【2-6】旅は道連れ世は情け!
今日から2泊3日で社長と大阪出張。なのに、初っ端から待ち合わせ場所に社長が現れないアクシデントが発生。待ち合わせの時間をもう5分は過ぎている。お互いが場所を間違えたはずはない。
電話もメールもメッセージも何も返事が来ない。仕方ないから、あと5分待ってみよう。
でなきゃ新幹線のチケット変更が要るし、何かあったら会社に電話をしないといけない。
もう一度電話をしようとした時、スーツケースを引っ張って走ってくる若い男性の姿が目に入った。
……あれ? 社長?
「ほんとごめん!」
身なりが老舗企業の社長とは絶対に見えない、Tシャツとジーンズという完全な夏の私服。今から旅行にでも行くようなラフすぎる格好。でも足だけ革靴。
いつもセットして上げてる前髪は下りてるせいか、かなり若く見える。キッチリした社長の姿しか見てない会社の人が見たら絶対に驚く。というかもはや別人。
「……寝坊ですか?」
月一くらいで車通勤しているのを俺は知っている。車通勤イコール寝坊。でもよりによって、出張初日に寝坊しなくてもいいんじゃないか? こんな変な格好をしてるって事は、相当酷い寝坊をしたみたいだ。
「スマホの電源切ったまま寝てて、目覚ましがかからなくて…… 本当にごめん! ……怒ってる?」
俺の感情を押し殺した冷めた目がいけなかった?
でも、秘書に『怒ってる? 』とか上目遣いで聞く社長が一体どこにいるんだ。
笑いそうになったのをグッとこらえたら、代わりに溜息が漏れてしまった。
「ごめん……」
しょげてしまった社長は本当に幼く見えた。かわいいかも……
思った瞬間、その感情を押し潰した。
「怒ってません。心配してました。何かあったらって……」
「ごめん。走ってて返事できなかった……」
「とにかく、行きましょう。もう出発まで10分切ってます」
急いで新幹線乗り場に向かった。
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「あ、朝ごはん買い忘れた」
座席に着いた途端にそう言った社長に吹き出してしまった。
買う時間が無かったが正解。車内販売でもいいけど、それだといつ来るかわからない。
「よろしければ半分どうぞ」
俺の朝ご飯は、大きめのおにぎり2個とゆで卵2個。これなら分けられる。
「……作ったの?」
驚かれたけど、大したことはしていない。
「出張中消費できない作り置きのおかずを、残り物のご飯の中に入れただけです。卵は茹でただけです」
手抜き中の手抜き料理。人におすそ分けするのがわかってる時は、もっと真剣に作る。
「やった。翔太の弁当いっつも美味いからな。寝坊してラッキー」
今まで数回お弁当を分けた事がある。毎回喜んでくれた。嬉しいけれど、寝坊してラッキーは無いでしょう……
「社長。出張中の寝坊は厳禁でお願いします」
「ごめん。明日からは絶対起きるから」
「よろしくお願いします」
「……食べていい?」
まるで子供だけど、なんか可愛い。
思った瞬間にまたその感情を追いやった。歳上だ。しかも先輩であり、上司である上に、出向中とはいえ、他社の社長。俺だって可愛いって言われるのは好きじゃないから、失礼な考えだ!
「……どうぞ」
「いただきます。美味い!」
どんなに美味しいお店に行っても、なぜか俺の料理に対する反応が一番いい気がするのは、自己満足や欲目だろうか……
俺の味付けが好みに合ってるだけかな?
「今日のお昼、楽しみにしてて」
朝ご飯を食べ終わった社長はもう昼の話をしている。
でも、楽しみだ。社長が連れて行ってくれるお店に間違いはない。
「ありがとうございます」
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今日の最終打ち合わせを1時間ほどした。今日1日のスケジュール確認と訪問先の予復習。
あらかじめ勉強しておけと言われてたから、問題なし。
打ち合わせが終わると、気分転換に俺は車内販売のホットコーヒーを買った。社長はペットボトルのお茶。
いい機会だから、前々から気になっていたことを聞いてみた。
「コーヒーは嫌いですか?」
「あんまり好きじゃない。商談とか、デートの時は飲むけど」
間違いなくカッコつけだな……
「あ、そうそう。俺、彼女出来るかも」
……かもってなんだろう。
「合コンです?」
「ううん。大学の友達の紹介。来週会う予定」
松田先輩や沙田先生のアドバイスを聞いたみたいだ。うまくいくといいな……
「では、カッコつけはダメですよ。コーヒーじゃなくて紅茶にしましょ」
男は黙ってブラックという考えがいけない。緑茶や紅茶が好きなら、それでいい。
「バレたか…… 頑張る」
「頑張ってください…… では、蓮見さんに、質問いいですか?」
「え? 何、なんの質問?」
少しビビってる様子が面白い。
「蓮見さんがモテない原因のチェックです」
というより、もっと蓮見さんのことを知りたかった。
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「お手柔らかにお願いします……」
そんな変なことを聞くつもりは全くない。
「ご趣味は?」
安心したらしい蓮見さんはさらっと答えてくれた。
「ドライブ、映画鑑賞、芸術鑑賞」
前半2つはわかる。運転は上手だし。映画鑑賞は王道の趣味だし。でも、最後が引っかかる。
「芸術って、何ですか?」
「美術、歌舞伎、落語の鑑賞」
なかなかすごいものが来た。でも、これで驚いてたらダメだ。
「……各界にお知り合いの方いらっしゃいます?」
人脈がすごいから、もしかすると……
「留学中に仲良くなったアーティストの友達が、アメリカとイギリスとフランスにいる。歌舞伎は、幼稚園の時からの仲のいい友達が一人いて、落語は大学の時の友達が二人。みんなまだまだこれからだから、名前言っても多分わからないけどね」
「すごい……」
さすが有名私立校出身で留学経験者。でも一番の原因は、この優しくて人当たりが良いコミュニケーション能力が高い性格だ。
なのになんで女性にはモテないんだろう。全くわからない。
「いままでのデートで、歌舞伎や落語に行ったことはあります?」
「一度もない。行きたがる子そうはいないでしょ。映画や食事、ドライブかなデートは」
そうだ。蓮見さんは気遣いがすごい。愚問だった……
モテないのは、趣味とデート内容が原因じゃ無い。
「彼女と一緒に行って楽しめたらすごくいいけどね。なかなかね……」
「敷居が高い気がしますし……」
歌舞伎と落語。未知の世界。日本人として生まれた以上一度は観てみたいし、興味はすごくある。
でも、何をどうしていいかわからないから、最初の一歩を踏み出せない。
「そういう人多いんだよ。その偏見があるから余計に難しい。面白いよ。一緒に行く?」
誘ってくれたことに、なぜかすごく嬉しくなった。
でも、返事をする前に謝られた。
「……あ、今度のは仕事に関わるわ。半強制連行だ。ごめん」
歌舞伎か落語、次の社長案件に繋がるってこと? どうやって?でも、仕事と直結するなら一石二鳥だ。断る理由はない。
「いいえ。楽しみです。色々教えてください!」
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新幹線は新大阪駅に着いた。そこから地下鉄を乗り継いでホテルに向かう。
江戸時代から薬種問屋が沢山あり、今も老舗の製薬会社が多く残っている場所にあった。
荷物を預け終えた後も、社長はTシャツとジーンズ姿のどこかの若い兄ちゃんだった。
「……あの、お着替えは?」
「お昼食べてからでいいじゃん」
午後のアポ時間から、逆算した。確かに大丈夫だ。
「わかりました」
「お昼はお好み焼きだよ!」
本場のお好み焼きだ!
単純な俺は喜んで社長の後についていった。
ホテルの近くにあるお気に入りだというお店に入った。中には鉄板が備え付けられたテーブルが並んでいる。社長はお店の人に頼まず、自らお好み焼きを焼いてくれた。
「すごい! 綺麗!」
綺麗なお好み焼きが鉄板の上に鎮座していた。感動のあまりスマホで写真を撮って、ヘラを持ってドヤ顔で決めポーズをする社長の写真も撮って、松田先輩にだけこっそり送り付けた。
「履歴書に書けない俺の特技。はい、食べて!」
見た目が綺麗なお好み焼きは、味も最高だった。
「美味しいです!」
出来立てのお好み焼きを頬張っていると、スマホのシャッター音が聞こえた。
「え?」
「ごめん、可愛いからつい撮っちゃった。勢いで松田くんと、さとにぃに送っちゃった」
送っちゃったって、2人に?
いや、俺もさっき送りつけたから文句は言えないけど……
「可愛いはやめてください……」
「だってすごく可愛かったもん。ほら、さとにぃも同意してる」
俺の写真の下に現れた、身悶えているカエルみたいなキャラクターのスタンプが、その事を物語っていた。
そういえば、沙田先生も俺のこと可愛いって言ってたっけ……
どうやったら、カッコいい大人な男に見られるんだろう……
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美味しいお昼ご飯を終えてホテルに一旦戻った。俺は自分の身だしなみチェックと訪問先への手土産の準備。社長は少し時間がかかるから、終わるまでロビーで転送設定したメールのチェック。
出張中の社内と社長の繋ぎ役が俺のもう一つの仕事だから、責任は重大だ。
松田先輩から、社長と同期の男性社員を仲間に入れるための飲み会の日程確定メール。
これは帰ってからでOK。
久田さんから出張の報告書ちゃんと出せよというリマインドメール。これも後でOK。
竹内部長からのメール。来週報告に来い?……あんまり行きたくない。これも後で。
原からメッセージ。……ツーショ? 後だ、後。
……松田先輩から電話だ。緊急かな?
「お疲れ様です。はい。あ…… はい、美味しかったです…… ちょっと先輩、可愛いって言わないでくださいよ…… え? やめてください!送るのはやめてください!」
電話に出るなり、ひそひそ声でお好み焼きを羨ましがり、可愛いといわれ、写真を赤城さんに送ると脅された。冗談じゃない!やっと男として見てくれただろうに、ここで子供っぽい写真を見られたアウトだ!
突然松田先輩は真面目に話し始めた。こっちがメインだろう。
「すみません。そのファイル、俺のパソコンのデスクトップ上にあります。はい。すみません。以後気をつけます。はい。ログインパスワードは初期設定のままです。はい。わかりました。失礼します」
ファイル管理の雑さに対するお叱りだった。言葉通り気をつけないといけない。
情報漏洩を疑われたら、即ヘブンスに強制送還。武者修行もクソもなく社会人として失格。
帰る先はあっても、出世は見込めない。変なところに飛ばされるかもしれない……
そんなことをうだうだ考えていたが、ビシッとしたスーツ姿で髪もキッチリセットした社長が出てきた途端、そんな考えは吹っ飛んだ。
「お待たせ」
心臓が音を立てた。
スーツ姿の社長はカッコいい。それは否定しようがない。でも、ドキっとするのは違う気がする。
でも、俺の意思に反し、また心臓は音を立てた。
「現時点で何か社内に問題は?」
ビジネスの顔。さっきドヤ顔でお好み焼きのヘラもってポーズ取ってた兄ちゃんとは別人。やっぱりカッコいい……
「ありません。大丈夫です」
「了解。じゃ、行こう」
社長との大阪出張、第1日目が始まった。
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1日目は製薬会社とドラッグストア会社への訪問。両方とも老舗の会社。夜は2社目に訪問したドラッグストア、イヅヤ薬局さんの社長さんと、営業部長さんとの会食だった。
会話が弾むうち、社長さんからイヅヤさんの歴史を聞いた。元は『伊津屋』という薬種問屋だったと聞いて驚いた。予習の時見たホームページには、書いていなかったし、社長の苗字も違うから。
一番驚いたのは、夢と現実が初めて繋がったから。
夢の中の俺が、酔った若旦那さんを迎えに行ったのは、確かに『伊津屋』。俺の夢の中に出てくる人は、みんな大阪弁を話していた…… 俺の見ている夢は何なんだ……
ダメだ。今この場合で余所事を考えてはいけない。この場に集中しないと!
隅に追いやると、俺は社長さんにビールを注ぎ、会話を続けた。
イヅヤの社長さんは、社長のことを子供の頃から知ってるらしい。
そのせいか、『お前は飲むんやない!』と社長にオレンジジュースばかり勧めていた。俺はありがたいと思っていたが、社長は子供扱いされ若干むくれ気味。そんなこと御構い無しに、イズヤの社長さんは大阪の景気の話や、取引の展望を話してくれた。最後には社長の子供の頃のお話まで聞かせてもらって、すごく楽しい時間を過ごした。
そんな会食を終え、ホテルに戻ったのは20時だった。
「1日お疲れさまでした。また明日もよろしくお願いします」
一滴もアルコールを身体に入れてない社長は爽やかに言った。
「お疲れ様でした。こちらこそよろしくお願いします」
「じゃ、明日7時半に朝食会場で待ち合わせで。おやすみ!」
「承知しました。おやすみなさい」
隣の部屋に消えた社長を確認してから、俺も自分の部屋に入った。
明日の支度をしてから、シャワーを浴びて汗を落とした。
ベッドに寝転がって、今日の復習と名刺整理、明日の予習に専念。
明日は午前中に2社訪問、和食屋さんで1社と待ち合わせてランチミーティング。その後、午後にまた別の2社の訪問。
そして、夜は社長の親戚筋の会社の社長さんと会食。その場には、その社長さんが紹介してくれるという、ベンチャー起業の若い社長さんも来る……
自分で作ったスケジュール表を見ながらイメトレしているうちに、睡魔に襲われた。
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夢の中の俺は、手に風呂敷包みを持っていた。
『いて参じます!』
ここは玄関か。どこに行くんだろう。
店の中の同僚たちに声を掛けると、元気のいい声が返ってきた。
『早うお帰り!』
店を出ると、そこで待っていたのは旦那さんだった。
やっぱり顔は分からない。でも声でわかる。
『主人を待たすとは、おまはんも最近なかなかやるなぁ』
面白そうに嬉しそうに言っているのに、夢の中の俺は頭を下げて謝った。
『すんまへん』
『いっつもそれやな。冗談や、冗談。ほな行こか』
旦那さんの後ろに付いて、背中を見ながら歩く。
旦那さんは仕事のことなどまるで考えては無いようだった。
『帰りに団子食べに行こ。あ、でも、暑いから飴湯の方がええか。どないしよ。おまはんは何食べたい?』
この前見た夢の中では、他の手代と同じ扱いしてくださいと、本当の気持ちを押し殺して言っていた。
でも、今日は二人で居られる事が本当に嬉しそうだ。
時系列が違うんだろうか? でも、見るならこういう幸せな夢がいい。
突然、旦那さんが声を張り上げた。
『危ない!』
グッと引き寄せられ、気づくと俺は旦那さんの腕の中だった。
心臓はもの凄い音を立てている。急な出来事に驚いただけが原因じゃない。
この鼓動を旦那さんに気付かれてはダメだと、夢の中の俺は必死になっている。
けれど、その激しい胸の高鳴りは、旦那さんの着物からする強い線香の香りで収まった。
この人はなんでこんなにも匂いが着物に染みているんだろう……
『すんまへん…… 荷が……』
荷車が俺を轢きそうになったらしい。それを旦那さんが引き寄せて助けてくれた。
その拍子に俺の手からすり抜けた荷物は、下に落ちて砂埃を被っていた。
旦那さんは、俺を叱った。
『そんなもんどうでもええ! ……、大事無いか? どこも怪我ないか?』
俺の名を呼んでくれた。分からないけど。俺の名前だ。
落ちて汚れた荷物は間違いなく店の商品。それを旦那さんは『そんなもの』と一蹴し、俺の事を気にかけてくれている。
『へぇ…… 』
ただの手代一人を、旦那さんは大切に大事に扱ってくれる、優しくしてくれる。
跳び上がりたくなるくらい嬉しくて、泣きたくなるくらい悲しい……
それを押し隠し、頭を下げた。
『……すんまへん、旦那さん』
心の底から謝った。
『風呂敷だけ交換すればええ。中身は無事や。……ええか?番頭さんには絶対に内緒やで。あん人はすぐ怒るさかい』
いたづらっぽく笑う旦那さん。この声は確かにどこかで聞いたことある。間違いない。
でも未だに分からない。どうしてだ?
こんなに距離が近いのに、なんで顔がいつも見えないんだ?
どうして、呼んでくれてる自分の名前がわからないんだ?
強く念じた。
声をもっと聞かせてください。
貴方の声が誰と同じ声なのか、思い出すまで……
顔をはっきりと見せてください。
貴方は優しくて暖かい目をしてるに違いないから……