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葉を見ず、花を見ず  作者: 喜世
第6章 真実
56/68

【6-5】恋は無情の種

 永之助さんの舞台の初日が無事に開いた。

 劇評も良く、SNSも盛り上がっている。


「梅村くんありがとう! ほんとに良いお席で観られた!」


 菊池さんに感謝されたけど、俺じゃない。社長の力だ。


「社長に伝えておきますね」


「今日だよね? 二人で楽しんできて」


「ありがとうございます」


 菊池さんみたいに楽しめる余裕があるかはわからない。




 午後、社長と二人で都心の劇場へ向かった。

 人がまばらな電車の中で、たわいもない話をする。


「仕事で観劇ってやっぱり好きになれない」


 素の社長。最近クールモードが多いから嬉しい。

 やっぱりこっちの方が好きだ。


「ザ関係者!って感じじゃん」


「我々は関係者ですからね」


「そうだけどさ……」


「永之助さんがイメージキャラクター就任中は仕方がありませんね」


「いつまでやってもらおうかなー。襲名するまでかなー」


 こちらが仕事モードで話してるのに、社長は健一さんのまま。言い方が可愛い。


「……近いうちにされるんですか?」


「お父さんがそろそろ大きい名前継ぐって噂があるから、親子二代でって噂はあるにはある」


「そうなんですね」


「……その前に、テレビの主演だよ。今日何か新しい話聞けるかな」


 観劇後に楽屋訪問の予定。梅吉はかなり楽しみにしてる。

これが旦那さんに知られたら、怒るだろうな……


「主演はすごいですね」


「ねー。あ。そうだ。撮影観に行こうよ。来年の春先に歌舞伎休んで撮るらしいから」


 来年の春……


 俺はどこで何してるんだろう……

 そんな先のこと、今は考えられない。


 俺の暗い気持ちを察したのか、楽しそうに話していた社長の顔が曇り、そわそわし始めた。

 これは聞きにくい事を切り出す前触れだ。


「あの、さ……」


「はい。なんでしょう」


「……久田たちと、メールしてる?」


 山川課長から情報が行ったんだ。当たり前か……

 クールモードの社長に問い詰められるよりはマシだけど、素の社長に聞きにくそうにされるのも辛い。


「……責めてるわけじゃない。……ただ、あいつに変なことや嫌なこと言われて無いか、気になって」


 これは私情だ。社長としての懸念じゃない。


「大丈夫です。お気になさらず。基本的に仕事の話ですから」


 秘書として対応したのに、社長は私情に囚われたままだった。


「……ごめん」


 この人はなんで謝るんだろう。何を謝ってるんだろう。


「……何がごめんなんですか?」


 社長の瞳が揺れた。


 やっぱり社長と旦那さんは俺たちに何かを隠している。

 大阪出張の後から、ずっと……


 旦那さんの未練の確認より、こっちが先だ。


「……松吉さんの日記に、梅吉の事が書かれてたんですよね? 何が書かれてたんですか? 教えて貰えませんか?」


 社長は俺から目を逸らし、俺の頼みを拒んだ。


「……ごめん。……聞かないで欲しい」


 はいそうですかと素直に引き下がれない。


「……何故ですか?」


「……それも、聞かないで欲しい。……ごめん」


 俺は引かずに攻めた。


「……私が聞いたらまずい内容が書いてあるってことですね?」


 消えたままの記憶だ。きっと。


「記憶に無いままの方がいい……」


 社長は窓の外を眺めたまま、こっちを見てくれない。


「嘉太郎と決めた。教えるつもりはない」


 結局、梅吉は旦那さんのモノで、俺は社長のモノ……


「勝手ですね……」


 ついつい出てしまった心の声。社長に咎められはしなかった。


「……しょうたの為だ」


 その『しょうた』は、俺には『翔太』と聞こえ、梅吉には『正太』に聞こえた。


-----------------------------------------------------------------------------------------

 開演前に劇場で物販コーナーの視察。

 許可をもらって写真撮影。


「いい場所もらえたね」


「はい」


 眼につきやすい場所。こうしている間も結構な人が手に取って見てくれている。


「結構数も出てるって。後で売り上げデータ貰っといて」


「かしこまりました」


 これが俺のLOTUSでの最後の仕事だ。

社長には最後によくやったって褒めてもらいたい。

 正直、数字よりそっちの方が何倍も嬉しい。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


「はい」


 そしてきっとこれが最後の社長との観劇。

 そして、梅吉にはきっとこれが最初で最後の旦那さんの隣で観るお芝居。






 終演後、社長のお供で楽屋訪問。

舞台衣装のままの永之助さんが迎えてくれた。


(あかん、かっこええ……)


 梅吉はポーッとしてる。

 俺は素直に永之助さんに観劇の感想を伝えた。

 なのに、社長の機嫌がだんだん悪くなっていった。

 ほんと、旦那さんの梅吉に対する執着が酷い……


 だけど、永之助さんはニヤニヤ。


「また健ちゃんはやきもち焼いて……」


「焼いてなんかない」


「そう? じゃあ梅村君、ちょといい?」


「はい、何でしょう?」


 突然俺を引き寄せバックハグしたと思ったら、自撮り。

 顔が近い。

 梅吉のドキドキが激しい。


「健ちゃんこの写真、SNSに載せていい?」


 永之助さんは俺を抱いたまま、そう言った。


 え?


 永之助さんのその質問にしばらく考えた後、制限付きの許可を出した。

 眉間に凄い皺がよった状態で。


「弊社社名及び、弊社商品名を記事に入れること、梅村の名前は絶対に記載しないこと、それさえ守っていただければ」


 でも、社長としての正常な判断ができてるから、まだ大丈夫だ。


 永之助さんにバックハグされたまま、耳元で囁かれた。


「……嫉妬深い社長さんだ。……でもやっぱりそれだけ君が大事なんだね」


 いい声と色気で、梅吉は悶絶。

 それが俺の顔にも出てたのか、とうとう社長も抑え切れないくらい、旦那さんの怒りが頂点に達したらしい。


「カズ、いい加減に……」

 

 永之助さんはすぐ俺を解放してくれた。


「健ちゃん、話がある」


「は? なんの?」


「大事な話。梅村君、ごめんだけど、ちょーっと外で待っててくれるかな?」


 言われた通りに外に出た。


-----------------------------------------------------------------------------------------

『めっちゃかっこよかった……』


 過剰ファンサービスに、梅吉は大興奮。


(ほんとにSNSに載せる気かな……)


 俺は写り具合が分からない写真をSNSで晒される不安。


 少しすると梅吉は落ち着き、俺も仕事だから仕方がないと諦めた。

 ぼんやりとお芝居の内容を思い返す。


『あの二人、天国でまた一緒になれるんやろか……』


 旦那さんからの再三の極楽行きの誘いを断ったのに。

 いや、本当に旦那さんが梅吉を愛してくれるなら、梅吉は受けたんだろう。

 きっと……


(……なれるよ、きっと)


 なってほしい。


『……翔太はんは、ちゃんと嬢はんとこの世で一緒になって、幸せにならんとな』


(頑張ります……)


 問題は山積みだ。俺の仕事、結子さんの家族のこと、梅吉のこと、旦那さんとのこと……


『わては邪魔せんよう、早よ娑婆から去る方法考えます』


 ふっとロミオとジュリエットの最期を思い出した。

 ロミオは毒、ジュリエットは短刀……


(早まるなよ、絶対に)


『分かってます』






 少しすると二人は楽屋から出てきた。永之助さんが社長のお見送り。


「本日はご観劇いただきありがとうございました。

これからも精進しますので、ご贔屓のほどよろしくお願い致します」


「こちらこそ、また来させてもらいます」


 永之助さんは俺にまた声をかけてくれた。


「梅村君またね。健ちゃんに詳細伝えといたから、一緒に撮影観にきてね!」


 話って、主演ドラマのことだったんだ。

 観に行けるかは知らないけど……


「はい。ありがとうございます」


 社長と二人で劇場を後にした。


-----------------------------------------------------------------------------------------

「……では、次の駅なので」


 そう断って席を立つと、健一さんがついてきた。


「……家の近くまで送って行ってもいい?」


 社長として、久田さんの手配してるであろう探偵を日々最大限警戒してるけど、

健一さんとしてはあまり警戒してないのかもしれない。


 もう少し健一さんと一緒にいたい俺は、断らずに受け入れた。

 梅吉は寝てしまったけど。




「久しぶりだ、この駅で降りるの」


 そうだ。こうして一緒にここまで来るのは、去年大阪出張帰りに荷物持って送ってくれたあの日以来。

 あの時は、旦那さんはまだ眠ったままだった。


「その節はお世話になりました」


「赤城さんに後で文句言われた。『わたしより先に梅村くんの家に入って!』って」


 俺の家までの道を主に仕事の話をしながら、ゆっくり歩く。

時々学校帰りの学生とすれ違う程度。住宅街だからすごく静かだ。


 話が変わるけどと断った後、健一さんは旦那さんの話を始めた。


「……今日嘉太郎、強く心に決めてた。

梅吉君と極楽で未来永劫暮らすって。……恋人同士でね」


「……それが、旦那さんの未練ですか?」


 やっとすんなり冷静に聞けた。でも健一さんは笑って言った。


「……ううん。それは最終で最大の目標。未練は他にある」


「……え?」


「今の梅吉君だと、一人で嘉太郎を極楽に行かせようとして絶対に無理をする。

だから言えない。ごめん」


 それはそうかもしれないけど……


「梅吉君と自分の未練、両方晴らして一緒に極楽に行く」


 旦那さんの未練がわからない。

 梅吉の未練が晴れることはない。

 無理な話だ。


「……だから、梅吉君にはゆっくりでいいから、嘉太郎の気持ち、信じてもらいたい」


 そんな悠長な時間も心の余裕もない。


 一日でも早く、旦那さんの目を覚させ諦めさせないと。


 そう思った瞬間だった。


-----------------------------------------------------------------------------------------

 俺の家のそばの公園の前で、健一さんは立ち止まった。


「……もう少し話したい。いい?」


「……はい」


 毎日顔を合わせてるのに、どうしてこんなにもこの人と別れ難いんだろう。

 やっぱり前世が、梅吉の本当の気持ちが、こうさせてるんだろうか。


 夕方の静かな公園のベンチに、二人で座った。

 子供たちが一人、また一人と帰って行くのを眺める。

 健一さんはスーツのポケットから小さな包みを取り出すと、俺に差し出した。


「……ちょっと早いけど、28歳おめでとう」


 誕生日プレゼント?

 また喜びより驚きが先に来た。


「ありがとうございます」


 前は健一さんが俺にくれた。友達として。

 嬉しかった。


 でも、本当にあれはそうだったんだろうか。

 旦那さんの梅吉に対する所有欲が、そうさせてるんじゃないだろうか。


 去年もらったボールペン、辞表書いた後に仕舞いこみしばらく使わないでいたら、

健一さんはなんて言った?


『俺が前にあげたボールペンだけどさ、どうした?』

『こんな事いままで彼女にも言った事ないのに。ほんとどうかしてる、俺』


 引っ張られてたからだ、旦那さんに。


 そうだ。

 健一さんから俺にじゃない。


 旦那さんが、梅吉を堕とすために……


「……翔太?」


 顔に出たかもしれない。慌てて笑顔で誤魔化した。


「年々忘れるものですね、誕生日って。見てもいいですか?」


「どうぞ」


 今年のプレゼントは名刺入れ。

 俺の名前がまた入ってる。


「ありがとうございます。大事にします」


 前は素直に喜んだ。嬉しかった。


 今はもう、ダメだ……




「……少しだけ、嘉太郎と梅吉君に時間くれない?」


 健一さんに打診され、俺は梅吉に聞いてからと返した。


(どうする?)


『……旦那さんに、諦めてもらいます。会います。今日がほんまに最後だす』


(わかった)


-----------------------------------------------------------------------------------------

「梅吉、元気…… か?」


 恐る恐るの旦那さん。


「へえ。おかげさまで」


 作った笑顔を浮かべる梅吉。


「……無理してへんか?」


「へえ。なんも」


 沈黙の後、旦那さんの手が伸びてきた。


「……梅吉」


 梅吉はその手が頬に触れる前に阻止した。

旦那さんの手首を掴んで。


「……ええ加減、目を覚ましとくなはれ」


 剣道で鍛えた俺の握力より、日々鍛えてる健一さんの筋力のほうが確実に強い。

 でも旦那さんは力で振り解かず、掴まれた腕を引っ込めた。


「旦那さんの好きは、わてのとはちゃいます。

どうしていつまで経ってもわかってくれへんのだすか?」


 梅吉は旦那さんをまっすぐ見つめそう言った。


「一緒や」


「全く別もんだす」


「ほんまに好きなんや。好きで好きでたまらへんのや」


 また手が伸びてきた。梅吉はその手が顔に触れる前にまた阻止した。

 でも旦那さんは、掴まれた手と違う手で俺の頰に触れた。


「正太」


 本当の名を呼ばれ、暖かい手で久しぶりに触れられ、梅吉の心が酷く乱れた。

 でもそれを必死に押し殺し、身体ごと顔を背けた。


「……わては梅吉だす」


「薔薇は他の名で呼んでも、甘い香りは変わらへん。名前にもう意味はない。

どう呼んでも、わてがおまはんを好きな気持ちは変わらへん」


 そんな、今日見たお芝居の有名なセリフを流用しても、口説いても……


 梅吉は深呼吸して心を落ちつかせると、心の内を少し吐き出した。


「……口先だけで、好きや好きや言われ続けるんが、どんだけしんどいか。

旦那さんには、分かれへんと思います。せやけど……」


 旦那さんは黙ったまま。


「わては子どもやありまへん。わてかて男だす……」


『旦那さんは、梅吉を抱けますか?』と健一さんを通して聞いて傷ついた。

 梅吉の精一杯の、直接旦那さんに向けた悲鳴だった。


 自分と同じ気持ちなら、好きだというのなら、抱きしめて欲しい。

 愛してくれるというのなら、受け止めて欲しい。


 でも、旦那さんはしてくれなかった。


「すまん。ずっと我慢させっぱなしで…… 

今のややこしいことが全部終わったらな、一緒に……」


 ダメだこれは……


 どうせ久田と番頭を倒しても、何も変わらない。


 『好き』という言葉が、梅吉を苦しめ続ける。


 生き地獄だ。



 梅吉は突然笑い出した。


「……もうええわ」


 でも、全く楽しい笑い声じゃない。

 絶望、諦め、やりどころのない怒りがこもった笑い声。


 旦那さんはぎょっとした様子で梅吉を見守っている。

 

 梅吉は突然ぴたりと笑うのをやめ、満面の笑みで旦那さんを見つめて言い放った。


「あんたなんか、大っ嫌いや」


 旦那さんが凍りついた。


 お坊ちゃんだから、嫌いだなんて誰にも言われたことがなかったに違いない。

 しかもその言葉を言った相手は、弟のように可愛がっていた手代だ。


 何も言わない旦那さんに、梅吉は一方的に言い切った。


「あん時の答えが欲しいんでっしゃろ? これがわての気持ち、答えだす。

ほな、さいなら」


 梅吉は俺に主導権を投げつけると、眠りについた。


-----------------------------------------------------------------------------------------

 請われても、もう梅吉を旦那さんに会わせる気はない。

 俺からも言いたい。


「旦那さん、お話いいですか?」


「……はい」


「なんで後先考えずに、好きだなんて言ったんですか?

言わなければ、梅吉はずっと貴方に手代としてお仕えしたのに。

貴方のモノだったのに」


 旦那さんは俺をまっすぐ見つめて言った。


「……ほんまに梅吉が好きやから、梅吉とおんなじ気持ちやから、好きて伝えたんです」


 本当にこの人は……


「……貴方は梅吉を愛してなんかいない。

自分の物が誰かに取られるのが嫌だから、取り返したいだけです。

いい加減それに気付いてください」


 すると、旦那さんは酷く冷めた目で俺を見た。こんな目で健一さんに見られたことはない。


「梅吉がわてを信じてくれへんのは、翔太はんも健一はんのこと信じてないからやな……」


「……は?」


 何を言い出すんだいきなり。


「さっきのぷれぜんと、わてが梅吉堕とすために健一はんに買わせたて思うてはる。

去年のぷれぜんとのぼーるぺんもそうやて絶対思てはる」


 筒抜けだった。なんなんだこの人は一体。


「……俺の考えてることがそんなに分かるんなら、梅吉の気持ちなんかもっとわかるでしょう?」


 旦那さんは俺から目を逸らせた。

 ほら、やっぱり……


 自分のことなんかもっとわかるはずだ。

 梅吉を愛してなんかないって。


「酷い人だ……」


 言い返してこない。

 最後の一押しだ。


「早く一人で成仏してください。そして、健一さんを早く解放してください。

健一さんの俺に対する言動全てが、貴方のその梅吉に対する酷い執着心に引っ張られています。

このままでは、社長は専務と満足に戦えません」


「ちゃいます。翔太はん、思い込みで突っ走ったらあきません」


 健一さんみたいなことを言って……


「思い込みじゃない。事実です。こんなポンコツ、辞めさせる機会はいくらでもあった。

なのに社長は絶対に辞めさせてくれなかった……」


 旦那さんは食い気味で俺に反論した。


「それはわてのせいやない。健一はんの意思や。翔太はんに傍に居てほしかったからや」


 違う。絶対に。

 

「そう仕向けたのは貴方だ。本当の社長は俺なんか必要じゃない。

一人で何でもやれる優秀な人だ」


 旦那さんはなぜか笑った。


「……ねがてぃぶなことばっか考えて、落ち込んで、思い込んで、突っ走って。

ほんま、梅吉と一緒やな」


 元が一緒の魂。当たり前だ。


「悪い方に考えすぎや。思い込んだらあかん。

もっと気を楽にしてほしい。自信を持ってほしい。

……わてらを信じてほしい」


 無理だ。信じたいけど、信じられない。


「……今は無理かもわからん。

せやけど、わてらは絶対に諦めん。わてらの想いが、通じるまでは」


 そんな日は来ない。未来永劫。


「ほな、今日はこれで失礼します。また明日」


 ニッと笑って、旦那さんは帰って行った。




 太陽はとっくに沈み、どんどん空は暗くなっていき、月が出た。


 ふと思い出した。

 旦那さんは梅吉に言った、梅吉は月に似てるって……


 月は太陽が無いと輝けない。

 間違いなく、梅吉の太陽は旦那さんだった。


 俺の太陽は……


 誰だ?


-----------------------------------------------------------------------------------------

 その夜は酷く寝つきが悪かった。

 諦めてビールを飲み、本を読み、どうにかやっと眠れたけれど、変な夢を見た。




 夕方、俺は社長室のデスクで仕事をしている。

ソファに座っている社長に呼ばれた。


『ちょっとこっち来て』


『はい、なんでしょうか?』


『ここ、座って』


 言われるがまま社長の隣に座ったとたんに、押し倒された。


 なんだこの夢は……


 俺の身体の上の健一さんが、俺の顔を覗き込んでいる。


『翔太』


 毎日呼ばれてるのに、ドキッとしたのはなんでだろう。


『いい?』


『……何がですか?』


『……抱いても』


 は?


 健一さんはジャケットを脱ぎ、ネクタイを抜き取った。

 俺の好きな仕草で。


 かっこいい……


 ついつい見とれてしまったけど、そんなことしてる場合じゃない。


『……こ、ここじゃダメです。まだ明るいですし、就業時間中なので誰かが来ます』


 何言ってるんだ俺は! そうじゃないだろ!


『暗いと翔太が見えないでしょ。鍵してあるから大丈夫。それに、仕事中ってのが興奮しない?』


『……はあ』


 ダメだって言えよ俺!


『……翔太、他所見てないで、俺だけを見て』

 

 健一さんは、今まで見たことない目をしていた。

 男の欲に囚われた、男の目。

 俺だけに見せる目だ。


 嬉しい……


 待て!

 なんだこの胸の高鳴りは。

 なんだこの興奮は。


『翔太、両手出して』


 言われるがまま従うと、健一さんは解いたネクタイで俺の手首を縛り始めた。


 それは、俺が誕生日プレゼントで贈った物。

 社長室詰めの日や、一緒に外出するときに締めてくれてるけど、まさかこういう使い方をされるとは……


『大切な人は、大切なもので、大切に縛らないと』


 俺は健一さんの大切な人?

 俺が送ったネクタイは大切なもの?


 幸せだ。嬉しい。


 ……待て。


 なぜ俺の手首を縛る必要がある?

 俺にこんな趣味はない。

 旦那さんも健一さんも優しい人だ。

 こんな趣味があるように思えない。


 いくら旦那さんが梅吉に執着してても、ここまでするか?


 でも、この男は旦那さんじゃない、健一さんだ。

 俺は梅吉じゃない、梅村翔太だ。

 

 これは俺の見てる夢だ。

 これは俺の願望か?

 いや、梅吉の願望か?


 あれ?


 なんか、ネクタイがやけに腕に食い込んで痛い。


 手首を見ると、ネクタイは知らない間に荒縄に変わっていた。


 ……なんだこれ?


-----------------------------------------------------------------------------------------

 気づくと健一さんは消え、場所も社長室じゃなくなっていた。

 ここは、土蔵?


 着ているものもスーツから着物になっていた。


『目覚ましたか?』


 誰かが俺の顔を乱暴に掴む。

 番頭だった。


『まだあのボンクラに未練あるんか?』


 これは夢か?


『……あの男は女しか抱けんかった。それにもう死んだ。土の中で腐り始めてる。諦めや』


 なんだこれは。


『……せやからな、代わりに俺がお前の望み叶えたるわ』


 ……は?


『なんやその顔は? あぁ……』


 番頭はニタリといやらしく笑うと、硬い土蔵の床に俺を押し倒した。


『安心しや。可愛がってやるさけ……』


 番頭の手が俺の襟元に伸びてきた。




 そこで目が覚めた。


 寝汗、吐き気、息苦しさ、目眩、耳鳴り……


 酷い。


『翔太はん! どないしました!? 大丈夫だすか!?』


 さっきの夢を梅吉は見ていない。俺だけが見たらしい。

 恐る恐る夢の記憶を共有し、確認を取る。


『……どう思う?』


『前半は、わての願望が混じったんやと思います。すんまへん……

後半は、絶対に願望やありまへん。

わて番頭さん嫌いやったし、今でも嫌いやし、

男として見たことなんか、いっぺんもありまへん』


 番頭は梅吉を虐待して洗脳しようとした。

 あの時の記憶か?


 それとも……


『わてらが忘れてる記憶やろか』


『松吉さんの日記に書いてあったことかな?』


 旦那さんと社長が、俺らに隠し通そうとしてる事か?


 その夜、全く寝られなかった。

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