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世界最後の罪の唄  作者: 双色
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 昼休み。篝は昼食も取らずに教室を出た。

 普段ならば用意してきた弁当を教室で友人と囲むのが日課であるが、生憎本日は担任から呼び出しを受けている為昼食を後回しにしたのだった。

 学校での妃名宮篝という人物は一言で言って優等生である。

 基本科目における成績は常に学年の上位を維持し、その他体育を含む副科目においても実技筆記共に最高評価を得ている。容姿端麗にして学業、運動共に優秀という、非の打ちどころの見当たらない生徒と言える。休み時間に教師から呼び出しを受けたからと言って、それがネガティヴな用件でないことは明らかだ。

 ホームルーム教室がある本校舎を出て、中庭に位置する別館に入る。各教科の準備室や部活動の部室が集まる校舎は必然、昼休みである現在は人気がなく静まり返っていた。校舎に入って二階、廊下の突き当たりにある歴史学準備室へ辿り着く。

 三度扉をノックして、

空木(うつぎ)先生、妃名宮です。入ってもよろしいでしょうか?」

「……お、おー、妃名宮か。すまんすまん、ちょっと待ってくれ」

 返事は直ぐに返ってきた。

 刷ガラスの窓から中で人影が動くのを眺めること数十秒、篝は「入っていいぞ」という許可を得てから入室した。

「失礼します」

「昼休みに悪いな、妃名宮。それにしても早かったな。飯の後でもよかったのに」

「用事は先に済ませておきたいので」

 それよりも、と篝は開放された窓を眺めて言う。

「……先生、校内は禁煙です。準備室を私室化するのは止めてください」

「ははは。ばれたか。手厳しいなあ、妃名宮は。流石は優等生だ」

 まあ、別に、相手は教師だし。そんな風に考え、法律的には喫煙自体は何の問題もないので篝もそれほど追及はしなかった。ただその行為自体は気にならなくても室内の僅かな残り香は気分のいいものではない。篝は室内に入りはしたが、扉の前で立ち止まりそれ以上入室することはなかった。当然扉も開けたままである。

 空木は在籍している中では比較的若い男性教師だ。仮にも聖職者なのだから、間違いはないと思うが、篝は経験上異性と密室にいる状況は避けたかった。考え過ぎと言えば考えすぎで、自意識過剰と言われれば否定する余地もないが。

「座ったらどうだ?」

 だというのに、あっけらかんと空木は着席を促してくる。

 準備室の中は両脇を古い本棚で囲われており、ぼろぼろの長机と幾つかのパイプ椅子が中央に並べられていた。その内の一つを空木が顎で示す。先の通りそこに座れということだろう。

「いえ、このままで大丈夫です。ご用件はなんでしょうか?」

「なんだよツンとしちゃって。ちったぁ俺と雑談しようて気はないのか?」

「はあ……。ふざけているなら戻りますよ? 友人を待たせているので」

 そうは言ってもあの友人――勿論ツグミのことである――が大人しく待っているのかどうか。下手をすれば自分の弁当をそっちのけで篝の弁当をつついている可能性さえ考えられる。そういう事情もあって、篝としては早急に用件だけを済ませてしまいたいというのが本音だった。

「つれないなあ……。まあ、なんだ、要件てのはあれだ、前から言ってる留学の件だよ。俺も教頭とかに急かされてるんだけど、そろそろ返事とか貰えないか?」

「ああ。その件ですか」

 言われて、思い出した。

 といっても忘れていたわけではない。確か海外の姉妹校との交換留学制度の件で以前打診を受けていた。けれどそれについては以前断っているはずだ。

「以前も言いましたけどおこと――」

「ひーなーみーやー」

 被せるように言って空木は手に取った出席簿で自分の前の机を叩く。

「俺もさあ、中間管理職てやつでいろいろ大変なのよ。教頭からお前以外適任がいないって念押しされててなあ。留学ったって三週間程度のもんだから、旅行気分で行ってきてくれよ」

 とうとう空木の発言が確認ではなく承諾を強要する内容に変わる。

 飄々としているようで威圧感も感じさせる態度で空木が言う。空木としても教頭の要請を断り切れず、篝に折れて貰いたいのだろう。

 空木の心中を察しながらも断固として拒否の意思を崩すつもりのない篝は、さて何と言ってこの場を切り抜けようかと思案を巡らせる。が、そんな風に自分の内側に意識を向けてしまったのがいけなかった。するり、と蛇のような身のこなしで空木が篝のパーソナルスペースに侵入してくる。

「なあ? 頼むよ妃名宮」

「ひ――ぁっ」

 不意に腰に手を添えられ篝の口から声が漏れる。完全に意識の外から来た感触に思わず体が強張った。

「……センセイ、セクハラです」

「冷たいなあ、妃名宮ぁ。それより頼むって俺も教頭にだいぶ迫られてるんだよ」

「何度も言ってますがお断りします。じゃあ、わたしは教室に戻りますので」

 背後のドアを閉めずにおいたのは正解だった。

 篝は傍らの空木を払いのけるように体を反転させて退室する。

 それでもしつこく食い下がり、空木が肩を掴みに手を伸ばすが、

「おい、ちょっと待てってひな――」

「――失礼します」

 後ろ手に思い切り力を入れてドアを閉めた。

 スライド式のドアに腕を挟まれる形になり、教室の中から苦悶の声が響く。これで逆上されては堪らない。篝はそのまま早歩きに新校舎のホームルーム教室を目指した。

 今朝のことといい、今といい。どうも本当に自分の男運は最悪らしいことを篝は恨めしく自分の運命を呪った。



 ◇




 事件が起きたのは篝が教室に戻って少ししてからだった。

 空木とのやり取りの後で教室に戻ると、案の定自分の机で弁当を広げるツグミを見つける。予想通り餌食になっているのは篝の弁当だ。それを予期して早めに切り上げてきたのだ、幸いなことにまだ中身は半分ほど残っている。

「あ、おかえりー、かがりーん」

「ツグ……わたしのお弁当勝手に食べるのやめてよ」

「んー? じゃあ明日からわたしの分も作ってきてー」

「高いよ?」

「お金取るの!?」

 がた、と立ち上がったツグミの手から弁当箱を引っ手繰る。中身からは卵焼き、鶏のから揚げ、豚の生姜焼きが消失。なんとういうか見事な肉食。彩り豊かなベジタリアン弁当が出来上がっていた。

 肉ばっかり食べてるから身長が伸びないんじゃないだろうか。篝は手元の弁当とツグミを見比べて、百五十ちょっとと推定される背丈に思いを馳せる。その癖に出るところは出ていて女性的な発育をしているから不思議なものだ。

「どっか行くなら先に言っておいて欲しかったなー。もう少しでトイレでぼっち飯するところだったよ」

「よく言うわね。あんたはわたしの何なのよ」

「んー? トモダチー」

 どうやらツグミからの評価は正常であるらしく、その点について何故か安堵する。近頃彼女からのスキンシップが友達とのそれを振り切っている気がしていたからだ。もっとも、持ち主が不在の中無断で鞄を漁り、中の弁当を半分以上平らげるのは友人であっても許されることではないと思うのだが。

「どこ行ってたの?」

 さっき篝の弁当を半分ほど食べたツグミが今度は持参のナプキンの包みを開く。中から出てきたのはサンドイッチ、それも分厚いカツの挟まったカツサンドだった。

「別館の歴史学準備室。空木先生に呼ばれたのよ。この間断った留学の話、蒸し返された」

 ブロッコリーを口に運びながら何でもないように篝が答える。

「……かがりん」

「ん?」

 手元に落としていた視線を上げると、それまではしゃいてでいたツグミがやけにシリアスな表情をしていた。

「なんで? 職員室とかならともかく、別館なんて。一人で行ったら危ないじゃない」

「えっと……ツグ? どうしたのよ落ち着いて?」

 確かに空木は若い男性教諭で、講師という立場も手伝ってかお世辞にも清楚なイメージはない。地毛ということだが髪の色は明るくパーマ気味で、篝自身もつい先ほど禁煙区域である校内での喫煙シーンを目撃している。終業後はそれなりに遊んでいるという噂さえあるくらいだ。

 そうはいっても、昼休みで、学校内である。

 いくら別館に人が少ないとはいえ、大声を出せば誰かに届く。こんな真昼間から貞操に危機が及ぶようなことは考えられない。危ないなどと声を荒げて非難されるほどの行動ではないはずだ。

 しかし楽観的というより常識的な考えの篝とは裏腹にツグミの表情は険しい。あまり見ることのない友人の陰が差した表情に篝は少なからず動揺した。

「……ううん。わたしが油断してた。ねえ、かがりん約束して、次からは――」

 言いかけて、ツグミの言葉が途切れる。

 正確には割り込んできた大音声に遮られて聞き取れなかったというべきだろう。

 篝の席は教室の廊下側、その後方に位置する。そのすぐ傍の扉が凄まじい勢いで開かれた。

「――妃名宮アァ――ッ!」

 勢いよくこじ開けられた扉の轟音と共に、男子生徒の怒号が教室にこだまする。

 教室内にいた全員が一斉に同じ場所を振り向く。中でも名指しされた篝は恐らく誰よりも早くそちらに視線を向けていた。見覚えのある男子生徒だ。確か六組の生徒で選択授業で何度か話したことがあった――と、思う。授業の一環で会話した程度の関係なのではっきり言って名前までは覚えていなかった。

 短く切り揃えられた髪と日焼けした肌、一見して体育会系の部活動に所属していることが窺える。異常なのは彼の表情だ。肉食獣が牙を見せて威嚇するように口の端を吊り上げ、目なんか血走って充血している。わなわなと震える両肩からは今し方扉の開放に用いたエネルギーなどほんの一部であることを主張していた。

 ぎょろり、と男子生徒の目が篝を捉える。

「おまえ……妃菜宮ッ! なんで、来なかったんだよ!」

 鬼気迫る勢いに篝は直ぐに返答できない。

 男子生徒の怒気に怯みながらも頭の中では冷静に状況の検分を進めていた。そして直ぐに結論に辿り着く。今朝の手紙だ。中身は見ていない。察するに例の手紙を書いたのがこの男子生徒で、中身は恐らく呼び出しを告げる連絡文書。知らない間に篝はこの昼休みに呼び出しを受けていたのだ。

 そんな事情などまるで知らない篝は、まず担任の呼び出しに応じて別館へ足を運び、それが終わって教室で昼食を取っていた最中だ。時計を見れば昼休みも予鈴まで残り少ない。待ち人が来ないであろうことを察した彼が激昂して直接教室へ残りこんで来たという訳だ。

 けれど、と篝は思う。

 確かに手紙を読まなかった自分にも落ち度はある。いつものことだと呆れていた傲慢は糾弾に値する。だがそんな血相を変えて怒鳴り込んでくるほどのことではないはずだ。そんな、今にも人を殺しそうな程の怒気を振り撒いて声を荒げるほどのことでは――

 ぐい、と強烈な力に肩を掴まれる。自分の思考に没頭していた篝は、この後に及んでまだ自分の認識が甘かったことを理解した。事態は悠長に構えていられるものではなく、既に一触即発、男子生徒は導火線に火が点いた爆弾そのものだ。

 言葉選びを間違えればそれこそ目の前のそれは暴力の権化に成り果てる。

「ご、ごめんなさい。謝るから、一度落ち着いて……――」

 肩を掴む握力があまりに強く上手く言葉が紡げない。

 篝は語気を荒げる男子生徒をどうにか宥めようとするが、両者の間に別の声が割って入った。

「おい、何やってんだよおまえ」

 割りこんで来たのは騒動を見ていた俑田だった。

 俑田は、篝の肩を掴む男子生徒の手を強引に引き剥がして掴み上げる。

「あぁ? おまえこそなん――」

 今度は言葉よりも早く拳が飛ぶ。微塵も加減されていない殴打が頬を襲い、男子生徒は廊下まで吹き飛んで尻餅をついた。

「大丈夫か、妃名宮?」

「あ、うん、大丈夫」

 大丈夫、なのだが。

 正直ここまでするほどのことだろうか。ちらりと見れば俑田の拳には血が滲んでいる。殴られた相手の血なのか、勢いで拳が避けたのかは解らない。だがどちらかが出血するほどの激しい衝突があったのは確かだ。

 外傷はないが、強い力で掴まれていた肩が少し痛む。無意識に篝は患部へ手を遣った。それを俑田は見逃さない。

「大丈夫じゃないだろ? 肩、痛いんじゃないのか?」

「え、大丈夫だよ。ほんとに大丈夫だから」

「駄目だ。ほら、保健室行くぞ」

 ぐ、と強引に腕を掴まれる。その力が異常だ。どう考えても怪我人を思い遣ってのことではない。さっき激情に任せて肩を掴まれたのと同等かそれ以上の力で二の腕を掴まれ引っ張られる。

「ちょっと、待って――待ってってば……ッ」

 事態の異常性に焦りが生じる。

 必死で腕を振り、どうにか篝が俑田を振り切る。

「なんで……おまえのためだろうがァッ」

 自分の厚意を無下にされ、俑田の表情が一変する。まるで少し前の際限のようにみるみる目は血走り、歯が剥き出しになっていく。そして――

「おい、ヨーダ。てめーこそ何やってんだよ」

「そうだよ。どさくさに紛れて妃名宮に触ってんじゃねーよ」

 次々に教室の中にいた男子が声を荒げる。

 切っ掛けは、それでも篝に掴みかかろうとする俑田を一人の生徒が殴ったことだろうか。

 誰かが悲鳴を上げた。多分、教室内にいた女子生徒だろう。それを皮切りに至る所から叫び声が上がる。後は一瞬だった。雪崩のように暴力は波及し、気付けば室内は乱闘騒ぎへと発展していた。乱れ飛ぶのは拳に留まらず、手近な物を掴んでは投げる者も現れた。

「なんで、これ……どうなって……」

 狼狽して篝が後ずさる、だが元々壁際になっていた為直ぐに背中が壁にぶつかる。

 退路が無くなると同時に一人の男子と目が合った。乱闘騒ぎに交じる者とを同じく血走った目に――手にはカッターナイフを携えて。あろうことかその男子は進路を篝の方向へと向けて覚束ない足取りで迫ってくる。

 現実が呑み込めずその場から逃げ出すという選択さえ忘れた篝を、

「かがりんッ! こっち、逃げるよ!」

 ツグミの声が現実に引き戻した。

 ぱ、と篝の手を掴み、さらにツグミは手近な机を蹴り飛ばして迫ってくる男子を牽制した。

 弾けるようにツグミの小さな体が駆け出す。

「あ、やばっ」

 教室を出てすぐ、俑田に殴り飛ばされた男子と鉢合わせた。殴られた衝撃で目が回っているのか焦点が合っていない。だが一目見て危険な精神状態であることが見て取れた。その為、

「邪魔ァ――ッ!」

 ツグミは障害物となった彼を容赦なく蹴り飛ばした。唸りを上げるつま先が彼の下腹部にめり込む。

「ツグ……これ、どういうことなの……?」

「喋らないで。今はとにかく走って!」

 言うが早いか、ツグミは篝の手を取ってぐんぐん加速していく。昼休み終了の予鈴が鳴り響く中、二人は全力で廊下を駆け抜ける。教室二つを通り過ぎ、階段を降りて下のフロアへ。さっきまでの喧騒が嘘のように静かな階層に降りてそれでも紗鳥は止まらない。

 二人がようやく息を付けたのはホームルーム教室の二つ下の階にある女子トイレに入ったときだった。


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