【3-3】愛してその悪を知り憎みてその善を知る
無事に会議が終わり、少し遅めのランチ。
一人屋上でお弁当にして、梅吉を起こした。
(さっきはごめん。言い過ぎた)
『こちらこそ、すんまへん……』
(今後は無理したらダメだよ)
刺激し無いように優しく言ったのに、梅吉は感情が全く感じられない声で勝手に会話を終わらせようとした。
『これからは、翔太はんの邪魔にならんように寝てます。夢の中だけでお逢いまひょ……』
(ちょっと待った。それでいいの梅吉は?)
『へぇ。では……』
(ちょっと待てって!)
止めたのに梅吉は聞く耳持たずに眠ってしまった。
納得できないから無理矢理起こそうとした時、声を掛けられた。
「梅村! 聞こえてなかった?」
松田先輩がいつのまにか目の前に居た。
「あ、お疲れ様です。すみません。どうしたんです?」
「昼飯、一緒にいい?」
手にはコンビニ弁当があった。
「はい。是非」
松田先輩の隣にいれば、梅吉も少しは落ち着くかもしれない。
(梅吉、起きて。寝たらダメ)
梅吉は起きると何も言わずに俺の言葉に大人しく従った。
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「……上手いこと隠し通したな。よくやった」
真面目な口調と顔で突然褒められて面喰らった。梅吉も驚いたらしい。
「さっき社長からメッセージ貰った。今めっちゃ凹んでるらしいからさ、あとで慰めといてもらえる?」
なんで社長が凹む? 俺、なんかやらかした?
「梅村に寝坊の失敗をカバーしてもらったのに、みんなの前で叱っちゃったって」
それか…… クールモードの社長はそんなこと全く気にしてなかった思ってたのに……
やっぱり、本当の社長は優しすぎる。
「あれは俺が悪いんで……」
梅吉もめっちゃ反省してる。
「でもさ、元はというと俺のせいでもあるからさ…… ゴメンな……」
「なんで先輩が謝るんですか?」
「昨日、結構遅い時間までメッセージでデートのアドバイスしてたんだよ。多分それで寝坊したんだと思う」
そんなプライベートのことまで、社長は松田先輩と話してるんだ。社長にちゃんとした味方が出来たんだ。こんな怪しい他社の若造なんかじゃなくて……
嬉しさと悲しさを感じた途端、梅吉に怒られた。
『翔太はん、落ち込んだらあきません!』
(ありがとう。そうだね……)
「今週末2回目だってさ。今回はいい感じっぽいぞ」
「そうなんですか! 上手くいきますように!」
『上手く行きますように!』
寝坊のことも、怒られたことも、スパイ疑惑もすっかり忘れて、俺と梅吉は2人でどこかの縁結びの神様に社長の良縁をお願いした。
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「いつもより早く来てたのに、よくそんなに手が込んだ弁当作れんな」
俺の弁当を見て松田先輩が言う。
「めっちゃ手抜きですよ。作り置きの常備菜と冷凍のご飯突っ込んだだけですもん」
「常備菜と冷凍ご飯が有る時点で手抜きじゃねぇじゃん。うちの嫁さん、弁当作ってくれたことなんかないからな」
「……で、晩御飯もたまに抜きですか?」
「ニヤニヤすんな。あ、言うなよ赤城さんに。あそこは筒抜け同然だからな」
「はい。了解です!」
梅吉がクスクス笑っている。落ち着いて来たみたいだ。
突然先輩は真剣な話を始めた。
「社長からどこまで聞いたか知らんけど、うちの社内には、社長派、久田派の派閥がある」
「はい」
「社長派は、部長クラスがメイン。先代に息子を頼むって言われてた人達だ。久田派は、課長クラス。あとは、久田さんと歳が近い人か出身大学が一緒の人。でも、役職が下の人や若手は、大抵がどっちつかずだ。総務部は部長が寝返って今は久田派だけど、部員はみんなどっちつかずだ」
派閥もだけど、寝返るとかまるで時代劇だ。でも、あれ?
「なんで小宮さんは社長派じゃないんですか」
先輩の奥さんなんだから、先輩から社長のことも教えてもらったんじゃないのか?
先輩はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、俺に愚痴りだした。
「信じてくれないんだよ、社長のこと話しても。飲みに行くのも、メッセージやりとりしてるのも、浮気じゃないかって思われてんだよ。あんたなんかとお酒飲むわけがないでしょ!そんな軽い文書かないでしょ!って。ひどいよな」
会社で見られない小宮さんの一面を見た気がした。
「ひでぇ…… 怖ぇえ……」
「怖いぞ。あの人。でも、まぁいいわうちの嫁は。とにかく、まずは社長の同期、特に井川さんを今度の飲み会で必ず墜とす。いいな?」
「はい!」
……策士で社長の味方の先輩に付いてれば、旦那さんの未練を晴らせるかもしれない。
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社長と同期男性社員との飲み会はうまく行き、なんだかんだで色々順調に進んで満足していた金曜日、赤城さんに声を掛けられた。
「おつかれさま。今日の夜、ちょっといいかな?」
「お疲れ様です!えっと、確認しますね……」
手帳を見るふりして、梅吉と話し合った。
(赤城さんとご飯行ってもいい?)
『へぇ。是非。お邪魔せんよう、寝とりますね』
(ごめん。ありがとう)
「はい、大丈夫です!」
「わかった。また連絡するね」
頑張って仕事を定時で終えようとしたけど、トラブルや緊急事態で手間取り、1時間の残業になった。
慌てて会社を出た。
夏休みのデート以来の赤城さんとのディナー。ワクワクしてしまうのをどうしても止められなかった。
ずっと大人しくしていた梅吉が声を掛けてきた。
『翔太はん、すんまへん……』
(なんで謝るの?)
『わてのせいで、今までずっと我慢してはったさかい……』
(気にするな。俺こそ梅吉に何にもしてやれてない……)
『お気になさらず。それよりも、久しぶりのでぇと、頑張ってください』
(ありがとう)
応援してくれる梅吉に甘え、まっすぐ待ち合わせの店に向かった。
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居酒屋の個室で赤城さんは待っていた。
「すみません。遅れてしまって……」
いつも笑って許してくれたのに、今日は視線をあげずニコリともしなかった。
「……怒ってます?」
ふと、飲み会で社長や先輩達みんなにこぞって言われた言葉を思い出した。
『恋愛の機微に鈍すぎる』
自覚はないけど、言われたから気にはなる。
もしかすると……
突然、嫌な予感が襲ってきた。
「……別れよ」
何を言われたのかわからなかった。
俺の顔も見ず、赤城さんはまた言った。
「……別れたいんだよね?……別れよ」
俺は久しぶりのデートで意気込んで来た。停滞したものを再スタートさせるために。
でも、赤城さんは別れ話をするために俺を呼び出した。終わらせる為に。
赤城さんが好きだ。俺の心変わりは誤解だ。別れるなんて嫌だ。
そうと言おうとした途端、身体の主導権を梅吉に奪われた。
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「待ってください! 翔太はんは、心変わりなんかしてまへん!別れたいなんて思ってまへん!」
『梅吉!?』
何度もやったらダメと言っているのにもかかわらず、梅吉は土下座をした。俺の身体で。
「梅村くん、土下座はやめて……」
『梅吉!土下座はダメだ!』
梅吉はやめなかった。額を床に擦り付けて一気に言いきった。
「翔太はんはなんも悪ないんだす! 翔太はんがいっちゃん好きなのは、結子はんだす! 結子はんが大好きで大切で大事なんだす! せやから、別れるなんて、言わんといてください!お願いします!」
俺を必死に守ろうとする梅吉に驚いた。
毎日梅吉を守ろうと試行錯誤していた俺は、今梅吉に守られていた。
「土下座はやめて。落ち着いて」
そう言われても、梅吉は土下座したまま願い続けた。
「お願いします。お願いします……」
赤城さんは重苦しい空気を払いのけようと、わざと明るく振舞った。
「……とにかく頭上げて、座って。ね?」
『梅吉。もういい。頭上げて赤城さんの言うとおりにして!』
梅吉は必死だったらしい。俺の身体を乗っ取って土下座していた事にやっと気付いた。
「あれ…… あ! すんまへん翔太はん。身体乗っ取ってしもた……」
『声に出すな!』
「すんまへん……」
『いいから声に出すな……』
初めてお互いが起きてる状況での入れ替わり。勝手がわからない。
(どないしましょ……)
『主導権戻せそう?』
(すんまへん…… 戻せまへん……)
『練習しとけばよかった。ごめん……』
二人でああだこうだやってる様子をじっと見ていた赤城さんは、メニューをテーブルに置くと冷ややかな声で俺たちに言った。
「……梅村翔太やないな? ……どなたはん?」
初めて聞く赤城さんの京言葉だった。
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「え。あの…… 赤城さん? 何をおっしゃってますか?」
梅吉はとっさに俺のフリをしようとしたけど、無駄な努力だった。
アクセントがなんだかおかしい。
「……下手な標準語ムリに喋らんでもよろし。お名前は?」
『梅吉、諦めよう。赤城さんに正直に言おう。ホラーやオカルト好きだから、多分理解してくれる!大丈夫!』
我ながらひどいこじつけだ。でもこうなった以上仕方がない。タダでさえヤバい状況。下手に隠したり誤魔化したりして余計に拗らせるより、真実を伝えて玉砕するほうがまだマシだ。
梅吉は俺を信じて姿勢を正して正座すると、三つ指ついて頭を下げた。
「……大坂道修町薬種問屋蓮見屋手代、梅吉と申します」
長い沈黙の後、赤城さんからは質問が返ってきた。
「はすみ屋って…… 蓮の花の『蓮』に、美しい『美』?」
(え……?)
梅吉は知らないんだった。
『創業時は『蓮見屋』だったんだけど…… 』
言いかけて、沙田先生が持ってきた古文書の内容を突然思い出した。
……主人は獄死、分家に養子に出していた三男を本家に戻し、蓮見屋を改め蓮美屋とし廃業を免れ……
胸騒ぎがした俺は、梅吉に説明するのをやめた。
『梅吉、答えて……』
「見るの『見』だす」
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赤城さんはお水で喉を潤すと質問を続けた。
「……梅吉さんは、梅村くんの何やの?」
「わてのことは呼び捨てでお願いします。結子はんの方がわてより年上やさかい」
『こら! 赤城さんに歳の話は厳禁!』
(すんまへん……)
赤城さんは思った通り眉を顰めた。
「失礼やね……」
『謝って!』
「すんまへん……」
「ええわもう。そういう貴方はいくつやの?」
「……二十だす」
「若っ!ちょっと待って、梅ちゃん。梅村くんより更に若いの?」
梅ちゃんて……
高校の時のあだ名を、今になってまた呼ばれるとは思わなかった。
「すんまへん……」
「すんまへんばっかやな。もうよろし。とにかく今どないなってるのか、教えてくれる?」
「へぇ……」
(翔太はん、どないすればええですか?)
『梅吉に任せる』
(わかりました)
梅吉は赤城さんに今の俺たちの状況をわかりやすく説明した。
旦那さんの事が好きだという事、旦那さんを殺した?ってことは隠して……
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「おおきに、梅ちゃん」
赤城さんはメニューを手にした。
「続きは後。おなか空いたやろ?梅ちゃんは苦手なものある?」
さっきの思い詰めた顔が嘘みたいな笑顔だ。
梅吉は安心したのか素直に答えた。
「えらい苦いもんと、えらい辛いもん以外はなんでも大丈夫だす」
初めて梅吉の苦手なものを聞いた気がする。
俺と梅吉、性格が違うのに嗜好は一緒らしい。
「わかった。お姉ちゃんが選んであげるわ」
「へぇ。お願いします」
自分のことお姉ちゃんって……
別れ話はどうなった? もう無くなったの?
「梅ちゃんハタチやったらお酒はOKやね」
梅吉は20歳って言ってるけど、江戸時代は数え年だ。見た目的には俺が18歳の時と一緒。未成年だけどいいのか?身体は俺のだからいいのか。
「梅村くん強いけど、梅ちゃんも飲める?」
「へぇ」
「よかった。何飲む? 葡萄酒くらいは飲んだことありそうやから…… ビール飲んでみる? それともウイスキーとかウォッカにする?」
これじゃ初めて居酒屋に連れて来られた真面目な高校生と、年上のお姉様だ……
「びーる飲んでみたい」
可愛いと言われるのが嫌だから、弟扱いされるのが嫌だから、大人っぽい言動を心掛けてきた。なのに梅吉は無邪気に俺の身体でそう言った。
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案の定、今までで一番酷い弟扱いをされた。
「苦すぎて飲めへんかったら、お姉ちゃんが飲むから安心してな」
「おおきに」
……なんか赤城さんに甘えてないか?
「どう? 美味しい?」
「美味しい!」
「よかった。お姉ちゃんの奢りや。どんどん食べよし」
「へぇ。おおきに!」
……女の人苦手じゃなかったのか?
二人の様子を黙って見ていたけれど、とうとう我慢できなくなった。これは嫉妬心か?
『梅吉、変わって』
(へぇ。すぐに。……赤城さんに挨拶してからでええですか?)
『うん……』
「……赤城さん。あの、今日はおおきにご馳走さんでした。そろそろ、翔太はんと変わります」
「そう……」
また梅吉は正座して頭を下げた。
「もう一度お願いします。翔太はんと別れんといてください」
俺のために梅吉は言ってくれてる。なのに俺はつまらないことで気を揉んだ。最低だ。
「梅ちゃん。頭下げんといて、梅ちゃんはなんも悪ない。もちろん、梅村くんも悪ない。うちが全部悪いんや……」
(え?)
『え?』
「この事は、ちゃんと梅村くんと話す。おおきに、梅ちゃん。……また会える?」
……別れ話しようとしてるのに、なんで梅吉にまた会おうとする? 何の為に?
「お二人次第だす…… 翔太はんを差し置いて、わて一人では会えまへん」
梅吉、ごめん。ありがとう……
「……わかった。でも、お姉ちゃんは梅ちゃんの味方や。……覚えといてな」
そういうと赤城さんは俺の頭を優しく撫でた。
(やっぱり、御寮人さんに似てはる……)
梅吉がリラックスして甘えてたように見えたのは、御寮人さんを思い出してたからだ……
「おおきに…… では、失礼します……」
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身体の主導権を取り戻すと、梅吉は俺に気を使ったのか、眠りについた。
すぐさま赤城さんに想いの丈をぶつけた。
「俺は赤城さんが好きです。別れたいなんて1ミリも思ってません。だから!」
赤城さんは俺を睨むようにして言った。
「梅村くんと梅ちゃんがそんなに必死になる価値はわたしにはない!」
「……どういう事ですか?」
「若くて美人で、素敵な子といっぱい出会える。わたしなんかにこだわってたらダメ」
「……俺のこと、嫌なら言ってください」
でも、赤城さんは黙ったままだった。
「はっきり言ってもらわないとわかんないです、俺。みんなに鈍いって言われてるから……」
社長や松田先輩だけじゃない。とうとう井川さんたちにまで言われた。
『恋愛の機微に鈍すぎる』って。
「確かに鈍ちんかもね…… でも、梅村くんは何にも悪くない。全部わたしが悪いの」
そんなこと言われてもわからない。
「……勝手に勘繰って、疑って、思い込んだ。最後に自分を守るために逃げようとした」
「だから……」
言ってくれなきゃわからない。
「……何で分かれたいのかちゃんと教えてください。じゃないと諦められません!」
「粘るね、梅村くんも……」
そう言うと、赤城さんは残っていたビールを飲み干した。
「わかった。ちゃんと言うね。……二度とわたしと付き合いたいなんて言わなくなるから」
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深呼吸をすると、赤城さんは俺と目を合わさずに話し始めた。
「わたしが去年まで付き合ってたのは、男性でした」
どんな人だろう。やっぱり歳上だったのかな……
「……その前に付き合ってたのは。……女性でした」
両方OKなんだ赤城さん。ライバル多いなこれ……
「……ということで別れましょう」
「……は? なんで?」
「……は? 話聞いてた?」
やっと俺の目を見てくれたけど、怖い顔だった。
「はい。でもなんでそれが俺と別れる理由になるんですか?」
「当たり前でしょ。バイセクシャルの三十路女だよ?」
大きなため息をつくと、赤城さんは突然メニューを手に取って店員さんを呼んだ。
「すみません。ウイスキーをショットで3つ、大至急」
手にした途端、一本を一気に飲み干した。
「あの……」
二本目も一気に空にし、3本目に手を伸ばした時、我慢できず腕を握って制止した。
「身体に悪いです!やめてください!」
店員さんに水を持ってきてもらって無理やり飲ませた。
「いくら強くても飲み過ぎです」
少しすると、赤城さんは俺の目を見ずに弱々しい声で言った。
「……気つかわなくていいから、思ってること全部言って」
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「赤城さんに、好きな人が出来たなら諦めます……」
「……は?」
「俺、赤城さんが好きです。赤城さんにも好きになってもらいたかったです。……でも、俺、ずっと弟扱いだから。やっぱり無理だったのかなって……」
思ってることをちゃんと言ったのに、なぜか赤城さんは笑い始めた。
「……梅村くん、やっぱりちょっとズレてるよ。そうじゃないでしょ?」
「そうじゃなくて、何ですか?」
俺が真剣に言ってるのに、笑ってる赤城さんにムッとなった。
でも、赤城さんの言葉に耳を疑った。
「気持ち悪いでしょ? おかしいでしょ?」
「えっ」
「女なのに女を好きになるのは病気だって、思ってるでしょ?
男も女も関係なく好きになるのは浮気症の尻軽女だって、思ってるでしょ?」
ケラケラ笑いだしたのは、酒に酔ってるからじゃない。
このまま放っておいたらいけない。
笑い続ける赤城さんを抱き寄せた。
「……誰に言われたんですか。そんな酷いこと」
笑うのをやめた赤城さんは震える声で言った。
「父親と、元彼……」
一番身近な男性にそんなこと言われたら、傷つくに決まっている。
「俺はそんなこと全く思ってません。人が人を好きな気持ちに、性別は関係無いです…… ただ、ずっと弟扱いの俺からしたら、勝てないライバルいっぱいいるなって思っただけです」
赤城さんの目から涙がこぼれ落ちた。
さらに強く抱きしめた。
「……まだ俺にチャンスがあるなら、傍にいさせてください。……辛かったその記憶、消させてください」
今日この場で答えを求めてはいけない。
でも、声を殺して泣き続ける赤城さんが落ち着くまで、離さなかった。
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赤城さんを家の前までタクシーで送って帰った後、夢の中で梅吉に会った。
『赤城さん、御寮人さんに似てる?』
『へぇ。優しゅうて、品があって。京言葉で…… よう似てはります』
『御寮人さん、京都の人だったんだ』
『祇園の芸妓やったそうだす。大旦那さんが惚れて、身請けしはったって、旦那さんにそう聞いとります』
『そうなんだ……』
まんま時代劇によくある話だ。でも、ああいうのは大抵お妾さんだ。大店の御寮人さんになって男の子三人も産んで…… きっと大旦那さんに大事にされてたんだろう。
『せや、翔太はん、赤城さんとはどうなりました?』
梅吉にも心配かけさせた。全部ちゃんと言わないと。赤城さんからの伝言もあるし。
『わての気持ち、見抜いてたやなんて…… やっぱり、御寮人さんそっくりや……』
話を終えると、梅吉はそう呟いた。
赤城さんは梅吉と話して確信したらしい。梅吉が旦那さんのことが好きだって。その気持ちが痛いほどわかるから、味方だって言ったって。
『御寮人さんと最後に二人きりでお会いした時、言われました。わての事、全部知ってたて……』
『そっか……』
『旦那さんのこと、好きになってくれておおきにって。でも、なんも気付いてない旦那さんが、無意識に悪気なくわてを傷つけ続けてるんが、可哀想で堪らんて、謝られました……』
夢の中の旦那さんは、梅吉のこと可愛がってて好きみたいだったけど、それはあくまで弟として。
弟みたいに思ってる手代に、まさか恋愛感情を向けられてるなんて、思いもしなかったろう。
だったら、無意識に傷つけるのも仕方ない……
『せやけど、御寮人さんも、旦那さんも悪ない。わてが全部悪いんや……』
赤城さんなら、梅吉の傷ついた心を癒せるかもしれない。
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『俺たちがこのままダメになっても、赤城さんに会わせてあげるから安心して』
赤城さんも逢いたがっていた。梅吉のためにも、それがいい気がする。
『それはあきません! わてとおんなじ拷問を、翔太はんが受ける謂れは無い!』
俺が社長の傍にいる時間は、梅吉にとって本当は拷問……
そうだ。社長の優しい目は、俺を見てくれる。でも梅吉を見てはいない。
赤城さんと別れた後、二人きりで逢うのは常に身体の主導権を梅吉に譲った状態だとしたら、俺も梅吉と同じような辛さを味わうことになる。梅吉はこの事を思ってる。
『ごめん、梅吉…… なんにも考えてなかったね、俺』
梅吉を抱き寄せ、正面から抱きしめた。
自分で自分を抱くのはどうかと思ってたけれど、不思議と心が温かく穏やかな気持ちになった。
『……なんか、これすごい落ち着くね』
『へぇ…… ええ気持ちや』
やっぱり俺たちは同じってことだ。
『翔太はん…… どうか、赤城さんと仲良うしてください……』
自分のことを諦めてるからこそ、まだかすかに望みがある俺に託したいのかもしれない。
その悲しく優しい気遣いを酌んだ。
『努力する。断られても、アタックしてみる。赤城さんが俺のこと嫌いじゃないのなら』
そして、赤城さんの力を借り、梅吉の心の傷を癒して本当の未練を晴らしたい。
『梅吉もさ、ちょっとずつでいいから我慢と決めつけるのをやめて…… あれ?」
規則正しい呼吸音が聞こえたと思ったら、梅吉はいつの間にか眠っていた。
その寝顔はまだ子供だった。
『お休み…… 梅吉……』
幸せな夢を見ますように……