら忍んで様子を見に出掛けていた故でございます。

  

   私こそ今はお傍に(はべ)ることすら(はばか)られる「思い」のうちにおります。

   これも、私奴(わたくしめ)の心を見抜いた「エロース様の涵養」と申せましょう。

   それゆえ、女神様のお心が・・・・・・」



  「ああ、気づきませんでした。后妃ソフィアを慰めるためとは申せ、お前を一人

  ここに置き去りにして済まないことでした。

  私の傲慢(ごうまん)な独り()がり、尊大な無思慮から、お前を・・・・・

  それに、お前の説諭(せつゆ)、心に沁みました。

  お前の忠義に心から感謝します」


 

   「説諭などと、とんでも御座いません。まことに畏れ多いことでございます。

   正直に申します、・・・・・今は少し己が愛おしく思われておるのでございます」



  「そうでしたか。お前のほうがずぅーと大人ですね」


女神は面映(おもはゆ)そうに微笑みながらアレトゥーサを静かに抱擁(ハグ)した。


 

アレトゥーサも女神の優しい眸に胸の(つかえ)を下ろし、心から安堵して、天性である

いつもの明るさを取り戻した。

やがて彼女は奉安室にゾフィーを見舞い、掛け布の乱れを整えてやりながら、

やさしく手をゾフィーの肩に置いて、


   「御魂(みたま) (やす)けく 

   ゆらゆらと

   木陰のどけく

   さやさやと

   (みづ)亜麻布(あまぬの) 

   さわさわと 

   安くい()さね 

   見るその夢さえも」


と、風のようにゾフィーの耳元で囁いて彼女を深い眠りに誘った。






五十二番歌  ぎこちない会話


力なく腰を下ろして男は憔悴(しょうすい)しきった面持ちで水面を見つめていた。

銀の砂子をまいたような水面からはすずしげな風が吹き渡っていた。

吹く風に誘われて顔を上げ、気掛かりな方を振り返ると、

あわやかな光がお旅所からこぼれ出るところであった。


   「ああ、お戻りになられた」


男は女神のサンダルを懐に立ち上がり光の歩み行く方角めがけて駆け出した。

光の本体はお旅所を出て斎庭を抜けて水辺へと向かっていた。


   「ああ、女神様・・・・・・・」


男は喜び勇んで、まっすぐ光に飛び込んでいった。


  「来てくださったのね、

  お待たせをして・・・・・」


綻ぶ微笑みを向けながら照れくさそうに女神は言った。


  「ご心配をかけました。もう大丈夫です。

  そなたにはとても心配を掛けてしまって、本当に済まないことでした。

  このまま少し歩きましょう

  ・・・水際の砂がしっかりとした感覚を呼び起こしてくれるまで・・・」

   

   「お気の向くままに・・・・どうぞ、お手をください。

    いささか足元が見えづらくなりだしています」



女神は自身の動揺の収まりを確めるべくゾフィーの足跡を改めて探した。

立ち止まっては辺りを透かし見るような仕草で水際を目で辿りながら・・・・・


  「ゾフィーには正直にすべてを話しましょう。

  私自身には「私」が・・・・・・」


自身に言い聞かせ終えた彼女は、スックリと背筋を伸ばして本来に戻っていった。

そして男の眼を優しく見て、小さく(うなず)いてみせた。

男は女神の足元に膝まづいてサンダルをその清らかな足先に添えて、

整った愛らしいそれぞれの指先の砂を払った。


   「本当にもう よろしいのですか・・・・・」


  「心配には及びません。長い勤めの後ゆえ少々疲れが出たのでしょう。  

  それに、そなたと、とても(たか)ぶるひと時を過ごしたゆえ、

  身も心も砕けてしまい そうになったのです・・・・・。

  でも、もう心配には及びません、私は、もう、大丈夫です」


   「それは よろしゅうございました・・・・・・・・」


間柄がいっぺんに遠のいて仕舞ったかの様な、ぎこちない会話となってしまって、

親密な言葉の零れ出る話しぶりをもはや忘れてしまったかのように、

二人は黙りこくって対岸へ眼を彷徨(さまよ)わせた。


女神には判っていた、先ほどまでのアレトゥーサとの主従の会話をそのまま

ウッカリ彼にまで、 それに自身の心の内の戸惑いを未だ整理し得ないまま。


男も一旦途切れた親密さをどう回復してよいものやら、女神の言葉の()はしに

探しあぐねて、その糸口すら(つか)みかねていたのだ。

勢い二人は沈黙したまま目の遣り場を探し合って対岸に聳える磐肌(いわはだ)辿(たど)りついた。


沈みゆく太陽の放つ神々しい光彩が屹立(きつりつ)するその断崖の西に面した磐肌を

雄雄しく金色(こんじき)に浮き上がらせて、その一方で北の肌をただ平滑(へいかつ)

墨一色の世界へと塗り潰してゆく・・・・・、

まさに光と影の創り出す玄妙な光景が現出しはじめていた。


影と輝きの主であるアポロンは大勢の豊旗雲(とよはたぐも)を従えて豪奢(ごうしゃ)

日輪を(ぎょ)して西の頂を越えていった。

二人は眼を見張るそのスペクタルを放心の呈で見惚(みと)れた。

   

辺りには(すず)やかな風がそよぎだしていた。

空は(あや)なす金色(こんじき)から菫色(すみれいろ)へと(とき)を移して、

やがて細くたなびく彩雲(さいうん)が夜の星たちを迎えに出かけていった。


   「ああ、何年もここへ通いながら、

   このような目映(まばゆ)心惹()く光と影をしみじみ  

   と眺めたのは初めてです・・・・なんと神々しい・・・・」


  「そうね。なんだか天界の音楽を聴くような荘厳でリズミカルな

  アポロンの歩みでしたね。

  それに、たとえ夏の日は長かろうとも、此処からそなたの城までは

  (いささ)かありましょう、殊更(ことさら)に日の暮れを待っていては

  道にも迷おうというものです」



  「はい、まことに仰せの通りでございます、女神様・・・・・」


と、わざと慇懃(いんぎん)に返事を返して(かしこ)まる男、

女神もそのおどけた機転(きてん)に素直に心解(ほぐ)して、「ほっくり」と微笑んだ。


  「随分、遠回りをしましたね、私達」


   「はい、でも、私の(のど)にはまだぎこちなさが(から)まっていて、

   遠慮気味(えんりょぎみ)な言葉し 

   か出てきません。でも正直に申します。

   私の心は先ほどまでのように、今すぐにでもその胸に飛び込んで、しっかり

   と甘えたいと叫んでいます」


  「あら、そんな眼をして、こわいこと、でも、

  どうーぞ、遠慮のう・・・・・

  あら、まあー また、私ったら・・・・・」


もうすっかり打ち解けた二人は再び肩を寄せ合って水辺をしばらくすずろ歩いた。





五十三番歌 独り言


辺りには淡やかな夜が訪れはじめていた。

男は刻々と輝きを失ってゆく空に残る光の影を見上げながら、

いささか安堵(あんど)の胸をなでおろしていた。

一方の女神は胸に手をあてて(うつ)ろう雲に視線を送りながら、

またも己自身の想いの中に帰っていった。


  「アレトゥーサに此処を任せっきりにしていたなんて思慮のないことでした。

  ゾフィーたちがここを去ってから、十歳(ととせ)余りが経とうしているのだもの・・・・・、

  本当に迂闊(うかつ)でした。時々狩を共に楽しんではいたけれど、

  あの子の悩みを聴いてあげる事もしなくて・・・・・、

  まさかアルペイオスの執拗(しつよう)な恋心が、一刻にせよ、まだ

  あの子を恐がらせていたなどとは・・・・・・。

   

  そういえば、この人を最初に見かけたあの夏の日も、

  彼女を誘ってこの森で狩りを楽しんでいたのに・・・・・。

  ああ、お前をここに呼んで無理に住まわせたことは、私の独り善がりな、

  恩着せがましい所業でした。改めて詫びます。

  それにしても、ほかにも大勢のニンフ達が此処には居るはずなのに・・・・、

  今日もあんなに来て呉れていたものたちが・・・・・」


それぞれに、それぞれの思惑があり、それぞれの思いも異なったまま、各々(それぞれ)が

自分と(つな)がっているのだと、つくづくと思いみる女神であった。


アレトゥーサは、それはそれは美しいニンフであった。

女神はこのニンフの生来の明るさを愛でた。

それに、狩においてもなかなかの腕の持ち主であった。

そのためにかえってこの(ひな)びた森では同じニンフ達からは間を置かれ、

(ねた)みを買い、孤独に過ごしていたのではないかと、(まこと)不憫(ふびん)に思われた。


  「お前の心の内をその美しい容貌(かんばせ)に観ることもせず、

  ただ、お前を(たよ)って独り()がりの遊びばかりに引き回して、

  お前の悩みなど何一つ聴こうともせず節穴のような眼を見開いたまま、

  無思慮に過ごしてまいりました。

  約束します、お前にはお前の希望に添った心からの手伝いをして差し上げます」 



 「どなたとお話をなさって居られるのですか」



  「え、 ああ、ごめんなさい。

  なんだか独り言がつい出てしまって・・・・・」

   


女神の考え事の邪魔(じゃま)をしてしまったと咄嗟(とっさ)に気づいて、

慌ててその場を取り(つくろ)う男。

  

  「あら、また、お行儀の良い子に返ってしまったのね。 でも、いいわ。

  もう、日も暮れました。本当に今日は楽しかったこと・・・・・、でもね、  

  これから美しい夜が来ます。もっと貴方と楽しみましょう。

  先ほどの豪奢(ごうしゃ)な夕暮れが私に豊かな夜の過ごし方を気づかせてくれました。

  そう、 そうしましょう。きっと楽しい夜となることでしょうから」





  五十四番歌  (あえ)の庭


女神はそう言うと、お旅所の方を向いて、手を(たた)いた。

すると、幼いニンフがいまにも転げそうになりながら一心に駆けだしてきて、

チョコンとお辞儀をした。

女神はその子を抱き上げて、耳元に何やら(ささや)いた。

幼な子は「きらきら」と瞳を輝かせ、何度も(うなず)いた。


女神の手から滑り降りたその子は、また懸命に走ってお旅所の石段を

よじ登るように中へ駆け込んでいった。


歓声が上がった。

暫くすると華やいだ声とともに、大勢のニンフ達がてんでに荷物を抱えて、

昼間二人が(むつ)み合った棕櫚(しゅろ)の木陰へとむかっていった。

ニンフ達はもうその時点で、お祭り騒ぎであった。



  「なんと、気の早いこと、もう、あんなにはしゃぎ回って、

  あの子達は本当にお祭り好きなのよ。

  さあ、貴方も参りましょう」



女神はアクタイオーンの手をとって、ニンフ達の後につづいた。

そして、幕舎(ばくしゃ)の前まで来ると、手を挙げて、皆を静め、にこやかに周りを見渡して、

先ほどの幼子を探し出して、抱き上げてその赤いほっぺにキスをしながら、


  

  「皆に申します。

   今宵は星満ちる浄夜です。


  皆にも声をかけ

  それぞれに衣装を()らして

  夏の夜を

  (たの)しむことと致しましょう。


  さあ、今宵は、(うたげ)ぞ 」



 歓声が上がった。

喜びは野山に木霊して、四方にひろがって、到るところ、(いわ)の陰から、

林の奥、(こずえ)の先へと伝えられた。


幕舎の天蓋は玉座を示す蜂の文様に改められ、二人の(しとね)は一回り大きな

ゆったりとしたピンクのベッドに造り換えられた。

その上に群青(ラピスラズリ)の絹に銀の三日月が縫取(ぬいと)りされた

大きな()(もた)れが置かれた。そして同じデザインながら抱え込めそうな

可愛らしいポックリとしたピローがそれぞれ二つ、肘掛用(ひじかけよう)として副えられた。

群青は女神のこよなく愛する色である。


 

ベッドの左脇の卓上には銀の大皿にめくるめく豊穣な果実が盛り付けられ、

右脇のそれには大きな花盛り(かご)が飾られた。

そしてそれらを鮮やかに照らし出す銀のランプがピンクの天蓋(てんがい)

支えている四隅の柱に(かざ)された。

やがて会場の至る所に大きな篝火(かがりび)が焚かれ出した。


女神は男に今のうちに汗を流してくるようにと促がして、幾人かのニンフに荷物を

持たせて西の泉に「案内(あない)するように」と指示をした。

そして、微笑んで「すぐに私も参ります」と告げた。


男を見送った女神は木立の先の斜面に生える大きな石榴の古木を背景にした

「瑞の磐座」にむかった。手馴れた数人のニンフによってその苔生(こけむ)した磐の

手前に白木の祭壇が設えられて、狩猟紋(しゅりょうもん)を織り出した絹の薄布が敷き延べられて、

石榴や桃といった夏の供物が盛られた。

その祭壇脇の地面には新たに土が運びこまれて円く盛り土が造られて、

その中央に若いオリーブの若木が「神の()(だい)」として建てられた。

ここは女神を祀る神籬ひもろぎとされたのである。


見上げると石榴の木のその先の斜面には、今を盛りのアカンサスが、大きな葉を

幾重にも繁らせたモスグリーンの群落を広げて、幾百本もの花穂をピンク色に

咲き誇らせて、夕映えの消えてゆく北東の斜面に淡い花のカーテンを構築していた。

斜面を下るわずかな風でもあるのだろうか、その白く(かす)んで見える花穂の集団が、

試みに(かな)でられる(ゆる)やかな舞曲(ガボット)にあわせて同じ方向に

次々と揺らめいて、浮き立つ祭りへ期待を伝えてきた。



  「綺麗(きれい)(よい)だこと。「(あへ)の庭」にはとても良くってよ」



(いそ)しんでいるニンフたちに声をかけながら、準備の次第を見守る女神。


祭壇の両脇には篝火が焚かれて、その火影(ほかげ)(つや)めく絹の敷物に

供物の影を赤く(なず)ませて、祭壇全体がほのめくように地面より浮き上がった。





   五十五番歌  女神自身を祀る神籬ひもろぎ


宴に際して女神は自らを斎姫(いつきひめ)として「自らの魂を祭る」神籬を立てたのだ。

即ち、女神の三種(みくさ)の宝(「梓弓」「玉の緒の首飾り」「短剣」)をこの神籬に

「自身」として祀り、それを(いつき)(まつ)る斎姫に「自ら」がなったのである。

これには深い神慮(しんりょ)であって、また、実に尊く稀有(まれ)なことであった。


女神はまず磐座(いわくら)に矢の仕込まれた(えびら)を横たえ、

それに持たせ懸けるように梓弓(あづさゆみ)と短剣を(あん)じて、

それら全てに(わた)るように玉の緒を()()らわした。


次に磐座(いわくら)の手前に新たに()えられた白木の(うてな)に香炉を据え、

自らが火を()りだして乳香を焚き()べ、(にへ)としてニンフが恭しく

差し出した、未だ血の(したた)る雄牛の睾丸(こうがん)を石の皿もろとも

天に示して、祭壇中央に(そな)えた。


次に女神は自ら石榴の木に赴き、一番豊かに膨らんだ実をひとつ()ぎ取って、

祭壇に戻ると、供えた睾丸にその未だ若い実を手ずから()()って()え置いた。


祭壇は整った。

女神はこれら神籬(ひもろぎ)の空間を「聖なる庭」と為すべく、

自ら「ふーっッ」と息を吹きかけて浄めた。


全てが整ったことを見定めてから、女神は低く地に伏して静かに神籬に正対して

深々と礼拝して、低く口籠(くちご)もる声で真言を捧げ、實寶(みたから)を讃え、

言壽(ことほ)いでから、また、(うやうや)しく拝礼した。

そして、そのまま何やら思案顔(しあんがお)で神籬を見詰めていた。



 ニンフ達は女神の未だかって見たことの無い不可思議な行為(おこない)に驚き、

(いぶか)かって、互いに顔を見合わせたが、それもほんの束の間、

やがて大きな(アン)(フォラ)から葡萄酒(ワイン)を注ぎだし、

あるいは肉を焼き、あるいは花で凝らした舞台を(しつら)える、

といった各々の分担に立ち戻って、これから始まる賑々(にぎにぎ)しい(うたげ)

(とどこお)りの生じぬように余念(よねん)()らした。





   五十六番歌  初めて二人きっりになれて


女神は皆をねぎらい、一旦その場を離れ、アクタイオーンの待つ泉へと向かった。


男が案内された先は西に少し奥まった高みにある、いつも見慣れた、

時には狩の汗を流しもしたあの小ざっぱりしたプールの在る泉であった。


男は少し火照(ほて)った身をゆったりと水に沈めた。

大理石で囲んだ、彼にはやや浅いそのプールにはもうすっかりと暮れた

頂から心地よい夜気が下りてきていた。

身を浮かせてプールの縁に頬杖(ほおづえ)をついて見下ろすお旅所には

篝火が至る所に明るく揺らいでいるのが見えた。


プールからあがると恥じらい顔のニンフが現れて「お背中をお流しいたしましょう」と、

サイカチの実を漬けた洗い桶を差し出した。

適度な泡立ちを見せるその琥珀色(こはくいろ)の液体からは、

女神から香り立っていたのと同じ薔薇の精が立ち昇った。


石に腰掛けた男の背中は白く浮き立って、若いニンフには眩しい(たくま)しさであった。

サイカチの液に浸した亜麻布をその眩しい肌に上下して、顔を赤らめ気恥ずかしそうに

洗い始めたニンフの真剣な肩に、遅れてきた女神がそっと手を添えた。

ニンフは驚き振り返って、慌てて(うつむ)いたまま後ろに下がった。

女神は「ああ、つづけて・・・」と言いつつもその手に亜麻布を受け取っていた。



  「では後は私がやりましょう。どうぞ皆のもとに戻って楽しみの仕度をなさい」


女神は改めてサイカチの桶に布を浸して、アクタイオーンの愛しい背中を洗った。


  「本当に頼もしく引き締まって綺麗な肌をなさっておいでね」


と、真顔(まがお)で見つめて、泡に隠れた腰の周りに水をかけながら、

ニンフが足元の灯りにと据えていったランプを手にとって、

美しい肌の清まった様子を照らし検めた。


 「もう、どなたも其処には・・・・・」


  「私達だけです、・・・・

   ・・・・・・・、

  少し汗をかきました。私もご一緒します。

  どうぞ、先に泉をお使いになって」


と、女神は(かたわら)(いわ)の上に(たた)まれた男のガウンを認めて、

自らも腰帯を解いて薄物を肩から(すべ)らせて、そこに並べ置いた。

そして、胸元隠す淡い絵姿(ポーズ)水際(みぎわ)()いた。


男の眼を避けるように片膝をついて水を汲みとる胸元が、

脇の下から豊かに(ほころ)(こぼ)れて、

小首傾(かし)げて肩に注ぐ水が背筋を奔って豊かな腰の峪に消えてゆく。

肌理(きめ)細やかな肌に水は一瞬透明なヴェールを広げるのだが、

すぐに弾かれてすばやく玉と変じて、縷々(るる)と奔って峪影(たにかげ)に消えた。


男はプールの縁に腰を掛けてお旅所の周りを忙しげに行きかう松明を眼で追いながら

女神のあわやかな行水(ぎょうずい)の風情をその視界の端で()ていた。


すべての所作がしなやかなだけに、その(かも)しだす柔らかな情緒は

(まこと)に眼に熱かった。

男は肌に触れて流れ落ちる甘く心をすずろわす水音にさえ恋情を覚えながら、

今初めて二人きりになれたことに気付き、それ故に目撃している豊かさに

情意の視線を(あつ)く向けて、一層萌()え立って、

すぐにも抱き寄せたい強い衝動に(ふる)えた。




                   桜桃(くちびる)()沈檀(べに)(あわ)

                   翠鬟(すいかん)(あま)やかに(くず)れて(おとがい)(めぐ)り 

                   (ましろ)(かいな)(いだ)くに(まり)二つ

                   ああ、閑娜(かんだ)たり(やなぎ)(こし)


                     


男の熱い視線に女神は女神でその期待にどう応えようかと胸を高鳴らせた。

身をプールに沈めようと立ち上がった女神は(いささ)かぎこちなくて、

思わず足を()られて男に(すが)った。(あや)うさを手と手で支えあった

二人は共に奮えていた。

ためにベーゼは深く長く交わされ、滾りだす情けに(むせ)びあった。

(あや)しく(ほの)めく二つの影は泉に浮き沈んで、

其のままいつまでも離れようとはしなかった。



  「もう、そろそろ行かなければ・・・・」



と、女神は火照(ほて)った身を自ら引くように水からあがってゆく、 

男も「仕方ない」といった風情で後につづいた。

    

  「其処に新しい衣装を用意させました。

   私もそれに改めます」


   「これも、貴女が・・・・・・」


  「夜も共に過ごせればと思って・・・、さぁ、早くお召しになって、

  皆、私たちを今か今かと待っていてよ」


ランプひとつの乏しい灯りの中で女神が後ろから羽織らせてくれたとき、

それが昼着と同じ(えり)のゆったりしたガウンであること、

それにこれもやわらかなスベスベした絹であることが知れた。


女神はランプで男の足元を照らそうとした。

男は慌ててランプを女神の手から奪い

「それはアベコベです」と、

女神の足元にサンダルを(そろ)えた。


射しかけた灯りに燃え立つアザミの華がいかにもゴージャスに咲いていた。

二人は互いの足元を気遣いながら、睦まじく寄り添って斜面を降りていった。

途中からは多くの松明に出迎えられて、やがて華やかな道行となった。


(難字・異字 解説)

 桜桃に注す沈檀は淡く 以下 南唐公主 李煜(りいく) の詩より




   五十七番歌  鄙辺(ひなべ)の者たち


会場にはいくつも篝火が焚かれ、すっかり準備は出来上がっていた。

二人は皆の歓呼に迎えられ、会釈しながら奥へと進み、やがて神籬を背にして立った。

女神は手を上げて皆を鎮め、そして、にこやかに話しかけた。


  「まあ、綺麗に調ったこと !  

  皆 ご苦労でした。

  本当にありがとう。


  お越しの皆さんに挨拶をいたします。

  今宵こうして集って下さって本当にありがとう。

  久しぶりですね。

  皆さん、お変わりなくて。


  こんなに美しい「浄夜」に皆さんをお招きできて、共に過ぎ行く夏を愛惜しむ

  ことができますことをとても嬉しく思います。

  どうか、今宵は大いに楽しんでください。


  さて、私は先ほどこの(あへ)の庭に神籬(ひもろぎ)(おこ)し、

  私自身の心を祀りました。

  そして、私は「私の心の本来」に祈りを捧げました。

  どうか、皆さんも私の祈りの(かな)うことを願って下さい。

 

  それと、皆さんも、もうお気づきでしょう・・・・・・、 

  私の愛する人を皆さんに紹介します。

  共に祝福を受けたいと思っているからです。

  どうか私の喜びに心から合一してください」



(さざなみ)のようなどよめきとともに歓呼の声が周りの丘に木霊(こだま)した。

どれほどが集まったのだろう、ニンフや妖精たちだけではなかった。

森中の精霊や魍魅(すだま)のすべてがやってきたといった感じだった。

それぞれがそれぞれの作法で神籬を拝して、二人に祝福の挨拶をした。


神殿の脇に控えているあの赤松の精が先ず、


   「女神様、ご無沙汰でございました。

   アクタイオーン様には、初めてご挨拶申し上げます。

   それ、すぐ其処の老松の爺でございます。

   どうか、お見知りおきくださいませ。

   女神様、この度は、洵におめでとうございます。

   今日は私めにとりましては、思いがけぬことばかりで、

   えーと・・・そのー・・・、

   お懐かしいお(・・)にもお会いできまして・・・・・・

   忘れずにお声まで掛けてくださり、とても、嬉しゅうございました。

   また、こうして皆とこのような(あへ)の席にお招きを戴くなど、

   長生きはするものでございます。

   洵に洵に、おめでとうございます」


と、慇懃(いんぎん)に挨拶をした。 


この挨拶を皮切りに、次々と丁重な挨拶がつづき、

その都度女神は優しく(ねぎら)った。

辻のくねに立つ()の木の精などは

「先だって、通り(すが)りの旅人に一本杖を杖替わりに・・・」と

(びっこ)を引きながらやって来て二人を寿いだ。



女神はそういった鄙辺(ひなべ)の者たちにも優しく手を差し伸べて、

その皺枯(しわが)れた頬にキスをして優しく語りかけた。

その脇に立って同じく挨拶をうけながら男は皆の祝福の眼の温かさ、

その親密さに驚き、感激し、そして涙がこみ上げててきた。



   「女神は「二人を祝福して欲しい」といった。

   女神自身の心を祀った神籬の前で・・・・

   ああ、これほどの喜びがあるだろうか

   俺はここでこうして皆に祝福されている・・・・・・・」


男は自分を見失ってしまうほどの喜びの大きさに次第に戸惑っていった。

その想ひはすぐ自問の言葉となって胸中を駆け巡った。


   「アクタイオーンよ、お前は神ではないのだぞ

   お前は人間ではないか・・・・・どうしてここに居るのだ

   お前は考えたことがあるのか、いかに不遜なことであるかを。

   お前が今仕出かしていることは決して許されることではないことを。

   よくよく慎め、

   己の分をよくよく心得よ」


周りが華やぎ浮き立っている中、男は思いあぐねて惝然(しょうぜん)と神籬を見つめた。


   「女神が希望し祈ってくれていることに嘘があるわけではない。

   だが、自分は神にはなれないのだ。

   それにたとえ人間のまま愛し合えても、自分の器量があまりにも女神の御稜威(みいつ)

   にそぐわな過ぎる・・・・・・女神に恋をした初心な時はもう過ぎてしまった。

   いや、現実となって、喜びに充たされて、ここまで来てしまっている・・・・・

   ああ・・・・・」


やがて、主だった者たちの挨拶を受け終わった二人は美しい玉座に導かれた。

宴の始まりである。

幼いニンフ達によって角杯(リュトン)が二人に運ばれてきた。

女神はそのリュトンになみなみと注がれた美酒(うまざけ)を天に示し、

地に傾けて施したのち、皆に高々とそれを示した。



  皆に幸いの多おからんことを!

   

   女神様に栄光あれ!


(難字・異字 解説)

魍魅   山林・木石の精気から生ずるという人面鬼身の怪物

打擲   打ち叩くこと

嫋嫋   長くしなやかなさま 風のそよそよとふくさま

酺宴の院 天子から賜う宴の庭

婀娜   女の美しくたおやかなさま







   五十八番歌  サマルカンドの星屑


まず、料理を()せた銀の大皿が二人のもとに運ばれてきた。

そして、取り分けて盛るための銀の高坏と皿、美しいロータスの華を染め抜いた

幾種類ものナプキン、手水を張った玻璃の鉢 等々・・・・・・。

 

幼いニンフ達は種々の料理を二人の意向を確かめながら美しく高坏に

盛り付けたりして、いかにも女神の(かた)わらに居れる事が嬉しげで、

甲斐甲斐(かいがい)しく動き回った。

女神は放心した様子で見惚れている男を観て優しく微笑んで声を掛けた。


  「驚いたでしょう、こんなに大騒ぎになってしまって・・・・・・。

  今日は特別よ。皆がこんなに集まってくれるなんて、私自身、ちょっと

  驚いているの。

  それに皆が貴方を喜んで迎えてくれたことが、もっと私はうれしいわ。

  きっと、貴方の日頃を皆知っていたのね。そして、

  貴方が私にとってとても似つかわしい人だと判ってくれているのね。

  さあ、貴方と私のために杯を挙げましょう。」


男は女神の華やいだ微笑みに応えた。そして、


   「私は今、何がどうなっているのか、自分がどこに居るのかさえ

   判らなくなっています。ただ、貴方のお傍である事だけは確かなのですが。

   そして、貴女が私を皆に紹介してくださったことが、どう申してよいのか

   ・・・・・もう、唯々嬉しくて、ありがたくて・・・・・でも、恐れ多くて

   ・・・・どうしてよいのか・・・・・

   ああ、、もう泣きだしそうです。」



  「泣いちゃダメ!  

  判って、泣いちゃ駄目よ。 

  皆に知れたら大変、とても冷やかされてよ。

  それより、少し召し上がれ、あの桃以来何も口にしていないのだもの、

  もう、とっくにお腹がすいているはずよ。

  正直に言いましょう。私はもう、お腹がペコペコです」



「そうでしたね」と男は気を取り直して、女神に明るく顔を向けて


   「胸がはちきれることばかりで、お腹を(すみ)っこに忘れていました。

   今では眼の方までお腹を空かしてしまって、

   どれから選んで良いのか判らぬ始末です。」


と、甘えて見せた。

それを見て女神は殊のほか優しい笑みを浮かべて、



  「あら、可愛そうに、では、私が(えら)んで上げましょう。 

  その高坏(たかつき)をこちらにくださらない・・・・・、

  

  さあ、先ずはこれ、貴方の唇の恋人、初夏の妖精、赤く熟れたサクランボよ、

  これより北にあるアナトリアの大地が育んだ恋の(さきがけ)です。

  貴方の指先できっと震える私の思い、貴方に差し上げる私の赤い心です。

  

  次は、遥か東、インドやシャムの、そのもっと東の海に浮ぶ、蓬莱(ほうらい)という島の  

  山奥にひっそりと熟れた “ヤマモモ”です。 

  これは私の吐息(といき)。貴方を慕って隠れて()らした私の甘い酸っぱい吐息。

  わたしの乳房の先で一人寂しく熟れている吐息です。

  どうか優しく含んで上げて・・・・・・


  あら、ここに在ったわ。

  このサファイヤ・ブルーの葡萄の房はサマルカンドの砂漠の果で採れた星屑(ほしくず)

  珍しい種なしの葡萄、浄められた夜にだけ実を結ぶという神秘な果実。

  私の頬を幾夜も()らした寂しくも嬉しい涙の(しずく)、切ない恋のひと房です。


  それにこれこそが、私の喜びです。

  貴方と最初に口にした私たちの宝物、今は確かな思い出となったあの桃の実です。 

  笑み熟れた豊穣、貴方の理想、私の母性、(むつ)みし肌の形見・・・・・


女神は男が止めなかったら何時までもそうやって(えら)び続けたのではないかと

思われるほど心豊かに男に(すす)めた。


   「ありがとう御座います。

   でも、貴女こそ、お召し上がり下さい。

   でなければ私だけが(いただ)くわけにはまいりません。

   お心だけで、もういっぱいです」


  

  「えー、わたくしも戴くわ」



女神もしなやかな指で熟れた豊穣を選びとり口に運んで美味しそうに眸を綻ばせた。

天人のたおやかなその仕草に楽の音が添うようにゆるやかに奏でられて、心から和み、

(ゆた)けく頬食(ほほば)晩餐(ばんさん)の時が流れていった。




   五十九番歌  うてな に匂いたつ天女


女神手ずからのガウン。艶やかなターコイズブルーのガウン。

それはそれはピンクの玉座に良く映えて、シックな群青色の大きな背凭れとの対比も

見事で、彼女のまろやかな胸の膨らみを一層豊かに魅せ、みなぎる臀部(でんぶ)

よりおおどかに地母たる女神本来をさりげなく皆に示して美しく華やいだ。


男の方もターコイズブルーの絹地に、女神のそれと同じく、唐草の縁取りが金糸で

襟元から身頃そして裾までと、流れるように施されてあった。

その前身頃にはサンダルのモチーフでもあったアザミの花が、

あたかも燃え上がる(ほむら)のように、しかも抑制(よくせい)された深紅の

色使いで刺繍(ししゅう)されていた。

また、腰帯は黄金色の地に濃いピンクの細い(しま)が三筋通って(あお)

露草(つゆくさ)の花がその縞の所々に刺しこまれて、これも女神とお揃いであった。



      宮人(みやびと)の 大装衣(おほよそごろも) 膝通(ひざとお)し 

      ゆきの(よろ)しも 大装衣(おほよそごろも)



女神は(くつろ)ぐ際に自ら腰帯を(ゆる)く解いた。

女神の姿態は寛ぐほどにほころんで水色の うてな に匂う様に溶け出していた。

皆に要らざる遠慮を解く様にとの思いやりを示した如何にも”天の(ひと) ”であった。


その綻んだ真夏の夜の女王は、(あが)める者たちを心ひたす愛の光で照らして、

(めぐ)る季節のすべてに微笑を分ち与え、祝福して、皆の生業(なりわい)

立ちゆくように豊穣を約束した。

皆は喜びに沸き立って、手の舞い足の踏む処を知らぬ呈で輪となって舞い興じた。


          この御酒を ()みけむ人は

          その(つづみ) (うす)()てて

          歌ひつつ ()みけれかも

          ()ひつつ 醸みけれかも

          この御酒の 御酒の 

          あやに轉楽(うただの)し ささ


         宮人の 大夜(おおよ)すがらに いさとほし 

              斎酒(ゆき)(よろ)しも 大夜(おおよ)すがらに



ある者は乞われるままに歌い、ある者は舞台に飛び上がり、

女神の招きを深々と感謝してから自らが属する(かばね)の伝える舞曲を

いかにも古拙な手振りで(ゆか)しく舞って見せた。


また、道のくねを守る(にれ)の木の精などはシャーマンよろしく、

腰蓑(こしみの)を巻き、足に鈴をつけて、髪振り乱し、大きな団扇太鼓(タンバリン)

叩きながら、天を仰ぎ地に伏して、幾度もこの地に押し寄せてきた(いくさ)

ありさまを、語り部よろしく声色(こわいろ)(まじ)えて、おどろおどろしく

踏舞(あらればしり)して、皆の血肉を大いに()かせた。


()ればむ男たちから逃げ惑う女達の嬉しげな悲鳴・・・・・・、あるいは、

さんざめく笑いの輪に突如飛びこんで、あられもない俳優(わざおぎ)に及ぶ男振(おとこぶ)りを、

(さか)しら娘が飛び出して、その卑猥(ひわい)な尻を打擲(ちょうちゃく)する、

といった(ひな)びた にわか狂言 等々、

まさに ”(あへ)(こと) ”には欠かせない 神楽、催馬楽など、

こもごもが繰り広げられていった。

・・・・二人は皆の(ほぐ)()れるさまを眺めながら、

その奇態な飄逸(ひょういつ)さに笑い興じた・・・・・



          ももしきの 大宮人(おほみやびと)の (たの)しみと

              打つなる(ひさ)は (みや)もとどろに



かくして典雅な狂気は薄闇にほころんで、夜は嫋嫋(じょうじょう)と更けていって、

やがて、自ずと女男(めお)睦み合う嬥歌(かがい)(にわ)へと変じていった。、

想い結んだそれぞれが、三々五々と暗闇へと消えていって、狂おしい魂魄(こんぱく)が、

野の末、山の端にまろげ(すさ)んで、切つなく木霊した・・・・


    ()くる想ひと 

    たぎる身の

    (こん)(はく)との 

    (すさ)む闇夜ぞ


    たまきわる 

    命滾(たぎ)らせ 

    睦みせし 

    ()(えん)(にわ)も 

    いつら昔ぞ


    (たま)ぞ飛べ 

    (はく)も砕けと 

    ()がり合う 

    嬥歌(かがい)(にわ)は 

    明けずともよし





宴は果てた。

飲み干された酒甕(アンフォラ)がそこここに転がって、

覚束ない千鳥足が(うた)いながら闇に消えていった・・・・・


             とうとたらりたらりら 

             たらりあがりららりとう・・・・・


                (ところ)千代(ちよ)までおはしませ

                われら千秋(せんしゅう)さむらはう


(難字・異字 解説)

みやびとの・・・ 古語拾遺より「大宮人が正装されて、膝の下までゆったりと

         お召しになって行かれるお姿はなんとご立派な」と云う程の意味

この御酒みきを・・・  日本書紀 応神天皇紀

ももしきの・・・ 皇大神宮儀式帳 舞歌 

         宮人・神官がひさごを叩いてとどろかせて愉しく宴会をする様子 

宮人の大夜すがらに 古語拾遺 雑歌 

         宮人が夜通し傾けるお神酒のなんと美味しいことか・・・程の意味



                                                                                                                                                                                       


   六十番歌  混濁した意識


女神は幼いニンフ達に囲まれてしばしの微睡(まどろみ)をピンクの繻褥に委ねている。

一方、男は独り目覚めていた。

さほど酒を飲まなかったせいでもあろうが、それ以上に、こうやって夢の世界を歩き

通してきた興奮が今も頭の芯を目覚めさせているのだ。

しかし、疲れていた。


燃え尽きそうな篝火が「カサッ」と小さく崩れて心許ない残り火を精一杯滾(たぎ)らせて、

背をむけて眠っている女神の引き締まった太腿の重たい曲線を浮かび上がらせた。


「ああ、ディアーナ」


睡魔(すいま)がその深い闇を開いてぼやけた思考を飲み込んでゆく・・・・


向こうの暗闇にピンク色の大きなベッドが一つポツンと浮かんで見えた。

眠い目をこすりながらよくよく見透かすと、引き締まった臀部がブルーの絹を

まとって横たわっている。

見ている視線が低いせいか、豊かなそれにつづく美しい太腿(ふともも)稜線(りょうせん)

際立って見えているだけで、その向こうにあるはずの肩中も(うなじ)も何も見えない。

自分は離れたベッドに独りいたのだ・・・・・


「一緒に横になっていたのではなかったのか」と、ぼやけた視界の中を

まるで泳ぐようなもどかしさを覚えながら男は女のベッドに向かった。

近づくと、嫋やかな臀部がピンクの波に浮いて一層円ろく漲ぎっていた。

しかもそれは男から次第に遠ざかってゆく。

男はあわてて泳いで追う。

見るからに魅惑する豊穣が一層匂い立ってピンクのベッドにしどけなく寛いでゆく。


女は寝返りを打つ。

やおら現れて、男の目を釘付けにする、けぶるデルタ。

やがて丘陵から伸びる二つの半島は弛緩(しかん)して、(ゆる)く開きだす・・・・


 「ああ、見たい」


ぎこちなく泳いでピンクのベッドに這い上がろうして、手を滑らせて水に潜る。

水底から見上げると、豊かな桃肌は水銀を纏って、たゆたゆと浮きながれてゆく。

白く美しい足首が目の前にやってきた。

男は慌てて手を伸ばして掴もうとするが、己の足がアマモにとられて身動きができない。

ああ、息が続かない・・・・・もがきもがいて・・・・・


男は目が覚めた。





   六十一番歌  春態(しゅんたい)紛として婀娜(あだ)たり


女神は群青のピローに深く沈んでいる。

静かに息を継いで横たわるたおやかな稜線は暗がりにおおどかに浮いて見えている。  

男はもっとよく確かめたくて、いったん退いて消えかかっていたランプに油を継いだ。

俄かに()きた灯りに幼いニンフが一人、また、一人と目覚めて、目をこすりながら

ベッドの縁から滑り降りてゆく。


男は神籬(ひもろぎ)の前にして感じた人間としての(わきま)えと

それ故にこそ恋慕う心の焦燥とがない交ぜになって、

ほとばしる春意を素直に前へ押し出すことが未だ出来ぬまま、

そのもどかしさに逡巡した。ために身じろぎもせずに眠る女をじっと見詰めつづけた。




                (あからか)

                (きはやか)

                (こまやか)

                (にこやか)に  

                (くさぐさ)(かたち)()れり

                

                干嗟乎

                ()んぞ(つつ)しみ(やわら)がざらんや



 想い決した男は立っていって、カーテンを引き閉じた。

もはや誰にも見咎(みとが)められることのない ”二人 ”だけになりたかったのだ。

女は太ももをゆるく寛がせ、甘く綻んで、無防備にあった。


                 繡床(しゅうしょう)(なな)めに()りて(なま)めかしさ()うる()

                 (みどり)繻褥(しとね)()らし春態(しゅんたい)(ふん)として婀娜(あだ)たり


男は己の(おとこ)を強く励まして、寝入る女の腰帯に手をやり、そっとそれを解いた。

薄明かりになずむ腹。安らかな寝息のうねり(・・・)。翠なすデルタの桃割れた陰。

潜むであろう究極。

男はありったけの春意(しゅんい)を唇に込めてひそやかなその渓谷にしずめていった。



不意を衝く熱い接吻(くちづけ)に、驚いてまどろみから醒めた女は、

嬉しい男のその漲った春意を悟り、柔らかく応じて、しかし、少し退いて、

優しく、その勇む炯眼()(なだ)めた。


  「あまり、お急ぎにならないで

  その清々しい瞳を一瞬(いっとき)に切なくしては ダメ・・・・・・・」


そう言いつつ女は焦る漢をとどめて、ゆるく身を起こし、強く男を抱きとった。

そして改めて緩やかに身を横たえて、我武者羅をその身に招いた。

その綻んだ微笑に、添い立つ気高さに、優しい声に、俄かの春意も臆しはじめた。



                 (しの)(きた)れば珠瑣(しゅさ)(うご)きて

                 (おど)ろき(めざ)銀屏(ぎんぺい)(ゆめ)

                 (かんばせ)(うる)わしく (えま)いの()()

                 ()()(かぎ)()(おも)いあり



(難字・異字 解説)

 潜び来れば   南唐公主 李煜の詩 菩薩蛮より





   六十二番歌  まなかいに もとなかかりて


おだやかな眼の逍遥に戻らざるを得なくなった男は、改めてその魅惑するもち肌の

緻密(ちみつ)に手を向かわせて、(たお)やかな起伏に視線を(すべ)らせていった。

恥じらい閉ざす太ももはゆるく組まれ、可愛らしい膝小僧から足先まで行儀よく

揃えられて、品の良い爪先が慎ましやかにはにかんでいた。

男はそのすぼむ爪先を(てのひら)に迎えて幾重にも口づけて

その愛苦しいそれぞれを舌に迎えた。


   「あーっ」


と、小さく驚いて足首をすぼめる様子を見ながら、あの出会いの時、抱き上げた

女体の揺れる足先に小さく緊張して震えていたピンクの爪先を思い出した。



   「あの瞬き、女神は震えていた。必死な突進に女神の膝は笑って、しっか   

   りと立つことさえできていなかった。

   あの時もこの可愛い指たちはこんな風にすぼまって砂を掴んで・・・・・」


 

男は出会いの一瞬に垣間見た愛しい女人のあられもない風姿を思い起こして、

切なくその爪先に口づけた。女は身をすくめて、 



  「あぁ、こそばゆいわ、

  ねえ、お願い、堪忍(かんにん)して、 

  ねえ、こっちへいらして・・・・・・・」



男は言いつけに従って慎ましやかに組まれた両脚の付け根まで戻って来た。

しかし、そこで男の眼はにこ毛なすデルタの佇まいに又も引き寄せられていった。


水際の残像の心地よい感興は一瞬にして消えて、あの”突進の瞬き”女神が左手で

覆い隠した犯すべからざるデルタのさまが、その指間から零れ出た濡れそぼつ

にこ毛のいかにも悩ましく挑発的だった様子が、そして、その時の股間を打つ

激しい情欲の記憶が、漢に熱い滾りを惹き起こさせた。


勇み振るえる初心な手は我慢しきれず熟れそぼつその草叢をすばやく盗み取って、

そのにこ毛なす水分(みくま)りの峪の、柔らかな唇を指先に探り当てて、

やっと躊躇(ためら)いを捨てた。


 今こそと心得た指先は闇冥の淵に妖しく潜む柔らかな”傷口 ”を探り当てた。

それはどの肌にも知り得なかった薄く切なげに潤んだあわやかな(ひだ)の佇まいであった。

その儚さを愛惜しむで抑制された指は、潤み立つ薄絹の在り様を一層気遣いながら、

優しく、そっと、甘やかに忍びこんでいった。



  「ああ、せかないで

  一瞬きにしちゃダメって言ったでしょう

  ねぇ、聴いてらして・・・・」



震え閉ざす股間を責めて、

初心な指先が薄絹に潜む丁香(ちょうこう)一顆(ひとつぶ)に触れ得た瞬き、

女は全身を強く(すぼ)ませて熱い吐息を漏らした。

情意の(まなこ)(まさぐ)(くる)う指先を退けて、

またもや自らが直に「観たい!」と叫んだ。


太腿に割り入った男の肩はもはや抗う神聖な手をも退けていた。


          まなかいに

          もとなかかりて・・・・・



想いたぎる眼と唇を向かわせる漢。 

まさに享けて恥じらう()()

嬉しく身捩(みもじ)しながら強く漲って、


  「ああ、だめ

  せっかちな方ね・・・・ 

  おねがい、そんなに強くしないで・・・・

  ねぇ、聴いてらして 

  もっと、そぉーと、やさしくして・・・・」


切なく喘いで彷徨う指を股間に沈む男の髪に絡めてゆく女。



   「えもいえぬ闇にして

   (ほのお)を呼吸するもの

   まさしく(とほと)く「在って」

   永久(とわ)に「淫ら」なるもの


   ああ

   天より賜りし

   無垢なる わざわい

   甘き 我が恋の牢獄(ひとや)


 

なゆ竹と(とを)む腰を嬉しく引き寄せて 漢はありったけの情意を伝えた。、

女は男のしてくれるそのそそる口づけを逃れがたい執着で迎えた。

果たして、彼女自身肉体の奥深くからせり上がってくる妖しげな褶曲(しゅうきょく)に、

忘我の海を切なく泳ぎさやいで、(うれし)(ほて)る敏感な花蕊(しべ)

いっそう深く(みだ)らなさえずりに探らせて、

自らは眉ね細く(おとがい)を反らせてゆく・・・・・・



  「ああ、

  私を(とろ)けさせる あなたの陵辱(わるさ)・・・・・・、


  でも、これは私が、

  ずっと俟っていたこと・・・・・・


  そう、 お願い

  やさしく そおーッと・・・・・」



 細やかに与えるさえずりにすすり泣く女の声が、(ひるがえ)って一層己の情欲を

鼓舞してゆく嬉しさに、(おとこ)は、ますます「今こそ」と心得て、

いよいよ懇ろに仕草していった。


今ははや悶え崩れてしどけなく身を喘がせる女は、あぎとふ息を整えたくて、

委ねた身を今少し開放してくれるように男のせがんだ。

甘やかに強請(ねだ)る女の声に、魅惑してやまぬ(しきい)に別れを告げざるを

得なくなった男は、汗ばんだ肌に唇を移して、ふくよかな胸元まで這い上がってきた。


そのまめまめしい帰還を待っていた女は愛らしいと自らも思う鞠の乳房に手を添えて

色づかせた乳首をツンと上向けて男に与えた。

艶やかに漲る鞠を嬰児よろしくわし(づか)んだ男は強くそれを吸った。


「あ、痛い!」と小さく声をあげて肩をすぼめたものの、

女はすぐにそれを与えなおし、狂おしく愛撫する手とその卑猥(ひわい)

唇の(すさ)びを妖しく覗きこんで・・・・・



  「 せっかちな人ね・・・・・

    こんなに一瞬()きにせつない思いをさせるなんて・・・・

    ひどいわ・・・・ 」



と、すがるように見つめて自ら唇を求めてきた。


  「 われはもよ 

  ()にしあれば

  ()()て ()はあらじ

  汝を()て (つま)はあらめ

  (あや)(かき)の ふはやが(もと)

  栲被(たくぶすま) さやぐが(もと)

  蒸被(むしぶすま) (にこや)(もと)


  ()玉手(たまで)

  玉手差()しまき

  (たく)(づの)の 白き(ただむき) 

  (あわ)(ゆき)の (わか)やる胸を

  そだたき

  (たた)き まながり

  (もも)ながに ()宿()さむを

  あやに な(こい)きこし


  男の応えて 


  (とを)肌膚(はだへ)も 

  うるむ目も 

  さやぐ(みどり)

  ひそむ()

  甘し

  目細(まぐわ)

  ()

  (くわ)


  さねかずら 匂ふ山蔭(やまかげ)

  ()もり()に (そぼ)(はなぶさ)

  月と陽の 若やる み胸乳(むね)

  桃割れて豊けきみ腰

  夢も うつつも

  忘らゆまじし 

  ()しくもあるか


また、歌ひて   


  懇ろに口こそ吸わむ

  柔くこそ

  乳はも揉まむ

  ゆたに

  たゆたに(とろ)めける

  (なれ)(うるわ)

  汝はいとけし              

  汝とこそ

  今ぞ()まかむ






   六十三番歌  許されて


(たか)ぶる魂は女神の肌の隅々にまで己が想いを左右(ゆきき)させて、

朱鷺色に匂い立った緻密(ちみつ)に切ない情けを伝えつづけた。

(やわら)(なご)んだ二つの魂魄(こんぱく)は互いの(ねんご)ろな

仕草に一層身を委ね合って繻褥(しとね)に沈んだ。


灯りの乏しさに気づいて立ってゆこうとする男に未練の手を差し伸べながら、

しげしげと見上げたその太腿は逞しく太い筋肉を魅せて、女に狩りで仕留めた

牡鹿のそれを唐突に思い出させた。

射止められて次第に筋肉を弛緩(しかん)させてゆく牡鹿の太腿の麻痺(まひ)の残像が、

眼の前の漲るその緊張の様子と二重写しとなって脳裏を()ぎったのである。

 

女はこんな時に妙な対比をする自身の醒めた感覚をはがゆく思い、

自らそれを(いな)び、微笑に隠して、男の戻るのを待って肌を強く押し当てていった。


漲る太まりを嬉しく探って身を起こした女は、その漲りを妖しく指で励ましながら、

男に横になるよう促がした。



  「ああ、

  貴方の切なさの住処(すみか)

  硬いのね、

  この硬さ

  女には無くてよ


  いいものだわ・・・・・・でも

  とても怖そう


  そのまま、横になってらして

  私の懇ろな想いを届けてあげる

  貴方の貴方らしい アナタ(・・・) に・・・・・・、

  

  ほら、

  こうして・・・・」



女はその太まりに上気した眼と甘やぐ指をすりよせて優しくしごいて勇気づけた。

そして、(すだれ)なす髪の狭間(はざま)から卑猥な唇を覗かせながら、

浅く深く懇ろに頬食(ほほば)むだ。

男は体の動きを奪われ、女の()てくれる そそりたつ恍惚にさやいだ。



   「唇の悪戯(わるさ)、しなう指の誘惑(さそひ)

   しなやかで柔らかく、なんと猥らで・・・・・・

   そうやって貴女が魅せるそのやさしくも、妖しげな卑猥さも、

   私には貴く、嬉しく、全てを見ています」



目覚めてしまったニンフ達は閨房(ねや)の様子を窺って、

せつなく喘ぐ声に自らも習うように声を潜めて闇の底で()れ合った。



思い滾らせて敏感に潤みたった薄絹に、自らも指を送って、その闇冥の様子を

そっと確かめる女の無意識の仕草を男は見逃さなかった。

熟れた女の手のゆらぎに一層漢(おとこ)は誘われて、もはや十二分に(みなぎ)った火筒を

自ら女の手に与えて強く(うなが)した。

女も妖しく手繰(たぐ)って、いっそう鼓舞して、蟲惑な眼で唇を求め、今こそと(うなず)いた。

  

極まり合う情意に女は自らを(もた)げて潤んだ()()の閨房に太まる嘶きを迎え入れた。

股間を深く押し当てた男は甘やかな花蕊の、その温かさをしばし身動きせずに貪った。

そうやっていると、心地よく包み込むでくれる花蕊から放出される何とも喩え様もない

「ほっと」した波動が恥骨から総身へと放散していくのが()れた。

それは愛する者から与えられて、全身に広がってゆく、「満ち足りた心の波動」とでも

言える、「許された者のみ」が知りえる「安堵の溜息」だった。



   「男とは皆こうしたものだろうか。

   この包み浸されて 情欲は一瞬股間を退いて、

   愛おしさ溢れる閑雅な深呼吸に充たされてゆく・・・・・・、

   これは果敢な申し出を受けとって貰えた 幸せな「ため息」 

   というものか・・・・・」






   六十四番歌  とても 素敵


許された「穏やかな法悦の瞬き」はすぐに消えて・・・

今こそと解き放たれた原初の雄哮(おたけ)びが花蕊の暗やみを強く(そそのか)した。

女は腰で受けて仰け反り、嬉しく(ひそ)むだ。

(まつ)わるように包み込む花蕊(しべ)の温かさに嬉しく身を(そよ)がせた漢は

初心(うぶ)に震えて(いなな)いた。



  「お願い、急がないで、

  もっと私に女を感じさせて

  貴方に犯されていることがどんなに

  嬉しいことか

  私の全てに教えて


  ああ、

  私の心は 喜んでいてよ

  譬え それが 心の役目だとしても

  こんなに 充たされた 喜びは

  どこにもないって 叫んでいるわ


  そお!、

  ああ、 良くってよ

  貴方の切なさ

  私を連れ去ってゆく

  その強靭な 

  意志(ナイフ) 

  

  ああ 

  とても 素敵・・・・・」



甘美な疼きが男の股間を熱くしてせり上がってくる

    


   「ああ、砕けそうだ

   しとどに肌めいた そのひとひらが、

   まるで、はにかむように

   すずろぐように

   纏わりついて」



むせび泣く女の顔を見ている内に、男は無償に愛しく思う強い感情が湧き起こってきて、

胸を篤く合わせ、口を吸いにいった。

そして、眼と眼を合わせて、より深く、より太く、ゆっくりと仕草して・・・・・

そうしながら、「嬉しいこと」と女神が囁いたその「 言葉 」を思った。


  「なんと正直な心だろう。

  そして、いかにも、今こそが

  この言葉は似つかわしいではないか・・・・・・・」



 女神は「嬉しいこと」の渚にすべてを投げ出していた。

「このために現場を捨ててきた」と言ってもいいくらい激しく鮮やかに

(おとこ)を感じて、よがり泣いている己自身を愛しいとさえ思った。



  「ああ、良くってよ


  ねえ、正直に言って

  本当は

  (みだ)らで卑猥(ひわい)な、

  こんな私が欲しかったのだと

  ねえ、そうなんでしょう


  そう

  これが貴方の作法ね

  私に忍びこんでする 

  あなたのいじわる、


  おねがい

  もっと

  ゆるく 重く

  ゆっくりと私の中にしとませていって


  そう、あなた(・・・) が

  とても よく わかってよ 」



もはや神は消え、芳しく昂揚した天女が其処に在った。


(たえ)なる高みへと誘う男の抑揚(よくよう)に豊かに腰を息づかせて、

一層狂おしく強請(ねだ)る女は、まろき乳房を大きくゆすって、

めくるめく()きの訪れを焦がれ待つ大輪の華と匂い立って、

まさに摩訶(まか)歓喜天(かんきてん)へと化身していった。


眼と耳と手の加勢を得た漢は奮い立ち、小刻みに震えて渾身の極みへと向かった。

女も手を男の腰に宛がって強くそれを導いて、その嬉しい角度を保たせて、

仰け反って、促した。


恥骨打つ硬直が花蕊(しべ)を誘って太く漲り、

闇冥の淵に向かって「今こそ」と強く嘶いた。



「 ああーっ、 すごーい ! 」



 俄かに湧いて総身に木霊する鼓怒(こど)の殷殷たる響きに、

腰を強く矯めて息を止め、股間をそぞろかす洶涌(きょうゆう)のうねりを

ひたすらにむさぼって、天台の女はまさに兜卒天(とそつてん)へと昇りつめてゆく。


眉間(みけん)(ひそ)め、(おとがい)を魅せて仰け反る女のよがりを

男は嬉しく眼で追いながら、共に満ち、共に極まった喜びに、

強く女を()きとって口を吸った。 


情欲の極みにこみ上げてくる「とめどない愛しさ」を素直に伝えあう目と目。



  「とてもよくってよ

  ああ、私、このまま落ちていきそう ・・・・・・・・」


男も力尽きて、綻んだ女の傍らにどっと崩折れた。

女は裊娜(じょうだ)の身をそのまま恍惚の海に横たえてしとどに潤んだ。


  

  「私の愛しい(ひと)

  奉げつづけてくれた真心

  応えることができた私

  そして、本当に喜んでいる私・・・・・・

   

  ああ、私はこの人とこうすることを

  ずぅーと望んでいた


  月の満ち欠けは必定

  今日はそう、私に潮は満ちたのだ

  面映いくらい(ほむら)むらんで

  喜悦の海を泳いで


  このことは素直に喜びましょう 

  この人とこうしたことを・・・・・・

  これは決して「エロースの涵養」のせいばかりではないわ 

    ・・・・・・・・・

  ああ

  わたし、これで生きてゆける・・・・・・」



女神は甘く疲れた肢体を繻褥に深く沈めていった。


男は熟れて伏す(たお)やかな丘陵を見やって、優しくその稜線に手を置いて、

そうやって、肩に冴え渡るあの漆黒の星にあり余る想ひを添えて優しく接吻けた。

それから静かに身を伸ばして枕元に打ち捨てられていたガウンを引き寄せて

彼女を労わるように優しく懸けてあげた。


調度そこへ控えていたニンフが軽やかなピンクの懸け布を届けてきた。

男はそれを受け取り、女神に懸けてやりながら自らの身もそれに潜り込ませた。


  「 ああ、ありがとう!」


   「 すこし、お休みください・・・」 


気だるく熟れた二つの堆積は淡く繻褥(しとね)に影を沈めて、

甘やかな余韻は(とも)るランプの灯に引き継がれて、

それもやがて一筋の白い煙となって消えていった。



(難字・異字 解説)

洶涌 水の勢いよく湧き出ること 波のたちさわぐこと 

兜率天 七宝の宮殿 弥勒菩薩が住まわれ、釈迦の化生に洩れた民衆を救う




   六十五番歌  繻褥(しとね)は冷えて


老松の梢の先がやや明るんで、湖の周囲に朝の兆しが訪れ始めた。

淡やかに射し始めた明けのたなびきがカーテンにうっすらと映えて、

次第に辺りが白みゆくのを女神は感じていた。

眠りは十分ではなかった。

意識もけだるさの海に未だ沈んだままである。

横には男の微かな寝息が聞こえている。


女神は華やぎ綻んだ自らの肢体をそっとなぞりながら、

満ち足りた火照りがいまだ甘く残る乳房(ちぶさ)を、

そのなごる疼きを、やさしく労りながらしだいに目醒めていった。


愛しいと思える柔かな鞠を薄絹の襟で覆ってあげながら静かに背凭(せもた)れに身を寛がせて、

朝のしじまに目覚め出す周囲の気配を(うかが)った。


 神と女の(はざま)を往き来しながら木々の影を幕紗の先にぼんやりと眺める女神。 

やがて、はっきりと目覚めた彼女は改めて視線を乱れた繻褥に落した。


今しがた迄二人に優しかった繻褥はすでに冷えて、乱れちぢれた(しわ)の織り成す

陰に熱い(たぎ)りの瞬きを思い浮かべて、その濃密であった睦みの痕跡(あと)

惜しむように繻褥にそっと手を滑らせながら眩暈(めまい)一瞬(ひととき)

面映く(しの)んだ。

そうやって蘇ってくる朝焼けの変容と周囲の目覚めの息遣いを感じながら、

寝入る男の満ち足りた横顔を見つめた。

  


  「久しい以前からこの男は私を呼んでいた・・・・・  

  今こうやって神であるわが身を投げ出して(むつ)みの苑に彷徨うことになったけれど、

  これは私自身の想いでもあった。

  けっして、この男の責めではないし、ましてや「エロースの涵養」故でもない。

  いや、わたしにとっては本当に「嬉しいこと」だった。


  この男の甘く一途な告白を聴いて()れたからこそ神としておおらかに

  過せて来たといえよう。

  この男の一途こそが私を気鬱の世界から救い出してくれたのだ。 

  ここのところの辟易(へきえき)の極みに苛立つ時も、

  独り気鬱の谷を彷徨っていた時でも、

  この優しい男の囁きがあったればこそ、そう、

  この男の真心を見つめ、期待する

  自身があったればこそ歩んでこれた・・・・・・・

  あぁ、でも、これから・・・・・ 」



こんな感慨は馴染みのないことである。


女神はめくるめく一瞬(ひととき)の抗いがたい受身の嬉しさの中で、

「エロースの涵養ゆえ」とは言い(つくろ)えない「切なる想ひ」を

自身の内に熟視()ていた


「自分は自分なりにこの男を愛し、望んで、自らこの男の青春に寄り添って

一緒にここまで歩いてきた」と、今は心から思えた。


心浸した睦の後にやがて来る抜き去りがたい未練と、

その仕出かしてしまった行為の後の想いを静かに独り思ひ熟視()る内に、

今まで事あるごとに悩み、思念してきた

「不明」の糸が次第にほぐれだしてゆくのを感じた。 

女神はやがて独り繻褥を離れ、清冽な朝の気韻に身をおいた。



男の覚めやらぬ視界に女神の柔らかな姿態がおぼろげに浮んだ。

と同時にぼやけた覚醒の感覚の奥に何やら薄ら寒いものが(よぎ)った。

だが、それはもう男にとってはどうでも良いことだった。

彼は恐怖を感じるには、あまりにも今見えている嫋やかな光景に心惹かれて、

肌を許し合ったことそれ自体が全てに思えていた。

男は横になりながら気付かれぬように薄目で女神の姿を追った。  



  「 いと花やかに、ここぞ曇れる と見ゆるところなく、

  (くま)もなく匂いきらきらしく、見まほしきさまぞし給へる。

  もの思ひに沈みたまへるほどのしわざにや、・・・・」


                                  

(たたず)む女人に漂う透明で上質な情緒に魅入りながら、

男は今はっきりと目覚めた。 

女神は柔らかな情感へと(いざな)う優しい絵姿で、(とうと)くあった。

男は惝然(しょうぜん)としてそれを見つめ、心からうっとりとした。


   「 ああ、なんと美しい方だ」



(難字・異字 解説)

 いと花やかに、以下   源氏物語 「初音」 より



   六十六番歌  命を賭して


男は女神の貴く美しい絵姿に見惚れながら、目覚めの時に心を過ぎった

薄ら寒さをはっきりと思い出した。


   「俺は女神を抱いてしまった 

   夢にまで見た憧れ、

   終生を捧げる向こう見ずな希望、

   そして、切なく愛しい青春、

   ああ、おれの全てであった女神を 

       

   永かった孤独は(いや)され

   何もかも()たされて、

   此処にこうしていることさえ、

   嬉しく誇らしく思えている。

   そして心は女神への愛で充たされている 

      

   女神を名指し、その神性を(けが)

   人間の分を超えてしまった不信心者 

  

   ・・・・・・・


   許されざるその俺が今は一層清々として、

   一層自由に呼吸しているではないか 

   これは、いったい、どういうことだ  


   天の掟が苛烈であろうと

   それはもう、俺の望むところ

   天に昇って、お傍近くに行こう

   あの方の気象のなかに生きていこう

       

   ああ、天翔ける鷲 アルタイルよ 

   忘れないでくれ

   秘かに激しく焦がれたこの恋心を、

   俺の切ない憧れをどうか永遠に伝えてくれ、

   幾歳月にわたって不屈であった俺の情けを・・・・・・・・・・ 

   

    ああ、 ディアーナ・・・・・・」  


   男は熟視する甘美な瞬きに浸った。



   女神の神性は男の覚悟を聴いていた。


  「なんと誠実なこと。

  この人は命を賭して私と向き合っている。

  この誠実は神のものではない、人ならばこそである。


  神は人に誠意を求め、罰を与え、時に苛烈(かれつ)憑依(ひょうい)するが、

  自らは責めを負うことは決してない・・・・・。

  神こそ不誠実なのだ・・・・・

  祀られれば苛烈に顕われ、忘れられればすごすご消えてゆく

  ただの気象(けはひ)にすぎないのだ・・・・・・。

 

  ああ、私は「女神で在る」ことを自身に義務付けて、

  その本念を省みず、ただ意固地なだけの生娘(おぼこ)だったのだ 」


女神は今さらに神の身の不条理が悔やまれた。


やがて、伏し目がちに歩み出した。向った先には静な水面が広がっている。

渚まで来た女神は視線を遥か遠くにやって、明けの靄靄(あいあい)たる映りを正面に受けて、

朝靄の白映むたゆたいの中に神々しい絵姿をおいた。


胸を打つその光景に男は女神の示してくれた愛情を思い重ねて溢れでる涙を

そのまま瞬きもせずに見惚れていた。


(難字・異字 解説)

 靄靄  雲霞の集まってたなびくさま





   六十七番歌  「眩しい光の渦」


女神はゾヒィーの足跡を湖畔に探した。

昨日、二人で見た足跡は、夜の狂乱がこの水辺にまで押し寄せたのか、

もはや見つけ出すことができなかった。

女神は悲しそうな顔つきで男のいる天蓋を振り返った。

男も女神が何をみていたのか、すぐに判った。


 あわやかな光に向かって男は走った。そして、そっと光の主に寄り添った。

女神の眸には潤んでいた。同じこの水辺で再び涙する女神のよくよくの想ひを

計りかねながら、男は小刻みに震える女神の肩にそっと手を回して、

胸元にしっかりと抱き寄せた。女神はひとしきり大きく肩を震わせて泣いて、

だっだ児のように男の胸を叩きながら・・・・・、



  「バカ、バカ、バカ、

  どうして私なんかを愛してしまったの

  どうしようもない おバカさんよ

  あなたは・・・・・・

  これからどうしようと言うの 

  私にどうしろと・・・・・」



   「ああ、ディアーナ

   あなたに何を求めることがありましょう。

   私は天の掟に従います。

   私は行くべき道を参ります。

   天高く飛んで

   あなたのお傍へ。  

   私にはその嬉しい覚悟があります。

   この今こそが、

   あなたが私にお与え下さった

   全き人生なのですから・・・・・・・」


   

男の真摯な訴えが女神の胸の内に眩しい光の渦を巻き起こした。

女神は心の内に秘めていた自身の想ひを今こそしっかりと見透すことが出来た。

そして、独り逡巡しながら悩み続けてきた思念をこの男なら判ってくれると核心した。


暫く深い沈黙が二人の間を流れていった。


女神はもはや泣いてはいなかった。


やがて、女神はしっかりと男と向き合った。


  「ありがとう アクタイオーン

  私も貴方を心から愛しています。

  貴方にこうして向き合っていると不思議と私は貴方に励まされます。

  貴方の真心が私を勇気付けてくれているのです。

  ああ、

  今、私は本当に幸せです。

  心から和んでいます、貴方の真心に励まされて・・・・・・・


  ねえ、少し歩きましょう」


二人は肩を並べ朝のさわやかなエーテルの中をゆっくりと水際を歩いていった。

女神は歩みながら複雑に絡んだ思念の糸のほぐれてゆくのを感じていた。





   六十八番歌  「かつて地上に信仰は在った」


女神は二人の間にある天界と地上との隔てを「今こそ」と自ら取り払った。

そして自らはこの空虚な神性を離れ、空しいと思える栄光に決別しようと決意した。

これは女神のかねてからの覚悟であったのだが・・・・・・


  「貴方にお話があります。

  これから私がお話しすることを決して驚かないでください。

  私が大分前から悩み考えてきたことです。しっかりと聴いて下さい。

  

  私はとても長い歳月を生きてきました。

  最初の記憶は、二つの大河に挟まれた豊かな大地の

  日干(ひぼ)煉瓦(れんが)の家並です。

  

  幾世代にも亘って愛を育んだ女たちが、それぞれ母として、

  また戸主として尊ばれ栄えたゆかしく美しく愛惜しい時代でした。

  其の地で「大地母神(だいちぼしん)」として崇められた女神

  イナンナこそ私の母なのです。

 

  女達は敬虔に崇める、産み育てる大地の土を手に取って、

  自らが想い描くイナンナの姿を心籠めて作り上げて、家の中に祭壇を

  つくりそこに丁寧にお祀りして、、豊かな実りと子宝とを祈り、

  つねに感謝と喜びを伝え、悲しみを涙と共に捧げ、

  その(あつ)い慰めを敬愛していました。

  私もその広大な慈しみの(もと)に長く育てられたのです。

 

  次第に世の中が開け地上が豊かになるに連れて富を巡って争いが多く生まれて、

  腕力のある男たちの威勢(いせい)が増して、徒党(ととう)を組んで境を限り、

  戦に明け暮れしだしたのです。

 

  当然女達は家の中に閉じ込められ、世事からも遠ざけられてしまいました。

  そんな時代、私の母も男たちによって大きなジクラット、すなわち神殿に

  慇懃(いんぎん)に祀りあげられて、男の神官にかこまれ、心ゆかしい女たちの

  庭内(にわうち)から遠ざけられてしまったのです。

  このバビロニアと呼ばれた王国とその男王の時代は長く続きました。


  私は自我の目ざめと共に「偉大な母」の元を旅立って、かつて在った

 「地上の愛」を母に代わって捜し求め歩き周りました。

  不毛の荒野を彷徨(さまよ)う永い旅の果てにエーゲ海とアドリア海に 

  囲まれた半島の緑豊かなアルカディアに落ち着いたのです。


  そこで私はアルテミスと呼ばれる女神となったのです。

  純潔を尊び、野山を愛し、出産を助け、産褥(さんじょく)に苦しむ女に

  安らかな死を恵み、家畜の繁殖を見届け、狩の恵みを与えて、

  慎ましやかに暮らす人々の永世を祈る素朴と向き合い、

  その希望の成就を祈って参りました。


  しかしここでも平安な日々はそんなに長くは続きませんでした。

  人々の往来が盛んになって、日々の営みが豊かになってゆくのにつれて、

  人々の心から「母なる大地」への素朴な「信仰」とその豊穣な力への

  「畏れ」が薄れていったのです。

  やがて、私も母同様に女達の身近から遠ざけられて慇懃(いんぎん)

  (うやうや)しく(まつ)り上げられて、最後にはオリンポスの眷属(けんぞく)

  まで迎えられたのです。

  そこでゼウスとレトを父母とするオリンポスの十二神の一人とされたのです。

  そして、やがてアナトリアのエフェソスに篤く祀られて、ご存知のとおり

  「偉大な女神」となったのです。


  そのエフェソスでは私は私自身を見失い、ただ安逸の日々を送ってしまいました。

  人々ももはやひたすら永生を願うだけの素朴な祈りを忘れてしまいました。

  そして年々膨れ上がる欲望をあからさまに隠そうともしなくなりました。


  「かつて地上に信仰は在った」・・・・・・、  

  そう、「かつて、在った」のです。


  今、地上から安寧(あんねい)は去り、(ひと)他人(ひと)

  (いつく)しまなくなりました。

  意味なく他人(ひと)を軽んじて(あなど)り、(さげす)んで差別して、

  然るが上に愚かしく己の存在を誇り、富に(おぼ)れ、しかも、悲しいことに、

  悠久から育み伝えた文化を(ないがし)ろにして、(さか)しらな文明ばかりを

  欲しい(まま)(もてあそ)んで。


  必ず訪れる滅びの時さえも忘れたかのように、唯々、尊大(そんだい)

  生き物に成り下がってしまいました。


  天に於いても真理は安らわなくなっています。

  尊大な人間が増えすぎたと懸念し、神々の間の争いをそのまま地上に

  反映させて、時には退屈凌(しの)ぎのゲームよろしく、アテナイだの

  トロイヤだのと人神入り乱れて戦場でまみえるなどと、後の世の語り部を

  執拗に惑わし、詩人の筆を大いに督励して、その書き遺す叙事詩(じょじし)

  修辞(しゅうじ)の華を添えるに嬉々(きき)として、好んで下界の悲劇を

  天界から覗き込んで、もの事を複雑にして、それをほくそ笑むが如く、

  己の自堕落(じだらく)に気づかぬ始末で・・・・・・・


  私はもはや自らの「存るべき姿」をオリンポスに見出せなくなっています。





   六十九番歌  「再生を果たしたい」


  今私の心を救っているのは貴方です。

  そして、昨晩集まってくれたあの心優しい者たちです。

  私は昨夜、貴方を迎える宴に私自身を祀る神籬を建てました。

  あの神籬(ひもろぎ)で私は「私の神性」即ち「私自身」に祈りました。


  私は貴方を迎えた暁にはオリンポスの眷属(けんぞく)から身を引く覚悟を決めました。

  私はオリンポスを退いて、貴方たちのもとに参ります。

  但しこのことを成就(じょうじゅ)させるためには超えねばならぬ

  大きな峰が幾つもあります。

  貴方の誠実を心の支えとして、私は超えて行けそうに思えています。


  昨日の宴には大勢が来てくれて、皆が私たちを祝福してくれましたね。

  なんと晴れやかで嬉しいことであったでしょう。

  皆は私の切なる思いを感じ取ってくれていたのだと思います。

  「再生したい、今一度無辜(むこ)の神として再生を図りたい」という

  私の気持ちを察して、そして貴方と結ばれたいという想いをも・・・・・

  皆の心に励まされた、本当に美しい「浄夜」でした」


女神は少し間をおいてから、この瀟洒(しょうしゃ)な神域を建てた経緯(いきさつ)

即ち、あの毅然(きぜん)と命を絶った后妃ソフィアのことやゾフィー即ち

エレナ姫のこと、それに忠義者のゾンネについて心こめて話した。

そして、アルメティオスの遠くを見詰める澄んだ眼のことも・・・・・・。


  「すぐにでも貴方をアルメティオスに引き合わせましょう。

  彼は貴方に広い世界について説くでしょう。

  そう、これは急いだほうが良いでしょう。

  彼はもうすでに高齢ですから・・・・・。

  

  それからエレナに会って貰います。

  これは私のたっての願いです。ゾンネも喜ぶことでしょう。

  そして、私は貴方をはじめ此処の者たちの祈りに扶けられて、

  女神としての本来の姿に立ち戻りたいのです。

  この静かな水辺であなた方を通して祈り続けたいのです。

  分かって下さるでしょう

  かの偉大なイナンナの娘であるこの私自身を、

  今一度太初よりのゆかしい地母神

  の神性を戴して生きとし生きるもの達と睦合う神として、

  「 再生 」させたいのです。 

  そのために、私は今一度 「荒野」を歩みなおさねばなりません。





   七十番歌  「貴方はもうお気づきでしょう」


  「アクタイオーン、私のかわいい人。

  よく私の顔を見てください。貴方がいつも見慣れた私の顔を。

  私は女神、本来、生も死もない世界の住人です。

  私の常はこのように眼に見えるような存在ではないのです。

  私はただ「在る」だけです。

  私は「心ゆかしい想ひ」に寄りそう「気象(けはひ)」なのです。


  私は貴方に会いたい一心でこの身を(まと)いました。

  これは私の仮の姿なのです。

  それこそ貴方がいつも見上げてくれた私、即ち、神像そのものです。

  お分かりですか・・・・・・・・・、

  

  あの、祭壇の神像は私が彫刻の名士キプロスの王ピュグマリオンに頼んで、

  后妃ソフィアの面影を丁寧に刻んで貰ったのものなのです。

  私は貴方にじかに思いを伝えたい一心でいつも貴方が見つめてくれた姿で

  貴方に逢いに参りました。

  貴方はまるでピュグマリオンが自ら彫ったガラテアの彫像に恋をした如く、

  石に彫られた私に熱く恋してくれましたし、心からその愛の成就をねがい、

  長きに渡って私を深く愛してくれたからです。


  (えにし)とはかくもゆかしいものなのですね。

  アクタイオーン、私の愛しい人、

  よく聴いて下さい。

  ゾフィー、いや、エレナ姫は今では后妃ソフィアの面影と瓜二つ、

  とてもそっくりに育ちました。

  その心根も立ち居振る舞いも、すべてに於いてそっくりなのです。


  此処までお話すれば、お気づきになるでしょう。

  私は、ソフィア、即ち、ゾフィーなのです。

  水辺を走っていったのはゾフィーです。

  そう、あのミシュア国の皇女エレナです。

  私が貴方に会わせるために此処に呼んだのです。

  エレナ姫は今神殿の奉安室で眠っています・・・・・・・。


  私の心の全てを、聡明な貴方はお気づきでしょう・・・・・」





  七十一番歌  私自身を「召し上げ」ます。


  「此処までお話できて、少し、心が落ち着いてきました。

  貴方にお話できたことは、私の覚悟が定まった(あかし)です」


話し終えた女神はしだいに女神本来の御稜威(みいつ)をあらわし、全てを恵み

全てを奪う神聖で厳かな面立ちに立ち返ってアクタイオーンと向き合った。


  「私は今をもってエフェソスの神殿を焼き払います。

  後の世の語り草になるほどの業火(ごうか)をもって、

  余す所なく灰燼(かいじん)に帰してしまいます。

  また、その全てを焼き尽くす業火を以って再生への浄火を(とも)します。


  先程も申しましたように、

  私自身は母イナンナの下に立ち返り今一度峻厳(しゅんげん)な荒野を歩みなおします


  私は今こそ私自身に「過酷」であらねばなりません。

  今ここに私自身を「召し上げ」ます。


  愛しい人、アクタイオーン。よく聴いて下さい。

  貴方は長い年月にわたって心から深く私を愛してくれました。

  私は貴方のその真摯(しんし)な呼びかけによって自らの心を久しい眠りから

  目覚めさせることができました。

  そして、自らすすんで貴方にこの身の全てを委ねました。

 

  お陰で私は自らが願った女神本来の「母性」を回復することが出来たのです。

  「大地と共にある母性」を貴方のおかげで・・・・・・。


  私はあのバビロニアの大河を渡ってから、永い世紀を幾つもの神殿に招かれ、

  祀られてきました。わたしの心はその間ずーと彷徨っていたのです。


  その彷徨いの中、素朴で温かな母性を、そう、女神の大切な心をすり減らし、

  文明の(さか)しらと結んで尊い命の喜びその謙虚さをさえ忘れ去っていたのです。


  私は累々たる廃墟(はいきょ)を見てきました。

  砂漠に埋もれてゆく城壁や疲れた(いくさ)がその荷駄(にだ)を引きずりながら

  砂嵐の彼方に消えてゆく光景を何度視てきたことか。

  私の眼にはもう泣きはらす涙さえ残ってはいなかったのです。

  誕生を寿(ことほ)いであげた子供たちの、

  その無念の死をも視てきたのですから・・・・・・」





  七十二番歌  「宇宙に漲る気」の体現者


  「 私は貴方と「愛しい想ひ」を交し合ったことで、

  無辜(むこ)の私自身に立ち戻ることができました。

  そして今こそ神性の寄って立つ「悠久の大地」に立ちかえることができます」


アクタイオーンは膝を折って女神の御稜威(みいつ)(こうべ)を垂れた。

  

  「アクタイオーン 私の大切な人、良く聴いて下さい

  私は貴方にとっては異界のものです。 

  事実、貴方は私を「女神」と呼んでくださったでしょう・・・・・・。

  

  そう、私は女神なのです。もう、二千年も生きてきた女神(おんながみ)なのです。

  「 (くす)しく(かしこ)き想ひの主、高く飛んで幽冥(ゆうめい)に出入りする

  ()むに()まれぬ霊魂(たましい)の持ち主 」なのです。


  (えん)あって私たちは出会えました。

  そして、心豊かに過ごせました。

  深く貴方に礼を申します。

  貴方なくしてこの「ゆかしい想ひ」を思い出し得なかったでしょう。

  

  私の大切な人、アクタイオーン 

  貴方達の持ち伝えるゆかしい神話を思い起こしてください。

  

  太初、先ず「在った」のは混沌(カオス)でありました。そして、

  広漠とした大地(ガイヤ)と霧の彼方にけぶる皧々たる奈落(タルタロス)が・・・・

  やがて、他の如何なる神々にも先駆けて不死の神のうちでも並びなくお美しい

  大神エロースがお生まれになられました。

  

  人も神も等しくこの大神エロースの翼の下にひれ伏す「(もとい)」が

  この太初の砌に「定まった」のです。


  私の母イナンナは勿論八百万の神々は等しく大神エロースの示される「宇宙の気」

  に浴しながら、冥獏たる時空の彼方から今日まで、人々と共に生きてきました。

  

  何故大神エロースが最初にお生まれになって、この「宇宙に漲る気」の体現者に

  なられたかを、今こそ審細に参究すべき時なのです。

  

  この神が私たち二人にお示し下さった「奇しく尊い想ひ」、「焔に立つ想ひ」に、 

  お互いに心をときめかせ、「切なさ」「遣る瀬無さ」を分かち合いながら、天と地

  との隔てをも突き抜けて交し合った「ひたすらな想ひ」こそ、まさに天地に隠れ

  なき「愛の神性」なのです。

  「人とこそ、神とこそ」と、互いに向き合える「床しい()()い」なのです。

  

  祈りの場を殊更(ことさら)壮麗(そうれい)に飾らずとも交し合える「ひたすらな想ひ」です。

  そして、この「互いを思い遣り、互いを信じ合うことで生まれた固い絆で結ばれ

  た私達「二人の経験」こそ、わたしがあなたに(のこ)()

  「大地の愛の在り様」なのです。

 

  「天」に「愛」があるのではありません。「地上」にこそ「愛」は充ちるのです。

  人と神は「契約」なんぞで結ばれるものであろうはずがありません。


  先程申しました如く、私はこれから、何故エロースが最初にお生まれになって、

  この「宇宙に漲る気」の体現者になられたのかを、改めて、この身を荒野に曝す

  旅の中で、深く遠くを見つめながら、審細に参究して参ります。

  

  そして、これから始める長い旅路の中で、貴方が誠実に私に示して下さった、

  「肉なるエロス」を突き抜けて(いつく)しみ育むだ「ゆかしい(エロース)」の

  在り様をこそ見つめてまいります。

  そう、私は貴方の下さった「愛の神性」に従ってゆくきます。


  私はこの「愛」をこそ全てを隈なく照らす「光」として崇めます。 

  貴方も世に光満る時はそこに私がいると感じてください。

  私はいつもあなた達を見守ってまいります。 

  貴方と貴方の愛する全ての者達の上を・・・・・・」


(難字・異字 解説)

御稜威みいつ 天皇の威光






  七十三番歌  「三種(みくさ)神器(たから)



と、そこへ、アレトゥーサが「失礼ながら」と駆け寄ってきた。


  「女神様、エフェソスが、あの壮麗なお社が・・・・・・」


  「 早速にありがとう。

  済まないが、お前はすぐに飛んで、皆の安否を知らせてください。

  特にアルメティオスとゾンネを気遣(きづか)って下さい。

  彼らには頼んでおいたことがありますから・・・・・

  出来れば、私が選びおいた巫女達も共に・・・・・・

  もう、お分かりでしょう、一切は私の意志なのです。

  「惜しむものは何もない」と彼らに伝えて、「火から退くように」と、

  くれぐれも「命を第一と心得て」と・・・・・・・

  さあ、急いで出かけて下さい 」


アレトゥーサはすぐさまエフェソスに向かった。

女神は峻厳な面持ちで遥かな虚空を見上げていた・・・・が、

しばらくして、元の柔和な笑みを浮かべてアクタイオーンを振り返った。



  「 これから少々にぎやかになります。

  その前に、貴方には、エレナに逢ってもらいます。

  これは私の心からのお願いです。

  無心に帰って、貴方の素直な心の眼を開いてあの子に逢ってあげてください。

  一切の不安は私が預かります。心静かにエレナに向き合ってあげてください


  今こそ、私は本来にかえります。

  貴方との逢瀬は今を限りといたしましょう。

  この稀有な一日を貴方の深い記憶の中の想いゆかしい闇冥(あんみょう)(ふち)(ひそ)めて、

  雄々しく揺るがぬ心の柱として、大切に仕舞い込んでください。

  私たち二人のことは、貴方に訪れる「やがての時」が来るまで、その時まで私が

  大切に預かります。

  そのために私は貴方と共に「聖なる水」をわが身にも灌ぎます。

  思うことあらば今伝えてください 」



   「私に背負えましょうか。あまりにも私は幼すぎます。

   それに、この期に及んでも、なお未練が・・・・。

   ああ、どうか私を今一度そのふくよかなみ胸に・・・・・

   そして、どうか私をお傍にお召しください。

   どうか、私の命を召し上げてください」


  「なりませぬ」


と言いつつ女神は歩を進めて、アクタイオーンを優しく深く抱いた。


そして、毅然として、


  「私のただ一人の思い人、愛しいアクタイオーン。

  私の我儘を許して下さい。

  私も貴方が愛しいのです、心から・・・・・


  しかし、今、私はこの後ろ髪惹かれる想ひから、退かねばなりません。


  この貴く「ゆかしい愛」に皆が等しく(ひた)される世の中を迎えるために、

  どうか、私と共に歩んでください。


  私の切なる願いを戴して、エレナと共に この地を、

  ”幾年生きるものたちが皆親しく仰ぐことのできる ”

  ”いづれの時代にあっても皆が己本来の姿を思ひ出す(よすが)となる ”そして、

  ”何者をも恐れず、何者にも邪魔されずに親しみを()めて祈ることのできる ”

  ”ゆかしく美しい処 ”としてください。


  お話したように、私は昨夜の宴に際して私の「象徴(かたしろ)」を

  神籬(ひもろぎ)(まつ)りました。そして、私自身が私自身の斎姫(いつきひめ)

  となって、その「三種(みくさ)神器(たから)」を奉祭(ほうさい)いたしました。


  すなわち、私の神性はあの「神器(たから)」に戻されたのです。

  今、それらは眠っているエレナの枕元にあります。

  もう、私は私には戻れません。

  それに、私はあの壮大な神殿に火をつけた張本人です。

  やがてはオリンポスの知るところとなりましょう。その責めは免れません。


  これからはエレナが「よく未然を()る者」となって皆を導くことでしょう。

  私が神として心から悩んだことを、心から希望したことを託せるのは、貴方達、

  そう、貴方とエレナなのです。

  

  貴方が今まで信じてきた「女神アルテミス」の神性をそのまま心の奥底に

  深く戴して、そして共に(ひた)された大神エロースの「 本願 」に

  心を添えて、どうか、此処に「ゆかしいアルカディア」を築いてください。


  私自身は自らに責めを負うて荒野に向かいます。

  その彷徨(さまよ)い歩む景色の中で大神エロースの示された「神性」の

  何たるかをいま一度しっかりと見つめなおして参ります。


  そして、必ずや貴方方の処へ戻って参ります。固く約束いたします。

  それまでの間、オリンポスを下野したとは謂え、神意を尽くして注意深く、

  荒波に漕ぎ出すこともあろう貴方達の行く末を固く見守り続けます」


  

アクタイオーンは敬虔に控えた。






   七十四番歌  エフェソス炎上 


   「アルメティオスさまー、 

   大神官さまー

   どこにおいでなのですか。ゾンネでございます。

   どうか、ご返事を・・・・・・・

   大神官さまー・・・・・・・」


ゾンネは燃え(さか)る火の中を大神殿の(すみ)から隅まで老神官を探し回った。

祭壇では大音響と共に神像を荘厳していた天蓋が燃え落ちて、

女神の白い象牙の肌が無残に砕かれ、(いただ)宝冠(ほうかん)

大理石の床に(ころ)げ堕ちた。


逃げ惑う阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中をゾンネは無我夢中で走り回って

老人を捜した。でも、見当たらない。

あまりの火の回りの速さにアルメティオスを見出すことが出来ぬまま仕方なく

内陣の先の宝蔵庫に走った。


昨日までの祭りの余韻(よいん)が未だ残る祭壇付近には壮麗(そうれい)な飾りが

あたり一面を荘厳していただけに、先ほどの天蓋(てんがい)の落下によって

(もたら)された業火によって一層激しく女神の像を火中に際立たせた。


あまりにも唐突(とうとつ)なこの出来事にゾンネは唯々驚き心は動転した。

ましてや日夜(あが)めていた女神の像の業火に激しく犯されてゆく

火炎地獄を目の当たりにするに及んでは、斎宮である身と心は千々に乱れ、

引き裂かれ、驚愕(きょうがく)して、言い知れず深く悲しんで、

「もはや今は」と果たさねばならぬ女神の思し召しに従うべく宝蔵庫へと

一目散に駆け込んだのだった。

幾重にも施された重い石の扉を閉め終えて、そのまま床にへたり込んだ。


この宝蔵庫はその天地および四方を分厚い石を組んで造ってあって、

かかる災難に備えて経典や女神ゆかりの重物を収め守るための重要な施設であった。

神殿の全てを心得ている斎宮ゾンネにしても、重要な祭事の折にしか出入りしない、

アルテミス大神殿でももっとも奥ゆかしい部屋であった。


中は真っ暗であった。


   「どうして扉が開いていたのかしら・・・・・」


暗い壁にランプをさぐった。

灯を(きり)りだして、そのランプに移して、暫く眼の慣れるのを俟っていたゾンネは、

暗がりの静寂を破る(しわぶき)を聞いた。

手燭に灯を移して、奥を窺うと、なんと、老人が経典を収めた箱に寄りかかったまま、

こちらを見ていた。


  「ゾンネか・・・・・」


  「はい、

   ああ、此処においででしたか・・・・、お怪我はございませんか・・・・・・

   お探し申しました。普段のお住まいにも参りましたが、

   もう、皆が逃げ出した後で御座いましたから、途中お会いする方々は

   どなたもご存知無くて・・・・・・・、

   

   ああ、それにしても、ようございました。

   でも、この俄かな出火は如何なことで御座いましょう・・・・・・

   至るところから炎が湧き出る感じで、

   なにやら尋常の火ではございませんようで・・・・」


   「うむ、御意思のように思えるのじゃが・・・・・」


   「女神様の・・・、やはりそうでしたか・・・・・。

   今朝早く女神様が明けの闇に御顕(おた)ちになられました。

   そして、貴方様をお連れして「共に湖に参るように」と仰いました」


  「全ては御意思のままに・・・・・・・」


  「お察しなされておいででしたか・・・・・。

   ゾフィーの出奔(しゅっぽん)もやはりお旅所に向かったということでしょうか」


  「多分のう・・・・・・、いや、きっとそうじゃ」


  「そのお言葉で一安心いたしました・・・・・・・。

   それに、今この神殿には女神様のご気象(けはひ)がございませんもの・・・・・

   お連れくださったので御座いましょう・・・・・・・きっと・・・・・

  

   さて、それでは私たちはこれから如何いたしましょう、

   何かご思案が・・・・・・」


      

  「ゾンネ、そなたにとって最も嬉しく晴れがましい時が来たのじゃ、

  判るか・・・・ゾンネ。

  ゾフィーじゃ、ゾフィーがエレナ姫に立ち返る日が来たのじゃ」


  

  「なんと仰いました・・・・・エレナ様に・・・・・」


  

  「そうじゃ、私にも未明の薄明かりの中、女神様は()たれて、こう仰ったのじゃ、

   

     「后妃ソフィアから預かった品々をゾンネと共に持ってきてください。 

      私は湖におりますから・・・・・・」と。        


   そのお顔はとても明るくお美しく輝いておられた。   

   あのような黎源(りょうげん)の火の(おこ)るのを視て私は悟り、

   女神のお心に従うべく、こうしてこの奉安室に参って、

   件のお品を探しておったのじゃ、が、やっとそこの(ひつ)の奥に

   これを見つけて取り出そうとして、手にしていた灯りを取り落として仕舞っての、

   こうしてマゴマゴとしている内に遅れをとったと云う事じゃ。

   はてさて、如何したものか・・・・・・・、


   此処には抜け道が無いわけではないのだが、

   それも図書館から地下を渉って通じておるのじゃが、

   その図書館すら今頃は火の海であろう。

   ここで暫く業火の収まるを俟つしかあるまい」



と落ち着き払い、

ゾンネを促がし改めて灯を興して、后妃の遺品を二人で確かめた。

それらは夜光貝と象牙でプロテアの華のモチーフを全面にあしらった、

そして今は幾分白らびかけた黒檀の筥の中に大量の乳香と共に大切に忍ばせてあった。


百合の縫い取りのある袱紗が先ず現れた。

これは皇女の誕生を祝って白百合の紋章を后妃自らが絹の袱紗に

縫い止めたものであった。

そして、それに包まれて后妃の遺愛の品々、即ち美しい胸元を飾っていた

真珠の首飾り、白魚の指を飾って柔らかに咲いた清楚なエメラルドの指輪、

そして、自らの命を女神に捧げたダマスカスの短剣、これは美しく慎ましやかに

七色の宝玉を廻らせた銀の鞘に収まったていた。

そして、それらの下から后妃自らがエレナ姫の名前を刺繍でイニシャルを

施した朱鷺色の絹の産着が現れた、これは当時嬰児エレナ姫に着せられて、

ゾンネに託されたときの懐かしい感触そのままであった。

そして、后妃がゾンネに遺したユリのペンダントと外套も亜麻に包まれてでてきた。

老神官と斎宮ゾンネは懐かしい日々を思い起こして共に目を潤ませた。


老人に託されたという女神のご意思をゾンネは今はっきりと悟った。

  

   「ああ、俟ちに俟ったその時が参りましたのね・・・・・。

    女神様が私にお約束下さった その時”が・・・・・・。  

    さあ、こうしては居れません。さっそく女神様にお願い申しましょう。

    きっとこの窮状をお察しくださいます」・・・・・・と、


ゾンネは暗闇に向かい、一心に念じた。



アレトゥーサが神殿を見下ろせる丘陵まで来たときには眼下は至る所火の海であった。

大神殿はもちろん、迎賓館も図書館も、ましてや深い堀に囲まれた女神の常の御座所、

白亜の奥宮ですらも、摩訶不思議な紅蓮(ぐれん)の焔が渦を巻いて横走っていた。


呆然と立ち尽くすアレトゥーサの眼には、女神の瀟洒な神殿の傍らで

高く(ひるがえ)っていた赤松の空を撫でるあの緑が、

今まさに松明と燃えあがるのが見えた。


   「ああ、どうしましょう」


気を執り直し丘陵を駆け下ったアレトゥーサは、

そのまま燃え盛る大神官の居室に向かった、が、もはや手遅れ、

周囲の建物からは激しく炎があがり、大理石の壁は焼かれて弾けて

四方に音を立てて飛び散り、レバノン杉の大梁は火を盛んに噴いて、

破風の神獣は砕け落ちて、屋根は今にも崩れ落ちんばかりであった。


近づくのを拒む業火に、アレトゥーサは進んでは退き、

迂回しては再び試みるといった具合で、如何ともし(がた)く、

しばし外庭に退いて思案した。

人々が泣き叫び、逃げ惑う姿を見ながら、「巫女達を集めねば」と思い出して、

それと思しき者たちに声をかけ、女神の意思を伝えて、

同時に大神官と斎宮ゾンネの行方をも尋ねるのだが知る者とて無く、

いよいよ切羽詰まったかに思えたとき、俄かに心に兆す言葉が在った。



  「二人は宝蔵庫です。

   図書館にその抜け口があります」



アレトゥーサはすぐさま図書館に向かった。

しかし、止むことのなき業火の猛りに近づくことすら覚束(おぼつか)ない有様で、

しばし思案していたアレトゥーサは、はたと思い当たって、強く心に念じた。

アルペイオスにわが身の今此処にあるを知らせたのである。

恋しい娘からの切迫した呼び出しに心勇んだアルペイオスは

眷属(けんぞく)を従えて馳せ参じた。

二人は共に合力して渾身(こんしん)の力を迎賓館のオアシスへと向けた。


燃え盛る椰子(やし)の木立の地面を裂き割って噴出(ふきだ)した水が、

あたかも天に昇るペガサスの如く大きく羽ばたいて(いなな)き、

高く白刃を昇らせて、図書館に激しい驟雨(しゅうう)を降らせた。

アレトゥーサは喜び、アルペイオスに微笑み返すと、

(きびす)を返して()け出していった。









七十五番歌  美しい笑ひ


女神が微笑んだのはそれから間もなくであった。

美しい光に包まれだした女神はアクタイオーンを促がして

西の斜面のゾフィーのお立ち台に向かった。

アクタイオーンは斜面を上る一足ごとにホタホタと心を充たしてゆ

く安らいだ高揚感に包まれていった。

こうやって上を見上げて、前を行かれる女神に従い行くことこそが

そのままこれから進むべき道の在り様を示しているのだと思えた。


女神は「古拙な神々」の祠に額づいた。



  「この方々は私よりももっと永くこの地においででした。

  そして、エレナをこよなく愛して下さいました。

  エレナの今日健やかにあるのはこの方々にも負うところです

  貴方達と共に「これから」を築いてくださるに違いありません。

  私からもお願い申しましょう・・・・・・」



と、このゆかしい神々に深い祈りを捧げた後、

あらためて真っ直ぐアクタイオーンにむきあって、


  「私はここで私であることを已めます。

  おかしな言い方をしますが、

  今までの私は金輪際(こんりんざい)存在しません。そして、

  貴方にエレナを託します。

  このことはすでに皆に伝えました。

  アルメティオスもゾンネも遺し置く巫女たちも共に快く従いましょう。

  どうか「美しいアルカディア」をここに築いてください。

   



女神はやがて先に立ってアレトゥーサの泉へと下っていった。

 

  「その刻きがきました」


神々しい光を背にして立った女神は心ひたす美しい(えま)ひを浮かべながら

男を強く抱きしめて静かに二人の頭上に「聖水」を灌いだ。


  「私とのことはお忘れなさい」


   「・・・・・・・・」



アクタイオーンは暖かな光の中に独り佇んでいた。














     暴力のごとく やさしく夢の馬 奔りてのちにか たれ存りき

                                

                                 山中智恵子







                   おわり







     




参考とした著作 出典及び資料として


    「三輪山伝承」 山中智恵子著 1980年 紀伊国屋書店

    「背教者ユリアヌス」 辻邦夫著 中央公論社

    「ディアーナの水浴」ピエール・クロソウスキー著 1974年美術出版

    「ビリティスの唄」p・ルイス著 岸田今日子その他訳 大和書房

    ギリシャ神話  カール・ケレーニイ 著 昭和四十九年  中央公論

    ギリシャ悲劇Ⅰ Ⅱ 呉茂一他訳  1974年  筑摩書房

    神統記 ヘシオドス  廣川洋一訳     岩波文庫

    日本書紀  昭和九年  大日本文庫

    万葉集   昭和十年  大日本文庫

    古事記      日本古典文学大系 Ⅰ  岩波書店

    古代歌謡集    日本古典文学大系 Ⅲ  岩波書店



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