【5-6】人を射んとせばまず馬を射よ……
朝から年度末の幹部会議が開かれたが、予想に反しそれは午前中に早々に終わった。
久田さんや殆どの部長たちが戻ってきた後しばらくすると社長から呼び出された。
社長室にいたのは社長だけじゃなかった。
小池部長の隣には初めて見る顔。部長よりは若いけど久田さんより上に見える男性。誰だろう。
「……挨拶を。清水の社長さんで、うちの社外取締役だ」
そう小池部長に促され、名刺を差し出した。
「初めまして。社長秘書を務めております。梅村と申します」
「はじめまして。清水裕二です」
大手製薬会社の清水の社長様。確か先代社長の弟さんだったはず。要するに社長の叔父さんだ。
そんな偉い人が俺に何か用なのか、不安な気持ちに駆られていると、小池部長は容赦なしに俺に命令した。
「梅村。久田に近づけ。利用されろ。二重スパイになるんだ。いいな?」
スッと背筋が凍った。
俺が何も考えず『はい』と返事をしようとしたけれど、俺の声は社長の声でかき消された。
「小池部長、言葉に気をつけてください!梅村。違う。スパイじゃない」
「梅村を甘やかすんじゃない!」
まあまあと清水さんが割って入る。
「先輩は昔から説明が端的すぎるんです。一から説明をしてあげるのが道理ですよ」
『先輩』って?
「だから俺に敬語を使うんじゃない!」
「すぐ怒る。だから久田と喧嘩になるんですよ。先輩は……」
やっぱり、部長のこと先輩って呼んでる。この二人どんな関係なんだ?
小池部長が丁寧に教えてくれた。
「俺が一から教育した。こいつが『蓮見裕二』でこの会社にいた時にな」
「あぁ…… そうなんですね」
納得した俺に向かって、清水さんは柔らかな物言いで話しはじめた。
「久田専務への事情聴取を開始することになったんだ。でもその前に君にいくつか頼みがあってね」
「はい」
先週末、社長は川地さんに頼み、久田さんのPCを調べてもらった。
しかし何も目ぼしい証拠は出てこなかった。
川地さんへのお礼の高級焼肉のお相伴に預かり、情報漏洩やセキュリティについて勉強できたのは良かったけど、久田さんの思惑を知るためには、正直無駄足だった。
「久田は恐らく、我々が竹内部長の例の件を把握してるということに、まだ気づいてない」
本当か? 怪しい。
「そう。まずはそれが正しいか、探って欲しい」
「かしこまりました」
「次に、久田は君を利用しようと狙ってる。だから今まで健一が接触禁止令を出して、先輩……小池部長が阻止してきたんだが。それを今日付けで解く。久田は接触してくるだろう。敢えて乗っかって、利用されてほしい。そして見た事聞いた事、全てを健一と私に報告してほしい」
やっぱり小池部長の言葉の通り、二重スパイってことだ。
「健一も、私も、君の事をヘブンスのスパイだとは思っていない。
だから敢えてスパイと言う言葉は使わない」
でもやることはスパイだ。
「この仕事は君にしか出来ない。受けて欲しい」
「かしこまりました」
どうせスパイなら、今度こそちゃんとスパイらしく動いてみせよう……
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数日後の午後、俺は久田専務に屋上に呼び出された。
古典的だけど、音声レコーダーをポケットに忍ばせてみた。
梅吉は迷惑にならないようにって眠ってる。
屋上はちょっと風が強い。
乱れる髪を気にしながら、先に来てベンチに座っている久田さんのところへ向かった。
「お疲れ様です。お呼びでしょうか?」
座れといわれ、素直に隣に腰掛けた。
「竹内のこと聞いたか?」
「なんですか?」
とことん鈍感に振る舞え…… 小池部長からの指示だ。
「竹内は背信行為が見つかって事情聴取中だ」
「え!? 竹内部長、何やられたんです?」
久田さんは冷たく笑うと、右手でグッと眼鏡を上げた。
「……やっぱり全く気付いて無かったか。梅村、お前はヘブンスのスパイとしてこの会社に送り込まれた。武者修行は嘘だ」
とっくにわかってた。
でも面と向かって改めて言われるとショックだ。
「……久田さんは、それを知ってて俺を受け入れたんですか?」
「まあ、そうだな」
認めたか。これは重要な証拠だ。
「社長は最初から未だにお前のことスパイ扱いしてるだろ?」
久田さんは人の本当の部分を見ようとしない人だ。
社長のこと全く分かってない。
「……はい。だいぶマシになりましたけど。そうですね」
こんなこと言いたくない。
初めて『梅村』と呼んでくれたあの日から、社長は一度たりとも俺のことをスパイ扱いしなかった。
こんな俺を今も守ってくれる。
「用心深いというか、人間不信というか。まぁそのおかげで、お前はスパイとしては全く役に立たなかった。竹内も諦めて最近はただの運び屋って思ってたからな」
俺はやっぱり運び屋か……
「……野球部の封筒ですか?」
吐かないかな。久田さん。
「そうだ」
「俺は、何を運んでたんですか?」
ポロリしないかな?
「それを知ってどうする?」
ダメか。
「いえ……」
「心配するな。あれは偽情報だ」
どう言うことだ?
「俺は専務だ。この会社を社員を守る義務がある。いくらヘブンスが協力会社でも、姻戚関係にあっても、易々とヘブンスにこの会社の大事な情報を渡すと思うか?」
……あれ? じゃあ何のために俺を受け入れた?
何のために偽情報を竹内さんに渡してたんだ?
「混乱してるな?俺が敵か味方かわからないって」
冷たい笑い。虫酸が走った。
「……まぁ。はい」
「まあいい。深く考えるな」
久田さん、何を狙ってるかわからない。
下手な動きはできない。
ここはやっぱりとことん鈍感のふりをするしかない。
「梅村。大きい企業の中でどの部品かわからないのと、小さい会社でメインの部品になるのは、どっちがいい?」
「……後者、ですかね」
「だったら、ヘブンスに戻る必要は?」
「無いですね。でも、どうせ戻ってもクビでしょう」
「だろうな。だが、安心しろ。ここでこの会社で守ってやる。お前の希望を叶えてやる。だから俺の為に動け」
今までにない異常な嫌悪感に襲われた。
久田さんに守ってもらいたくない。
久田さんのために、働きたくない。
久田さんと一緒に居たくない。
でも、俺の仕事は、この人に利用されること。
この人が何を企んでいるのか探ること。
「……わかりました。まずどうすれば?」
「まずは…… 社長の最初で最後の秘書になれ」
いつか遠い未来に言われたかった。
『蓮見健一社長が信頼して使った有能な秘書は梅村翔太ただ一人だった』って。
そのために、もっともっと努力したかった。
今この人の言う『最初で最後』はその遠い未来の褒め言葉じゃ無い。
この人は、間違いなく社長の地位を脅かそうとしている。
それだけは俺でもわかる。
「社長に取り入って、味方が少ない社長の信頼を勝ち取れ」
心を殺して、営業スマイルで答えた。
「わかりました。任せてください」
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眉間に皺を寄せながら、俺と久田さんとの会話を録音したデータをひととおり聞き終えると、社長は天井を見つめ深いため息をついた。
感情を抑え込むためか、社長は限りなくクールモードに近い。
「久田さんは愛社心が有る人だ。言葉の通り、この会社を守るために竹内さんに情報を渡さなかったのは正しいだろう」
だったら、俺を受け入れないのが一番の手じゃないのか?
会社を守りたいなら、他にも手はあるだろう。
「納得いかないって顔してるな」
「申し訳ありません。理解が及ばず……」
多分久田さんの考えを気持ちを理解するのは今の俺には無理だ。
権力なんか欲しくないし、社長を追い落とすなんて考えには絶対至らない。
社長はフフッと笑った。
「純粋すぎる。真っ直ぐすぎる」
「……申し訳ありません」
「梅村のいいところだ」
社長は椅子から腰をあげ窓側へ向かうと、外を眺めた。
「久田さんはこの会社が欲しい。社長の座が欲しい。だから会社を守った」
全ては自分の欲の為。久田さんの本性にゾッとした。
「邪魔な私を社長の座から引き摺り下ろし、この会社を乗っ取るつもりだろう」
そのために、俺は……
「そのために久田さんは意のままに動く捨て駒がほしかった。そこへ竹内さんの話が来た。
双方利害が一致したから、梅村を受け入れた。ヘブンスからの依頼を私が断れないのは計算済みだった」
そうだ。俺はスパイで捨て駒。でもなんの役にも立たなかったない……
「ただ、双方計算外だったのは、梅村が予想外の動きをしたことだ。
私の腹心の部下になり、私に本当の味方をたくさん与えてくれた」
『腹心の部下』? 俺が?
「……久田さんは敵に塩を送った。それにいまだに気付いていない」
不敵に笑う社長。
一体、何を考えてるんだろう……
社長はまた椅子に座ると、話にキリをつけた。
「久田さんに関しては、早急に叔父と対処法を相談する。引き続き頼む」
「かしこまりました。では、失礼します……」
頭を下げた途端、退出を阻止された。
「酷い顔してるぞ。そのまま事務室に帰るんじゃない。久田さんに勘付かれる」
また顔に出てたらしい。気をつけないと。
「御指摘ありがとうございます」
取り繕ってついつい営業スマイルを浮かべると、社長は今日一番大きなため息を漏らした。
社長は俺の営業スマイルが嫌いだ。
「どうしたらその罪悪感を消せる?」
旦那さんを牢に入れ死に追いやった罪悪感。
スパイとして派遣されながら、未だに社長に守られ、社長の傍に居る罪悪感。
顔に出てたんだ。
「これとは一生付き合っていくつもりです」
「目に見える無実の証拠を出し、万事無事解決してもダメか?」
「……私ごときに時間の無駄です。諦めてください」
敢えて営業スマイルで話を打ち切った。
「では、失礼致します。社長」
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「夜桜、見に行かない?」
都内都心部での接待の付き添いの帰り、キリッとモードを解いた社長に誘われた俺は迷わずその誘いを受けた。
「すごい……」
川沿いに植えられた満開の桜がライトアップされ、闇に浮かんでいた。
すごく綺麗なのに、人は殆どいない。
「ここ穴場なんだ。デートに使うといいよ。今週末まで持ちそうだし」
「もう来られたんですか?」
「この前の休みにね。ちょっと早かったかな」
「そうなんですね。今日は満開ですね」
百合子さんとの仲は良好。このまま順調に進んでゴールインして欲しい。
それで旦那さんが成仏しなかったら、旦那さんの未練は自分の『幸せ』じゃなくて
自分たちの『仇討ち』になるんだろうか。
二人で並んで桜並木の中を歩く。
「もうすぐ一年だね」
「……え?」
……なにが一年だ?
どう答えて良いか分からずに考えてると、社長にぷっと笑われた。
「翔太がうちに来て一年」
「あ!そういえばそうですね」
「『来たくなかった!』って怒鳴られたし、未だに『出てく!』『辞める!』だからしょうがないか」
出て行くって言わない約束をしたのに、今日まで何回それを破ったんだろ。
でも俺の気持ちはやっぱり変わってない。この人の迷惑になるのならすぐに俺は出て行く。
でも、『出てく!』『辞める!』と言う度に『社長命令』が発令されて引き止められる、出ていけなくなる。
わかってる。社長がこうまでして俺を傍に置きたがるのは、旦那さんの梅吉に対する所有欲に引っ張られてるからだって。
でも、社長の優しさに俺の気持ちは緩む。都合のいいように考えようとする。
「……翔太、聞いてた?」
「あ、申し訳ございません。なんでしょうか、社長」
「また堅苦しい喋り方する!社長って呼ぶ!」
膨れた社長が可愛くて笑ってしまった。
「すみません。蓮見さん」
蓮見さんは目を逸らし、少しおどおどし始めた。
「……だから、そうじゃなくて、さぁ」
名前で呼べってことだ。
なんで名前で呼ばせたがるんだろう。
なんで百合子さんに呼ばれるより嬉しいだなんて言ったんだろう。
「せっかく二人きりなんだし、さ。仕事じゃ無いんだし、さ」
ダメだ。可愛い。
少し意地悪したくなった。
「可愛い。健一さん」
健一さんは一瞬にして真っ赤になった顔を、両手で覆ってしまった。
「健一、可愛い!」
逃げると、全力で追っかけてきた。
「待て!翔太!」
二人して息が上がり、ベンチで休憩する羽目に。
接待で少し飲んだ酒が、完全に抜け切ってないせいだ。
「……疲れた」
「俺はまだ平気です」
「は?二十代め!」
すでに乱れていた髪を、さらにぐちゃぐちゃにされた。
「やめて!」
二人して大笑い。
息も整った頃、健一さんは腕時計を見た。
もう帰る時間かな。
もうちょっと一緒にいたい。
「嘉太郎と梅吉君にお花見させてあげたいんだけど、まだ時間大丈夫?」
断る理由は無い。
「はい。代わりますね」
梅吉を起こし、主導権を譲った。
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「梅吉、花見や」
フワッと柔らかく微笑む旦那さんに向かって、梅吉は可愛げもなく答えた。
「何分もろたんですか?」
それは無いでしょ、旦那さんガッカリしてるじゃん。
「一時間……」
「一時間も!」
今までで一番長い。でも、旦那さんは不満らしい。
「『だけ』や!すぐに時間が来るさかい、行こ!」
「へえ。お供します」
梅吉は三歩下がって旦那さんに付き従う。
「綺麗やな」
「そうだすな」
「せやけど、おまはん梅の方が好きやろ?」
「すんまへん」
「なんで謝るんや。わてもどっちか言うたら、梅が好きや。今年は行けんかったけど、来年は絶対に梅見に行こな」
「お供します」
「二人きり、やで」
いつもの通り、俺も健一さんも起きて見張りだ。未だに二人きりになったことは無い。
可哀想だけど仕方がない。梅吉が何かをきっかけに前みたいにパニックを起こすかもわからないから。
旦那さんは勝手に健一さんのスマホを取り出すと、数枚桜の写真を撮った。
「すまほはほんま便利やな」
「そうだすな」
「なんでも調べられる。写真も昔と違うてすぐ撮れる」
「旦那さん苦労して撮ってはりましたもんな」
撮ったことあるんだ。まだ『写真は魂が抜かれる!』って言ってた時代だよな。
「せや。あれは疲れたわー。あの写真まだどこかにあるんかな。
わての方が男前やて、健一はんに見せつけんと」
ん? 何言ってんだ?
「社長さんちょっと老けてるだけで、旦那さんと一緒やないですか」
「あ!老けてる言うたな! おまはんはええよな、えらい男前になったさかい!」
旦那さんは俺の身体をくすぐり始めた。
「あきまへん!そこは!」
旦那さんに触れられても、前世と違って俺の身体は絶対に反応しない。
安心しきってる梅吉はケラケラ笑って、旦那さんにされるがままになっている。
そこへ少し強い風が吹き抜けた。
満開の桜はもうそろそろ終わりを迎えるんだろうか、はらはらこぼれ、空に舞った。
「桜吹雪や。綺麗やなぁ……」
梅吉は俺の心配とは他所に、すごくリラックスしてる。
「ちょっとええか?」
「へえ」
旦那さんの手が俺に伸びてきた。その手は頭に触れすぐに離れた。
「花びら、ついてた」
旦那さんの手には桜の花弁。
「……おおきに」
内心羨ましがってた旦那さんと許嫁のお富のやりとり。今叶ってる。
梅吉は気持ちを押さえつけず素直に幸せを噛みしめてる。
「旦那さん」
梅吉は少し緊張しながら、旦那さんに切り出した。
「なんや?」
「それ、もろてもええですか?」
「ええよ」
「おおきに」
花びらを手に乗せてもらった。
(旦那さんに取ってもろた桜や……)
梅吉の恋心が純粋すぎて泣けてきた。
押花にでもして取っておかないと。
(幸せや…… もう心残りはあらへん……)
『は? だから、まだ早いって!』
すごく楽しげに梅吉と話していた旦那さん。
突然腕時計を見たあと、ウンザリした様子でボヤいた。
「……は?もう時間?短すぎや」
「では、旦那さん、失礼します」
いくら寂しいからって、それは淡白すぎるよ。
「待ちや。まだ話がある」
「なんでっしゃろ」
(あと少し旦那さんと話せる……)
やっぱり嬉しいらしい。
旦那さんは俺の頭に手を置くと、すごく優しい顔で、声で言った。
「おまはんは今までもこれからも、ずっとわてのもんや。何があってもな。
せやから、ずっとわての傍におれ。ええな?」
途端に梅吉は少し緩みかけてた旦那さんを恋い慕う気持ちに、再びキツく鎖を巻きつけた。
(わては使用人や。旦那さんの所有物や。この良くない気持ちは、やっぱり今度こそ消さなあかん……)
「へえ。承知しました」
また俺らの手足に昔も今も変わらない、見えない手錠と足枷が嵌められた。
柔らかくて、優しくて、暖かくて……
そして残酷な。
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午後イチで社長室に久田さんと来るよう指示があった。
案の定久田さんに呼び出され、事務室を出るなり会議室に連れ込まれたせいで番頭さんに蔵に閉じ込められた怖い思い出が過り、少し気分が悪くなった。
でも感情を表に出したらダメだ。
「社長に言ったか?」
「はい」
・スパイとして派遣されたと自分から社長に言え。
・専務が怪しい、社長の言うことなんでも聞くから、社長のそばに置いてくれと言え。
・専務が持ち出した重要データのコピーを、隠し持っていると言え。
久田さんの言う通り、全部社長に『久田さんにこう指示されました』って報告した。
……俺は社長の『腹心の部下』ですし、自他ともに認める『鈍感』ですよ、久田さん。
「社長はなんて?」
「よく教えてくれたって。ありがとうって喜んでました。あと……」
社長に吹き込んでもらった音声を『盗聴データ』として聞かせた。
『久田の思い通りにはさせない。私の傍に居ろ。私のために働け。守ってやる』
久田さんは満足気。
「……上出来だ」
不敵な笑みで返した。
「ありがとうございます」
俺の二重スパイ任務は始まったばかりだ。
社長から告げられたのは、唐突な内容だった。
「梅村のデスクをこの部屋に置き、週3日、月水金の午後は社長室詰めとします」
「は!?」
思わず出てしまった。
「なぜ今更?」
そうだ。それに何のために?
「……実は、ヘブンス社より、企画開発部の竹内部長が背信行為で取調中と情報が来ました。
彼は関係会社、下請会社等に社員を諜報員として寄越していたそうです。よって、梅村に機密情報漏洩の容疑が掛かっています」
「私はスパイなど!」
初めて聞いたフリ。
ショックを受けたフリ。
今俺が一番やるべきフリだろう。
「黙れ」
「黙るんだ」
二人に制止され黙った。
不安なフリ。怯えるフリ。
さて、久田さんはどう返す?
「なんてこった…… 竹内のやつ!会社の為、社長の為良かれと思って受け入れた私の責任もあります。申し訳ありません!」
そう来たか。
「久田さんが全部悪いわけではありません。私が非力故にヘブンスからの依頼を断れなかったのがまず第一の原因です。とにかく、しばらく梅村を保護観察ということで、私の傍に置こうと思います」
「要は事実が分かるまで『見張り』という事ですね?」
「はい。あまり急速に拘束やヘブンス送還すると、社内に不安が走り混乱も生じますので」
「賢明かと。しかし、社内にはどう理由をつけて通知すればよろしいでしょうか」
「そうですね…… 『社長案件と秘書業務を効率よく遂行するため』でお願いできますか」
「かしこまりました」
トップ2の腹の探り合い、騙し合い。
これが今後本格化するだろう。
ついていけるように、間違えを起こさないように、敏感にならないと。
「梅村。何か竹内の指示で持ち出したものがあれば、全て隠さずまずは私に申告するように。いいな?」
本当は何のデータ持ち出ししたか知らないけど、やったのはアンタだろ。
心の底から納得いっていない体で渋々返事をする。
「……はい。承知しました」
「本件他言無用につき、よろしくお願いします」
「はい。かしこまりました」
詳細はどうであれ、社長派専務派関係無く幹部は全員知ってるはず。
俺が来る前から始まっているLOTUSを二分する冷戦が、俺が火種になり熱戦に変わろうとしている。
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久田さんが去ると、社長は机に突っ伏した。
「あー。怖かった……」
顔を上げた社長はクールモードからいつもの素の健一さんに戻っていた。
「こんなドラマみたいな騙し合い?駆け引きって言った方が良いか。自分がやるなんて思ってなかったよ」
俺のせいで余分なストレスを掛けた。
「……すみません」
「またー」
「す…… 申し訳ありません」
社長はふふと笑ったけど、もうつっこんで来なかった。
「お茶、淹れてくれる?」
「はい」
少しずつ俺に淹れさせる回数が増えている。
少しずつ前みたいに平気になってきてる自分がいる。
結子さんにもらったほうじ茶を淹れてみた。お友達のお家が老舗のお茶屋さんらしい。
いつも使ってる業務用のお茶とは全然違う香りがした。
「美味しいねこのお茶」
「はい。香りがすごく良いです」
聞かないと、さっきの事。
「あの。本当に私は週3の午後、社長室詰めになるのですか?」
社長と旦那さんの傍に今まで以上に長い時間いられるっていう期待が半分。
業務に支障が出るんじゃないかっていう不安が半分。
「うん。デスクはさっき総務に頼んだ。週明けに来るらしいから。よろしく」
「はい」
複雑な感情を抑え込み返事をすると、
「……見張りじゃないから。……翔太を守るためだから」
社長は優しく微笑んでくれた。
「……ありがとうございます」
いや。
これは見張りでもない。守るためでもない。
これは『束縛』だ。
しょうがない。前世で俺はこの人の所有物だったんだから。
でも嫌だとは全く思わない。
逆に嬉しく思ってしまう俺たち。
社長に、旦那さんには知られたくない。
「嘉太郎から、3日のうちの1日のランチとお茶の時間を梅吉くんと過ごしたいってリクエストがあるんだけど、良いかな?」
梅吉は喜んでいる。そして悩んでいる。
でも嬉しい気持ちの方が強い。
(受けて良い?)
『へえ。お願いします。ただし、翔太はんと社長さんは起きとってください』
(……了解)
「お願いします。ただし、我々の同伴が条件だそうです」
「わかった。やっぱりまだ二人きりは怖いしね……」
二人きり、なんて日は梅吉と旦那さんに来るんだろうか……
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「困る」
社内に俺の社長室詰めが告知されるなり、松田先輩に真顔でそう言われた。
「月、水、金の午後だけです」
「お前の本業は企画開発だろ?」
「はい。でも……」
先輩は声のトーンを抑えた。
「……心配するな。事情は社長と部長に聞いてる」
先輩どんな顔をするんだろ。怖くて目を逸らした。顔が見られない。
「……気にするな」
声音は穏やかだ。そっと顔色を伺うと、頭に手を置かれた。
「……そんな顔するな」
途端に、前世の記憶が蘇った。
俺はあの後また錯乱して、自害未遂を起こした。今度は首吊り……
気付いた松吉さんに力ずくで止められ、思い切り殴られた。
『死んだらあかん!』
正気に戻った俺は、泣き出した。
『痛かったな。ごめんな……』
松吉さんに苦しいくらい抱き竦められた。
『おまはんは悪ない』
松吉さんに縋って泣いた。
やっぱり先輩と松吉さんはどことなく似てる。しんみり仕掛け、涙が出掛けた。
「火、木の週2で十分だろ!?」
涙は引っ込んだ。
そういえばこの人も俺を隣に置きたがる。
この会社に俺が来たその日からそうだった。
「社長命令ですから、俺には変えられません!」
「だけどさ……」
ああだこうだとやりあってると、小池部長がやってきた。
「お前はまーた社長と梅村の取り合いしてんのか」
茶化す部長に先輩は取り合わなかった。
俺の横でヒソヒソやり始めた。
「……いくらなんでも拘束時間が長すぎます。通常業務に支障が出ます。なぜ承諾したんですか?」
「……あいつ、週5の8時間がいいって最初に言いよったぞ」
は?そんな事言ったの?あの人。
「……専任秘書ならともかく、本業は企画開発部だって諌めた結果が週3午後だ」
「……そうですか」
先輩は大きい溜息を付いた。
流石に諦めてくれるはず。
「わかりました」
これで一件落着だ。
先輩は突然ネクタイをぎゅっと締め直し、ジャケットを羽織った。
なんだろ。なんかいやな予感がする。
「社長に直談判してきます」
マジかよ……
「本気ですか!?」
「おいおい……」
社長を無闇矢鱈に怖がらなくなったってことだけど、流石に……
「……やっともらった後輩、これからって時に取られてたまるかって話ですよ」
後輩として可愛がってもらえてる。
そう素直に思っていいんだろうか。
小池部長は先輩を止めなかった。
「いいなぁ。お前は、社長と松田に可愛がられて」
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松田先輩はなかなか帰って来なかった。
『帰ってきはらへんな』
梅吉も心配し始めた。
(『私のためにケンカしないでください!』って言いに言った方が良いかな?)
ちょっとふざけただけなのに、ドン引きされた。
『痛いわ……』
(痛いって……)
『おふたりとも、仕事の正論のぶつけ合いだす』
(梅吉だってちょっと喜んでたくせに)
梅吉はガン無視スルー。
『あ!帰って来はった!』
(え?)
梅吉の言うとおり先輩が帰ってきた。
小池部長と少し話した後、デスクに戻って来た。
「お帰りなさい」
おうと言った先輩は少し疲れた感じがしてる。
「今日夜空いてるか? 飲もう」
突然のお誘い。
なんだろう……
「はい…… 大丈夫ですが」
「よし、18時に出るぞ」
そういうと先輩は一心不乱に仕事を始めた。
先輩と久しぶりのサシ飲みだ。
なのに素直に手放しで喜べない俺がいる……
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「本当にお邪魔して大丈夫なんですか?」
連れてこられたのは、先輩のマンション。居酒屋じゃなかった。
「嫁さんには連絡した。大丈夫だ」
いや、大丈夫って言われても……
「なに緊張してるんだよ。赤城さんも何度か来たことあるぞ」
「へ、へぇ。そうなんですね」
社員同士繋がりが薄かったヘブンスじゃ、先輩のお宅訪問なんて経験したことがない。
それに、奥さんがいる友達の家にお邪魔したこともまだない。
緊張するに決まってる。
「いらっしゃい。お疲れ様。遠慮しないで」
会社で会うのと同じ小宮さんが迎えてくれた。
モデルルームのようにすごく綺麗に整頓されているリビングルームに通された。
「今日、泊まってくんだよね?」
当然でしょという感じで聞かれたけど!?
先輩どんだけがっつり話し込むつもりだろう……
「洗濯しといてあげるから、お風呂入って来て。用意してあるから」
準備万端だ。これは断れない。
「……あ。はい。ありがとうございます」
大人しく言う通りにお風呂を頂くことにした。
あんまりじろじろ見ちゃダメだ!と思いながらもついつい見てしまう。
バスルームもすごく綺麗。
『綺麗好きみたいだすな、小宮さん』
(そうだね……)
『嬢はんの方が愛嬌がありますな』
そうだ。少し散らかった結子さんの方が……
って!
(言ったらダメだよ)
『しょうもないことは言いまへん』
お風呂を頂き、リビングに戻ると先輩が入れ替わりでお風呂へ。
小宮さんはキッチンで食事の準備中。
「手伝います!」
「いいよ。ただ並べるだけだから」
本当に買ったものが大半を占めていた。
『料理苦手て、松田せんぱい言うてはりましたもんな』
(しっ!)
用意ができたちょうどいいタイミングで、先輩がお風呂から上がってきた。
三人でご飯。小宮さんがテキパキとサーブしてくれる。
「買ったものばっかでごめんね」
申し訳なさそうに小宮さんは言うけど、サラダに煮物に……
バランスと彩りは取れてる。
「いえ。突然押しかけてきた俺が悪いんで……」
途端に二人の夫婦漫才が始まった。
「気にするな。いつもこんなもんだ」
「梅村くん、この人家事しないのにこういうこと言うのどう思う?」
「やってんじゃん、ゴミ出し」
「重いのだけね」
「風呂掃除だって」
「休みの日だけね」
「掃除も」
「自分の部屋だけでしょ」
思わず笑ってしまった。
職場でほとんど会話してない、夫婦感がない二人の日常を垣間見れた気がする。
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小宮さんが時計を見た。21時を過ぎている。
「じゃ。そろそろわたしは失礼するね」
メインイベント、先輩とサシ飲みで話し込む時間がやってきた。
「今日はありがとうございました!」
「あんまり御構い出来なくてごめんね。朝ごはんは頑張るから」
そうだ、今日はお泊り……
「いえいえ。ありがとうございます」
「じゃ、布団はそこに置いておいたから使ってね。あんまり夜更かししないようにね。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
ずっと黙って見ていた梅吉も、席を外した。
『松田せんぱいと二人きりでじっくり話しとくなはれ。おやすみなさい』
(ありがとう。おやすみ)
先輩は部屋に戻る小宮さんを送って何やら話した後、キッチンからウイスキーを引っ張り出してきた。
「ロックでいいか?」
「はい」
グラスの中に大きな氷と琥珀色のウイスキー。一気に大人の雰囲気になった。
「……久田さんやっつけたら好きな部署選べるって聞いたけど、どうするつもりだ?」
「……先のことは考えてません」
目の前のことで精いっぱいだ。
「……聞き方変える。ヘブンスに帰りたいか?」
そんなの決まってる。
「帰りたくはありません……」
あの会社に未練は全くない。
でも、LOTUSにも居られない。
「そうか」
カランと氷が溶ける音が耳に届いた。
「……俺はお前にうちに残ってほしい。うちの社員になって、本当の俺の後輩になって欲しい」
先輩、そう思ってくれてるんだ。嬉しい。でも……
「でも俺は……」
「お前には見込みがある。素質もある」
「ありがとうございます、でも……」
言葉に詰まって俯くと、先輩に謝られた。
「すまん。お前も辛いよな。不器用なのに必死で戦って……」
まだこれからだ。本当の戦いは……
先輩はニッと笑うと俺の髪をわしゃわしゃと撫でて笑った。
「まずは、久田さんの始末だな。先のことはそれから考えよう。でも俺の希望はちゃんと伝えたからな」
少しぐらい、先輩に甘えたってバチは当たらないかも知れない。
でも、ダメだ……
「『始末』は流石に不味いですよ」
可愛くない後輩でごめんなさい。
梅吉のこと、可愛げがない淡白だって、言えない。これが俺の性格だ。
先輩の手が離れた。
「小池部長のせいでどんどんイメージが悪くなってるんだよ、久田さん」
「あの二人はずっと仲悪いんですか?」
「犬猿の仲らしい」
先輩に数々の喧嘩の話をしてもらった。
しょうもない事での喧嘩から、深刻な物まで……
「ひでぇ……」
「だろ?浮田さんは俺以上じゃないか?部長の尻拭いもしてるし」
「ですよね」
ああだこうだと喋って飲んでしてたら、もう23時。
でも先輩はまだお開きにする気配がない。
「まだあとちょっとだけ飲めるか?」
「はい。大丈夫です」
先輩は真面目な顔で言った。
「梅吉に会わせてくれないか?」
俺は自分の耳を疑った。
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「……信じるんですか?」
「信じるもなにも、実際に嘉太郎と会って話したんだ」
旦那さんと社長、二人はどこまで自分たちと俺たちのことを明かす気なんだろうか。
それに先輩はこの話を俺にして、どうするつもりなんだろうか。
身構えてる俺とは対象的に先輩は前のめり。
「な?梅吉と会わせてくれ。話したい」
なんで会いたいんだろう。
でも、悪いことにはならないはず。
梅吉だって、松吉さんにどことなく似てる先輩と直接話してみたいんじゃないかな……
「……少々お待ちを」
梅吉を起こし手短に話すと快諾してくれた。
俺から主導権を受け取ると、礼儀正しく頭を下げた。
「挨拶が大変遅くなり申し訳ありまへん。梅吉と申します」
「おう」
「あ、あの!社員旅行の時、負ぶってくれはって、部屋に連れてってもろて、ありがとうございました!」
……何?その話。
「……あれ、梅吉だったのか?」
「へえ。すんまへん」
「謝らなくていい。そっかそっか……」
ん? 先輩、なにニヤけてんだろ。
「少し飲もうか」
「へえ」
先輩は旦那さんとなに話したか教えてくれた。
「梅吉一人しか使用人がいないから、そばに置くのは当たり前だって言ってた」
そりゃそうだ。
「でもありゃ建前だ。あいつはお前が心配でしょうがないから、傍に置きたいんだ」
「わてが不甲斐ないせいだす……」
「そうじゃない。兄ちゃんは弟が気になるんだ。俺、歳の離れた弟がいるんだけど、今年の春から大学生で一人暮らしするって言ってる。正直めちゃくちゃ不安だ」
先輩の面倒見の良さは弟さんが居たからか……
「……そないなもんだすか?」
「そうだ。だからお前らの週3午後の拘束は承諾した。少しでも嘉太郎を安心させてやれ」
「へえ」
旦那さんは生きてた時から梅吉を相当気に掛けてる。だって、梅吉は旦那さんの亡くなった弟さんの代わりだから……
先輩は梅吉にいろいろ聞いた。年齢だとか、好きなものとか、昔の蓮見屋の話とか。
「そういえば、前会ったとき『松吉』って言ってたけど、生きてた頃の先輩か?」
だから、前二人になにがあったの!?
「……へえ。松田せんぱいに雰囲気がよう似てました」
「そっか…… その人は今天国か?」
「そうやと思います」
先輩の手が俺の頭に乗った。
「梅吉。俺のことその先輩だと思っていいからな。この松田の兄ちゃん、どんどん頼ってくれ」
「へえ。おおきに」
梅吉は礼儀正しく先輩に別れを言うと、俺に主導権を返しまた眠りについた。
気になって眠れそうにないから、社員旅行の話、聞かないと!
「なにがあったんです?」
先輩はまたニヤニヤし始めた。
「蓮見さん部屋に送った後、お前帰ってこなくてさ」
送っていった後の記憶がない。目が覚めたら朝だった。
「探しに行ったら、ロビーのソファで調子悪そうにしてたんだ。声かけたら目眩がするって言うから、背負って部屋まで連れ帰った」
「すみません……」
「ギュってしがみついてきてさ、『松吉はん』とか『会いたい』とか寝言言ってて、めちゃくちゃ可愛かった」
げ!そういうことかこのニヤニヤは!
「可愛いって言わないでください!」
先輩はヘラヘラ笑いながら言った。
「お前さ、自分の怒った顔鏡で見た事あるか?全然怖くないぞ」
「……は!?」
初めて言われた。社長室は俺が怒ると怖がるから、相当怖いんだと思ってたのに!
「まぁ、綺麗な顔だから迫力はあるけどな」
可愛いよりはマシだ。自分で思ったことないけど。
先輩は俺の顔を両手で挟んで変顔を作って遊びはじめた。
でも、先輩の表情は至って真面目だった。
「梅村、また泊まりに来いよ……」
俺の原に対する気持ちと、松田先輩の気持ちはおんなじだ……
先輩とも離れたくない……




