【4-4】いとしけりゃこそ、しとと打て!
師走も半ばに差し掛かった日の午後、定時後社長室に来て欲しいとメールが来た。
宛先は俺と結子さん。
呼び出しに慣れている俺と違って、結子さんはすごく不安そう。
「……ねぇ、仕事? プライベート?」
「仕事じゃないですか?プライベートなら個人携帯に就業時間外に送ってくるだろうし」
「それもそっか……」
二人で社長室に入ると、社長が来客用ソファに誘導してきた。
「どうぞ座ってください。お茶淹れますんで」
やたら下手の社長。かなり怪しい。
「私が淹れます」
「いいからいいから。半分仕事じゃ無いから」
「……どういうこと?」
「……さぁ?」
二人で首を傾げているうちに準備が整った。
「とりあえず、お茶どうぞ、あと、お煎餅……」
俺たちはどっちにも手をつけられなかった。
「社長、わたしを呼び出された理由はなんでしょうか?」
まだ素の社長に慣れてないって言ってた。だからこその堅苦しい言葉遣い。
「……社長呼びと、堅苦しい話し方は無しでお願いします」
ということは、仕事の話じゃ無い。
「……百合子さんのお兄さんたちってさ、どんな人か知ってる?」
「えっ? なぜ?」
「……来週、ここに来ることになった」
え。いつだろ。手帳の準備。
「商談ですか?」
「一応ね。うちの会社と商品について聞きたいって」
「それで、お兄様たちのこと知りたいと?」
「うん。商談は建前で、妹が付き合ってる男がどんな奴か、品定めに来るんだと思う……」
良家のお嬢様と付き合うとそうなるんだろうか。
俺だって結子さんとお付き合いしてる限り、今はいいけどそのうちもしかすると……
「それは、百合ちゃんが蓮見さんのこと本気だし、お兄様方も真剣っていう証拠じゃないんですか?」
「……そうかな?」
「はい。安心してください。お兄様のことは、百合ちゃんに聞くのが一番です」
結子さんのいうことは尤もだ。コソコソ探るより、お付き合いしてる相手に聞くのが一番。
「そうだよね。ありがとう。じゃあさ、俺、当日どっちで接すればいい?」
きっとこれは結子さんには答えにくい。俺が答えなきゃ。
「私と二人でいる時の、仕事モードで良いと思います」
キリッとしてるけど、優しい人間味がある社長。あれが一番だ。
「いつも傍にいる梅村くんのアドバイスが、一番だと思います」
「わかった。ありがと。また何かあったら聞くかもだけど、その時はよろしくお願いします……」
「はい。わかりました」
……あれ、これで終わり?
「あの。社長、商談の日程は……」
いつでもメモる準備は出来てる。
「ごめん、まだ確定してない」
え。
「……では、私が呼ばれた理由は?」
「翔太が焼き餅焼くと思って」
は? 意味がわからない。
結子さんが噴き出した。
「蓮見さん、よくわかってますね!」
「うん。この子わかりやすいもん」
わかりやすい? 何が?
「……まぁ、自分ではそう思ってないもんね」
「……そうですね」
会話の意味がわからない。
「教えてください!」
「頑張れ翔太!考えるんだ!」
結局教えてくれなかった。
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『10:00〜12:00 私立白石学園様来社商談』
日時が確定したから、社内のスケジュールシステムにその予定を入れた。
その途端、久田さんが俺のデスクにやってきた。
「梅村。あの商談、同席するのか?」
メガネを右手でグッとあげた。
「はい」
「俺も同席すると社長に伝えてくれ。白石学園との仕事の開拓は重大だ」
「わかりました……」
そうやって言うしか無いけど、これはかなりヤバイ状況だ。
すぐに結子さんのデスクに向かった。メールとかしてる余裕なんかない!
「どうした?」
「……社長室への同行お願いできますか? 例の商談のことで」
「わかった。先行ってて」
久田さんのことを報告するなり、社長は机に突っ伏してしまった。
「やっぱり、久田さん俺のこと信用してない……」
どうしたもんかと眺めていると、コンコンとノックの音が響いた。
「どうぞ」
秒でクールモードの社長に切り替わった。
「赤城です。失礼します」
誰かわかった途端に、ヘニョヘニョと力が抜けて、ヘタレな蓮見さんになってしまった。
「赤城さんか……」
笑いを堪えながら結子さんが言った。
「百合ちゃんが商談に来るって話ですよね?」
「え!?」
「え!?」
俺と社長は同時に声をあげた。
「違うんですか?」
「ちょっと待って!」
社長は大慌てでスマホをチェックし始めた。
「あっ。メッセージ来てる…… 百合子さん来る!どうしよう!」
また突っ伏してしまった。
「……翔くん、社長は何をそんなに心配してるの?」
「……久田さんが、商談に同席するって言い出して」
「……そっか。そうすると、クールモードじゃないと?」
突然社長が顔を上げた。
「ダメ! ムリ!このままの俺じゃ絶対に久田さんに負ける!」
勝つとか負けるとか、そういう話じゃない気がするけど……
表に見えるのが違うだけで、中身が一緒の同じ人間なんだから関係無いと思う。
「……でしたら、クールモードでいいじゃないですか」
結子さん、さらっと言ったけどそれは……
「でも、それで百合子さんに接すると秒で振られるって言ってたじゃん、だから……」
そうだ。社長はそれを心配している。
「公私混同しない子なので、仕事であれば大丈夫です」
「だといいけど。今までこの素の俺を出すと振られたんだ。百合子さんは逆だ。
だから、どうしていいかわからない……」
白石さんは、きっと初めて本当の『蓮見健一』さんを好きになってくれた人。
社長も白石さんのことが今までで一番大事な人になりつつある……
「全力でフォローします。心配せずに社長の仕事に集中してください」
俺が思う社長の幸せ、梅吉の言う旦那さんの幸せを、守りたい。
「ありがとう、翔太」
「わたしもフォローします。蓮見さん」
「ありがとう…… 赤城さん」
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商談当日、日課の朝の挨拶に社長室に行って驚いた。
「……え。起きた時から、ですか?」
「ああ。久しぶりだ。自分の意思に反して勝手になって戻せないのは」
疲れて切り替えに時間がかかるのは、実際に何度か見たことがある。
「……意思に反してって、大丈夫なんですか?」
「ああ。心配するな」
冷たく笑った社長。背筋が凍った。
やっぱり俺たちはこの社長が好きじゃ無い。
「梅村が来る前、数日間全く元の私に戻れない時もたまにあった。このままで生きてこうかと思ったこともある」
それはダメだ。社長の心がいつか壊れる。
いつかこの作り物の社長が完全にいなくなって、本当の社長が残ればいいのに。
今は無理だけど、いつかきっと……
でも今は仕事。私情に流されたらダメだ
「では、今日も一日、よろしくお願いします」
営業スマイルで乗り切った。
社長室を出て1階に降りると、結子さんが廊下で待っていた。
「社長どう?」
「朝からずっとクールモードで戻せないそうです。相当なストレスと緊張からだと思います」
「そっか。梅ちゃんは?大丈夫?」
「俺が制御します。何かあったら、よろしくお願いします」
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お兄様方と白石さんが来社された。
名刺交換から商始まり、LOTUSの会社概要を社長が話し、久田さんが業務内容と商品を説明。
白石学園のことは上のお兄様がお話ししてくださった。
今回の商談、LOTUSから共同プロジェクトの提案を予定している。
「薬学部と弊社研究部との共同研究、経営学部と弊社企画開発部との共同開発はいかがでしょう?」
ただの世間話じゃダメだと久田さんから言われた社長は、まず社内に意見を募った。
その後部長会議を開きこれを出すことに決めた。そして、新居さんが研究部の資料を、俺が企画開発部の資料を作った。
「教室の中、机の上だけではできない経験を学生に与えられますし、弊社は学生の柔軟な考えアイデアに刺激をもらえます。お互いメリットがあるかと思います」
相手からの質問に的確に淀みなく答え、時には逆に質問で返す。相手の話をよく聞き、言葉を選んで話す。相手に不快感を与えない。
目の前の社長は、仕事ができるカッコいい男性だ。
「……まだ話し合いの余地がありますが、前向きに検討という事で行きましょう」
1日で1回の話し合いで決まるわけがない。でも、いい方向に行きそうだ。
「ありがとうございます。ではまた来年、今度は私がお伺いしてもよろしいでしょうか?」
年明けに白石学園訪問の可能性有りっと。
「わかりました。よろしくお願いします。百合子さんは? 何か考えてるって聞いてたけれど?」
下のお兄様に促され、白石さんが初めて発言した。
「はい。子どもたちのための何かを、したいと思っています。ただ、まだまだ構想段階ですので今後お話しできればと思います」
きっともう社長と二人で話し合ってるはずだ。
「興味深いですね。では、その件に関しましては、今後また」
完全にビジネスの会話だった。
二人がお付き合いしてることなど、微塵も感じさせない。
無事商談が終わり、玄関まで見送りに。
久田さんが急用で呼ばれてその場から外れると場の雰囲気が和らいだ気がした。
「挨拶が遅れました。妹がお世話になってます」
上のお兄様が頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ。百合子さんにはお世話になりっぱなしで……」
社長も恐縮して頭を下げる。
「気が強くてしおらしくない妹ですが、どうかよろしく……」
下のお兄様がそういうと、白石さんは咳払い。
「お兄さまたち。わたし蓮見さんとお話があるの。早く帰ってくださる?」
しっしっと追い払う素振り。社長ともう少し一緒に居たいんだろう。
「薄情な妹だなぁ! じゃ、また後で。蓮見さん、今後ともよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
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お兄様方が去るなり、白石さんは社長に微笑みかけた。
「健一って、仕事だと全く別人になるのね」
『くん』でも『さん』でもない、呼び捨て!
これこそ年上彼女の醍醐味……
『なにアホなこと考えてはるんだすか! 社長さん、元に戻れてないですよ!』
まずい。ほんとだ……
「白石さん。ここ寒いので社長室に行きましょう」
「そうね」
白石さんの注意を他に逸らせそっと社長を伺った。
「……大丈夫ですか?」
「ああ。心配するな。そのうち戻る」
大丈夫じゃない。ヤバい。
結子さんにヘルプメールを送った。
来客時くらいしか使わないエレベーターで、3Fへ。
一生懸命勉強したマナー通りに、白石さんを誘導した。
クールモードの社長は、いつも怒らないことで怒ったりするから怖い。
「梅村くん、百合子で良いわ。お兄様たちも白石でわかりにくいでしょ」
「そうですか? では……」
お名前を口にしようとした途端、いつもより低く冷たい声が襲ってきた。
「梅村、ダメだ」
感情のない目でギロリと見られ、ゾッとした。
「……はい」
社長室のソファに二人を座らせ、お茶の準備に取り掛かった。
『……社長さんどないするつもりだすか?』
(結子さんにヘルプ頼んだ)
『……何事も無ければええですね』
(うん。でも、そうならないようにサポートしよう)
『そうだすな』
ここからは半分以上仕事じゃない。
俺が蓮見さんの為に、梅吉が旦那さんの為に私情ですることだ。
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「お茶、どうぞ」
恐る恐るお二人にお茶を出した。
温かいお茶で、元の蓮見さんに戻ってくれればいいけど……
でも返って来たのはいつもの『ありがと』じゃなかった。
「香りが飛んでる。入れ直せ」
初めてだ。淹れたお茶に文句を言われたのは。
今まで不味いお茶を黙って我慢して飲んでたんだと思うと、ショックだった。
「……はい。申し訳ありません」
『翔太はんのせいやない。わての慢心のせいや……』
ウジウジしてても仕方ない。本当の蓮見さんに戻ったら、美味しいお茶の入れ方を教えて貰おう。
きっと優しく教えてくれるはず。
「……お茶入れ直します」
「いや。コーヒーにしてくれ」
好きじゃないのに。白石さんの前では飲まないって言ったのに。
でも、苦いコーヒーで元に戻るかもしれない。
今は平然と笑顔でやり過ごすのが一番。
「かしこまりました」
回収しようとした湯呑みを、白石さんは渡してくれなかった。
「梅村くん。健一と友達って嘘でしょ?」
「え?」
「正直に言って。女を紹介しろって、社長命令されたんでしょ?」
ちょっと待て、なんでそうなる?
「私はそんなことは言ってない。梅村が自分で言い出したが、秘書の仕事じゃないと止めた」
「そうです。違います。私が自分から……」
湯呑みを少し強めにテーブルに置くと白石さんは低めの声で言った。
「梅村くん。無理しなくていいのよ」
「無理なんか……」
白石さんはひどく冷めた目で、社長を見た。
「蓮見さん。梅村くんの恐怖を押し殺して作った笑顔、ちゃんと見たことありますか?」
俺と梅吉の感情が、顔に出てた……
今のこのヤバい状況を作ったのは、他の誰でも無い、この俺だ……
「わかってる。梅村は……」
「わかってない」
白石さんは大きなため息をついた。
「貴方、ヘタレのフリしてわたしに近づいて何がしたかったの?」
「……は?」
マズい。ヤバい。
「白石さん、違います! あのヘタレが本当で、今のこれがフリなんです!」
「これとはなんだ?」
あぁ、なんでこうも性格が違うんだ。まるでジキルとハイドだ!
「どうやったら元の蓮見さんに戻ってくれるんですか!?」
この社長は嫌だ!
白石さんだって、この社長が好きじゃない。こういう性格が嫌いだって結子さんが言ってた。
早く戻らないとまずい。
「そのうち戻る。私に無理なことが、お前に出来るわけがないだろう」
ドン! とすごい音を立てて白石さんが机を叩いた。
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「蓮見さん、わたしに近づいたのはうちの会社が目的ですか?」
「え?」
「は?」
もしかして、白石さんの過去にそういうことがあったんだろうか。
結子さんも過去のトラウマで俺を振ろうとした。
「絶対に違います!」
蓮見さんは、ほんとの自分を受け入れてくれて、愛してくれる人が欲しかっただけだ。
「秘書は黙ってて!」
すごい怖い顔で睨まれ、とうとう名前さえ呼んでくれなくなった。でも俺は引き下がれない。
「この健一さんは、本当の健一さんじゃないんです!」
「意味がわからない!」
取りつく島もないってのは、こういうことだろうか。
でも、お互い落ち着いて冷静になればきっと……
「白石さん、落ち着いてください! 私の話を」
「梅村、一旦黙れ!」
社長に怒鳴られた。その途端、白石さんがソファから立ち上がった。
「帰ります……」
ヤバい。本当にやばい……
「白石さん!」
追いかけようとした俺の腕を、社長が掴んだ。
「やめるんだ!秘書の仕事じゃない!」
「離してください!」
蓮見さんを元に戻せなかった。
白石さんに誤解を与えた。
二人の仲を裂いた。
全部、全部、全部、俺のせいだ。
「社長命令だ! 行くんじゃない!」
「嫌だ!」
掴んでいる手を、力まかせに振りほどいた。
「秘書の仕事じゃない事なんかわかってる!だから!社長命令なんか聞くか!」
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社長室を飛び出たはいいけど、白石さんが見えない!どこ行った!?
『嬢はんに連絡!』
梅吉は俺と対照的に冷静だ。
(あ、メッセージ来てる。一緒に会議室に居るって。でも、少ししてから来いって)
『白石さんが落ち着いた頃合い見計らって行きまひょ』
(そうだね)
屋上に出た。
空は綺麗に晴れてたけど、すごく寒い。でも頭を冷やすにはちょうどいい。
『……翔太はん。白石さんへの話、わてにさせてもらえまへんやろか?』
(やりたい?)
『へえ。わての責任もありますし、これ以上皆さんに迷惑掛けたないんだす』
(わかった。じゃ、ちょっと練習しようか)
『へえ。よろしゅうお願いします』
初めて会社で身体の主導権を譲った。
『自己紹介してみて』
「へえ。梅村翔太です。よろしゅうお願いします」
これじゃバレる。
『もう一回同じ事言ってみて』
「はい。梅村翔太です、よろしくお願いします」
『これなら大丈夫だね』
「ありがとうございます。翔太さん」
『声に出して俺に話しかけないこと、いいね?』
(へえ)
俺よりずっと多く長く対人仕事をしてた梅吉だ、俺が言葉遣いとアクセントさえコントロールすれば問題ない。
『行こう』
会議室のドアをノックしようとした時、中から声が聞こえた。
『別れる。やっぱりうちの会社狙いだったのよ。ほんとわたし男を見る目がない! 結子もそうよ!』
まずいな……
『一緒にしないでよ!蓮見さんはあのとんでもない元カレとは違うって!』
『思い出したくも無いわ!あんなの……』
やっぱり元カレのトラウマか……
(どうします?)
『行くしかないよ』
(わかりました)
意を決して、梅吉がドアをノックした。
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会議室に入るなり、梅吉はすぐさま謝った。
土下座しかけたのをどうにか制御。頭を下げただけで止まった。
「白石さん。先程は申し訳ありませんでした!」
必死な様子が可笑しかったんだろうか。クスッと笑われた。
「百合子で良いわ」
「では、百合子さん。改めてお話聞いてもらえませんか?」
百合子さんの顔が険しくなった。
「なんであの社長は秘書に尻拭いさせてるの?」
「社長秘書じゃなくて、友達としてここに来ました。止められたけど振り切って来ました」
大きなため息をつかれたけど、結子さんが助けてくれた。
「百合ちゃんお願い。翔くん本当のこと言ってるから、聞いてあげて」
「……わかったわ」
結子さんに目配せされた。大丈夫、結子さんにもバレてない。
「ほんとの健一さんは、いつも百合子さんが見てたヘタレです。ふわふわしてて、優しくて、弱いのが本物です。今日のあの冷たくて、怖くて、怒りっぽいあの社長は、作りもんです」
「……作り物?」
「はい。会社では、クールで仕事ができる孤高の社長を演じてはるんです。ほぼ全社員の前では、アレで通してます。それで、緊張しすぎたり精神的にめっちゃ疲れると、元に戻るのにえらい時間がかかるんです。今日は全然戻りませんでした。多分ですけど、百合子さんのお兄様に会うってことと、うちの専務が同席いうことで、相当緊張してたんやと思います」
アクセントはコントロールできてる。でも、たまに俺のミスでほんの少し上方言葉が混じった。
そのせいか結子さんに気づかれた。すっごい不安そうな目で見てくる。
「さっきのアレは本当の健一じゃないっていう意味は、そういうこと?」
「はい。もう少しすれば、元に戻るはずです」
「そう……」
「だから、お願いします!本当の健一さんが好きなら、分かれるなんて言わんといてください!」
俺と結子さんの別れ話の時みたいに、また土下座しそうな勢い。
必死にコントロールしたおかげで、どうにか頭を下げただけで止まった。
「梅村くん、なんであなたそんなに必死なの?」
不味い。まだ仕事だって思われてる?
どうする?梅吉。
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「好きだからです」
「……え?」
「俺は、人として先輩として上司として友達として、健一さんのことが好きです。俺は、好きな人には幸せになってもらいたいんです」
梅吉は正太としての本当の気持ちを抑え、俺を演じ続けている。
「百合子さんとお付き合いするようになってから、よく百合子さんのこと話してくれます。すごく楽しそうで、すごく幸せそうなんです。それは、健一さんが百合子さんのこと大好きだからです」
結子さんが突然泣き出した。
「ちょっと、結子どうしたの?」
「大丈夫。わたしのことはほっといて……」
「だから、お願いします!」
また土下座しそうになった梅吉を必死に抑えた。
「……ちょっと考えさせてもらうわ」
少し困った顔の百合子さんに、また頭を深々と下げた。
「よろしくお願いします!」
会議室を出て、屋上に戻った。
「あー。しんど」
『お疲れ様』
「すーつて、窮屈だすな」
腕を上げたり回したり……
『そういえば、スーツ着た俺の身体を使ったこと無かったっけ。着物も似たようなもんだと思うけど?』
浴衣は楽だけど、この前着た番頭の衣装は重かった。
「わては着物が好きや」
『1着買おっか。結子さんに見繕ってもらって』
「ええかもしれませんね」
二人で笑いあった。
『蓮見さんと百合子さん、うまく行くと良いね……』
「そうだすな」
あとは二人次第だ。
「よっしゃ、次は社長さんに謝りに行かんと」
『え?なんで?』
「さっきえらい暴言吐いたやないですか。謝らんと」
そうだった。手を振り解いて、タメ口で怒鳴り返したんだった。
『梅吉!このまま俺の代わりにやって!』
「嫌だす。自分でやりなはれ!」
突然、主導権を返された。
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「申し訳ありませんでした!」
社長室に入るなり勢いよく頭を下げた。俺の方こそ土下座すべきなのかもしれない。
「俺こそごめん」
いつもの社長の声。やっと戻ったんだ。でも頭をあげられない。
「すみません」
「……翔太、あの作り物の俺が嫌いなんだよね?」
「すみません」
「本当はちゃんと知ってた。翔太が嫌がるって。最近、前よりももっと怖がってるって」
バレてた。もっとポーカーフェイス努力しないと。
「すみません」
「今日残り時間、すみません禁止。頭上げて」
「はい」
頭を上げた俺の目に映ったのは、本当の社長だった。
すっごい悲しそうな顔。
「ごめん。怒鳴って。理不尽なことで怒って……」
「いえ。私が未熟って事です。もっと努力します。……ですから、美味しいお茶の淹れ方教えてもらえますか?」
ようやく社長の顔が明るくなった。
「わかった」
昼休憩時間を利用して、お茶の淹れ方レッスンをしてくれた。
社長室の狭い給湯場で二人きり。梅吉がドキドキし始めた。
「お茶の種類によって、淹れ方が違います。ここ重要です」
「はい」
「さっき、どのお茶を淹れましたか?」
日本茶は、煎茶、焙じ茶、玉露、玄米茶…… ここにはいろんな種類がある。
「玉露です」
「沸騰したお湯入れちゃいましたか?」
「……あ、はい」
「玉露は、低音でじっくりが基本です。そして……」
丁寧に優しく教えてくれた。
『完全にわての勉強不足や。すんまへん翔太はん』
(いいよ。俺が全く勉強しなかったのも悪い)
「さ、let's try!」
社長に見守られながら、お茶の準備を始めると結子さんが社長室にやってきた。
「百合ちゃんとのこと、申し訳ありませんでした」
「謝らなくていいって。こっちこそごめんね、色々迷惑かけて。あ、座って。今翔太が美味しいお茶淹れてくれるから」
「もっとちゃんと事前に蓮見さんのこと、言っておくべきでした……」
二人の会話を横に聞きながら、お茶を教えられた通りに淹れ、緊張しながらお茶を二人に出した。
「……うん。よく出来ました。香りちゃんと出てる。美味しい」
褒めてもらえてめちゃくちゃ嬉しい。梅吉もキュンキュンしてる。
「ありがとうございます」
「明日はお昼一緒に食べて、他のお茶の練習しよっか」
「はい!」
さらっと明日のランチに誘われた。……結子さん、ヤキモチ妬いてくれるかな?
でも、結子さんはそれどころじゃ無かったらしい。
「あの、それで、百合ちゃんですが……」
社長が結子さんを制した。
「ありがとう。もう覚悟はできたから大丈夫。……慣れてるし」
慣れてるって、振られることだよな……
俺の考えを、女性の声が代弁した。
「覚悟ってわたしに振られる覚悟?」
百合子さんがいつのまにかそこに居た。
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「ごめんなさい。こっそり入った訳じゃないの。結子と一緒に入りました。
隠れて見てたのは謝ります。ごめんなさい」
お嬢様なのにやることが大胆だ……
「そのいつもの健一が素で、さっきのアレは仕事の健一でも最悪な状態の時なのね?」
「はい……」
百合子さんは最終確認に来たんだ。
「わかった」
怖い。結論が出る。
百合子さんは社長の隣に座った。
「ごめんね。わたしも悪かった。早とちりして、健一のこと疑った」
「……へ?」
「気が短くて、早とちりしがちで、全然お淑やかじゃないわたしだけど、これでもよかったら、これからもよろしくお願いします」
良かった……
振られずに済んだ……
「ありがと、百合子さん……」
社長の目に涙が浮かんだ。やっぱり振られる事覚悟してたんだ。
でも、涙を見せるってことは、それだけ百合子さんに心を許してる証拠。
好きっていう証拠。
「もう、泣かないの。ほんとさっきのカッコつけマンとは全くの別人ね」
「ごめんなさい……」
「一回泣く? スッキリする?」
「うん……」
百合子さんに抱きしめてもらって、泣き出す蓮見さん。
それを目の前で見る羽目になった途端、胸が抉られるような感覚があった。
紛れもなく、それは梅吉の気持ち。
耐えてる梅吉を無理矢理眠らせようか迷っていると、結子さんに手を握られた。
「……行こ。翔くん、梅ちゃん」
結子さんに連れられて、社長室を後にした。