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世界最後の罪の唄  作者: 双色
3/4

3

 †




「かがりん、脱いで」

「はい……?」

 女子トイレに入るなり、ツグミの口から驚きの発言が飛び出す。

 ――コイツハナニヲイッテイルンダ? 

 唖然とする篝を意に介さず、ツグミは右手左手と順番に持ち上げて掌と甲を確認する。そのまま両手をばんざいの状態にすると手首から脇までにかけて隈なく視線を這わせた。理解不能な事態に既に限界ぎりぎりだった篝の理性が蒸発する。唐突に行われた同性からのセクハラに、篝は鏡に映った自分の顔が耳まで真っ赤になっているのに気付いた。

「なにやってんのよッ! ちょっと、ツグ!」

「動かないで。じっとしてて」

 いつになく真面目な声音で言われて抵抗できない。あたふたしている篝を無視してツグミはマイペースに物色を続ける。腕の次は脚。膝を折り畳んで踝から太腿へ、遂にツグミの視線はスカートの中へ到達し、後ろ向いて! と強引に振り向かされそうになったところで――篝が限界を迎えた。

「……ッ! いい加減にしなさい!」

 ちょうど自分の腰辺りにあるツグミの顔面に膝蹴りを見舞う。

 が、届かない。こめかみに突き刺さるはずの膝はあっさりと受け止められ冷静に処理される。

「ない……て、ことはやっぱり」

 篝の膝を押し返し、続いてツグミは胸元のリボンに手を伸ばす。当然抵抗されるが、器用に片手で篝を押さえつけながらあっさりとりぼんを解き、あっという間にボタンまで外してしまった。

「ちょっと……! ちょっと、ほんとにやめて……ツグ!」

 涙目になりながら必死に抵抗するもツグミは止まらない。はだけた胸元をぐいっと広げ、下着が覗くほどになったその時、

「……見つけた」

 舌打ちが聞こえた気がした。

 どこか苦しげにツグミが呟くのを聞いて、篝もまた自分の胸部に視線を落とす。

 露わになった胸元、その左の膨らみの上、ちょうど心臓の位置にそれはあった。

「なに……これ……?」

 雪のように白い肌――そこに、黒く禍々しい刻印が浮かび上がっていた。

 刻印を発見すると同時に篝の胸に痛みが走る。紙で指を切ったとき、傷口に気付いて急に痛みを覚える感覚に似ている。痛みは熱を帯び、呼応するように心臓が打つ鼓動が早くなっていく。

「ぃ……たい。痛い……ッ」

 吐き気さえ覚える。痛みと混乱で意識が白濁する。なんだというのだ、自分の体に何が起きているというのか。否、何かが起きているとすれば体だけでなく、この世界そのものがどうかしてしまっている。

「大丈夫。落ち着いて、かがりん。大丈夫だから」

 気が付いたらしゃがみこんでいた。

 膝が冷たい。

 両手は刻印の上に重ねて背は外敵から身を守るように丸くして、まるで小動物みたいだ。

 誰かが背中をさすっている。優しい声で何事かを繰り返している。

「は……ぁ、……はあ……は」

「かがりん? わたしだよ。大丈夫だから、ゆっくり息を吸って」

「すぅー……はぁ、……ぁ……ツグ、ミ?」

「うん。そうだよ。落ち着いた?」

「……うん……ありがとう、ツグ。……もう大丈夫」

 気分は確かによくなった。最悪の状態に比べればではあるが。

 ゆっくりと立ち上がり、深呼吸をして乱れた息を整える。改めて例の刻印に目を向けた。気が動転して見せた幻覚だったことを期待したが、それは白昼夢でも何でもなく、当然のようにそこに鎮座していた。

「ねえ、ツグ。これってさ……」

「『罪の刻印』……多分、気付いてると思うけど」

 即ちそれは――『悪魔憑き』であることの証。

 幸いと言うならばここまで度重なる非日常的な現象に見舞われてきたことだろう。平時であればとてもじゃないが受け入れきれない。『悪魔憑き』は何の前兆もなく発症することもあれば、徐々にその兆候を見せながら発症する場合もある。では、篝の場合はどうだったのか。考えてみれば篝の日常は少しずつ壊れていた。特に異性との関係――客観的に見て確かに篝のルックスはいい、だからといって彼女に対する周囲からのアプローチは常道を外れている。好意を寄せられる頻度もそうならば、教室で起こったように好意が反転して憎悪に変わるなど、どう考えても異常だ。

「わたしの所為なの……? さっきの、みんなが、あんな風になったのは」

「そうだね。自覚はないと思うけど。多分、かがりんが異常に男子に好かれるのもその所為。大き過ぎる好意がさっきみたいに憎悪に変わって暴走するのも、かがりんの罪」

「……わたし、どうなるの? 『悪魔憑き』てことは、教会に引き渡されたりするのかな?」

 世間では『悪魔憑き』は宿した罪とは無関係に裁かれる。教会が『悪魔憑き』をどう処断するのかは世間的には知られていない。だが一つ厳然たる事実があるとすれば、一度捕らえられた『悪魔憑き』が更生して再度社会に復帰した事例は存在しないということだ。

 もう疲れた。

 頭に浮かんだのはそんな言葉だった。

 ここでツグミを振り払い、どこかに逃げることは出来なくもないだろう。けれど篝はそうすることをそもそも選択肢にさえ含まなかった。『悪魔憑き』になった自分がどうなるのか、恐らく碌な目には合わない。仮に逃げ延びても、今の社会、『悪魔憑き』は人として扱われない。いずれ捕らえられ、教会に処断される。それが解っていて息を潜めて生きて行くなんてきっと生きた心地がしない。

 ならもういいじゃないか。

 自分の所為でクラスメイト達が怪我をした。程度は解らないけど、酷い傷を負ったかもしれない。

 選ぶ道は二つ。

 逃げないのなら、教会に自分から出頭するか――ここで命を絶つか。

「ねえ……ツグ」

「しないよ」

「え……?」

 被せるようにツグミが言った。

「大丈夫。かがりんをアイツらになんて、絶対渡さない」

「どういう、こと?」

「そのままの意味。『悪魔憑き』だろうが何だろうが、かがりんを教会には渡さないし」

 そっ、と知らない間に震えていた篝の手をツグミが手を包む。

「ここで死ぬなんて許さない。罪の重さに負けて死ぬなんて認めない」

「なんで……?」

 わかったの、と掠れる声で問いかける。

「んー。自分が『悪魔憑き』だって解った人の思考は二つだからね。罪に溺れるか、押しつぶされるか。かがりんは優しいから、罪に溺れて好き勝手するとは思えないし、後者だと思っただけ」

 頭の後ろで手を組んでツグミは混じり気のない笑顔で言う。

 どうしようもなく壊れてしまった世界に取り残されて、篝にはその笑顔だけが日常に感じられた。

 それからツグミはブレザーのポケットからスマホを取り出し手早く画面を操作する。ややあってコール音が反響し始める。誰かに電話をかけているらしい。応答は直ぐにあった。

「もしもし? ……あ、うん。オーガの言った通り。ただなんていうか、色々あってさっき刻印が開いたみたい。……え? ……仕方ないじゃん、わたし、悪くないし。……もう! いいから早く来てよ! こっからはオーガの仕事でしょ!」

 何やら揉めているらしい。ツグミはその後もひとしきり捲し立てるとそのままの勢いで通話を切ってしまった。まるで事情の呑み込めない篝は珍しくぷんすかしている彼女に妙な新鮮味を感じる。思えば彼女が自分以外の生徒と話している姿を見たことがない気がする。だからだろうか。そう思った時、篝の中で新たな違和感が生じた。

 ――そもそも、自分はいつからツグミと友達になったのだろう。

 昨日今日のことではない。

 だが高校に入学してから、学年が上がってから……明確な時期を問われると判然としないのだ。何が切欠で話すようになったのか、どうして特定の他人と親しくしない自分がこの少女には心を許しているのか。何故誰もが平常心を奪われたあの教室の中で、彼女だけは平静を保っていられたのか。考え始めるときりがなかった。当たり前のように自分の日常に溶け込んでいた少女は、改めて向き合ってみればこの世界の中で最たる異質な存在に思えた。

「ツグ……? あなた、一体――」

 何者? と問いかけようとして唇に指先を突き立てられる。

「ごめんね、かがりん。その話は後。ちゃんと説明するから。それより今は――」

「――ィギャアアアアァァアアァアアアアァァァァァアアアァァ」

 扉の外で絶叫が響き渡り、その言葉を遮った。

 ツグミが舌を打つ。

「……忘れてた。向こう放置してたんだった。それに五時間目って確か……」

 びしゃり、と刷ガラスの窓に外側から何かが付着する。

 今の叫び声と教室での風景が重なり、篝はそれが何であるのかを直感的に察した。

「ツグ、今のって……」

「かがりん」

 緩んでいたツグミの表情が一瞬で強張る。

 体は自分の方を向いているが注意は明らかに背後、というより扉の外に向けられていた。

「扉の外、かがりんは見ない方がいい。本当はこのまま隠れてた方がいいんだけど、アレを放置する訳にはいかないし、今はかがりんを一人にできない。だからわたしを信じてついてきて」

 ぎゅ、とツグミが篝の手を握る。

 篝の返事を待たずツグミは行動に出た。

「じゃあ――行くよっ!」

 言うと同時に扉を蹴破る。その小さな体のどこにそんな力があるんだ、と驚く暇もない。握られた手を引っ張られたまま廊下へ躍り出る。途端、足元で弾むような音。音の方へ目を向けるとそこには赤黒い水溜り。その横に転がる生徒の頭――。

「――――ッ」

 異臭が鼻を突く。

 詰まる所これは人の体から流れ出した血液で、今足元に横たわるのはクラスメイトの亡骸ということ――。

 連続して入り込んでくる情報に理解が遅れる。篝が状況を認識し叫びを上げる前に、先の絶叫を聞きつけた近くの教室の生徒達から悲鳴が上がった。

 耳を劈くような叫び声で飛びそうな意識を繋ぎとめる。同時に胃の中から込み上がってくるものをどうにか飲み込んだ。

「空木……センセイ」

 代わりに血溜まりを作り出した人物の名前を呟く。

 返り血で赤く染まったシャツを着て、その手には凶暴な光を放つアーミーナイフを携えていた。

「妃名宮、おまえ教室にいないと思ったらこんなところで何してるんだよ」

 平常と変わらない飄々とした口調で言って大袈裟に肩を竦める。

 頭から血を被った異様な姿での立ち振る舞いが、現状の異常性を際立たせた。

「教室行ったらさ、何か乱闘騒ぎになってたんだよ。俺も担任だろ? 暴れてる奴らを宥めようとしたんだけどよ、アイツ等俺の言うこと聞かねーの。仕方ないから二、三人殺しちまったんだけどさ、そしたら全員馬鹿みたいに騒ぎ出してよ。まあ、俺が教室入ったときから騒いでたっちゃー騒いでたんだけど。何人か教室から出てったから、今追いかけてるところなんだわ」

 その結果が、これだというのか。

 篝は嬉々として語る空木に恐怖を覚えた。

 素行がよくないのは聞いていたが人を殺すほどだなんて夢にも思わない。

 これも自分の所為なのだろうか。篝は刻印のある左胸に拳を当てて思う。クラスメイト達と同じように自分の持つ罪の所為で空木は豹変してしまったというのか。しかし思考を読んだようにその考えはツグミに否定された。

「違うよ、かがりん。あれはかがりんの罪じゃない。あれはあいつ自身の罪」

 じり、と篝を自分の背後に押し遣りながらツグミが言う。

 隙を見て空木を拘束出来れば――ツグミが思案する中、叫び声の上がった教室から教師が飛び出す。

「う、空木先生! 何やってるんですか!」

 若いジャージ姿の男性教師だ。

 彼は一目で空木の狂気を悟り、急いで駆け寄って肩を抑えた。だがその判断が間違っていた。傍らに横たわる死体や血の飛沫に目を奪われ、あるいは空木の手にある凶器を見落としていたのかもしれない。いずれにせよ、不用意に近づいたのが不運だった。

「え……」

 喉元から噴き出す血飛沫と一緒に僅かな声が漏れる。

 空木は自分を拘束しようとする彼の喉元に何の迷いもなくナイフを突き立てた。

 白目を剥いて男性教師が仰向けに倒れる。その際シャツの襟に手が掛かり、シャツが破れて空木の肩口が露出した。

「……あれって」

 空木の肩に刻まれた刻印を目にして篝が呟く。先刻自分の胸にあったものと同じ、それは紛れもなく『罪の刻印』。それが意味することはつまり、

「空木迅平(ジンペイ)。例の連続殺人の犯人とされる『悪魔憑き』……タイミングが悪いったらないわね」

 凄惨な現場に向けられた何人もの悲鳴が廊下を満たす。その中で、傍にいた篝にしか聞き取れないほどの大きさでツグミが言った。

「かがりん、わたしがあいつを抑えるから、別館へ向かって。わたしも直ぐに追いつくから」

「何言ってんのよツグ。今の見てなかったの? そんなことしたらあんたも」

「大丈夫だよ、信じて。かがりんは必ずわたしが守るし、救ってみせるから」

 騒ぎを聞きつけた教師が別の教室から出てくる。狼狽して唖然とする者はいい。問題はさっきのように空木を抑えようとする者だ。

「動くなッ!」

 ツグミがそう言った者を一喝する。さらに背後の篝を後ろ手に突き飛ばした。

 早く行って。口には出さず、態度で篝へ逃走を促す。同時にツグミは篝とは反対方向へ、つまり空木に向かって飛び出した。一瞬だけ篝を振り返る。篝は指示通り既に駆け出していた。

「あぁ? なんだ、おまえ」

 言いながら飛び掛かってくるツグミに空木がナイフを向ける。決して広くない廊下でやり合うなら射程の広さが絶対的に優劣を分かつ。直線の動きでは間合いに入った瞬間に斬られて終わりだ。当然彼女もそんなことは理解している。それでもあくまで最高速を落とさず、空木に対して愚直に突進した。

 空木がナイフを持った腕を振るう。その軌道は遮る物がなければ狂いなく獲物の首を刎ねる。

 迫る凶刃に対し、ツグミが取った行動はただ一つだった。

「――右だよ!」

 ツグミが叫ぶ。

 同時に空木はぎりぎりのところで動きを中止し、自身の右側に向き直った。しかしながらそこにあるのは中庭に面した窓。当然ツグミの姿はない。にも関わらず、空木は振り上げたナイフの軌道を修正し、まるで彼女が言った通り切り付ける相手がそこにいると認識したかのようにスイングする。言うまでもなくナイフの刃は何を切り裂くこともなかった。

「嘘だよ。ばぁか!」

 ぺろり、と舌を出して渾身の体当たりが空木の体勢を崩す。さらにそれだけでは終わらない。バランスを崩した空木の胸倉を掴み、転倒と体当たりの勢いを利用してそのまま窓の方へ突き飛ばした。

 ガラスの割れる音。空木の体は窓を格子ごと突き破り校舎の外へ落ちて行く。ついさっきまでの悲鳴は掻き消え、逆に驚愕による静寂が広がった。人が、落ちた。階は二階。落ち方によっては即死も考えられる高さ。あまりの出来事にその場にいた全員が言葉を失う。

「……さて、と。とりあえずオーガと合流しないと。かがりん、大丈夫かな」

 絶句が再び悲鳴の渦に変わる前にツグミは頭を掻きながらぼやくように呟いた。

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