【6-3】色は思案の外!
誰かが俺を呼んでる気がする。
『翔太はん……』
あ…… 梅吉か……
『起きとくれやす……』
げ! 寝坊した!?
ゾッとして、飛び起きた。
でも、まだ夢の中だった。
目の前に梅吉がいる。
『……すんまへん。脅かして。時間は大丈夫だす』
よかった。
二度と起きないとか、置き手紙なんか残して……
心配させて……
『正太!』
抱き寄せ、力任せに抱きしめた。
元は同じ魂同士だ。すごく落ち着く。癒される。
梅吉は張り詰めてた気持ちが緩んだのか、突然火がついたように泣き出した。
『今度はほんまに寝坊になってしまいます』
泣いて少しスッキリした梅吉は、俺から離れた。
『もう大丈夫?』
すぐに凄い勢いで首を振った。
『後で話聞いてくれますか? どないしてええかわからしまへん……』
『もちろん』
『おおきに。……ほな、お仕事邪魔せんように寝てます』
『わかった。おやすみ』
梅吉が眠りにつき、俺は今度こそ目を覚ました。
今日は出張最終日だ。
「じゃあね、コウちゃん」
蓮見家の皆さんに滞在中のお礼を言った。最後はコウちゃん。
予想通り泣かれた。
「ヤダ! けんちゃんもしょーたくんも行ったらあかん!」
「わがまま言ったらダメ」
彩花さんが叱っても泣くばかり。
健一さんは屈んでコウちゃん目線に合わせた。
「仕事のついでじゃなくて、遊びに来るから今度」
コウちゃんはジッと健一さんを見た。
「ほんまに?」
「ほんま」
これで解決と思いきや、コウちゃんは俺を見上げた。
「しょーたくんも?」
もう俺は二度とここには来れないだろう。
でも、子どもにそんな残酷なことは言えない。
俺も健一さんを見倣って、コウちゃんに合わせてしゃがんだ。
「……うん。遊びに来る」
「絶対やで!」
「うん」
無邪気な純粋なコウちゃんが羨ましい。
こういう無邪気で純粋な子どもこそ、可愛いって言うんだ。
嫉妬、疑心暗鬼、執着……
そんなものばっかりな俺は全然可愛くない……
「しょーたくんに、ええこと教えてあげる!」
コウちゃんは俺の耳を小さな手で包んで、小さな声で囁いた。
「……しょーたくんは、梅の木なんやて」
「……え? 梅の木?」
どう言う意味だろう……
俺の困惑を他所に、コウちゃんは笑った。
「けんちゃんと、これからも仲ようしたってな」
そのちょっと生意気な言葉に、みんなで大笑いした。
ほぼ予定時間通りに、出張の全行程を終えた。
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
これから新幹線で東京に戻って会社で仕事だ。
まだまだ気は抜けない。
「帰ったら久田との戦いが本格的になる。全部終わるまでは、私の秘書として私の傍に居て欲しい」
終わるまでは……
それまで社長秘書として、社長の傍にいられる。
それ以降のことを今は考えたくない。考えたらダメだ。
「かしこまりました」
最後まで、俺は社長について行く。
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お昼は予定通り手短に手軽に新幹線の中で駅弁。
一息つくと、社長はあの松吉さんの日記を鞄から取り出して読み始めた。
「すべて読まれましたか?」
「ざっとはね……」
「また内容、教えてください」
素っ気ない返事が来た。
「……うん」
ふと不安に駆られた。
よくないことが書かれてるのかもしれない……
しばらくして俺に睡魔がやってきた。瞼が重い。
仕事中だ。寝るなんて有り得ない。社長の隣で眠るなんてもってのほか。気を抜いたらいけない。
コーヒー飲んだりストレッチしたり……
抗って見たけど、厳しい。
社長は日記から目を外さずに言った。
「いいから寝なさい。梅村君」
眠いのがバレてた……
「疲れてるなら、数分でも寝たほうがいい」
ここは従った方が正解だ。眠い、眠すぎる。
「……はい。申し訳ありませんが、名古屋駅あたりで起こしてもらえますか?」
社長は俺を見てニッと笑った。
「了解。おやすみ、翔太」
やばい。
眠気が吹っ飛ぶ勢いの破壊力だ。
でも肉体の疲れは本物だった。
目を瞑るとすぐに眠りに落ちた。
夢の中で、梅吉が待っていた。
そわそわなんとなく落ち着きがなく、どこから話していいかわからないと、遠慮がちに言った。
『昨日と今朝の記憶、まるごと共有してもええですか?』
『今朝?』
梅吉は顔を手で覆った。
今朝何かがあったらしい。
『早く共有しな。受け止めるから』
かなり気になるけど、聞くより早い。
『すんまへん、ほな……』
『バレたの俺のせいかな、やっぱり……』
溢れる梅吉の感情は必死に抑えてきたけど、やばいと思ったことはなんどもある。もしそうだったら、梅吉には本当に申し訳ない。
『ちゃいます。わての気が抜けてたせいやと思います』
でも、俺にはもうひとつ心当たりがある。
『……もしかしたら、松吉さんが書いたあの日記に何か書いてあったのかな。旦那さんは後で教えてくれるって言ったけど、健一さんはそうじゃなさそうだし…… 松吉さんは、梅吉のこと知ってた?』
親身になってくれてたけど……
『旦那さんとよりも長い時間一緒にいてたよって、気付いてはったかもしれまへん』
と言うことは。
『梅吉と旦那さんに関する何かが書かれてて、それを読んだ旦那さんが、所有欲や独占欲と恋愛感情を勘違いした…… ってありかな?』
『絶対そうや。軽率に信じたらあかんやつや』
感情やノリに任せて、恋人同士の真似事なんかしたら、旦那さんは男は無理って必ず目が醒める。
そうなったときの梅吉のショックは想像しなくても分かる。
それに旦那さんは無駄に優しいから、梅吉を突き放しはしない。
それも間違いなく辛い。
梅吉に幸せになって貰いたい。未練を晴らしてもらいたい。でも傷つけたくない。
旦那さんの言葉を信じたい。でも手放しで信じられない。
どうしようか……
旦那さんに梅吉の想いはバレた。
きっと今朝のことも健一さんには伝わったはず。
そうなら、梅吉と旦那さんのことを誰よりもわかってる俺と健一さんが話すのが一番じゃないか?
そうだ。
『健一さんと話す』
そう言うと、梅吉は目を見張った。
『梅吉と旦那さんを、主観的にも客観的にも見られるのは俺らだけだ』
『……そらそうやけど』
『俺らだけでああだこうだ言ってても、思い込みや勘違いの場合もある。一度ちゃんと確認したほうがいい』
しばらく梅吉は悩んだあと、決心して俺に頭を下げた。
『お願いします』
頬っぺたを、ツンツン突かれている感触がする。
「翔太、名古屋過ぎたよ」
この人の起こし方はおかしい気がする。
くすぐったり、突っついたり。
とにかく、起きないと。
「……すみません。寝すぎました」
起こされる前に起きたかった。不覚だ。
「疲れ取れた?」
呑気なもんだ。
旦那さんの今朝のこと、知らないのかもしれない……
「はい。ありがとうございます」
でも、ちょっと様子が違った。
社長は車内の様子を少し伺うと、深刻そうな表情で切り出した。
「……大事な話があるんだけど、いい?」
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「……梅吉君、それからどう?」
今朝のことは知ってるのか知らないのかどっちだ?
でも今までと同じように手探りしててももう埒が明かない。
「……起きてます。昨日のこと今朝のこと、全部共有済みです」
いきなり健一さんは俺に頭を下げた。
「……本当にごめん。俺の監督不行き届きだ。焦らずに慎重にやれってずっと言ってたのに」
ずっと?
ずっとって、どれくらいだ?
「……旦那さんは何時から勘違いを?」
健一さんは頭を上げると信じられないって顔で俺の顔を見つめた。
「……勘違い? なんの?」
俺らの推測を明かした。
「……その日記に書かれてたんですよね? 梅吉のことが。それを読んで旦那さんは、梅吉への強い所有欲と独占欲を、恋愛感情と勘違いしてるんだと思うんです」
食い気味で否定された。
「それこそ勘違いだ。嘉太郎は梅吉君が10歳の時からあの子の気持ちを知ってた。昨日今日の話じゃない」
は?
噓だろ。
旦那さんに、バレないように。
旦那さんを、困らせないように。
旦那さんの傍に、手代として少しでも長く居られるように。
健一さんに、気付かれないように。
健一さんに、迷惑かけないように。
限られた時間の最後まで、社長秘書でいられるように。
今までの努力と、それに伴う心労は一体なんだったんだ……
『最悪や…… 死んだほうがマシや……』
もうこれ以上死なないでしょと突っ込むのはやめておこう。
それどころじゃない。
「……ずっと気づいてないふりしてたんですか? ……健一さんまで?」
あんまりだ。
「……本当にごめん。正直どうしていいかわからなかったんだ。どうしても梅吉君を、翔太を失いたくなかったから」
やっぱり旦那さんのは愛情じゃない。所有欲と独占欲。
そして健一さんはそれに引っ張られてる。
『わては旦那さんのモノやから』
「……俺らは貴方の所有物ですもんね」
「……違う」
『わては旦那さんの道具やから』
「……俺らは、貴方の思い通りに使える道具ですからね」
朝と同じようにすごい力で手首を掴まれた。
「……だから、違うって言ってるのになんでそうやって思い込んで突っ走るんだ!?」
見た事ないようなすごい顔で、睨まれた。
怖い。嫌だ。
恐怖に襲われ、思わず顔を背けて、目をぎゅっと瞑った。
健一さんは慌てて手を離した。
「またやった…… ごめん……」
健一さんが制御不能になるくらい強い旦那さんの所有欲と独占欲が怖い。
「頭冷やしてくる……」
健一さんは席を立つと、どこかに行ってしまった。
『……生きてるうちは、あない酷くなかったのに』
(なんでだろね……)
健一さんに掴まれた手首を摩った。
まだ指の感覚が残ったままだ……
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健一さんは少しすると戻ってきて俺に頭を下げた。
「……あまりにも想いが伝わらなくて暴走した。ごめん。梅吉君は、嘉太郎のモノじゃない。もちろん弟の代わりでもない。
……嘉太郎が牢にいた時のこと、聞いて欲しい」
無下に断るのも申し訳ない。聞くだけ聞こう……
大人しく耳を傾けた。
「……ずっと梅吉君のことばっかり考えてた。泣いてないかな、番頭に怒られてないかな、自分のこと心配してくれてるかなって……
逢いたいな、声を聞きたいな、顔が見たいな、触れたいなって……
その時やっと本当の自分の気持ちに気付いた。……梅吉君が好きだって」
俺たちの心は全く動かなかった。
『……普通に物が考えられへんかった時や。やっぱり旦那さんの勘違いやな』
「……牢獄という極限状態で勘違いされたんですね」
「勘違いじゃない」
『男はんしか好きになれへんわてと、女子はんが好きな旦那さんとはちゃいます』
「旦那さんの恋愛対象は女性です。梅吉とは違います」
「男が好きとか女が好きとかじゃない。嘉太郎は梅吉君が好きなんだ」
ドラマのセリフみたい。
そう冷静に思えるくらい、心が冷たくて静かだった。
『……わてと旦那さんは、好きの種類がちゃいます』
「……旦那さんの好きと梅吉の好きは、種類が違います」
「一緒だ」
人様のこと言えないが、旦那さんも健一さんも思い込んでる。
旦那さんが我に返った時、傷つくのは梅吉だ。
『……主導権、ほんの少しでええさかい、譲って貰われへんやろか』
(何する気?)
『……だんない。いっちゃんわかりやすい確認するだけだす』
何か分からないけど梅吉に主導権を渡した。
梅吉は作った笑顔で健一さんに向かって言った。
「……ほんなら、旦那さん、梅吉を抱けますか?」
ずっと真っ直ぐに俺を見ていた健一さんの目が、鈍感な俺でもわかるくらい揺れた。
旦那さんの好きは、梅吉の好きとは違うっていうことがはっきりわかった瞬間だった。
(……わかりやすいでっしゃろ?)
旦那さんは梅吉の気持ちを知ってたって言うけど、梅吉の気持ちがここまでのものだとは想定外だったんだろう。
梅吉は健一さんをまっすぐ見つめて言った。
「……主人にこない淫らな気持ちを持つ手代を、これ以上傍に置いといたらあきまへん。今度こそ永のお暇させて貰います。ほんまにすんまへんだした、旦那さん…… 長い間、お世話になりました。失礼します……」
「梅吉君、待って! 違うんだ……」
梅吉はひき止める健一さんを無視し、俺に主導権を戻すと眠りについてしまった。
結局、冷静な話し合いが出来なかった。
「……嘉太郎と梅吉君起こして話すとダメだ。日と場所を改めて、もう一度、翔太と俺の二人だけで話したいんだけど、どう?」
「……すみません、少し考えさせて貰えますか?」
話してもしょうがないと思う気持ちと、まだ明らかになってない謎を知りたい気持ち。その二つが混ざり合う。
でも、これから俺は、梅吉と、旦那さんと、健一さんと、それぞれどう接していけばいいんだろう。
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結局、健一さんとはその後一言も交わさずに会社に戻った。
社長は社長室へ、俺は事務室へ。
久田さんと小池部長へ挨拶し、自分のデスクへ向かうと、書類が二、三積まれていた。
「お疲れさん。それ来週早めに頼むわ」
松田先輩は仕事の手を止めずにそう言った。
「はい」
「今日は残業せずに定時で帰れよー。先輩命令だ」
「わかりました」
パソコンを立ち上げ、メールチェックを始めると、結子さんから重要メールが来た。
何だろうと開けてみると、呼び出し。
大事な話があるらしい。
きっと、昨日の夜、梅吉が電話したからだ。ちゃんと報告しないと……
結局、定時ダッシュは出来ず、松田先輩に早く帰れと言われ続けながら仕事を終わらせた。
梅吉を起こして、結子さん指定の店に向かうと、そこには原もいた。
原にも梅吉は電話してた。原にも心配掛けた。謝らないと。
「あの……」
すぐさま結子さんに制された。
「翔くん、疲れててごめんだけど、今日翔くんのとこ泊まりに行くから、よろしく」
「え? はい……」
「梅ちゃん、お姉ちゃんとは二人でゆっくり話そな」
『なんか怖いわ……』
結子さんは今、この場で話す気はないらしい。
だったら……
「大事な話って、原?」
結子さんの隣に、ド緊張して落ち着かない様子の原。
こんな原を見たのは初めてかもしれない。
梅吉も心配している。
「どうした? 大丈夫?」
「……は、はい。大丈夫です。すみません」
いや、大丈夫じゃない。
新卒配属初日も、突然俺が出向になった日も、ヘブンスを辞めた日も、ここまでひどくなかった。
「……仕事でなにかあったか?」
自分のことばかりで最近ちゃんと面倒見てやれなかった。もしまた何かあったら……
「……いえ。仕事は関係ありません。今日は、梅ちゃんと話す前に、俺の話を先輩にしようと思って……」
でも原は話始めない。俺の顔を見てくれないどころか、俯いて少し震えている。
結子さんが俺に断り、原に話しかけた。
「……原くん。怖いなら言う必要はない。翔くん眠らせて、梅ちゃんと話せばいいから」
「ここまできてそんなことしたら、姉さんの迷惑になります」
は? 俺が邪魔ってこと? 梅吉と結子さんと原だけ知ってて、俺だけ仲間はずれ?
むくむくと湧き上がった嫉妬心。すぐ気づいた梅吉に怒られた。
『いい加減にしなはれ! 将輝さん。だんない』
原は顔を上げた。やっぱり緊張と恐怖でいっぱいの顔だ。
こっちまで不安になってくる。
「先輩に、話します」
原は一つ一つ、ゆっくり俺に話し始めた。
原自身のこと。
原と池辺君との本当の関係。
結子さんとのいざこざと和解。
梅吉との関係。
驚いた内容もあったけど、原が俺に打ち明けてくれたことが、嬉しかった。
「ありがとう、話してくれて。今まで原を無意識に傷つけてたかも。本当にごめん」
鈍感な俺だ。一つや二つ間違いなくある気がする。
突然、原の目からぽろっと涙が溢れ、頰を伝った。
俺の背筋が凍った。
最悪だ。
可愛がってたなんて、面倒見てたなんて、とんでもない勘違いとエゴだった。
過去の俺を殴りに行きたい。たった一人の後輩に、過去の俺は何をしてたんだ……
許して貰おうなんて思わない。でも謝らないと、心の底から。
「原……」
ごめんの言葉が、原とかぶった。
「ごめんなさい。ほっとしたら涙出てきた……」
原は涙を拭って泣き笑い。
「ありがとうございます。拒否らないでくれて」
それが怖かったんだろう。俺が拒否るわけがないのに。
「先輩、かなり鈍感ですけど、俺を傷つけてはないです。心配しないでください」
原の笑みにホッとしたけど…… 聞き捨てならないことを言った!
「今、サラッとディスったな。お前!」
「すみません!」
少し安心したけど、今後も気をつけよう。誰彼問わず。
いつどこで人を傷つけるかわからない。
原が落ち着いたので、二人にこの二日間の怒涛の展開を話すことにした。
「よっしー、デート中になんで白石さんに電話したかな……」
……デート? あれはデートだったのか?
「百合ちゃん梅ちゃんに平謝りしてた。旦那さんと今夜は反省会だって。
旦那さんと蓮見さんまとめて教育し直すって」
教育って、なにするんだろう。百合子さん……
「ってことは、よっしーまた俺に愚痴るんですかね……」
ん?
「……原は、旦那さんとどういう状況?」
原は、旦那さんとの関係を話してくれた。
「俺が梅ちゃんと仲良くしてるのが気に食わないし、不安なんです」
「この前、屋上で怒鳴られたもんね……」
「あれより少し前に、『梅吉は自分の使用人だから自分のものだ』って俺に言い張ってきたんです。
梅ちゃんが悩んで苦しんでるのに、何自分勝手なこと言ってんだこいつって思って……」
「……喧嘩したのか?」
「……はい。でも、手は上げてないです。口喧嘩です。
あ、梅ちゃんのことは、よっしーに一切言ってません。梅ちゃんとの約束なんで」
「ありがとう」
「そのときに、よっしーが俺に頭下げたんです。
梅ちゃんのことが好きで、自分が幸せにしたいって思ってる、だから取らないで欲しいって」
「そっか……」
でも、俺らは旦那さんの気持ちを信じられない。旦那さんのは所有欲だろう。
梅吉の欲しいものは違う。
でも、なんでここまで信じられないのか……
「蓮見さんも、よっしーも、俺のことに気づいてたみたいです。
……だから、俺には相手がいるって、ちゃんと言いました」
「……そっか」
「最近は、梅ちゃんに素っ気なくされたとか、想いが伝わらないとか、泣き言いったり愚痴ったり…… なんで、好きならはっきり梅ちゃんに言葉と行動で示せよって言ってたんです。
そしたら、大阪出張で梅ちゃんと二人きりになれるから、そこでちゃんと想い伝えるって……
すっごい準備に頑張ってたから、応援してたんですけど、まさかこうなるとは……
ミスアドバイスだったんですかね……」
何が問題か。誰が悪いのか。そういう問題なじゃない。
だからこそ、難しい。
「……先輩、梅ちゃんと直接話させてもらえますか?」
原のその提案を梅吉は拒まなかった。
「OKだって。代わるね」
梅吉に身体の主導権を渡し、見守ることにした。
「……すんまへん。気揉ませてしもて」
梅吉が頭を下げると、原は穏やかに言った。
「……なんでよっしーを拒んだ?」
「……旦那さんのは、所有欲だす。……わてが欲しかったのは愛情だす。旦那さんは所有欲と愛情を勘違いしてはる」
「……よっしーから、愛情、感じられなかった?」
梅吉は答えず、代わりに原にハグをねだった。
「……将輝さん、ぎゅっとしとくなはれ」
「……姉さん、先輩、いいですか?」
「どうぞ、お構いなく。それより、姉さんて呼ぶのやめてくれる? いい加減」
原の『姉さん』呼び、許してたと思ったけど、違うらしい。
「ありがとうございます。姉さん」
直す気は毛頭ないらしい。
原が梅吉を抱き締めた。包み込まれる感じが安心する。
「……旦那さん、こうやって抱きしめてくれたこと、いっぺんも無かったんだす」
「えっ……」
驚いた原が身体を離した。でも、梅吉はすぐに引き寄せた。
「……池辺さん少しだけ、将輝さんとこうすること、許しとくなはれ」
梅吉は原の腕の中で、話し始めた。
「旦那さん、こんな剃刀毎日当てて柔くない顔に、触れてくれはった。
骨ばってて柔くない手も、握ってくれはった。うれしかった……
せやけど、身体に触れるんは、ふざけて擽ぐる時と、身の危険からわてを守る時だけやった」
そうか……
言葉だけじゃ、顔や手のスキンシップだけじゃ、愛を信じられなかったんだ。
「もしも、いっぺんでも、旦那さんがこない抱きしめてくれはってたら、少しは信じられたかも知れへん……」
「梅ちゃん……」
原がさらに俺の身体を強く抱き締めた。梅吉を気遣い労わる優しい気持ちが伝わってくる。
これがもし旦那さんだったら、梅吉のことが好きだという愛情が少しでも感じられたのなら……
梅吉は旦那さんを信じて応えたかもしれない。
「わて、旦那さんの気持ち確認する為に、わてを抱けますか?って聞いてしもたんだす。
ぎゅっとする意味の抱くすらできひんお人に、そないなこと、聞くのは間違いやった。
旦那さんの気持ち、はっきりわかったのはええですけど、わてが最後まで隠してた淺ましい想い、知られてしもた。
気持ちの悪い思いさせてしもた……」
健一さんの動揺した目を思い出した。
あれが真実。
あれが現実。
原は、梅吉の話を聞き終えると、耳元で優しく声を掛けてくれた。
「梅ちゃん、大丈夫。よっしーそんなこと思ってないから。ただちょっとびっくりしただけだよ。
梅ちゃんさ、ゆっくりでいいから、まずは思い込みを全部捨てよう。
自分のことだけ考えよう。俺も、姉さんもいくらでも話聞くから」
梅吉は「おおきに」とだけ言うと、俺に主導権を返し、眠ってしまった。
原は俺の身体を離さずに、話続けた。
「……先輩。俺は、蓮見さんにも、原因があると思います」
「……え?」
「蓮見さんは、よっしーを必要以上に制御してました。そのせいか、よっしーがそれに反発してよく勝手なことしたり、喧嘩してました」
勝手に健一さんの身体の所有権奪ったり、俺の身体の所有権を梅吉に渡したり……
確かに勝手なことしていた。
でも……
「……なんで蓮見さんがする必要が?」
「……先輩をよっしーから守るためです。……蓮見さんは、先輩が大事なんです」
わかってる。そうじゃないって。
「……蓮見さんは、旦那さんの感情に引っ張られてる。……所有欲だ」
原は俺を離さず言った。
「……先輩は、梅ちゃんに引っ張られてる。でも、その思い込みを捨ててください。
蓮見さんは、本当に先輩の事大切に思ってます」
俺だって、俺だってそう思いたい……
旦那さんは梅吉と両想いだって。
俺も健一さんに必要とされてるって……
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結子さんが泊まりに来て、梅吉に話してくれた。
前に百合子さんが話してくれた時からずっと変わらず旦那さんとは姉弟の関係のままだということ。
旦那さんは梅吉が好きだと百合子さんに打ち明けて、いろいろ勉強や相談していたこと。
旦那さんは原だけじゃなくて、結子さんにまで焼き餅焼いてたこと。
旦那さんは梅吉に拒まれ、意気消沈していること……
梅吉はポツリポツリと、結子さんに心のうちを打ち明けた。
原と結子さんのおかげで、だいぶ梅吉の気持ちは落ち着いた。
二度と眠ったまま起きないとか、二度と旦那さんに会わないとか言わなくなったのは、そのおかげかもしれない。
「……嬢はん、おおきに。心配かけてすまへん」
「……気にせんといて。とにかくゆっくり休んで、旦那さんとのことは時間かけてゆっくり考えなさい」
「……へえ。ほんなら、今日はこれにて失礼します」
「またね、梅ちゃん」
だいぶ夜が遅い。
さっきまで梅吉の頭を撫でていた結子さんは、俺に抱き着いてきた。
「……お帰りなさい」
「……ただいま」
無事に帰ってこられた。結子さんとまたこうやって過ごせる。
土曜日の朝。結子さんに優しく起こされ、結子さんの作った朝ごはんを二人で食べた。
「旦那さんの未練をちゃんと聞きなさい」
結子さんは食後のお茶を飲みながらそう言った。
未練を聞いたら、梅吉の未練を聞き返される気がして。そうしたら絶対に言えない。だから今まで聞けなかった。
でも梅吉の気持ちはとうの昔に旦那さんに知られてたし、梅吉は奥底に隠してた願望をさらけ出して当たって砕けた。
もう俺らに怖いものはない。
健一さんに、聞いてみよう。旦那さんの未練。
「……何なんでしょうね」
手に入れられなかった普通の幸せか、自分の死因を知ることか……
それとも……
「……梅ちゃんの事だとわたしは思う」
梅吉の罪悪感を晴らすことか……