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葉を見ず、花を見ず  作者: 喜世
第4章 試練
32/68

【4-1】重荷を負うて遠き道を行くが如し?

 27歳の誕生日の朝、梅吉にいつもより少し早めに起こされた。


(おはよう)


『おはようございます。誕生日おめでとうございます』


(ありがと)


 なんかいい匂いがする。

 テーブルの上を見れば、朝ごはんが並んでいた。炊きたてのご飯、シャケの切り身に、味噌汁。

 弁当まで詰めてある!


(え? 梅吉が?)


『へぇ。せやけど、翔太はんの身体でやったさかい、わてがやったんか翔太はんが自分でやったんか、怪しいけど』


(ううん。ありがとう!めっちゃ嬉しい)


 梅吉の作ってくれた朝ごはんは、すごく美味しかった。


(美味しかった。ありがとう)


 身仕度しながらスマホをチェック。日付変わったと同時に、結子さんからメッセージが来てた。


『お誕生日おめでとう。今晩楽しみにしててね』


 今日はデートで外泊だ!


『楽しんできてくださいね』


(ありがとう)


 社長からも来てた。


『誕生日おめでとう。実りのある良い一年を!』


 シンプルだけど大人なメッセージが嬉しい。


 ……あれ? 原からも来てる。あいつに誕生日教えたっけ?


『祝!梅村翔太生誕27周年! また飲みに連れてってください!』


「……はぁ?」


『さすが原さんや。意味がわからん』


 でも何か不安なことがあって、こんな軽い意味がわからないメッセージを送ってる可能性もある。

会って話した方が良いかも。


(いい? 来週くらいに原と飲みに行っても)


『どうぞ、お構い無く』


(原のこと、苦手じゃなくなってきた?)


『へえ。根は真面目なお方やさかい』


(そうなんだよな……)


『あ、翔太はん、そろそろ出んと遅刻だす』


(そうだね、ありがと)


 27歳の1日が始まった。


--------------------------------------------------------------------

 会社に着くなり守衛の多崎さんにおめでとうと言われ、事務室に入ると俺より早く来てた松田先輩にも祝われた。


「27か。いいなぁ、まだ二十代で」


「でもあと2年ですよ」


 二十歳からがあっという間だった。三十代ももうじきだ。


「でもこの会社は新卒取らないから、永遠にお前が最年少だ」


 先輩以降、新卒採用無し。ずっとこの状況が続くんだろうか?

人事のことどう思ってるのか、籍が違う俺が聞くのはなんとなく憚られる。


「正確に言うと、先輩が最年少ですよ。一応俺の籍はヘブンスなんで」


「そうだった。でもまだ戻って来いって言われてないだろ?」


「まぁ、はい……」


 いつか俺は元の会社に戻る…… まだ戻りたくないけど……


「じゃあしばらくはお前が最年少だ!」


 先輩に髪の毛をぐちゃぐちゃにされた。


「もう。やめてくださいって!」


 髪を戻してるところへ小池部長がやってきた。


「おはよう梅村。今日で一つ歳とったか?」


 手が両肩に置かれ、その手は俺の肩を揉み始めた。


「おはようございます。はい」


「そっか。頑張れよ色々。仕事もプライベートも」


「はい。痛て!」


 揉まれるのに慣れてない。気持ちいいって感じない。


「若い奴は羨ましいなぁ!肩もこらんのか!」


「違います!」


 朝礼の後、挨拶のため社長室に向かうと、優しい笑顔で社長が迎えてくれた。


「おはようございます」


「おはよう。誕生日おめでとう」


「ありがとうございます」


「今日は外出と来客は無いね?」


「はい。ですが、今日は上がってきた書類が少々多いです……」


 事務室で預かってきた書類の束を、デスクに乗せると社長は苦笑した。


「確かに多いな、もう月末だからしょうがないか」


「そうですね」


 サインだけで済むもの、中身を熟読しないといけないもの、色々入っている。

でも社長は優秀だから、こんな量処理するのに、一日もかからないはず。


「よし、早く終わらせるかな。今日は翔太も自分の仕事に専念して」


「はい」


 しっかり終わらせて定時ダッシュでデートだ!


何が何でも終わらせる!


「あ、15時くらいにキリついたら一旦また来てもらえる?」


「承知しました」


 社長室からデスクに戻ると、俺は企画開発の業務に取り掛かった。


--------------------------------------------------------------------

 来月の11月にいよいよハーブガーデンシリーズの新商品が量産開始される。

そして12月には販売開始。

 製造工場や営業部とのやりとりが激しくなっている。


「梅村、量試のスケジュールは?」


 井川さんから、質問が飛んできた。


「便秘薬と目薬が28日、エチケットタブレットが29日、メンズ向け商品郡が……ちょっと後になって1日です」


「そっか。生産開始日は?」


「量試に問題が無ければ、メンズ向け以外4日です。メンズ向けは10日ですね」


 スケジュール管理は俺がしている。秘書業務にも管理能力の向上は必要だと先輩から任された。


「ありがとう。松田、営業サンプルにそれぞれどれだけ出せそう?」


 先輩はあっという間に算出する。


「20ってとこですね」


「ありがとう。モノが出てきたら手配よろしくお願いします」


「了解です」


 今度は菊池さんがやってきた。CM案の次は、キャンペーンの企画運営の仕事を任されていた。

SNSでのキャンペーンらしい。


「松田くん、エチケットタブレット出したいんだけど、どれだけ出せそう?」


「トータル、300ですかね」


「そっか、結構多いね。ありがとう」


 松田先輩の手際の良さに感心してるとつっつかれた。


「お前も、この計算できるようにならんとダメだぞー」


「はい……」


「まずは電卓の間違えを無くそう、表計算でやればいいけど、最後はやっぱり人の計算だからさ」


 俺は計算が苦手だ。試算、経費計算、利益計算……

 梅吉によると、俺は前世でも最初のころ算盤が苦手だったらしい。商人には致命的。

 それを根気強く特訓してくれたのが松吉さん。

 今、俺は先輩に日々特訓してもらってる。


「よし、練習問題」


「撮影現場に、差し入れで目薬を持っていこうと思います。うちの損にならない最大の個数は?」


 松吉さんの特訓と日々の業務のお陰で計算が超早くて正確な梅吉は、もう答え出したらしい。


(答え言ったらダメだよ)


『へえ。頑張れ翔太はん!』


 梅吉に遅れること5分、出た。


「……250個」


 恐る恐る言うと、


「正確。できるじゃん!」


 また髪をぐちゃぐちゃにされた。


でも嬉しい。今までで一番早く一発正解出来た!


「27歳は違いますねぇ」


「もっと頑張ります!」


--------------------------------------------------------------------

 15時に指示通り社長室に向かった。


「失礼します。……あれ?」


 入った途端、デスクに社長の姿が無かった。

 ギョッとする梅吉。社長の姿が見えないと怖がることがたまにある。

 最後に旦那さんと別れた時のトラウマかもしれない……


「あ、ちょっとまってて!」


 給湯所の方から声が聞こえる。

なんだろう。お茶だったら俺が淹れるのに。


「何かお手伝いは」


「大丈夫。ソファで座ってて」


「はい」


 大人しく座って待っていると、社長がお抹茶と羊羹をサイドテールにセットした。


「赤城さんとお祝いするって言ってたから、ケーキはその時食べるかなって思って、羊羹にした」


 秘書の仕事で俺を呼んだわけじゃ無いらしい。俺の誕生日のお祝いってこと?

 土蔵の奥で、旦那さんと二人でヒソヒソ楽しく羊羹を食べた思い出が脳裏に浮かんだ。

 そこまでする旦那さんは、梅吉をどの使用人よりも可愛がっていたという証拠。

 今、社長が似たようなことしてるのは、本当に無意識なんだろうか……


「美味しい」


 上品な甘さ。舌触りも滑らかで、お世辞抜きに今まで食べた中で一番美味しい。


「よかった。ここの羊羹が一番好きなんだ。作ってるのがお爺ちゃんでもうあんまり手に入らないんだけど、翔太に食べさせたくて」


 わざわざ取り寄せたんだ。俺のために。


 すごく嬉しい。


「ありがとうございます。本当に美味しいです。お抹茶も」


「そう? スーツで立ったまま点てたからちょっと微妙かも」


「やっぱ着物で正座が一番ですか?」


「うん」


 俺と梅吉の思いが重なり、うっかり口に出してしまった。


「……社長のお着物姿、見てみたいです」


 言った途端社長は少し戸惑った表情を浮かべた。


「……え?」


 慌てて話題を逸らせた。


「会社でお抹茶って、ドラマで見る社長が部下と密談するシーンみたいじゃないですか?」


「わかる!かっこいいよねあれ。俺もやってみたい」


「でも、誰と密談するんですか?」


「准ちゃんや大ちゃんとか?」


 最近、同期にあたる男性陣をニックネームで呼びはじめた。


井川さんのことを准ちゃん、研究部の新居さんを大ちゃん。


 あっちも、オフでは健ちゃんて呼んでるらしい。 敬語も取れたって喜んでいた。


 でも……


「先輩たちとじゃ、あんまり意味なくないですか?」


「そっか。あれって役職ついてるおじさんたちとするから、緊張感出るんだもんね」


「ですね」


 役職ついてるおじさんたちのうち、社長派を本当の意味で社長の味方につけたい。


それが俺たち若手の次の目標。


 今は『先代の息子』で味方になってるだけだろうから……


--------------------------------------------------------------------

 定時で退社し、結子さんとレストランでディナー。


「お誕生日おめでとう! 祝3歳差!」


 謎の乾杯の音頭に笑った。


「でもあと半年でまた4歳差だけどね」


 結子さんの誕生日は4月。

年齢にうるさい結子さんのことだから、大々的に祝うと怒られそう。

誕生日プレゼント選びは難しくなりそうだ。


「いいの!今日は、このレストランとホテル、お姉さんからのプレゼント」


 この後ホテルってことは……

 そういう事だ。


「ありがとうございます」


 魚がメインのフレンチコースで、白ワインを楽しんだ。


「社長から何かお祝いしてもらった?」


「はい。ちょっと前にボールペンをもらって、今日はお抹茶と羊羹を一緒に食べました」


 少し複雑な表情を浮かべた結子さん。

 これは……


「……やっぱり、前世からの繋がりには勝てないか」


 グラスに残ってたワインを干すと、俺に注ぐように要求した。


「……妬いてます?」


「……うん」


 やっと素直に言ってくれた。


「俺は結子さんが一番です」


「ありがとう」


 食事の後、酔いを少し醒ますために二人でホテルまで歩くことにした。

 手を差し出すと結子さんは握りかえしてくれた。

 海沿いの道は夜景が綺麗だった。


「綺麗ですね」


「ほんとだ」


 互いの手の温もりを感じながら歩く幸せな時間。


「翔くん」


「何?」


「27歳の目標は、わたしに敬語使うのやめるってのはどう?」


 また結子さんは俺の敬語を気にしてる。


「タメ口の癖ついたら職場で大変ですよ」


「付き合ってるの社内全員知ってるんだから、いいでしょ」


「それはそうですけど…… だったら、俺のこと子供扱いするのやめてください」


「彼氏扱いしてるでしょ?」


 結子さんは繋いだ手を一旦離すと、もう一度俺の手をとり指を絡ませた。

 しっかり握り返した。この手を離したくない。


「……あ、もしかしたら、手代精神が抜けきってないのかな?」


 結子さんが笑う。可愛い笑顔にキュンとなる。


「なにそれ?」


「梅ちゃんとこの前デートしたでしょ。あの子、デートって何回言っても一歩下がって歩くし、わたしに何かあったらって、ずーっと周囲警戒してて、まるでSPなの」


 吹き出してしまった。


「お嬢様気分味わったんですね」


「まあね。……でも翔くんには彼女扱いしてほしいな」


 少し色っぽい目線にゾクゾクする。


「はい」


 引き寄せてキスしようとすると交わされた。


「ホテルで。夜景が綺麗な部屋取ったから、早く行こ」


「ありがとうございます」


 結子さんは俺の右腕に抱きつくと、にっこり笑った。


「……ホテル着いたら、敬語禁止ね。わかった?」


「……は、はい」


 見る暇あるのかな、ホテルの部屋からの夜景……


--------------------------------------------------------------------

『この計算間違っとるやないか! 使えんやっちゃなぁ』


『トロトロしとらんと、早く仕事せい!』


『読み書き算盤、商人の基本や!ちゃんと勉強せい!』


 久しぶりに悪い夢だ。番頭の久兵衛さんがやたら怒鳴ってる。

 でも、梅吉がピンポイントで怒られてるわけじゃない。番頭さんは手代や丁稚みんなに厳しい。

 まぁまぁとなだめる旦那さんにも食ってかかる始末。


『……旦那さん、あんさんは蓮見屋を潰す気だすか?』


 何がそんなに気に食わないんだろ。何か不満でもあるんだろうか。

 怒られた旦那さんがしょげているけど、今は声をかけないほうがいい。番頭さんがもっと怒るかもしれない。

 そっと見て見ぬ振りして通り過ぎようとした。


『……梅吉。仕事終わったら、わての部屋に来てんか?』


 すごく切羽詰まった感じの旦那さんに、嫌とは言えなかった。


『へえ』


 ここからいい思い出の夢だきっと……

 場面が飛んで夜。梅吉は旦那さんの部屋へ向かった。

廊下で襟を整え髪を撫で付ける。好きな人に会う身支度。

 深呼吸して高鳴る胸を落ち着かせる。この気持ちを悟られてはいけないから。


『梅吉だす』


 声を掛けると、中から返事が。


『入り』


『失礼します』


 行儀正しく襖を開けて部屋の中に入り、旦那さんに背を向け襖を閉じた。

 その途端、背後から旦那さんに抱き締められた。

 これは梅吉の記憶じゃない。梅吉の願望が形になった夢。


『……また番頭さんに怒られた』


 梅吉は気持ちを押さえつける。夢の中くらい我慢しなくてもいいのに。


『番頭さん、誰にでも厳しいさかい……』


 旦那さんの顎が肩に乗ってる。身体が密着している。

早い鼓動を聞かれては不味い。


『……おまはんだけや、いっつも優しいんは』


 さらにギュッと抱きしめられた。

 背中越しに感じる旦那さんの身体が、思いの外逞しく男らしい。

 鼓動は収まらずさらに激しくなった。


 男性の身体にときめき、ドキドキしうっとりする。

 俺が女性相手になるのと一緒だ。

 梅吉の『好き』はそういうこと。言葉で教えられるより断然わかりやすい。


『隠さんでもええんやで?』


 耳元でいつもより格段に低い男っぽい声で囁かれ、ゾクっとした。


『……何をだす?』


『わてのこと好きなんやろ?』


--------------------------------------------------------------------

 梅吉は夢の中ですらカモフラージュする。


『もちろん。みんな店のもんは旦那さんが好きだす』


 模範解答だ。

旦那さんは身体を離した。


『……おまはんのは、みんなと種類がちゃうやろ?』


 旦那さんに向き合うと、畳に手をつき頭を下げ言い切った。


『おんなじだす。わては手代として旦那さんに忠義を尽くしたいと思うてます』


 突然旦那さんは話を逸らした。


『梅吉、うちに来て何年になる?』


『来年で十五年だす』


 この夢の梅吉は19歳。旦那さんは24歳ってことか。

きっと梅吉が一番幸せだった時なんだろう。


『五つの可愛らしい時分に来て、もう来年二十歳か。あっという間やったな……』


『そうだすな』


『どんどん男前になって、女子はんにえらいモテるのに、おまはんはちっともなびかん』


 「可愛らしい」って言われたくない梅吉の願望だ。


『手代の分際で、女子はんにうつつ抜かしては……』


『そうやないやろ?おまはんは、十の頃からわてのことしか見てない』


 やな予感がする。

 梅吉、これはいい夢じゃない!早く起きよう!


『ずっと変わらずわてのことを好いてる。……男としてな』


 梅吉に俺の声は届かない。

 突然、旦那さんに押し倒され、両腕を畳に縫いとめられた。


『怖がらんでもええ』


 何をする気だ?

 梅吉は少し怖がりながらも、少し期待している。


『抱いてもええか?』


 梅吉の胸が高鳴った。

自分が旦那さんに向けてる気持ちを拒否されなかった。

 それだけでも嬉しいのに、好きな人に身体を求められた。


『へえ』


 身も心も捧げられる嬉しさでいっぱいになっている。


『話のネタに、いっぺん男も経験しときたかったからな』


 高揚していた梅吉の気分は嘘みたいに萎れた。

旦那さんは、話のネタとして抱きたいだけ。だだの遊びだ。


『陰間買うと金かかる。おまはんで済ませばタダや』


 打算的で思いやりも何も無い。

 梅吉は作った笑顔を浮かべた。


『そうだすな』


 ムードも何も無い中、じっと見つめられた。

 その目の奥に、欲情が少しでもあればと期待したけど、何も無かった。


『……全然興奮せえへんな』


 やっぱりそうだ。

旦那さんは女が好きな普通の人。話のネタでも男は無理。

 梅吉の気持ちを踏みにじるように、旦那さんは言った。


『せやけど、男が好きなおまはんは、わてに触られて興奮するんやろ?』


 からかうような言い方をするなんて、あんまりだ。

 いくら夢でも、こんなの旦那さんじゃない!

 梅吉が黙っているのをいいことに、旦那さんは身体を触り始めた。

 身体の上を這うその手に、愛情は一切感じられない。

 梅吉は自分に言い聞かせている。

 愛など無くてもいい。遊びでも笑い話のネタでもいい。触れてくれるだけで十分。

 好きな人に触れてもらえたこのひと時を思い出に、生きて行けばいい。


 なんで自分は男が好きなのか。

 どうして好きになってはいけない旦那さんを好きになったのか。

 想えば想うほど自分が傷つくだけとわかっているのに、なんで止められないのか。


 梅吉は自分を責め続けた。


--------------------------------------------------------------------

『梅吉』


 誰だこの声は?

声がした先を見やると、そこに居たのは恐ろしい顔をした閻魔様だった。

 梅吉は慌てて正座し、乱れた襟を整えた。


 さては、さっきの夢は閻魔様の仕業か!?


『違う』


 俺の考えが筒抜けなようだ。


『この夢は、お前の深層心理が見せたもの。願望、不安、思い込み、罪悪感が合わさり形となったもの』


 旦那さんに正太として全て愛されたい、という願望。

 自分の性的嗜好や想いが旦那さんに知られてしまったら、という不安。

 旦那さんに愛されることは絶対にない、というネガティブな思い込み。

 旦那さんに男の使用人の身で想いを寄せ続けている、という罪悪感。


『このまま自分の未練を晴らそうともせず、梅村翔太の身体にずっといる気か?

梅村翔太の身体が滅びても、お前は永遠に成仏できんぞ』


『構しまへん』


『あの世とこの世の境目を、未来永劫再び彷徨うことになっても良いのか?』


 ……再び?


『構しまへん』


『お前をそこからすくい上げ、正しく裁き転生させたのに。お前はあそこに戻る気か?』


 いつか見た、不気味な音を立て闇がやってきて梅吉を飲み込んだ夢。


 あの闇が、あの世とこの世の境目なんだろうか。


『へえ』


 あの夢で一筋の光を見た。その中から、誰かがこちらに手を伸ばしていた。

あれが閻魔様だったのか?

 いや、あの時伸ばした手は届かず梅吉は闇に飲み込まれたんだ。

 だったらあれは誰だったんだろう……


『思い込みと独り善がりの罪悪感に囚われるでない。良いな?』


 そう言い残すと閻魔様は消えた。


 夢の中、何もない空間に残されたのは俺と梅吉の二人。


『大丈夫?』


 梅吉は手をつき額を地面に擦り付け、蚊の鳴くような声で謝った。


『……すんまへん。嬢はんと過ごす夜やのに、27歳の初夢やのに、気持ちの悪い夢で邪魔してしまいました』


 安心させるためにギュッと抱きしめても、梅吉は抱き返してこない。


『気持ち悪くなんかない。梅吉の本当の気持ち、不安、知れてよかった』


『……すんまへん』


『我慢するのも、ひとりで抱え込むのも、気持ちを抑えつけるのも、全部止めよ。全部俺が受け止めるから』


 梅吉が泣き出した。我慢をやめた証拠だ。

やっと俺に心を開いてくれた気がする。


『泣けば良いよ。正太』


 蓮見屋手代梅吉ではなく、二十歳のまだ大人になりきってない正太をしっかりと抱きしめると、

泣きじゃくり始めた。


 俺に縋って、朝まで泣き続けた……

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