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葉を見ず、花を見ず  作者: 喜世
第6章 真実
55/68

【6-4】人は上辺によらぬもの……

 出張から時が経ち、九月に入ってしまった。


 久田さんはなぜが出張直後から突然、俺に接近しなくなった。ダブルスパイがバレたのか、何か企んでるのか、全く理由がわからない。

 怪しんだ社長が四方八方から調べさせてる間に、時が経ってしまった。


 でも、俺も梅吉も内心ほっとしている。


 日に日に増す久田さんへの恐怖心、嫌悪感に苛まれなくて済むから。

 でも、松田先輩は相変わらず警戒して俺を守ってくれている。小池部長も部内に指示を出して俺と久田さんが二人きりにならないようにしてくれてる。

 久田さんの考えがわからないし、何より久田さんを追い出すための闘いの準備が万全じゃない。


 だから、俺も気を抜いたらいけないのはわかっている。




 社長室詰の日のお昼の時間。旦那さんと梅吉に充てられていた時間は、俺と社長の時間になった。


 梅吉は結局一度も旦那さんと会っていない。

 だけど、俺と社長は普通に接して普通に話してる。


「永之助、だいぶ稽古進んでるみたい」


「そうなんですね」


 と言うことは初日も近い。

 公演期間に劇場で販売する商品はもうすぐ最終試作品が出てくる。

 初日に向けて色々やらないといけないことがいろいろある。


 ……仕方がないけど、舞台鑑賞が楽しみ、っていう感情は二の次、三の次だ。


「梨奈さんは、詳細はまだ言えないらしいけど、映画一本と単発ドラマ撮ってるらしい」


「お忙しいですね」


「菊池さん、ファンクラブの新設と運営で休みの日も忙しくて准ちゃんが半分以上家事してるってさ」


「いい旦那さんですね。見習わないと」


「だね」


 ……でも絶対にもう一人の自分には触れない。




 今日も定時が来た。


 今日こそ、今日は……

 そう心を決めて、社長に話しかける。


「……あ、あの」


「何?」


 真っ直ぐ見つめてくる社長の目。

 喉まで出かけた言葉を、他の言葉に置き換える。


「……お疲れ様でした。失礼します」


 ただそれだけ。


「……お疲れ様」


 社長は寂しげに微笑むだけ。何も言わない。


 そして社長室を出て扉を閉めると、中から社長のため息が微かに聞こえる。


 この繰り返し。


 向き合わないといけないのはわかってる。大事なことを話さないといけないのもわかってる。


 でも逃げている。

 目の前の仕事と、目先の問題に。




 そんなことを繰り返し、九月も終わりになったころ。いつもと同じことを繰り返した後に社長室を出た俺は、心臓が止まるかと思うほど驚いた。


 久田さんが、社長室の前で待っていた。


-----------------------------------------------------------------------------------------

「話がある。ちょっと来い」


 行きたくない。


「すみません。これから用事があるんですが……」


 本当に結子さんと食事に行くっていう用事がある。

 事務室に絶対に結子さんはいる。逃げれば助かる。


 一歩踏み出した俺の前に久田さんが立ちはだかった。


「……専務命令だ」


 不快感と恐怖がじわじわ込み上げてきた。

 でも従うしかない。

 ぐっとこらえて、営業スマイルを久田さんに向けた。


「……分かりました。すみません、忘れ物取ってきてからでいいですか?」


 社長室に戻って、社長に助けて貰おう。

 その安直で他力本願な考えが見透かされていたのか、また行く手を阻まれた。


「すみません、財布忘れたので……」


 どうにかすり抜け、社長室のドアノブを掴んだ。


 これで逃げられる。


 そう思った俺が甘かった。

 久田さんが俺の腕を掴み、ドアノブから引き剥がした。


「……いいから来るんだ!」


 怖い。


 我を忘れて梅吉を部屋から引きずり出したあの日の旦那さんよりも、ずっと怖かった。


 嫌だ。


 今まで久田さんはずっと接触してこなかったのに。なんで今日突然?


 今日は松田先輩が健康診断で早退。小池部長は出張。浮田さんは朝からやたらかかって来る電話の対応ばかり。他のみんなも朝から忙しかった。

 ……隙を突かれたんだ。


 怖い。


 久田さんは俺の腕を掴み、どんどん歩いていく。どこに連れて行く気だろう。

 狭い部屋、倉庫や守衛室は絶対に嫌だ。


 怖い。


 でも、振り切って逃げる勇気も、声を出す気力もない。下手に逆らうと、今後の闘いに影響しかねない。


 寝ていたはずの梅吉が突拍子もないことを言った。


『……翔太はん。主導権もらいますね』


(え!? なんで 今!?)


 このタイミングで代わるメリットが全く分からない。

 でも梅吉は引かなかった。


『……ええから、はよ』


(は!?)


『翔太はんには任せられん!』


 拒む俺を無視して、梅吉は半ば強引に俺の身体の主導権を奪った。


-----------------------------------------------------------------------------------------

 久田さんに連れて来られたのは、屋上だった。


 密室じゃ無くてよかったとほっとしたのもつかの間、梅吉は久田さんの手を振りほどき、恐ろしく無感情な口振りで、話しかけた。


「……その身体、どないしはったんだすか?」


 どういう意味だ?


「……姿形は全部ちゃうけど、番頭さんでっしゃろ?」


 ……は?

 番頭さん? あの番頭?


『……社長さんが久田さんのこと苦手なのも、わてが最初から怖がってたのも、

わてらが最近、異常に怖い嫌やと思ってたのも全部、番頭さんの魂から出てた気に触れてたということだす』


 久田さんは笑い出した。


「久しぶりだな。梅吉」


 本当にこれが番頭さんだったら、梅吉はものすごく怖いはずだ。

 でもその恐怖心を、ありったけの気力で押さえつけている。

 俺にできる事は、梅吉をサポートするくらいだ。


 この期に及んでも、梅吉は丁寧な言葉遣いを崩さない。


「……久田さんのその身体、どないしはったんだすか?」


 俺や健一さんみたいに、生まれ変わりじゃなさそうだ。

 久田さんの顔をした番頭は死んだ後からの出来事を話し始めた。


「俺は、地獄にも極楽にも行けずに、あの世とこの世の間を彷徨っていた」


 どういう人間がそこへ行くんだろう。梅吉は行ったけど旦那さんは行かなかった。


「まだ二十歳そこそこの久田が、あそこに来ていた」


 過去の久田さんに何があったんだろう。なんでそんなとこにいたんだろう。


「不思議と馬があってな。だが、こいつは娑婆に引き戻された。その時俺は一緒にこの世に戻った」


 俺と梅吉の一年、健一さんと旦那さんの半年とは大違いだ。でも俺らは元は同じ魂。こいつらは別の魂。

 そこまでして番頭はこの世でなにがしたかったんだ?

 この世に何の未練があったんだ?


「だが、娑婆に戻ってきた俺に自由はなかった。

ずっとこいつの背後霊みたいなものだった。違うな…… 寄生虫だ。

何年も掛けて少しずつこの身体を奪ってきたんだからな……」


 自分を卑下して笑う番頭が不気味でしょうがない。

 寒気さえする。


「久田さんはそないなこと、許してはるん出すか?」


「もちろん。そもそもこいつは生きてることに未練はなかったんだ。俺が取って代わるのは承知の上だ」


「……何のために?」


 何のために?そこまでして何がしたい?

 久田さんの顔がニヤリと笑った。


「一つ目は…… 俺と久田を人間扱いしなかった蓮見家のやつらへの復讐だ。なにもかも奪って、俺のものにするためだ」


 番頭は生前そんなに蓮見家の人たちを恨んでたのか?


「久田の蓮見姉弟への恨みの感情も凄まじいぞ。

魂自体は年々弱くなってきているのに、恨みの感情だけは、年々強くなっている」


 今まで聞いた久田さんの過去を思い返せば、わからないでもない。

 舞さんに結婚を断られ、健一さんに社長就任の夢を断たれた……

 間違いなくその恨み。


「この久田の恨みは晴らしてやりたい。最後の望みは叶えてやりたい。

……元を正せば俺が蓮見家を潰すのに失敗したのが悪いんだからな」


 旦那さんを牢に入れるように仕向けたのは、毒殺したのはやっぱりこいつだ。

 怒りで震える俺らは、番頭を睨みつけた。


「……いいな。あの時と同じ目だ」


 ニヤニヤされ、虫唾が走った。


「……あの時?」


 何を言っているんだ?


「忘れたのか?」


 全く心当たりがない。

 俺らから欠落している記憶なのかもしれない。

 忘れてることが俺らにプラスなのか、番頭にプラスなのか?どっちだ?


「……ほう」


 笑ったその顔が、不気味で仕方がない。


「……どこまで覚えてる? 何を覚えてる?」


 分からない。


「……どこから忘れた? 何を忘れた? 」


 問い詰める番頭のせいで、突然過去の記憶の断片がフラッシュバックした。


 今日みたいに俺の手首を掴み、俺を蔵に連れ込む番頭。

 匕首を持った血まみれの俺の手。

 松吉さんの泣き声。


 分からない。この記憶が何なのか。


 俺はこの半月なにしてたんだ。しっかり健一さんと話すべきだった。

 頼み込んで、あの松吉さんの日記を読ませて貰うべきだった。


「……まさか、お前が俺にしたことも忘れたか? え?」


 ……俺が梅吉だった時にしたこと?

 俺は何をしたんだ?


 また番頭はニヤッと笑った。


「それなら思い出させてやろう。俺が……」


 それはものすごい怒鳴り声で掻き消された。


「黙れ久兵衛!」


 旦那さんだった。

 俺と番頭の間に割って入ってきた。


「大丈夫や、梅吉」


 梅吉を安心させるように優しく微笑むと、人が変わったように番頭を睨みつけた。


-----------------------------------------------------------------------------------------

「これはこれは、旦那さん。一別以来で」


 番頭は慇懃無礼に旦那さんに向かってお辞儀した。


「大変でしたねぇ。まさか、庇ってやった手代に殺されるだなんて……」


「黙れ大嘘つきが!」


 ここまで怒鳴る旦那さんは珍しい。


「心外な。旦那さんが牢に入ってる間、店を守ったのは誰だとお思いですか?」


「極悪人が! わてを殺して、店を乗っ取ったのはお前やろうが!」


「違います」


「黙れ! わてだけやない。お祖母様、正次郎、母、父、蓮見家皆殺しにしたのはお前や!」


 みんな病死だと思っていた。

 そうじゃなかったのか?


 番頭は鼻で笑った。


「何を根拠に?」


「松吉が全部記録に残してるわ!」


 今度は舌打ち。


「あいつも殺しておけば良かった……」


 番頭は開き直ったらしく、眼鏡を取ると全く悪びれた様子もなく喋り始めた。


「……蓮見家を皆殺しにはしていない。徳三郎を仕損じたからな。この手代のせいで」


 俺らは睨まれ竦んだ。


「お前のせいで、この時代まで蓮見家が残るはめになったんだ。この役立たず!」


 理不尽な罵声を浴びせられ、怯んだ俺ら。旦那さんは引き寄せ、背後に隠した。


「梅吉に話しかけるんやない! ……梅吉。ここはもうええ。はよ行き」


 こんな殺人鬼と社長の身体を二人きりにさせたらダメだ!

 番頭が社長に何をしでかすか分からない。

 社長の身を守らないと!


「あきません、旦那さんの身が危険だす!」


「心配すな」


「あきません!」


 俺らのやりとりを見ていた番頭が声を上げて笑った。


「心配しなくてもいいぞ、梅吉。この時代に手に掛けるわけが無いだろう?

じきにこの会社は俺のもの。俺の経歴とこの会社に傷をつけるわけには行かないからな」


 旦那さんがまた食ってかかった。


「そないなこと絶対にさせへん! この会社は、蓮見の家のもんや!」


「いつまでそんな口が聞けるか、楽しみだ」


 眼鏡を掛け直すと番頭は旦那さんに近づき、冷たく笑った。


「……もうすぐこの身体は俺の物。そうしたら、最初に貴方の一番大事な物、遠慮なくいただきますよ」


 旦那さんは番頭の胸ぐらを掴んだ。


「絶対にそないなことさせへん!」


 番頭は自分で旦那さんの手を払い除けると、緩んで曲がったネクタイを締め直した。


「……まあ、せいぜい頑張ってください。旦那さん」


 またお辞儀をすると、笑いながら去った。


-----------------------------------------------------------------------------------------

「……絶対に一人で久兵衛に近づくんやないで。近づかせてもあかん。ええな?」


 声が震えている。根は優しく大人しいヘタレな旦那さんだ。恐かったんだろう。

 でも梅吉を守るために……


「落ち着いとくなはれ。わてより、旦那さんと社長さんの方が危険だす」


 あんな事言ってても、何するか分からない。


「わてらは大丈夫や」


「旦那さんの大丈夫は、大丈夫とちゃう!」


 大丈夫と言って、二度と帰ってこなかった。

あんな思い二度としたくない。


「正太……」


 ドクンと心臓が跳ねた。梅吉はそれを無視するように、何も言わずに俺に主導権を返すと眠りに着いた。


 初めて旦那さんが梅吉の事を正太って呼ぶ瞬間を聞いた。

 健一さんと同じ声、同じ顔。

 でも、健一さんの『翔太』とは全く違う。


「……すみません、旦那さん。梅吉寝てしまいました」


 悲しげな目で、ジッと見つめられた。


「……梅吉はずっとこないな気持ちやったんやな」


 こんな気持ちって、どんな気持ちの事?


「目の前に居てるのに、姿も声もおんなじやのに……」


 そういう事か……


「自業自得やな…… すんまへん、失礼します……」


 旦那さんは無理して微笑んだあとに去った。




 戻ってきた健一さんは、かなり気が立っていた。

 その感情を抑える為なのかクールモードだった。


「一日でも早く久田をこの会社から追い出す。もう悠長なことやってられない」


「はい」


 明日から、本格的に動きが出るかもしれない。

 出される指示に備えようとしたのに、予想外のものが出た。


「明日から毎日終日社長室詰だ。いいな?」


 ……は?


「通常業務に支障が出ます」


「社長命令だ」


 理不尽すぎる。到底従えない。


「なぜ私が一日中社長室に詰める必要があるんですか?理由を教えてください」


「それは!」


 続かなかった。

 社長自ら自分の暴走に気づいてくれた。


「……ごめん。頭冷やすわ」


 盛大なため息をつき、髪を掻き上げた。


「……はい」


 そして、作戦会議の指示とともに、これだけは絶対に守れと命令された。


 旦那さんが梅吉に出したのと同じ物だった。


「久田に絶対に一人で近づくな。近寄らせるな」


-----------------------------------------------------------------------------------------

 それから数日間、久田さんが外出する日を狙って、社内の人間だけで極秘に数回に分けて作戦会議が行われた。


 部長クラス、課長・主任クラス、同期、後輩……

 俺は最後のグループに入るかと思いきや、締め出された。


 本当の社員じゃ無いから。

 やっぱり心の底では疑われてるから。

 どうせ俺はヘブンスに戻るから。


 っていうネガティブな考え。


 社長とはいつも一緒だから会議する必要は無い。

 後で二人きりで話してくれるに違いない。


 っていうポジティブな考え。


 両方が交互にやってくる。





 社長はすべての話し合いを終えた後、俺と一対一で話してくれた。


 もう間もなくヘブンスの社長が交代すること。そのタイミングで、久田さんと久田さんに味方する社員に解雇勧告を出すこと。

 間違いなく反撃にあうから、徹底抗戦すること。俺はすべて社長に従うこと……


 でも、一番強く厳しく言われたのは、『久田に絶対に一人で近づくな。近寄らせるな』だった。


 そういわれても、俺は企画開発兼社長秘書で、久田さんは専務だ。

 仕事でどうしても接触が必要なことはある。


 でもあの日以降、久田さんは俺に仕事以外で近寄ることはなかった。


 何か企んでるに違いない。

 そう思いながら警戒を続けた。


 そして今日も定時が来た。今日も社長に声を掛ける。


「あの……」


「なんだ?」


 社長は俺に目を向けない。対久田戦の準備に忙しいのか、クールモードでいる時間が多くなった。


「……いえ。なんでもありません」


 やっぱりこの忙しいときに、私情を持ちこんだら厄介なことになる。

 そう思うと、続きを言い出せなかった。


「今日はこれで、失礼します」


「あぁ、お疲れ様」


 背を向けた途端、社長に引き止められた。


「永之助の舞台の準備は?」


 仕事の話だ。


「楽屋花も、差し入れも、物販での製品も、全て準備完了しています」


 その報告に社長はニコリともしなかった。


「わかった。ご苦労」


 やっぱり仕事以外のことなんか、聞けない……

 

-----------------------------------------------------------------------------------------

「お疲れ」


 事務室の前で、久田さんに遭遇した。

 ぼーっと気を抜いて歩いてたのが間違いだった。


「おいおい。そんなに警戒しなくてもいいだろう。俺がそんなに怖いか?」


「いえ」


 弱みを見せたらダメだ。梅吉を起こしちゃダメだ。

 俺が自分で対応しないと。


「いいからデスクに来い。仕事の話がある」


 仕事だ。俺が話すのは番頭じゃない。専務の久田さんだ。






「……松田が煩いな」


 デスクを見ると、松田先輩がこっちを睨んでいる。

さっき荷物を置いた時に、久田さんから呼び出されたけど仕事だからって報告したのに。


「俺にお前を近づかせるなって社長に言われたんだろうが、俺はお前に手を出すつもりは無い。

そんなことより……」


 本当に仕事の話だった。仕事に集中している間は、恐怖心と嫌悪感は無くなる。

 全部終えると、久田さんは俺に聞いた。


「……何か質問は?」


「いえ。大丈夫です」


 悔しいが、久田さんは専務まで上り詰めただけはある。

 仕事はできる。説明も、指示も的確で分かりやすい。


「……仕事以外で、だ」


 ……それはある、いっぱいある。

 こっそりボイスレコーダーを起動させた。


「……いつ行動に出るつもりですか? 久田さんには時間が無いんじゃないですか?」


 『もうすぐこの身体は俺の物』って番頭が言っていた。それはいつなんだ?

 久田さんが行動を起こすなら、その前だ。


「まあな。お前らこそ、いつまでグダグダやってるんだ? いつ攻撃開始のつもりだ?」


 言うわけがない。


「……さあ。どうでしょう。次の質問いいですか?」


「……なんだ?」


「……データベースから、あの胃薬の調合情報を消したのは、久田さんですか?」


「……気付いたか」


「……あれはなんのためにですか?」


「……あれは、久兵衛からのメッセージだと思え。俺はここに居るってな」


 不気味だ。番頭が何を考えているのかわからない。


「……他は? あと一つだ。松田が怪しい動きをし始めた」


 最後、最後……


「……私を社長秘書に選んだのは、誰ですか?」


 ずっと竹内部長だと思っていた、閻魔様の差金とも思った。

でもここにきて疑念が湧いた。久田さんなのか、番頭なのか、確認したい。


「秘書候補はお前を含めて五人いた。俺と竹内は若い女にしようとしたが、

久兵衛は、お前だって言い続けた」


 ……結局、俺を選んだのは番頭ってこと?


「五枚の履歴書の中から、お前がいいって選んだのは社長だ」


 社長は俺を嫌々選んだ。この会社を守るために。

 『得体の知れない秘書なんて要らない』って社長に言われたことは忘れていない。

 でも、手帳に『秘書初出勤!』と書いてくれていたこと、

 『俺は翔太が欲しい』と言ってくれたこと。

 覚えている。


「ボンクラがポンコツを選んだ」


 俺のことをポンコツって貶すのは我慢できる。

 社長をボンクラ呼ばわりするのは許せない。


「前世からの愚かな執着心で……」


 反論できない。そうだ、全ては旦那さんの梅吉に対する執着が原因……


「……また聞きたいことがあれば教えてやろう。俺に近づけたらな」


 松田先輩は、どうやら新居さんをラボから呼んだらしい。

 二人でチラチラこちらを見ている。


 もう離れよう。みんなに迷惑かけられない。


「……それでもやっぱり俺に付く気は無いのか? 梅村、梅吉」


 俺はきっぱりと言い切った。


「……ありません。我々は最後まで、社長と旦那さんについて行きます。

貴方に付くくらいなら、死んだほうがマシです」


「……わかった。よく覚えておこう」


 久田さんは冷たい笑みを浮かべた。


-----------------------------------------------------------------------------------------

 最後に梅吉と旦那さんが会った次の日から、毎朝梅吉宛にメールが来るようになった。


 『梅吉へ』というタイトルだけ。文章は無し。

 花や植物の写真だけ。

 

 一輪の赤い薔薇から始まり、藤、仙人掌、チューリップ、向日葵……


 梅吉はそのメールを密かに楽しみにしている。

 名前が分からないものもあるけど、綺麗な写真を見て癒されている。


(なんのために送ってくるのかな?)


『さあ…… わかりまへん』


(旦那さんに返信しないの?)


『しまへん』


 ただ眺めるだけ。


 でも、朝のこの癒しの時間はすぐに終わり現実に引き戻される。

 久田さんと番頭からも、ほぼ毎日のようにメールが来るから。


『あんなボンクラは見捨てろ。俺につけ』

『俺が社長になったら必ず良い役職に付けてやる。出世と幸せのためだ。悪い話じゃない』

『社長はいつになったら俺に解雇通知を出すつもりだ?』


 今後対久田戦に役立ちそうなものだけ、山川課長へ転送。

 久田さんと番頭の想定内だろうけど、なにもしないよりはいい。


 代わりに俺らは、久田さんや番頭に質問を投げる。


『梅吉の最期を教えてください』

『旦那さんの一番大事なものってなんですか?』

『番頭さんの最期を教えてください』


 これには返事が来なかった。


『久田さんはこの世に未練は無いんですか?』


 この質問には、想定外のものが来た。


『あるに決まってるだろう。俺は俺でいたい。やりたいことがまだまだある。1日でも長く俺は俺でいたい。久兵衛の勝手にはさせない』


 番頭の勝手な言い分だったみたいだ。


 通勤途中、梅吉が不安げに聞いてきた。


『……わても旦那さんも長くこの世にいてると、翔太はんや社長さんの魂、削るようになるんやろか?』


(それは無いでしょ。元はおんなじ魂だもん。あっちは他人同士じゃん)


『せやろか?』


(閻魔様に聞きたいけど、どうやったら会えるんだろ)


『忙しいんだす。わてらなんかに構ってられへんのだす』


(毎日お裁きしてるもんね)


 こんな平和な会話が出来るくらい、梅吉と俺は久田さんと番頭への耐性が徐々に出始めた。


 もっともっと耐性をつければ、十分戦える。

 久田さんと番頭を排除するために

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