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葉を見ず、花を見ず  作者: 喜世
第4章 試練
40/68

【4-9】下手の真ん中、上手の縁矢?

「……居ない」


 木曜日。現在9:45。社長室に社長が居ない。社長室のどこにも居ない。

全てのフロア全部の部屋を確認したけどどこにも居ない。

 会社携帯は社長が持ってるから、連絡は受け取れない。俺の個人携帯に連絡は無し。

 社長の会社携帯に掛けたけど返事なし。個人携帯に掛けても同じ。


 庭、駐車場、敷地内全てを探した。どこにもいない。


『どないしはったんやろか……』


 梅吉はソワソワ。


(大丈夫。心配ないから、寝てて)


 梅吉にはそう言ったけど、俺は負けず劣らず不安で押しつぶされそうだ。

事務室に戻り、忙しそうな先輩には申し訳ないけど助けを求めた。


「……先輩」


「ん?どうした?」


「社長が居ません……」


「……は? 連絡は?」


 作業をピタリとやめ俺を見た。


「全くつきません」


「今すぐ小池部長に報告しろ。俺も連絡してみる」


 指示通り小池部長に報告しに行った。


「おう、どうした泣きそうな顔して。社長に意地悪されたか?」


 ニヤッと笑った顔に少しイラッとした。

 その方が百倍マシだ。


「……社長が社長室に居ません」


 途端に部長は真顔になった。


「おっと。……社内は全部探したんだな?電話はしたんだな?」


「……はい。考えつくことは全部しました」


「わかった。ちょっと待ってろ」


 その間に先輩からは、俺と同じく電話が繋がらなかったって言われた。

部長も暫くしてデスクに帰ってきた。


「……ダメだ。聞けるやつ全員に聞いてきたが、誰も連絡受けてない」


「どうしましょう……」


 なんで?どうして?猛烈に不安になって来た。

ただの寝坊ならいい。事故とか?事件とか?

 嫌なことばっかり考える自分が嫌になった。


「……落ち着け。連絡を待つしかない」


 そこへ小宮さんが走ってやってきた。


「小池部長、先程の件連絡がありました」


 小宮さんの声が震えてる。物凄く嫌な予感がする。


「……なんだって?」


「……先程救急車で病院に運ばれたそうです。容態は、意識不明とのことです」


 サッと血の気がひいた。背筋が凍った。


「誰だその電話をしてきたのは?悪戯じゃないだろうな?」


 事件?事故?病気?

 社長、大丈夫なの?死ぬの?


「社長の自宅マンションの管理人さんです」


 とにかく、行かないと。今すぐ社長のところへ……


「……病院、病院、行ってきます!」


 後先考えず、俺は走り出した。


--------------------------------------------------------------------

 会社を飛び出し、最寄り駅まで突っ走った。

真冬の冷たい空気が手や頬を刺す。


『嘉太郎と梅吉は、決して娑婆では一緒にはなれぬ』


 閻魔様の言葉が頭から離れない。別れが来るのはわかってた。

でも、こんな形の別れが有るかもなんて想像もしてなかった。

もしも本当にこのまま別れが来たら、俺は一生後悔する。


 梅吉の言う通り、『お世話になりました』って『ありがとうございました』って、感謝の気持ちを伝えてない。

 社長は何気ないことでもいっぱい『ありがとう』って言ってくれたのに、俺は形式通り『ありがとうございます』ばっかりだった。


 伝えないと。その上で、あの人の傍から離れないと。


 最寄り駅に着いて改札口の前に来た時、我に帰った。


 待て、どの病院だ?


 何も考えずに飛び出て来た。コートを着てない。持ち物はスマホと財布だけ。

 必死すぎる自分を笑った。でもそれだけ社長の許に急ぎたかった自分の気持ちは本物だ。

 

 小宮さんに聞いてから、ちゃんと準備してから、上長報告してから出ればよかったのに。

後で絶対怒られる。下手すると始末書ものだ。

 スマホを取り出すと、結子さんから病院名とアクセス方法が送られて来ていた。


『久田さんが怒ってて大変。小池部長と喧嘩し始めた。でもこっちは大丈夫。社長のところに早く行きなさい』


「ありがとうございます。結子さん……」


 教えてもらった情報を元に病院へ向かった。

 1分1秒でも早く着きたい。早く社長の許に!




「蓮見健一さんは、どこですか!?」


 真冬なのに汗だくで息が上がってる俺を見て、病院の受付の看護師さんは驚いた表情を浮かべていた。


「申し訳ございませんが、どのような御関係でしょうか?」


「私は、蓮見健一さんの秘書です!えっと、名刺……」


 そうだ、名刺入れごと家の引き出しの中だ。

 いや、でも確か緊急用に入れておいたはず!

 財布の中だっけ?


……あった!


「LOTUS製薬代表取締役社長、蓮見健一の秘書です!弊社社長が搬送されたと伺い見舞いに来ました!」


 名刺が効力を発揮した。


「分かりました。少々お待ちいただけますか?」


 でも、その数秒がもどかしい。

早く、早く、早く!


「920号室です」


「ありがとうございます!」


 いてもたってもいられずに走り出した俺は、看護師さんに叱られた。


「お静かにお願いします!」


 エレベーターが来ない。待ってられない!

 さっき怒られたのも忘れて、階段を駆け上がった。


 やっと9階。あと少し。


 915号室、918号室…… 920号室。あった。


 扉のドアノブに手を掛けたのに、いきなり怖くなった。


 管だらけで繋がれてたらどうしよう。

 包帯でグルグル巻きでミイラみたいだったらどうしよう。


 でも、面会謝絶って書いてないし、看護師さんが普通に通してくれたんだ。

 大丈夫。


--------------------------------------------------------------------

 覚悟を決めて部屋に入った途端、目に入ったのはベッドの上で寝ている社長じゃなくて、

ベッドに腰掛けてスマホをいじってる社長だった。


「えっ!?」


 扉が開いた音と俺の声に気づいた社長は顔を上げた。


「……え? ……なんで?」


「は!?」


 気の抜けた声のせいで、猛烈な怒りが込み上げて来た。


「……怒ってる?」


 いつもなら可愛いくて悶絶しかける少し上目遣いのその表情が、余計に俺を苛立たせた。


「当たり前でしょ!? 部屋に居ない!会社に居ない!電話に出ない!メールもメッセージも未読!

意識不明で救急車で運ばれたって聞いて、俺がどれだけ心配したと思ってんですか!?

一体何してんですか!?」


 いつか大喧嘩した時以上に、俺は社長秘書という立場も忘れて社長に向かって怒鳴ってる。

あの時社長は怒鳴り返してきた。でも今は完全に言われっぱなしで半泣き。


「ごめん…… 全く記憶が無いんだ」


「……は? どういうことですか?」


 自分でもわかるくらい低く冷たい声が出た。社長は俺から目を逸らした。


「目覚ましたら、知らない部屋で顔に酸素マスク付けてベッドの上だった。看護師さんに住所氏名生年月日聞かれるし、スマホ見たらみんなからいっぱい着信やメッセージ来てるし、もう何がなんだか……」


 記憶障害?ヤバくないか? いや、でも今のところ命に別状は無さそう。

管に繋がれてないし、ミイラみたいにぐるぐる巻きでもない。


 ちゃんとこの人は、生きている。


「すみません。暴言吐きました」


「ううん。いいよ」


「……安心しました。社長に大事なくて」


「……ごめん、心配掛けさせて。来てくれてありがと」


 また大好きな優しい笑顔が見られた。


 でも本当の本当にこれが最後。

 ホッとしたせいか、その寂しさか、突然目から涙が溢れた。

 すぐ止まると思ったのにどんどん酷くなった。

 溢れて止まらない。嗚咽まで出てきた。


 初めて社長の前で泣いてしまった。みっともない姿を見せたくない。


「……ごめん、泣かせるつもりはなかった」


 社長がベッドから腰を上げ、俺に近づいてきた。そしてその手が俺の方に伸びてきた。


 頭を撫でるつもりだろうか、頬っぺた引っ張るつもりだろうか。

 ギュってしてくれるんだろうか……

 前世と現世の思い出、願望が交錯した。


 ダメだ、甘えたら。

 ダメだ、この優しさに縋ったら。


 俺は前世でも現世でも、この人の傍に居るだけでこの人の迷惑になる。

 

 離れないと。


--------------------------------------------------------------------

 涙を乱暴に拭い、近づいて来た社長から離れた。

深呼吸し乱れた心を落ち着かせた。


「……これにて失礼します。会社に報告しに戻ります」


「待って。話がある」


「なんでしょう」


 社長は真剣な顔で、でも穏やかに言った。


「辞表を受理するつもりは無い。このままヘブンスに返すのは危険すぎるから」


 やっぱり認めてくれないんだ……


「お気になさらず。ヘブンスのスパイをいつまでも傍に置いておく社長の方が危険です。

社長の地位が危うくなります」


 天を仰いだ社長の言葉を待たずに続けた。


「私がスパイとして派遣され情報を持ち出した事実は、今後ずっと俺に付き纏います。

早く切り捨ててください。社長はこんな役立たずの秘書なんかいなくても、お一人でやっていけます」


 営業スマイルで言い切ると、社長は寂しそうな目で俺をまっすぐ見た。


「……本当に本心から出て行きたいって思ってる?」


「……はい」


 感情をおさえつけて言ったのに、止まったはずの涙がまた出てきて頰を伝った。

なんでだよ……


「……翔太、本当のこと言って」


 もう言っちゃえ。もう辞表が受理されなくても出ていくんだ。

言いたいこと言って出ていこう。


「本当は出て行きたく無い。LOTUSで働きたい。みんなと一緒に居たい。社長の傍に居たい」


「だったら!」


「でもそれ以上に、貴方の迷惑にだけにはなりたくない!貴方の命と地位を奪うことだけは、もう二度としたくない!」


 前世で梅吉は俺は旦那さんのために店に残ることを決めた。

でも俺がいなければ旦那さんが投獄される事はなかった。牢の中で亡くなることもなかった。

 真実はまだわからないけど、どうであろうと元を正せば俺のせいだ。


「翔太、その事だけど……」


「ですから、私は出て行きます!」


 俺の存在は絶対に社長に害を為す。近いうちに間違いなく社長を追い詰める。

そしてLOTUSのみんなの迷惑になる。久田さんと竹内部長の思うつぼになる。


「翔太、話を聞いて」


「LOTUS代表取締役社長として、正しい判断をお願いします!」


「勝手に突っ走るんじゃない! 俺の話を聞けよ!」


 社長がキレた。

 クールモードの社長がキレたのは何度も見た。でも素の社長がキレたのは初めてだ。


「会社が最優先、その次に付属品の社長の俺、個人の俺は最後の最後。そう言うことかよ!?」


 ……全然怖くない。

 ……これなら勝てる。


「そうですよ!当たり前じゃないですか!貴方は一個人である前に、LOTUS代表取締役社長です!

全社員の人生が、貴方の肩に掛かってるんです!一時的な気の迷いで、皆を路頭に迷わせる気ですか!?」


 社長は黙ってしまった。


 勝った。


「正式に辞表の受理をお願いします。では、失礼します……」


 また今日も『ありがとうございました』って言えなかった。

でもちゃんと明日がある。明日絶対に辞表を受理してもらおう。

そして、出ていこう。


 社長に背を向け、一歩踏み出した時だった。


「梅吉!」


--------------------------------------------------------------------

 ものすごく長い間、フリーズしてた気がする。


「……梅吉?」


 間違いない。社長の声が『梅吉』って言ってる。

恐る恐る振り向いてみると、社長が期待でいっぱいの眼差しで俺を見ている。

 社長のこんな顔は見たことない。


「すみません、私は梅村翔太です。貴方は……」


「お初にお目にかかります。蓮見屋五代目当主、嘉太郎だす」


 そうか、旦那さんが起きたんだ。


「初めまして…… すみません、さっき目を覚まされたんですか?」


「いいえ。社員旅行から帰った日の夜だす」


 梅吉の記憶が一部戻ったのと同じタイミングで、旦那さんは目覚めたってこと?


「社長はその事は……」


「はい。わかってはります。昔から見てた夢の謎がわかったって、えらい喜んで……

あ、せやけど、なんでずっと黙ってたんやーってまた拗ねてます」


 社長は寝ずに起きてる。ということは、俺の言動も見えてるし聞こえてる……


「……すみませんでした」


 梅吉に言うなって言われてたし、俺ももう言い出すつもりは無かった。

でも社長は怒るどころか、喜んでくれていた……


「……ええよって言うてます」


 やっぱり社長は優しい……


「謝らんといかんのはわての方だす。健一はんがここに居てるのは、わてのせいだす」


「……どういうことですか?」


「怒らんといてくださいね。わてら、昨日自棄酒したんだす」


 マジかよ……


「なんで自棄酒なんか?」


「前は梅吉引き止められたのに、今翔太はん止められへんのは、わてらがポンコツやからって……」


 またポンコツって…… 貴方がポンコツなら、俺はどうなるんですかって話だよ。


「それで、一体何をどれだけ飲まれたんですか?」


「焼酎をそのままお猪口に一杯……」


「え? それだけ?」


 そんなの俺からしたら、味見だ。

 旦那さんはムクれた。


「わてらは強うないんだす」


「……すみません」


 そうだ、弱いんだった。


「すぐ酔って寝てもうて、朝起きたら健一はんの身体乗っ取ってました。健一はん起きひんし、どないしてええかわからんかったさかい、とりあえず会社行こう思て、家から出ました。せやけど、慣れへん身体のせいで階段で滑って転んで、そしたらまた身体の主導権が寝てて起きひん健一はんに戻ってて……」


「大家さんが寝てて起きない社長に驚いて、救急車で搬送?」


「……はい」


 ちょっとお間抜けな顛末、思わず吹き出してしまった。

旦那さんは俺の顔をじっと見た。


「……翔太はん」


 ドキッとしたのは、間違いなく俺だ。


「お願いします。健一はんは、翔太はんに居て欲しいんだす。

わても一緒だす。梅吉に会いたい。一緒に居たい。せやから、出ていかんといてください!」


 頭を下げられた。


 ……会いたい?

 ……一緒に居たい?


「……梅吉を恨んでは無いんですか?」


 勢いよく頭を上げた。


「なんで恨む必要があります?」


「……いろいろありましたから」


 顔が曇った。慎重にいかないと。


「……本当に、梅吉に会いたいんですか?」


「はい!」


 真剣だ。会って復讐を……って感じでも無さそう。

よし、正直に言おう。


「私が社長に前世のことを隠してたのは、梅吉に止められていたからです。

旦那さんに会うのをずっと怖がっていましたし……」


 表情がさらに曇った。


「……やっぱり、梅吉は自分のせいでわてが死んだて言うてますか?」


 自覚があるみたいだ。


「……はい。ずっとです」


 泣きそうな顔になった。


「とにかく、今から梅吉を無理矢理引っ張り出しますね」


 そうしないと絶対出てこない。


「……よろしくお願いします」


 寝てる梅吉を叩き起こし、無理矢理主導権を譲った。


--------------------------------------------------------------------

「なんも言わんと突然代わるんは危険やからあかんて何度も言うたや無いですか。もう……

どこやねんここ……」


 梅吉は物凄く不機嫌だ。


『ごめん。病院』


(え!? もしかして社長さん……)


『社長は無事。旦那(だんな)さんもね』


(……なに言うてはるんだすか?)


 旦那さんが梅吉に声を掛けた。


「相変わらず寝起きは機嫌が悪いな、梅吉」


「……え?」


 梅吉はさっきの俺と同じくフリーズした。


「わてや、嘉太郎や!」


 満面の笑みを浮かべて、旦那さんは両腕を広げた。

え、『旦那(だん)さん!』って可愛らしく抱きつけって?

いや、梅吉がそんなこと出来るわけがない。

 案の定梅吉は旦那さんからさらに離れた場所に下がって床に手をつき、頭を擦り付けた。


「すんまへん、旦那(だん)さん。全部わてのせいだす。許して貰おうとは思てまへん。どうぞ煮るなり焼くなりお好きにしとくなはれ」


「……会うなり土下座て、無粋にもほどがあるやろ」


 すっごい不満そうな声。


「すんまへん」


「相変わらず、すんまへんばっかやな」


 今度は嫌味っぽく言う。


「すんまへん」


「もうええから、顔上げ」


 今度は笑ってる。

旦那さんは声に感情がはっきり表れる。鈍い俺にはありがたい。


「へえ……」


 渋々顔を上げると、旦那さんと目が合った。

優しく微笑んでいた。その目には涙が浮かんでる。

 俺の胸がいつも以上に締め付けられた。これは梅吉の気持ちだ。


「……梅吉や。……梅吉」


 旦那さんが俺たちに向かって両手を伸ばしたその時、

コンコンと病室のドアをノックする音がした。


「蓮見さん。入りますよ」


 梅吉は咄嗟に身を引き、旦那さんは手を引っ込めた。


「梅吉君、ごめんね邪魔して。また後でゆっくり会わせてあげるから」


 ……これは社長だ。

 また胸が締め付けられた。


「……お気遣い、おおきにありがとうございました」


 梅吉は俺に無理矢理主導権を返すと、すぐに寝てしまった。


--------------------------------------------------------------------

 看護師さんが部屋に入ってきた。


「脳波、レントゲン両方とも問題無しです」


 そりゃそうだ。転んだだけで、あとは寝てたんだから。


「ありがとうございました。では、もう帰っても……」


 咄嗟に遮った。


「すみません。人間ドックお願いできますか?」


 社長がマジかよって言う顔で俺を見てるけど、無視。


「はい。午後からなら可能ですが」


「では、よろしくお願いします。領収書は会社宛にお願いします」


「はい。では蓮見さん、お食事は取らずそのままこの部屋でお待ちくださいね」


 看護師さんが部屋からいなくなると、社長はため息混じりに言った。


「勝手に決めて…… 俺たちと帰りたくないからでしょ……」


 バレてたか。いろいろ気まずいから今はこれ以上一緒に居たくない。


「梅村」


 突然キリッとした社長に名字で呼ばれた。これは……


「辞表受理はしない。今後の手筈はもう全部考えてあるし、手も打ち始めた。

全て私に従い私を補佐し、勝手な言動は慎むように。社長命令だ」


 再度の社長命令が出た。もう従うしかない。


「はい。かしこまりました」


「翔太。もう『辞める』って言わないで」


 これは社長命令じゃない。


「申し訳ありませんがそれはできません。社長の迷惑なるようなことが起これば、すぐに出ていきます」


 また大きなため息をつかれた。


「わかった」


 やっと諦めてくれた?


「翔太が出てくって言わなくなるまで引き止め続ける。覚悟して」


「社長こそ覚悟してください。私は言い続けますから」


 結局前世と一緒だ。

俺は出てくと言いながら傍に居て、社長は行くなと毎回俺を引き止める。

 どっちが勝つか。どっちが負けるか……


「では、私は会社に戻ります」


「……え。もう行くの?」


 悲しそうな顔しないでください。


「無断で会社を飛び出たので。帰ったら間違いなく久田さんからの説教です」


「……ごめん。俺のせいだから、やっぱり一緒に帰ろ」


 ここで折れたら負けだ。


「ダメです。人間ドック受けてください。今日は全休でお願いします」


「……わかった。でもさ、ちゃんと明日会社来てね」


 可愛すぎて悶絶しそうになった。

 これが本当に、さっき社長命令を出したのと同じ人なんだろうか。


「はい。では、失礼します」


「また明日ね」


 手を振る社長に会釈して部屋を出た。


--------------------------------------------------------------------

 会社に帰ると予想通りの説教タイムが待っていた。


「なんですぐに報告しなかった!?なんで勝手に外出した!?」


 静まり返る室内。延々と響く怒声。

 気分が悪くなり始めた。なんだか寒気もする。


「久田さん。いくらなんでも怒りすぎです!」


 直属の上司じゃないのに、寺田部長が俺を庇ってくれた。


「そうだ。何が気に喰わんか知らんが、俺の可愛い部下に八つ当たりしてんじゃねえぞ、久田」


 本当の直属の上司の小池部長は久田さんと喧嘩し始めた。


「顔色悪いですね。大丈夫ですか?」


「……はい」


 突っ走って汗だくになったのがマズかったかな。


「ここはもういいから、行きなさい。もっと悪くなったらすぐに松田君に言いなさい。

病院で何か拾って来てなければいいですが」


「……すみません」


 デスクに戻ると、先輩が迎えてくれた。


「お帰り」


「戻りました。ご迷惑おかけしました……」


「気にすんな。良かったな、社長に何もなくて」


「はい」


 秘書として、企画開発部員として、ここに居る限りは精一杯全力を尽くそう。

 いつでも出ていけるように。


 そう意気込んだのは良いけど、俺の体調は回復するどころか時間が経つにつれどんどん悪くなっていった。

 眠気、悪寒、鼻水、吐気、頭痛……


 松田先輩がわざとらしくマスクをして、これ見よがしに除菌ジェルを手に擦り込んだ。


「インフル拾って来たんじゃないだろうな? 予防注射は?」


「してないです…… 打っても罹るんで」


「まぁ、そうだわな。あ、小池部長!梅村が調子悪いんで帰らせていいですか?」


 正直仕事を続けてもこれじゃ全く捗らない。


「おう、帰れ帰れ。帰ってすぐに寝ろ。部長命令だ。いいよな?久田!」


「部署内のことは部署内でどうぞ」


 すごい不満げな返事の久田さん。

 まだ小池部長と喧嘩してるらしい。


 のろのろと身支度を終えると、先輩は俺に紙袋をくれた。


「はい、風邪薬、マスク、熱冷ましのシート、栄養ドリンク、ゼリー」


「……用意がいいですね」


「薬屋ですから」


 中を覗くと、見覚えのあるものがちらほら。


「ヘブンスの商品やたら入ってないですか?」


 末端で俺が関わった物もあった。

 全部竹内部長の息がかかってる。そう思うと気分が悪くなる。


「良いだろ、関係会社だし」


 俺はその関係会社から派遣されたスパイです。

ごめんなさい、先輩……


「ありがとうございます」


 何も知らない先輩の純粋な好意をありがたく受け取った。


「いいか、明日やばそうだったら絶対に来るんじゃないぞ」


「はい…… では、お先に失礼します……」


 ただの風邪だ多分。

 明日は出社するって社長と約束した。それに今日やる予定だった仕事が溜まってる。

 絶対今日中に治さないと。


 力を振り絞って、家路についた。

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