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葉を見ず、花を見ず  作者: 喜世
第6章 真実
60/68

【6-9】堰かれて募る恋の情……

 俺の最期は、主人の仇を討っての言わば討死……

 でもあの世とこの世の境目を彷徨っていたのは、毒を口にしたせいだろうか?

 自殺とも取れる、他殺でもある。


『……閻魔の仕事は多くてな。部下が仕分けをするのだが、判断が難しい死に方をすると時間がかかるのだ。だからお前はあそこにいた』


 いわば、選別を後回しにされる人があそこにいるってこと?

 ……いや、深く追及はしないほうがいい。


『これで全部記憶が戻ったことになる。

ついでに梅吉が小出しにしておった記憶も、梅村翔太に全て同期しておいた』


『えぇ……』


 梅吉が嫌そうな顔をしたら、閻魔様にギロッと睨まれた。


『元は同じ魂だ。文句を言うな』


 確かにその通り、前世の鮮明な記憶があっても俺は別に構わない。


『そろそろ、お前の身体の麻酔が切れる頃だ』


 最期の記憶を辿ってるうちに、緊急オペも終わってたらしい。


『わしは他に仕事がある。さらばだ』


 忙しいのに付き合ってくれた閻魔様にお礼を言って見送ると、梅吉と向き合う。


『旦那さんと会う?』


『後だす。まずは諸々ありますやろ? やることが』


 治療のための入院はどれくらい必要かわからない。

 警察の事情聴取もあるだろう。

 そうだ。いろいろある……


『……そうだった』


『まずは、起きとくなはれ。わてはしばらく寝させてもらいます』


 梅吉は久しぶりにぐっすり眠れるに違いない。


『おやすみ』


 俺は起きないと。生きるために。


--------------------------------------------------------------------------

「……よかった。目が覚めた」


 最初に目に入ったのは、すこし窶れた結子さんの顔だった。


「……結子さん」


「心配したんだから……」


 緊張の糸が切れたのか、結子さんはぼろぼろ泣き出した。

 手を伸ばしたいのに、全く上がらないどころか身体に激痛が走る。


「痛ってぇ……」


「当たり前でしょ! 結構縫ったんだからね、お腹」


 泣き笑いする結子さんに謝った。


「本当にごめんなさい、心配させて……」


 動かせない俺の手を、結子さんが握ってくれた。


「わたしより若いからって、無理はしないで」

 

「……はい」


 病室に二人っきりと思いきや、父さんと母さん、姉さんが来ていた。

三人に揃って怒られた。


「まったく、心配させて!」

「皆さんにどれだけ心配させたか!」

「結子さん泣かせて、あんた何やってるの!?」


「ごめん……」


 ただひたすら謝った。俺はやっぱり謝ってばかりだ。


 でも、少しは息子の心配してくれてもいいのに……

 みんなが帰った後、結子さんに愚痴ると結子さんは羨ましそうに言った。


「みんなすごく翔くんのこと心配してた。文句言わないの」


「はい……」


「さ、もう寝なさい。熱が出てきたから」


 また子ども扱い。でも、今日はなんだか心地がいい。


「おやすみなさい」


「おやすみ。翔太」


--------------------------------------------------------------------------

 次の日、目を覚ますと、社長と小池部長が病室に来ていた。

今日は確か来客と外出の予定があったはず。

 なのに、代わりに病室で俺の家族に深々と頭を下げている。


「本当に申し訳ありませんでした!」


 土下座ばりの頭の下げ方だ。社長の隣で頭を下げたことは何度かあるけど、あそこまですごいのは初めて見た。

 合わせないといけない小池部長は、身体が硬いから辛そうだ。


「頭をあげてください。息子は無事だったんです。それに社長さんのせいではありません」


「そうです。気に病まないでください」


 父さんと母さんが社長を宥める。

自分の子どもでもおかしくないほど若い社長が切羽詰まってる姿が、きっといたたまれないんだろう。


「一生残る身体と心の傷を翔太君に負わせました。本当に申し訳ありません!」


 とうとう社長が本当に土下座した。

俺なんかのために、土下座なんて!


「……社長。土下座はやめてください。……社長は悪くありません」


 まだ傷が痛くて起き上がれない俺の声を父さんが拾ってくれた。


「息子もああ言ってます。どうか土下座はやめて、息子の顔を見て無事を確かめてやってください」


 社長は父さんの言うことをおとなしく聞いたようだ。

 俺のベッドに小池部長と一緒にやってきた。


 黙りこくって何も言わない社長にため息をつき、小池部長が切り出した。


「大丈夫か?」


「……はい。まだかなり痛いですし、また夜に熱が出そうですけど、食欲もありますし」


「そうか。ゆっくり休め。無理だけはするな。

それとな、お前に死ぬ気で健一を守れとは言った。

だけどな、もう二度と絶対に本当に死にかけるような守り方だけはせんでくれ。頼む」


 小池部長も俺が刺されたことを、かなり気に病んでたらしい。


「はい。すみません……」


「……ゆっくり休んだら、みんなで久田のとどめを刺そう。お前の仇討ってやろう」


 ニヤリと笑う部長がちょっと怖かった。


「……わかりました」


「松田も連れてきたかったがな、先輩たるもの後輩の仕事のカバーが先だ!って強がり言ってやがる」


 松田先輩に松吉さんの面影が重なって、会いたくてたまらなくなった。


「ありがとうございますって、すぐ戻るので、ごめんなさいってお伝えください」


「わかった」


 俺たちが話してる間、社長はずっと窓辺で窓の外を眺めていた。


「……健一。俺は先に帰るから、ゆっくり梅村と話せ」


「わかりました」


 でもこっちを見てくれない。


「……健一な、酷かったんだぞこの数日。

突然妙な関西弁を喋るようになったと思ったら、今日はクールモードからの切り替えができんらしい」


 多分旦那さんがずっと乗っ取ってたんだ。

今は健一さんが主導権握ってるけど、心が乱れてるから防衛本能が働いて、クールモードのままってとこだろう。


「この健一が嫌だったらすぐ追い返せ。いいな?」


「はい。わざわざお見舞いありがとうございました」


「じゃあな」


 小池部長は、病室の外にいる父さんと母さんに挨拶して帰っていった。


--------------------------------------------------------------------------

 病室に社長と俺、二人きり。

やっと社長は俺の方を見てくれた。クールモードのせいもあって、顔がなんだか怖い。


「……申し訳ありませんでした」


 寝たままで失礼だけど、謝る。


「……謝るなら、もう二度と絶対にSPの真似はするな」


「……はい」


 社長は俺に一方的に話し続けた。


「仕事は昨日中に全部終わらせてきた。私情で来たわけじゃない。

社長として社員の命が大事だから来た。お前が特別じゃない」


 そうやって言うのは、今まで散々俺が注意したからだろう。


「健一さん」


 名前を呼んだ途端、瞳が揺れ、そして俯いた。


「……健一さん?」


「……ごめん。……嘘ついた」


 震えた声で話し始めた。クールモードが解けたんだ。


「……怖くて、腹が立って、悲しくて、気が狂いそうになった。

久田を本気で殺そうとすら思った。そんなだから、嘉太郎が俺のふりをしてた。

代わりに仕事してくれた。同期のみんなと、松田くんと、原くんが助けてくれた。手伝ってくれた」


 旦那さんのこと、新居さんだけじゃなくて、同期の皆さん全員ご存知だったか……

 健一さんはベッドのそばの椅子に座った。


「今日は、ただ会いたかったから、顔が見たかったから、声が聞きたかったから来た」


 嬉しい。たとえその感情が旦那さんの気持ちに引き摺られてるとしても。


「よかった、無事で……」


 泣きそうな顔。


「もう二度とあんな思いしたくない……」


 本当は笑って欲しい。


「二度としません。約束します」


「絶対。約束」


 差し出された小指に、指を絡めた。




「もう少しだけ話できる?」


「はい」


 久田さんの件を教えてもらった。

 殺人未遂、銃刀法違反で現行犯逮捕。この後、横領、脅迫など多数の容疑も掛けられるらしい。


「小池部長があんなこと言ってたけど、久田は二度と社会に出てこられないように、

ゆう兄、さと兄と一緒に、色々根回しはしておく」


 司法まで手が回せる、どこまでコネがあるんだろう。

 やっぱり、優しいけど怖い人だ。


「……熱上がってきたね?」


 俺の額に触った。

 昔もこうやってこの人は俺の熱を測ったっけ。


「……ごめん、長居しすぎた。ゆっくり休んで」


「ありがとうございます」


「……またお見舞い、来ていい?」


「……はい。ぜひ」


「じゃあ、またね」


 やっと微笑んでくれた。


--------------------------------------------------------------------------

 入院してはじめての日曜日。与晴が来た。


「……無茶するなって、俺、言ったよね?」


 睨まれている。

 記憶の限り、たとえ試合中でもここまでの凄まじさで睨まれたことはない。


『声がええなぁ。怒ってもえらい男前やなぁ』


 梅吉は呑気なもんだ。もし今梅吉を表に出したら、もっと怒られる。


「……きょ、今日は非番?」


 昔から良かった私服のセンス、今も変わらず。

 私服だと刑事には見えない。モデルでも通用……


『私服もかっこええなあ……』


 もう認めるしかない。

 俺の好みの男は、昔も今も、健一さんと与晴だ。


「……この後私服で張り込み。その前に、翔太のお見舞いと聞き取り」


 すごい詰め込みだ。だからイライラしてるのかな?

 お見舞いに来てくれたのは嬉しいけど、睨むのはやめてほしい。


 お茶を持ってきてくれた結子さんが、遠回しに言ってくれた。


「……佐藤くん、この子も反省してるから。ね?」


 この子扱いは嫌だけど、結子さんの言葉で与晴はハッと気づいたらしく睨むのをやめてくれた。


「……すみません。私情を挟みすぎました。……改めて、梅村翔太さん、お話を聞かせてください」


 俺の聞き取りを丁寧にしてくれた。



「しっかり責任を持って上に報告します。

……二度と翔太と翔太の大事な人たちを傷つけないように、深く反省してもらうために」


「ありがとう」


「じゃ、またね。退院したら教えて。また飲みに行こう」


「うん。またね」


 微笑む与晴は、刑事でも警察官でもない、俺の友達の与晴だった。


--------------------------------------------------------------------------

 入れ替わりに、原と池辺君が来てくれた。


「先輩……」


 泣き出した原を、池辺君が宥める。


「すみません。……ちょっと! 病院で泣いたらダメだって!」


 あの日は原は営業で出ていた。騒ぎを出先で聞いて、気が気じゃ無かったらしい。

やっと今日俺の顔を見て、ホッとしたせいみたいだ。

 原には心配と迷惑掛けっぱなしだ。本当に申し訳ない。

 謝ると、気にしないでくださいと言ってくれた。今後はもっと先輩らしくしたい。


 せっかく池辺君と二人で来てくれたから、梅吉に代わった。

 傷が痛いと文句を言われたけど、やっぱり会えて嬉しいらしい。

 突然、池辺君が前のめりに聞いて来た。


「梅吉くん、聞いてもいい? さっきお見舞いに来てた方、どなた?」


 与晴のこと、池辺君は探偵として何か気になるんだろうか。


「翔太はんのお友達の刑事さんだす」


「やば! イケメン刑事!」


 そっちか……

 でも、やっぱり与晴はみんなから見てもイケメンなんだ。友達として嬉しい。


「でっしゃろ? めっちゃ男前だす」


「梅吉くん、ああいうのもタイプなんだね。わかるー!」


 ……何だこの会話?

 

 二人でああだこうだと楽しそうにおしゃべりしていると、結子さんに止められた。


「池辺くん。彼氏がものすごい顔してるから、そろそろやめてあげようか」


 嫉妬なんだろう。見たことない顔をしている原がいた。


「すみません、姉さん。でも、イケメンは目の保養なんで! ね? 梅ちゃん」


「へえ!」


 池辺君まで結子さんのこと姉さんって。

やっぱり結子さん怒ってるし。


 少しして、機嫌を直した原が梅吉に穏やかに聞いた。


「……よっしーって、お見舞いに来た?」


 梅吉が首を振った。

健一さんが来てくれたにはあの日だけ。またって言ったのに、来てくれない。

電話も、メールも、メッセージも何もない。


 もちろん、あの日旦那さんは現れなかったし、梅吉宛のメールは愛想尽かしした次の日から来ない。


 原は気まずそうに、話を続けた。


「よっしー、全く梅ちゃんの事言わないっていうか、聞いてもはぐらかされた……」


 梅吉は小さくため息をつくと、自虐的に笑った。


「目が覚めたんやと思います。やっと……」


 そんなことないと口にする原と池辺君の間に、結子さんが割り込んだ。


「……ちょっとごめんね。

あの子、もしかしたら、梅ちゃんが極楽行っちゃったって思ってない?」


「え?」

「どういうことですか?」


 結子さんがあの日見たことを話す間、梅吉は黙ってそれを聞いていた。


「……このまま、勘違いさせといて、もう二度と会わんとこかな」


 梅吉がそう溢すと、池辺くんが梅吉の顔を覗き込んだ。


「僕、前にまーくんとの話したよね」


「……へえ」


「まーくんに振られてから、1年11ヶ月と14日目に初めて会ったとき、声掛けようかどうしようか、本当に迷った。でも、ほんの少しだけ勇気出して、言ったんだ。『久しぶり』って。……そうしたら、笑顔で答えてくれた。だから、今一緒にいる」


 相思相愛の原と池辺君が羨ましい。

梅吉の気持ちが伝わってきた。


「最後に嘉太郎君と会ってから、時間が経ってるでしょ? お互い考え方や感じ方が変わってる。

だからね、無理にとは言わない。嘉太郎君の事が好きなら、ほんの少しでいいから勇気出して、もう一度会った方がいい。僕からのアドバイス」


 梅吉の気持ちが揺れた。


「梅ちゃん、ゆっくりじっくり考えてみて。俺も、優も、いつでもいくらでも相談に乗るからさ」


「お二人とも、おおきにありがとうございます。

……考えてみよう、思います」


--------------------------------------------------------------------------

 その日の夜、俺は健一さんに宛てて、メッセージを送った。


『聞きたいこと、話したいことがあります。会いたいです』

って。


 まずは、俺が健一さんと話す。


 梅吉だった時の記憶が全部戻ったこと。

なんで、松吉さんの日記の内容を俺らに隠したのか。

旦那さんの本当の気持ちは、なんなのか。


 全部、今度こそ腹を割って話したい。俺と健一さんで。


 直ぐに既読になった。

 でも、返事が来ない。


 休日返上で一人で仕事してるんじゃないか?

 デートの邪魔してたらどうしよう。

 拒否られたらどうしよう。


 また熱が上がってきたせいか、マイナスな事ばかり考え始めたころ、返事が来た。


『明日、お昼すぎに行ってもいい?』


 明日……


 社長は忙しいから平日は無理だ。

かと言って、来週に伸ばしたくない。


『待ってます』


 送った後、熱と眠気に負けた瞼が降りてきた。


--------------------------------------------------------------------------

 約束通り、健一さんが病室に来てくれた。

 久しぶりに見る私服姿だった。


「体調どう?」


「まだ夜に熱が出ます……」


「そうか…… 早く出なくなるといいんだけど。食欲は?」


「有ります」


「よかった。お見舞い持ってきたんだ」


 健一さんの表情は穏やかだ。今ならいける。

 勇気を出して切り出した。


「……健一さん。前世の記憶、全部戻りました」


 健一さんの顔が明らかに引き攣った。


「……ですから、何が松吉さんの日記に書いてあったのか、なんで隠し通そうとしたのか、

教えてもらえませんか?」


 健一さんは俺から目を逸らし、話も逸らせた。


「ゼリー持ってきたんだ。食べる?」


 ここで引いたらダメだ。


「健一さん」


「ジュースも有るよ。どっちが……」


「健一さん。逃げないでください」


 語気を強めると、健一さんは折れた。


「ごめん、わかった…… でも、ゼリーとジュース、どっちにする?」


「……ゼリーがいいです」




「綺麗……」


 果物がたくさん入ってる綺麗なゼリーを、二人で楽しむ。


「百合子さんのおすすめ」


 さすがお嬢様だ。センスが良い。秘書として良い手土産を覚えたい。


「覚えておきます」


 健一さんがふふっと笑った。


「熱心ですねー。私の秘書君は」




 楽しい時間はすぐに終わった。

俺がもう一度、日記の事を口にする前に、健一さんは恐る恐る探るように俺に問いかけた。


「……あのさ、梅吉君って、さ、まだ翔太の中に、居る?」


 結子さんの予想は正しかった。


「嘉太郎が翔太を助ける代わりに、梅吉君を極楽、自分を地獄にって閻魔様に頼んだ。

翔太は助かった。でも、嘉太郎は俺の中にまだ居る。……今寝かせてる。起こすつもりもない。

……梅吉君は?」


「まだいます。同じく今、寝かせてます。起こすつもりもありません」


「閻魔様が願い叶えてくれたわけじゃないんだ……」


 ほっとしたような、ガッカリしたような、複雑な表情だった。




 健一さんがいれてくれたお茶を飲みながら、健一さんから切り出した。


「嘉太郎は、男性が好きなわけじゃない」


「はい。わかってます」


 子どもの頃からそんなことは分かってた。


「でも、梅吉君は別。嘉太郎の好きは間違いなく恋愛感情。梅吉君に対する性的欲求もある」


「……だったら、旦那さんはなんで梅吉にハグすらしてあげなかったんですか?」


 手を握ったり、顔に触れるだけだった。


「……全部俺が止めてた。必要以上に翔太に触れるなって」


「なぜです?」


「……翔太の恋愛対象は女性だから」


 そうだ。


「……だから、翔太を傷つけたくなかった。翔太に嫌われたくなった。

でもごめん。嘉太郎の想いと気持ちが強すぎて、完全には抑えきれなかった」


「……いいえ。気にしないでください」


 お互いもう一つの魂に引き摺られてる。

 その魂を俺も健一さんも互いに必死に抑え、隠していた。


--------------------------------------------------------------------------

 やっと健一さんは本題の日記に触れた。その内容は戻った俺の記憶の通りだった。


「なぜ隠そうとしたんですか?」

 

「知られたら、嘉太郎が梅吉君のこと好きだって言うのは、ご褒美だとか、罪滅ぼしだって思いこむんじゃないかって。だから隠そうって決めた」


 この人の判断は正しい。子供の時から見てるだけある。

記憶が戻る前に言われたら、間違いなく俺たちはそう思い込んだだろう。


 健一さんが座ってた椅子から腰を上げ、窓辺で外を眺めた。

 静かな時間が流れた。


 しばらく経ち、深呼吸をした後、外を眺めたまま苦しげに口にした。


「番頭が俺らの前に正体を現した後、俺らに言ってきた。……梅吉君に乱暴したって」


 あれは未遂だ。

番頭は旦那さんと健一さんを煽って、精神的に追い詰めようとしたのかもしれない。


「……日記にはもちろん何も書かれてなかった。

でも、松吉さんは梅吉君を可愛がってた。事実だとしても絶対にそんなこと記録に残さない。

だから、番頭が言うことが事実だったらどうしようって……

もしかしたら、そのショックで梅吉君は記憶を無くしたのかもって……

だから、ハグなんかして、記憶が蘇ったら梅吉君と翔太の心を壊すかもって……」


 声が震えている。

旦那さんも、健一さんもかなり思い詰めていたんだ……


「健一さん。俺は…… いえ、梅吉は番頭に乱暴はされていません」


 安心させるために、事実を全て包み隠さずに伝えた。




「……ありがとう。ごめん、辛い記憶喋らせちゃって」


 頭を下げる健一さんに気持ちを素直に伝えた。


「……いいえ。逆に俺は嬉しかったです、記憶が戻ってわかったので。

俺は旦那さんを殺した恩知らずじゃないって。少しですが恩返しできたんだって」


 健一さんが優しく微笑んでくれた。


「翔太とじっくり話せて良かった。

……許してくれるなら、落ち着いてから、嘉太郎と梅吉君も二人きりで話させて欲しい」


「今からでも……」


「ダメ。また今度。もう夕方だし、熱が上がってきた」


 反論できない。大人しくベッドに横になった。


「ゆっくり治して」


「はい…… 今日はありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとう」


 健一さんは、しばらくそばにいてくれた。

 でも、発熱による睡魔に抗えず目を閉じた。


「……おやすみ、翔太」


 優しい声が、眠りに落ちる前に聞こえた。


--------------------------------------------------------------------------

 熱も出なくなったし、傷もだいぶ塞がったおかげで、そろそろ退院の話が出始めた。

 師走に入ったせいかお見舞いもぱったり来なくなったある日。

 昼寝した後、旦那さんの俺宛のメッセージに気付いた。


 俺の見舞いに来るらしい。

 時間は…… もう五分もない!


 まずい。やばい!

 平日に誰もお見舞いには来ないからって、髭剃りをサボってた。

 もう剃ってる暇は無い! マスクして誤魔化すしかない!


 髭以外の身支度を大急ぎで整えた後、梅吉を起こして旦那さんを待った。

 間もなく病室に現れた旦那さんは、スーツ姿だった。

 会社から直接来たんだろう。


 その手には綺麗な花束が。梅吉がドキリとした。

 写真の花を送ってた人が、本物を持ってきた。そりゃ驚く。


「……大丈夫ですか?」


 旦那さんは俺のマスクが気になったらしい。不安げにそう聞いた。


「……あ、はい。大丈夫です。風邪ってわけじゃ無いんで」


 旦那さんは花を花瓶に活けてくれた。

黄色、オレンジ、赤、の花で、枕元が一気に明るく華やかになった。


「ありがとうございます。なんの花ですか?」


「がーべら、です。お見舞いにええて、おすすめされました。

……花言葉も気に入ったさかい」


 旦那さんが口にした言葉が気になった。


 もしかしたら、旦那さんが梅吉に送ってた写真は……

 後で調べよう。


 旦那さんは、俺に深々と頭を下げた。


「わてのせいで、翔太はん傷つけました。ほんまに申し訳ありませんでした……」


「謝らないでください。旦那さんのせいではありません」


「いいえ、元を正せば、全部わてのせいです。わてが多くを望まんかったら、

こないなことにはならんかった……」


 こんなことは、俺が刺されたことだけじゃないだろう……

梅吉とのこともだ。


「もうくよくよするのやめて、まずは梅吉と会ってやってください」


「えっ!? せやけど……」


 会いたくてしょうがないけど、怖いって顔に出てる。

可愛い。思わず笑ってしまった。


「二人でゆっくり話して」


「せやけど、翔太はん!」


 あわあわしてる旦那さんを他所に、梅吉に主導権を譲って意識を手放した。


--------------------------------------------------------------------------

 旦那さんに感情を抑えて声を掛けた。


「御無沙汰しておりました」


 旦那さんの目は、わてを見てくれへん。


「……久し、ぶり」


 会話がそれで止まってしもた。

 どないしよ。

 そや、場所を変えたら……


「……外、行きまひょか?」

 

「……うん。あ、車椅子借りてくるわ」


 大げさや。


「もう歩けますよって、要りまへん」


 べっどから出ると、旦那さんに止められた。

 

「あかん! そない薄着で出たら。上着着て……」


 過保護や。


「ありまへんもん」


「わての着や」


 旦那さんは、こーとをわてに着せはった。


「……少し大きいな。せやけど、風邪ひかれたらかなわんし」


 やっぱり過保護や。






 二人で庭に来た。寒いせいか誰もいてへん。

 完全に二人きりや。


 緊張する……


「……寒ないか? なにかあったかいもん、買うてこよか?」


 わてと二人きりが気まずいのはわかる。


「要りまへん」


「そうか……」


 庭の隅のべんちに座った。

 最後に一緒に居てた時より、距離がある。


「旦那さんこそ、寒ないんだすか?」


「大丈夫や」


 また会話が続かへん。

 どないしよ。


 旦那さんは突然、わてに向かって深々と頭を下げはった。


「……今までずっと振り回して、苦しめて、泣かせて、ほんまにすまんかった」


 慌てて止めても、聞いてくれへん。


「閻魔様に、おまはんだけでも極楽にて頼んだんやけど聞いてもらえんかった。

すまん……」


「もうええです。頭上げとくなはれ」


 何回か頼んで、やっと頭上げてくれはった。

 せやけど、目を見てくれへん。


「……たまにでええ。こうやって会って話せる関係に戻りたい。……どうやろか?」


 たまに? 会って話すだけ?

 社長さんが翔太はんに話したことがほんまなら、もうそんな中途半端な関係は嫌や。


 正直に言うた。


「……嫌だす」


 わてをほんまに好いてくれはるんやったら、主人と手代も、兄弟も絶対嫌や。


「……わかった」


 あかん。

 言葉通り受け取りはった……

 せやけど、どないしよ……


 また沈黙が始まった。


 遠くに鳥の声が聞こえるだけで、えらい静かや。

 何か言わんと……


 わてが迷っているうちに、旦那さんは小さく溜息をついて腰を上げはった。


「……もう病室、戻ろうか」


 嫌や。


 今戻ったら、もう旦那さんと二度と会えんようになる。

 もう多くは求めん。

 ただ許された時間の限り、一緒にいてたい。

 この人と。


--------------------------------------------------------------------------

 勇気を出して旦那さんの手を掴んでひきとめた。


「さっきの嫌や言う意味は、会いたくないとか、そういう意味とちゃいます!」


 わてを見下ろす旦那さんの顔には、驚いた表情が浮かんでる。

 せやけど、直ぐに柔らこう笑うてくれた。


「……これからも、傍にいててもええか?」


「……へえ」


 座り直すと、柔らかく微笑んでくれはった。

 旦那さんはわての目をじっと見た後、ふふっと笑わはった。


「そのますく、やっぱり大きすぎや。どないしたんや? やっぱり風邪か?」


 ……なんでやっけ?

 ……あ。


「ちゃいます」


「ほんなら、剃刀負けか? ……顔に傷でも付いたんか?」


 ……剃刀負けの方がよっぽどええわ。

 これ以上心配させたない。正直に言お。


「……髭を剃ってまへん。大変お見苦しいので隠してます」


 目を丸くしたと思うと、旦那さんは吹き出した。


「別にええのに、髭なんか」


 良くない。


 旦那さんにだけは、見られたない。

 こんな『男』の姿を……


「……逆に、隠されると余計見たくなるんが、人の性っちゅうもんや」


 にやっと笑った顔がなんか怖い。


「見せてぇな!」


 両手でますくを押さえた。


「嫌や!」


 二人で揉み合ってるうちに、旦那さんにますくを奪われた。

 身体ごと顔を逸らして、旦那さんの視界から逃れよう思うたのに、

 旦那さんはまじまじとわてを見た。


「……これまた予想以上の男前やな。隠して正解や。

赤城さん以外の女子はんが色々寄ってくるわ」


「……なに言うてはるんだす?」


 睨むと、旦那さんは一瞬、目を逸らさはった。


「……迫力がいつも以上やな。怖いわ。睨まんでぇな。わろてんか?」


 ふざけてはるのか、わての髭面に触れようとしてきた。


「やめとくなはれ!」


 伸びてくる手を払い除ける。


「触りたいー」


「男の髭面なんか触ってもおもしろくありまへん!」


「嫌やー」


 隙を突かれ、旦那さんの腕力に負け、両手でがっつり顔を挟まれた。


「……可愛いらしいな」


 ……嘘や。絶対に。

 泣きたなった。


「……もうええです。……離しとくなはれ。

……無理せんといとくなはれ」


「……え?」


「……髭面のどこが可愛いんだす? むさ苦しいだけだす。

……もう、ええ加減わかりましたやろ? わてはこの通り、男だす」


 旦那さんの顔から笑顔が消えた。


「……そうや。おまはんは女やない。わてとおんなじ男や」


 わての顔から手が離れていった。

 離れた手は、硬く握られ、旦那さんの膝の上に置かれた。


 やっと気付きはった。

 やっぱりこの人は、わてのことなんか……


「……せやけど、わては男のおまはんが好きや。

今まで好きになった女子なんか、問題にならんくらい好きや。ずっと一緒にいてたいんや」


 まだ言わはるか……


「……わての好きは、おまはんをわてだけのもんにしたい。誰にも触らせたない。抱きたい。一つになりたい。そういう意味でもある」


 ……え?


「……せやから、この気持ち、今は無理かもわからん。せやけど、いつか信じて欲しい」


 旦那さんの目から涙がぽろりと溢れ、頬につたった。


 旦那さん、泣かせてしもた……

 泣くほど、思い詰めてはった……


 ほんまにこの人は優しいお人や。

 やっぱりわては大好きや、このお人が。


 ……もう少し、勇気出してみよ。


 手を伸ばして、伝った涙を指で拭った。


「泣かんといとくれやす……」


 涙は止まらんかった。

 後から後から、旦那さんの目から溢れて来た。


 ……あと少し、勇気だそ。


 両手で、初めて旦那さんの頬に触れた。

 旦那さんの目が丸くなった。


「すんまへん、冷たい手で……」


 最後のありったけの勇気や。


「旦那さん、笑っとくれやす」


 気持ちを押さえつけんと、旦那さんに心の底から微笑んだ。


 旦那さんの綺麗な可愛いらしくて男前の顔が歪んだ。


 あかん。笑うてくれはるどころか、完全に泣いてしもた。


「……すんまへん」


 手を引っ込めようとしたら、掴まれた。

 そのまま抱き寄せられ、気づくと旦那さんの腕の中やった。


 旦那さんが、わてを抱きしめてはる……


 涙声で旦那さんがわてに聞いた。


「……傷、痛ないか? 大丈夫か?」


「……へえ」


 力が強なった。


「……正太」


 やっと名を呼んでくれはった。


 優しい声が耳に届く。

 旦那さんの息遣い、体温、鼓動、全部わかる。

 旦那さんに包まれてる。


 ほんまに、ほんまに幸せや。


「……正太、正太、正太」


 こんな幸せな気持ち、初めてや。


 永遠にこのままでいたい……

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