【7-5】落花流水の情
百合子さんが小さな溜息をついた。
「ここじゃなかったわね」
梅吉と旦那さんがお姉様方に二人でそろって報告した後、俺らは閻魔様にも報告すべく近くの小さなお寺に参拝した。
怖い顔の閻魔様の像が置かれていたけれど、本物の閻魔様は現れなかった……
今は四人で少し早めのお昼ご飯をしてる最中。
「……でもいきなり嘉太郎とさよならは嫌だから、よかったわ」
百合子さんがほっとした様子で言うと、旦那さんはニコニコして言った。
「百合ちゃん、今晩一緒に飲もー」
「少しだけよ」
「うん」
旦那さんと百合子さんのやり取りは、どう見ても姉と弟……
「じゃ、梅ちゃん、うちらも飲もか?」
「へえ」
それなら俺はゆっくり寝させてもらおう。
寝不足気味だから。
「でも、二人とも念のために、今夜中に挨拶しときたい人にはしておいた方がいいんじゃない?」
「わたしもそう思う」
いろいろ迷惑と心配を掛けさせてしまったから、一言お礼を言うのは当たり前だ。
「ほんなら、皆さんに挨拶終えたら、また夜に」
「ほな、失礼します」
旦那さんと梅吉は眠りについた。
健一さんは、スマホを見て言った。
「じゃ、そろそろ次行きますか」
「次はどこだっけ?」
百合子さんがそれを覗き見る。
「金閣寺」
観光地の羅列だったものを、ブラッシュアップしたみたいだ。
「高校の修学旅行以来かも」
「俺も」
王道な観光地だけあるみたいだ。
「そっか。東京の人は修学旅行で行くんだ。わたしは初めて行くわ」
さらっと言い放った結子さんに、お二人は驚いていた。
「え!? 本当?」
「赤城さん、マジで?」
俺は昨日の京都タワーで予習済だ。地元だからこそ行かない。
「だって、家も学校も真逆の位置だったし。わざわざ混んでるとこ来たくないし……」
「さすが京都人……」
「……他にある? 行ったことない観光地」
「……え? 結構あると思う」
みんなで京都観光を楽しんだ。
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その夜、ホテルの宴会場に来てくれた皆さんの前で旦那さんは梅吉の手を握って宣言した。
「この度、私、嘉太郎は、この梅吉と一緒になります! 必ず二人で幸せになります!」
みんなに受け入れられ、祝ってもらえた。
「よっしー! よく言った!」
「頑張って!」
「おめでとう!」
皆さんそれぞれと言葉を交わした。
「先代の専務さんのことはしっかりと手を回してるから、後のことは心配しないで」
と沙田先生。
「よかったね。本当に嬉しい。末永くお幸せに……」
菊池さんに号泣された。
「どう? 大阪と京都は楽しめた?」
興味津々の小宮さんに、軽く報告。
「おめでとう。もう意地だけは張るな。俺みたいになるからな」
よくは知らないけど、意味深な新居さん。
「梅吉、よかったな。幸せになれよ」
松田先輩にギュってしてもらった。
「おおきに、松田せんぱい……」
池辺君には抱きつかれ、頬擦りされた。
「梅吉くん! 結婚おめでとう。ほんとよかった!」
「おおきに」
「俺も絶対にまーくんと幸せになるから」
原に抱きしめられた。
「梅ちゃん!」
途端に、さっきまで何もしなかった旦那さんが引き剥がした。
「は? なんで優と松田さんはよくて、俺はダメなんだよ!」
「あかんもんはあかん!」
そういわれても原は引かなかった。
それどころか、梅吉は池辺君に一言断り入れると、自分から原に抱きついた。
「あかん!!!」
みんなに大笑いされた。
「梅ちゃん。おめでとう。本当に嬉しい」
声が潤む原。
「……おおきに。将輝さんのおかげだす。将輝さんも、池辺さんとお幸せに」
「……ありがとう。二人に勇気もらった。近いうちプロポーズする。
だから、また会いに来れたら来て」
「へえ。必ず……」
皆さんが部屋に戻ったあと、二人きりになった。
旦那さんは梅吉に向かって言った。
「……正太。一緒に極楽行かへんか?」
久しぶりに聞くお誘いだった。
「へえ。ご一緒します……」
初めて梅吉はそれを断らなかった。旦那さんは満面の笑みを浮かべた。
「閻魔様に、連れてってもらお」
「へえ」
旦那さんの手が頬に触れた。
「……ほな、また明日な」
「へえ。また明日」
旦那さんの顔が近づいて来て、俺は気を効かせて意識を手放した。
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京都旅行最終日。
清水寺、祇園と王道の観光地を巡って満喫した後、最後の目的地に来た。
観光客でいっぱいの祇園から少し南に下っただけなのに、人気は少なく民家が多い。
「なんか、雰囲気が独特だね……」
「そうですね……」
俺と健一さんだけ、敏感になってる気がする。
「ここはあの世とこの世の境目だからね」
軽く口にした結子さん。気にしてないみたいだ。
「ここは来たことは?」
「実家にいた頃、お盆には毎年来てた。
観光より、その目的で来る人の方がここは多い気がする」
お寺の境内に入ると、俺ら以外に誰も人がいなくてひっそりしている。
立派な閻魔様の像の横に、お内裏様みたいな格好をした大きな像があった。
誰だろう?
気になって注意書きを読む。
「……おの?」
「……小野篁です。小野氏は、小野妹子や、小野小町、小野道風の方が有名ですね」
突然見知らぬ背の高い若い男性に声をかけられ、心臓が止まるかと思った。
……一体どこから気配もなく現れた?
「驚かせてすみません。ボランティアガイドです」
「……あぁ。そうなんですね!」
健一さんが気さくに彼に話しかけた。
「小野篁はなぜここに祀られているんですか?」
ガイドさんは、俺たちに丁寧に説明してくれた。
小野篁は平安時代の歌人で官僚。でも、変わった伝説もいっぱいあるという。
「朝は朝廷で仕事をし、夜は閻魔庁で補佐をしてたという伝説があります。
それが理由でここに像があるんです」
「閻魔様の補佐ですか……」
あの世で閻魔庁に呼び出された時、それらしき人居たかな?
『死んだの江戸時代やし、鬼と浄玻璃の鏡しか覚えてへんわ』
興味深く聞いてる健一さんをつついて、百合子さんが質問した。
「……それで、小野篁はどうやって、あの世とこの世を行き来したんです?」
そうだ。それが解れば、梅吉と旦那さんはあの世へ、極楽へいけるかもしれない……
ガイドさんは俺らに向かって微笑んだ。
「その秘密は、あちらに有ります。行ってみましょう」
その微笑みに、俺も梅吉もゾッとしたのは、何でだろう……
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小さなお庭に通され、奥へと進む。
しめ縄が張り巡らされた何かが、小さな祠の横にあった。
「……これはなんです?」
ガイドさんが説明してくれた。
「井戸です」
中を覗くと、底の方に水があるのが見れた。
確かに井戸だ。
「ここから、あの世とこの世を行き来したんです」
「え? これで?」
「あるのは聞いてたけど、初めて見た……」
「こんなところから……」
みんなで覗き見てると、違う声がした。
「気をつけよ。落ちたらあの世行きだぞ」
どこかで聞いた声だ。
恐る恐る振り向くと、閻魔様が立っていた。
出た!
いや、いらっしゃった! 閻魔様!
驚いてる俺たちの横で、ボランティアさんが苦笑した。
「ようやくお出ましで……」
……なに言ってるんだこの人は?
彼の格好はいつのまにか、さっき見たあの像と全く同じものになっていた。
手に笏を持っている。
この人は一体……
「篁、ご苦労。あとはわしが」
たかむら……って、さっきの像のあの人!?
「昼に呼び出ししないでください。忙しいのですから」
微笑んでるし、穏やかな口調だけど、目は全く笑ってない。
これが理由だ、さっきゾッとしたのは……
怖い顔の閻魔様と冷たい微笑みを絶やさない小野篁さんのやりとりを傍観する。
「そう文句を言うな」
「本当に人使いが荒い。鬼だ」
「わしは鬼ではない。閻魔だ。お前も人では無いだろう」
「人です。正確には人でした。もうやめましょう。時間がもったいない」
小野篁さんは、俺たちに会釈した。
「では皆様、これにて失礼……」
跡形もなく消えた。
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「嘉太郎、正太」
名を呼ばれた途端、身体が引っ張られるような、押し出されるような、
目眩のような、不思議な感覚を覚えた。
気付けば、夢の中で何度も会った梅吉が俺の横にいた。
健一さんの隣にも記憶の中と同じ旦那さんがいた。
二人が少し透けて見えるのは魂だからだろうか。
「未練は晴れたな? 二人とも」
『へえ。旦…… 嘉太郎さんに気持ち伝えられました。受け入れてもらえました』
こんなに穏やかで、嬉しそうな顔の梅吉は初めて見た。
『はい。正太に名を呼んでもろて、ほんまの気持ち聞かせてもろて、約束してた京の旅、果たせました』
旦那さんの未練は、その三つだったか……
結局最初思っていたのとは全然違った。
「……えらく時間がかかったな」
『申し訳ありません。全部わてのせいです……』
『すんまへん……』
『一生無理!』って思ってた時もあった。それを考えたら、二年かかってないんだから早いって。
「もう娑婆に用は無いな?」
『はい』
『へえ』
「よし。それならば、あの世へ帰るぞ」
閻魔様、二人を連れてってくれるんだ。
『あの、わてらはそこからどこへ……』
旦那さんが恐る恐る訪ねると、閻魔様はさも当然のように言い切った。
「極楽だ。あの世まではわしが連れ帰るが、そこから先はわしの仕事ではない」
誰がどうやって連れてってくれるんだろう。
気になるけれど、俺が知るのはもっと先だ……
「少し猶予をやろう。各々別れを告げよ」
忙しいとか、文句とか言いながらも閻魔様は結局優しい。
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俺と結子さんのところに、旦那さんが来た。
着流しに羽織を羽織った旦那さんは、やっぱり健一さんよりかなり若い。
「……ちょっと待って。……いくつなん?」
歳を気にする結子さん。旦那さんの顔を凝視して、真っ先にその質問。
『二十五です』
「え!? 翔くんよりも若いの!?」
『……はい』
気まずそうな表情が可愛い。
「……ごめんなさい。とにかく、梅ちゃんとずっと仲良くね」
『……はい。赤城さんも翔太はんと末長うお幸せに』
「ありがとう」
『百合ちゃんとも、末長うお友達でいてあげてください』
「うん。心配しないで」
和やかに結子さんと別れを済ませると、俺に頭を深々と下げた。
『ほんまにいろいろとご迷惑お掛けしました!』
「もう気にしないでください」
旦那さんは俺の目をじっと見た。
『……わては生きてる時、自分の気持ちに向き合わんと無視し続けて、ああなりました。
お陰様でこれから梅吉と一緒になれますが、翔太はんは後悔せんように、
どうか思い込まんと素直に、正直に意地張らんと生きてください』
……この人は別れ際に俺になにを言い残すんだ。
『健一はんに、仕事以外では『蓮見健一』として接してあげてください。
上に立つために、感情を抑えんとあかん、自分を捨てんとあかん時がいくつもあります。
翔太はんが傍で心の支えになってあげてください』
「はい……」
でもここで別れ際にいうのは野暮で無粋で空気読んで無い。
ぐっと腹に収めた。
「……俺のことは心配しないで、梅吉を幸せにしてやってください」
『わてらは二人で一緒に幸せになります』
旦那さんは自信と希望で溢れた表情だった。
かっこ良すぎるよ……
入れ違いに、梅吉が来た。
やっぱり改めて見ると、俺よりだいぶ若い。俺に向かって老けてるって言うわけだ。
「やっとほんまの梅ちゃん見られた! ほんまに可愛いらしいわ! ぎゅってしてもええ?」
可愛いって言われて膨れてるけど、大人しく抱きしめられていた。
『……嬢はん。おおきに。大好きだす』
「おおきに。うちも大好きや。
またこっちに遊びに来れたら、いつでも来なさいね。待ってるから」
『……へえ。お言葉に甘えて』
頭を撫でられ、また少し膨れてる。
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とうとう俺の元の魂、梅吉、いや、正太と別れの時が来た。
抱きついてきた正太を受け止めた。
『たくさんご迷惑をかけました。すんまへん』
「いいって、もう気にしなくて。やなことは忘れて、極楽でもっと幸せになるんだよ」
『へえ。必ず』
大丈夫だ。二人はきっと幸せになれる。
「……俺のとこにも遊びに来て。旦那さんとのことまた教えて」
『へえ。報告させてもらいます。
……翔太はんと嬢はんの結婚式、絶対見に来ます』
だいぶ気が早いな。
「……まずはプロポーズだけどね」
『絶対大丈夫や』
「ありがと」
そろそろ身体を離そうとした俺を、正太は離してくれなかった。
『……翔太はん。社長さんのこと大好きやんな?』
正太は俺の気持ちを全て知ってる。一番わかってる。
『……その感情はわてのせいやない。翔太はんのほんまの気持ちや』
誤魔化しても無駄だ。
『へぶんすに帰りたないて。ちゃんと伝えるべきや』
一度だけ口にした。健一さんの前で。健一さんは俺を帰さなかった。
『健一はんの傍にいたいて。一緒に仕事したいて、はっきりと言わなあかん』
もしも、健一さんが本当に俺のことを本心で欲しがってくれるなら、
俺はLOTUSにいたい。健一さんの秘書でいたい。
『一度きりの人生だす。後悔せんと生きぬいとくなはれ』
俺より子どもだったはずの正太が、俺よりずっと大人に見えた……
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「もうそろそろ良いか?」
閻魔様から促されると、二人は揃って俺たちに頭を下げた。
『失礼します』
『失礼します』
旦那さんが手を差し出すと、正太はその手に手を重ねた。
握った手を恋人繋ぎに直すと、旦那さんは正太に微笑んだ。
『行こか』
『へえ』
『……その「へえ」やけどな、ゆっくりでええさかい「はい」に直してみぃひんか?』
『へえ。……あ。……はい』
長年の癖をいきなりは変えられない。
慌てて直す正太を笑った後、旦那さんは正太の頬を摘んだ。
『ほんま正太は可愛いらしな。この世で、いや、十万億土一や』
一番愛する人に可愛いと言われても、もう正太は怒らなかった。
『おおきに』
旦那さんに向けたその笑みは、幸せそのものだった。
そして、二人は一度もこちらを振り返ることなく、あの世へと帰って行った。
「……行っちゃった」
「……行っちゃいましたね」
もう俺の中に正太はいない。
前世の夢を見ることも無くなるんだろうか?
健一さんにドキッとすることも無くなるんだろうか?
傍にいたいって気持ちも、無くなるんだろうか?
……健一さんも、俺に傍にいてほしいって思わなくなるんだろうか?
ふっと怖くなった。
「……翔太」
健一さんの俺を呼ぶ声は、呼び方は、いつもと同じだった。
「俺たちも行こっか」
「はい」
お寺を後にした。