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世界最後の罪の唄  作者: 双色
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4

 †




 篝の心は既に壊れかけていた。

 現代の法治国家において、目の前で人が死ぬなんてことがそうそう起こり得るはずがない。まして故意による殺人の現場に居合わせるなど、ただの高校生が体験するには重すぎる。クラスで起きた暴動も、担任による殺人も、まるで悪夢を見せられているようだ。

 そして事態はそれだけに収まらない。

 あろうことか自分自身が『悪魔憑き』になるなど、どうして予想できるだろう。

 既にばらばらになった篝の理性をどうにか繋ぎ止めているのはツグミに言われた言葉だった。信じて、と真摯な眼差しに訴えられ、あまつさえ今、この世界において自分が『悪魔憑き』であるという最大の秘密を唯一知られている人物――そしてその事実を知りながら、自分を守ると言ってくれた少女。彼女の言葉に縋るように、篝は一心不乱に別館を目指して辿り着いた。

 走ってきたこととは別に息が上がっている。

 さっきまでの騒々しさが嘘だったみたいに辺りは静かだ。静寂の中で、篝は爆発しそうな心臓の鼓動と自分の呼吸の音だけを聞いた。与えられた目的を果たし、立ち止まる。そうして次にやってくるのは事実の理解。目的を失った脳がこれまでの情報を整理し始める。だがそれは篝にとって悪夢の再生でしかない。

 動悸は激しくなるばかりだ。それに伴って胸の刻印が熱と痛みを帯びていく。

「……なんで、なんでよ……こんな、……悪魔、憑き、だなんて」

 喉が震えて泣きそうになる。

 篝の嘆きは誰にも届かない。

 届かない、はずだった。

「気を付けろて言っただろ。あんた、その様子だと完全に刻印が開いてるな」

 突然声をかけられて、白熱しかけた意識が現実に回帰する。

「あなた……、今朝の……?」

 そこにいたのは今朝道でぶつかりかけた黒い男。

 長身で短髪、けれど襟足だけは若干長めの髪型。歳は篝と変わらないくらいだろうか。見方によっては仏頂面とも取られかねない目つきの鋭さ。薄手の黒いジャケットの下には赤色のカッターシャツを着ていた。

黒周(クロス)桜牙(オウガ)だ。妃名宮篝だな?」

 聞きなれない名前に戸惑いながらも篝が首肯する。

 桜牙は矢継ぎ早に質問を重ねた。

「おまえ一人か? ツグミがまだ来てないみたいだが、思ったよりてこずってんのか」

「ツグミ……? ツグのこと? あなた、あの子の知り合いなの?」

 トイレでのことを思い出す。

 ツグミがオーガと呼んでいた電話の相手。会話の内容から察するにその相手が目の前の男なのだろう。

 黒い青年は首肯した。

「まあな。……っと、お出ましか」

 あろうことか、それは木造建築の壁を突き破って突入してきた。

 校舎全体が軋むような衝撃に伴い、天井からは老朽化で積もった埃が落ちてくる。

 壁に穴を空けて侵入してきたそれは、一見して肥大した肉の塊だった。膨張した肌色に血管が浮き出している様子から、篝はそれが人の筋肉なのだと理解した。かろうじて人の形を保つ全体像。その顔に当たる部分は見覚えのある担任教師のものだった。筋肉の巨大化に伴いシャツが裂けている。先ほど見た刻印は肩部だけに収まらず、腰の辺りまで拡大していた。

「アア……ヴア、アアアア」

 空木が人の言葉にならない叫びを上げる。

「オーガ!」

 異形と化した空木が突貫した穴からひょこりとツグミが顔を出す。

「遅せえよ、ツグミ。てか、なんだあれ。完全に刻印に飲まれてるじゃねえか」

「仕方ないでしょ! だってあれ、殺しても止まらないわよ。ここまで誘き出せただけでも褒めてよね!」

 見れば、ツグミの制服も所々が破け、現れた肌には少なからず傷も見当たった。

 刻印の暴走で制御の利かなくなった空木を、どうにか人だかりから遠ざけるため、それなりの無茶をしたのだろう。具体的に何があったのか篝には想像もつかないが、ツグミの姿を見ればどれほどの無理をしてきたのかは察することができる。

 同じように空木の体も至る所に傷が窺えた。

 握っていたナイフは柄が手と一体化し、肥大化して裂けた皮膚は、刻印が縫い止めるように黒く纏わりついていた。肌を突き破る骨はそのままそれが凶器になり得るほどに鋭利な先端を覗かせる。その体の全てが人を殺める為にある――そんな姿だった。

「『殺人』て、ところか。とびきり凶暴な刻印があったもんだな」

「呑気に言わないでよ……。あれ、もうわたしには無理だからね!」

「解ってるよ。だから――ここからは俺の仕事だ」

 空木の理性の無い目が青年を捉える。

 既に空木に意識などない。刻印が訴える罪に抗うことができず、ただ暴走する衝動に飲まれて暴れるだけの災害。こうなってしまった『悪魔憑き』の処理は人の手に余る。手足を吹き飛ばしたとしても、仮に頭を潰しても止まらない。刻印が消えない限り砕けた肉体は繋ぎ止められ、破損した部位はより殺人に特化した形態に洗練されていく。

「どうするつもり……?」

 状況に置いて行かれそうになっていた篝が問う。

「あんなのどう見ても化物じゃない」

「自分の担任に随分な言い様だな、おまえ」

 事実を率直に述べた篝を男は軽く笑う。

「大丈夫だよ。あれはただ人の犯した罪が暴れてるだけだ。罪は裁かれるか赦されるかの二択。世界があれを裁くというなら、俺はあれを赦す者だ」

 咆哮した空木が走り出す。

「ツグミ」

 一言、少女の名前を呼ぶ。

 小柄な体が直ぐに駆け寄る。

 空木の動きは膨れた見た目通り早くない。だがその拳は人間の頭蓋など容易く砕くだろう。

 殺意の塊が迫る中、ツグミが桜牙に身を寄せた。

 そして。


 迫る暴力の権化を前に――二人は唇を重ねた。

 ――――直後、桜牙の右手に光が集まる。


 周囲を埋め尽くすほどに濃密な深い青と白色の光。質量を伴う程の重厚な光はやがて一筋に収束していく。やがて眩いばかりの輝きが一瞬の夢だったかのように色褪せ、そこに一振りの剣を浮かび上がらせた。柄から刀身まで全てが重く鈍い銀色。鍔まで含めた全容は十字架を模しているようだった。

「離れてろ」

 傍らの少女に告げ、矮躯を背後に押し遣る。

 桜牙が現れた銀の剣を振るうと、それだけで刀身も触れていないのに空木の体が吹き飛んだ。強風に飛ばされる木の葉のように人外となった巨躯が舞う。だがそれでも止まらない。三メートルほどの距離を浮遊した肉塊は直ぐに突進を再開する。

 だが数段遅い。

 一歩の踏切で剣の長さを含んだ間合いに到達し、二歩目で空木を追い越した。一閃、振るわれた銀の軌跡が残像を残す。刀身はあっさりと肉体を両断したが出血はない。

 けれどそれが決定的な決着を齎した。怒号して暴走していた巨体は桜牙と交錯した直後からぴくりとも動かない。糸が切れた人形のようにその体は完全な機能停止に陥っていた。やがて禍々しく体を覆っていた刻印が微かに発光し始める。闇のように黒かった刻印は徐々にその色を失い、最後には淡い光になって霧散した。

 白く発光しながら刻印が剥がれて行く様子は、花弁を散らす桜の姿に似ていた。

 ややあって刻印の消えた空木の体がうつ伏せに倒れ伏せる。膨張した筋肉は萎み、裂傷からは血が流れ出す。禍々しい刻印は見当たらず、それはあるべき人の姿へと回帰した。

「殺したの……?」

 茫然としながら篝が問いかける。

 ここまで散々苛烈な暴力を目の当たりにしてきた篝は、余りにも静かな終着に状況が呑み込めずにいた。

 篝の疑問にツグミが答える。

「違うよ。オーガが斬ったのは『罪の刻印』、体についた傷はここに来るまでについたものだよ。出血もあるし傷も酷いけど、死んでない。手当すればまだ助かる」

「なんなのよ、あんた達……空木が『悪魔憑き』だったのは解ったけど……だとしたら、あんた達はなに?」

「同じだよ、かがりんと」

 ツグミは言った。

「わたし達も『悪魔憑き』――そこで倒れてるあなたの先生や、あなた自身と同じもの」

 言って、おどけたように舌を出す。そこには紛れもない『罪の刻印』が印されていた。

『悪魔憑き』は背負った罪状に応じて特殊な能力が発現する。空木の場合であればそれが暴力衝動の促進や『殺人』に特化した肉体の変化である。では、と篝は思う。あの十字架のような剣は彼の能力だというのだろうか。

「オーガの能力は」

 遠い目をしてツグミは桜牙を見つめる。その手に握られた剣は直前に見た刻印の消失と同じように光となって消え始めていた。

「刻印を消し去る能力。オーガの罪は『悪魔憑き』の罪を赦してしまうこと。刻印を持ってしまった人間はどうあれ罪人、人の理を外れてしまった『悪魔憑き』は人が裁いていい存在ではない。それを処断することも、許容することも人の身に余る行為。だからオーガの『赦す』という力はこの世界では罪になる。人の身に許された領域を超える『傲慢』という罪に」

 現在、刻印の発現した人間には情状酌量の余地がない。

 衝動に飲まれて罪を犯した者もそうでない者も、刻印が表れれば等しく裁かれる。

 具体的に『悪魔憑き』がどのような裁きを受けるのかは世間には知られていない。拘束され、その後どのような扱いを受けるのか公表されていないからだ。一つだけ明らかなことがあるとすれば『悪魔憑き』であると認定されれば、その者は全てを失うということ。

 それが当然のことであると、篝自身も受け入れていた。世界の在り方がそうなのだから、そもそも疑問にさえ思っていなかし、実際、目の前で暴れる空木の姿を姿を見てそのルールが間違いではないとも思った。けれどいざ自分のこととなれば話は別である。

 教室での出来事は――恐らく自分が原因なのだろう。

 胸にある刻印がどのような罪の発現なのかは解らないが、それでも、多くのクラスメイトが傷つき、空木が刻印に飲み込まれて凶行に及ぶ切欠になったのは間違いない。この罪は放置されていいものでないはずだ。

 ならば問われなければならない。

 この罪は、裁かれるべきものか。

 あるいは、赦されてもいいものなのか。

 その判断を行うことはきっと、この上なく『傲慢』なことだ。どんな判決を下さしたところで、犠牲になったものへの償いにはならず、その罪の重さを推し量るということは失われた命の重さを決めるということだから――それはとても、人間が行ってはいけない裁量だ。

「選べ」

 半分以上消失した剣を持ち上げて桜牙が問う。

「お前はその罪を裁かれたいのか、赦されたいのか」

 選択を迫られ逡巡する。

 答えが直ぐに出る問いではないと篝は思った。彼女は自分が背負うことになってしまった罪が何であるかさえ明確に知らない。一度に色んなことが起こりすぎて頭が追い付かないのも無理はないだろう。だが向き合わなければならないことも解っている。どうあれ刻印がある以上、自分は既に『悪魔憑き』となってしまったのだから。

 そうして。

 桜牙の手にする剣がほとんど実態を失いかけた頃になって、篝が口を開く。

 この日、少女は自らの運命を左右する決断をした。

 そしてそれが『赦されざる者』黒周桜牙と、妃名宮篝の出会いだった。



 1/了

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