学園の暴君1
イタリアからラジエルの書を持ち帰った草薙月斗。
高校生らしく、自家用ヘリコプターで登校します。
「ご当主様、もうすぐ学園に到着します」
ヘリコプターのローター音に負けないよう張った男の声が、前方のパイロットシートから飛んで来た。
うとうとしていた月斗は意識してまばたきを二度強くすると、発泡スチロール製の大型クーラーボックスを寄せた。
機首を風上に向けたヘリコプターは、校庭の乾いた地面に砂埃を広げながら慎重に降りていく。パイロットの佐野道はもと軍用ヘリのパイロットで、この道20年以上のベテランだ。荒事にも慣れていても、その操縦は基本的に丁寧だ。機体の下部についた二枚のランディングギアが地面に触れ、僅かにポンと弾むような感覚とともに着陸する。
「手間を掛けさせたな。帰りは田山を寄こしてくれ」
ドアをスライドさせた月斗は、返事を待たずに後部席から校庭へと飛び降りる。背後からのローター音と送られる風が強まり、ヘリコプターが離陸していく。役目を終えたヘリコプターは、黒い影を横切らせ屋敷の方向へと飛び去っていった。
月斗が向かう校舎の窓は一様に開け放たれ、午後の眠気を覚まされた生徒たちが顔を覗かせていた。ヘリコプターの離着陸が珍しいのだろうか、驚いた顔をしている生徒もいるけれど、大半はこちらに向かって手を振ったり、「カイチョー」と呼びかけている。月斗はクーラーボックスを片手で保持すると、もう一方の手を振って彼らに応えた。
上履きに履き替えるために昇降口までやってくると、小太りの男がスリッパをバタバタと鳴らしながら駆け寄ってきた。七星学園の副校長を務めている三木だ。
「はぁ、はぁ、こ、これは草薙様。今日はお休みだとお電話を頂いていたのですが、こんな時間にご登
校とは、ま、まさかわたくしどもになにか不手際でもございましたでしょうか!」
三木は下駄箱から月斗の靴を取り出すと、頬を引きつらせた愛想笑いを浮かべて言った。多少うざったい態度だが、人の顔色を伺うことにかけては右に出るものがない。その対人関係における危機察知能力の高さをかわれて、調整役として副校長に据えられている男だ。
「帰国が早まったから登校しただけだ。俺に構っている暇があったら、その分の時間で職務に励め」
「は、はいっ! かしこまりました!」
やってき時よりさらに急いだ三木は逃げるようにして、職員室へ走っていく。
月斗は1年3組教室がある左の廊下へと向かった。ヘリコプターの騒乱が嘘だったかのように廊下は静まり、授業を行う教師の声や黒板をチョークが擦る音だけが聞こえてくる。
3組の教室が近づくにつれてざわめきが感じられた。月斗がドアを爪先で開けると、クラスメイトたちが一斉に振り向いた。
「諸君、おはよう」
ただの挨拶だけれど、そこには言霊でもこもっているかのように、クラスメイトたちのヒソヒソ声が止んだ。自分たちからは言い出さず、何かを待っているような様子だ。
「諸君おはようじゃ、ありません! いま何時だと思ってるんですか、草薙くん!」
怒りと呆れが混じった声を上げたのは、担任の桃山恵女史、通称メグちゃん先生(御年三十二歳)だった。美人の部類に入るだろう顔の造形と豊かな胸で男子生徒の人気がある。完全に失念していたが、七時間目は国語だった。
「日本時間で16時5分です」
「もう今日の授業は終わりですよ!」
分かっていてその態度は何だとばかりに桃山先生は眉を寄せた。彼女に睨まれることは、男子生徒の四分の三にとってはご褒美らしいが、残念ながら月斗は残りの四分の一に入っていた。
「俺のことは気にせず授業を続けて下さい。貴重な時間をたった一人に使うのは無駄だ」
ぬけぬけと最前列の自分の席に座った月斗は、クーラーボックスを脇に置き、机から国語の教科書を取り出し広げた。
「授業も大切ですが、ひとりの生徒としてあなたの今後も大切です!」
「俺に何か問題でも? 今季も草薙グループは全体で見れば増益ですが」
白々しい殊勝さで月斗は言った。
「その言い方を含めて問題だらけです! 素行不良に度重なる遅刻早退欠席! 生徒会の私物化! そして今日のようなヘリでの通学! 良いですか、学園は治外法権ではありません!」
「先生、校則でヘリ通学は禁止されていない。それに今回の遅刻は止むに止まれぬ事情があって、イタリアまで出張していた」
「またそういう適当なことを言って! 先生は誤魔化されませんよ!」
桃山先生は手に持っていたチョークを月斗の眼前に突きつけた。非常に残念なことだが、彼女の信頼を得られていないようだ。雇用主としては由々しき事態だった。
「信じて頂けないか。ふむ、こうして大切な授業の時間を奪って、先生だけではなくクラスメイトにも迷惑をかけている……」
スピーカーから授業終わりのチャイムが聞こえてくる。ショートホームルームに突入してしまったのはちょうど良いだろう。
「では、この土産をみんなへのお詫びと出張の証拠ということで渡そう」
そう言って月斗はクーラーボックスを開いた。
中には宝石もかくやとキラキラ煌くタルトやチョコをたっぷり使ったチョコレートケーキ、ティラミスが詰まっていた。ボックスを二層にしてさらに押し込めたので、多少崩れているものもあるけれど、どれも美味しさを全力で主張している。
「本場イタリアのドルチェはどうかな?」
月斗の言葉に教室中がどよめいた。桃山先生さえもドルチェの魔法にかかったように声を失っていた。
「委員長、みんなに配ってくれ」
「は、はい!」
「紙皿とプラスチックフォークも一緒に入ってるから忘れずに」
隣の席のクラス委員長にクーラーボックスを渡すと、すでに他の女子たちも席を立ちあがり列を作り始めていた。
「ちょ、ちょっと草薙くん! ホームルーム中にケーキは禁止ですっ!」
幻惑の魔法が解けたようにハッとした桃山先生が、再び怒りをみなぎらせている。しかし、普段なら聞き分けのいい女子生徒たちもイタリアンドルチェを前にしては止まらない。
「先生もおひとつ、いかがですか?」
「いりません! 教師が率先してケーキを食べるわけないでしょ! それに若い子と違って、こんなの食べちゃったら色々大変なのよ!」
少しばかりの未練を滲ませて桃山先生は、ドルチェから目を背けた。
「カロリーが気になるというなら、先生にはこれを」
月斗は懐からシンプルな平たい箱を取り出し蓋を開ける。その中には女性ならたいてい知っているだろう超有名ブランドの革財布が入っていた。
「教師を買収してはいけません!」
桃山先生はプルプルと震える手で、財布の入った箱を押し返した。
「買収? ただの土産です。先生がよく着ているその紺色のカーディガンに似合うと思って買ってきたのですが」
無造作に箱から取り出した財布を、先生のカーディガンにかざしてみせる。
「こ、こんなブランド品なんかに……く、屈しま……せん! 私は教師なんです!」
伸びそうになった手をグッと握りしめ、桃山先生は毅然とした表情で言った。
「なら、欲しい人にあげるとするか。じゃんけんでもして決めてくれ」
桃山先生が受け取ってくれないというなら誰に渡しても一緒だ。月斗はすぐ後ろの席の男子生徒に押し付けるように渡した。
受け取った男子生徒はかなり困った顔していたが、すぐさま女子に囲まれじゃんけん大会を強要されてしまった。
「もう草薙くんっ! あなたは居残りで説教です!」
堪忍袋の緒が切れたとばかりに桃山先生は教卓を両手で叩く。
「放課後は生徒会へ顔を出す予定が――」
「駄目です! 休んでいた分の補習がわりです!」
敵対的買収が失敗した結果、月斗は居残りを命じられてしまった。不合理な使命感を持つ相手に対する交渉サンプルとしては有意義なものだと思うことにした。
じゃんけん大会とおやつタイムはつつがなく終わり、クラスメイトたちは放課後を迎えた。「草薙くん、ごちそうさまー」「財布ありがと!」「ケーキ美味かったぞ!」などの感想を残し、部活や委員会、そして遊びへと教室を後にしていった。
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放課後。
職員室から戻ってきた桃山先生が、たった一人残された月斗の前にプリントの束を叩きつけるように置いた。
「いいですか、草薙くんには休みの間に教科の先生から預かったプリントやってもらいます。これが全部終わるまで一歩足りとも教室から出しませんからね!」
プリントの見ると英語2枚に数学2枚、古文と化学が1枚の計7枚だった。
「プリントなら持ち帰ってもいいのでは?」
「忙しいとか言って、執事さんにやらせたりするんでしょ? 不正がないように、先生が見張ってますからね」
とことん信用を失ってしまったようだ。長く息を吐いた月斗は誠実さの欠片でもみせてやるかと、プリントに取り組み始めた。
「あ、わからない所があったら教えるから、遠慮なく質問してね」
桃山先生が教師らしいところを見せたが、月斗は無視してプリントをこなしていくことにした。
鍾乳石を打つ水滴のように、シャープペンシルが紙の上を走る音だけが教室に流れている。満足そうに月斗を監視していた桃山先生だったが、手持ち無沙汰に飽きたのか思い出したように説教を始めた。
「いいですか草薙くん。学園の創立者一族だからといって何をしても許されるというわけではありません。社会に出たら誰も特別扱いなんてしてくれないんですよ」
人生で一度は他人に言いたい台詞集にありそうな説教に、月斗はプリントの問題を解きながら思わず苦笑した。
「先生は時々面白いこと言う」
「冗談ではありません! 先生だって中学や高校時代に自分が特別な人間だと思ったこともあります。でも大人になって広い世界を知ると、もっともっとすごい人がいることが分かります」
「確かにそうだ、今年のフォーブス発表では俺より上に7人もいたな」
「ふぉーぶす?」
桃山先生は聞き慣れない単語を確かめるように、そのまま繰り返した。経済誌だとは分かっていないようだが、ニュアンスだけは伝わったらしい。
「そうです、上には上がいるんですよ。ラスボスを倒したら真の敵が出て来て、さらにエクストラダンジョンに入ると桁違いの隠しボスがいるようなものなんです!」
『そうよね~、分かるわ。あたしも星獣の魔窟がまだクリアできないのよね』
帰りの飛行機の中で月斗の右腕を使い、ずっとPCの美少女ゲームをやっていたアスモデウスが妙に納得していた。もちろん霊的な素養のない先生には聞こえていない。
「ただし、相手が強いからといって諦めてはいけません。努力すればいつかは互角に戦うことができます!」
自分の言葉に酔って盛り上がった桃山先生は、両手で教卓をバンッと叩いた。
「つまり、努力が重要なんです! 先生も婚活パ、じゃなくて、とあるお茶会に参加したんです。ちょっと頑張って買った服を着て、美容院も予約してっ!」
本人は隠しているつもりらしいが、この三十二歳独身女性が婚活中だということは学園中が知っている。
「なのに! なのに! 男の人は若い子ばっかりに! なんで10代、20代がイイんですか! 先生だって3年前は20代だったんです! 13年前なら10代です! 学年主任の遠山先生も新任の林さんばっかりに優しくして――」
何か色々と溜まっているのか、スイッチが入ってしまった桃山先生は愚痴を言いながら黒板にチョークを走らせた。現状の自分やら、目指すべき可愛い奥さんやら、玉の輿などの単語が図解とともに超高速で板書されていく。
『ふふ、やっぱりメグちゃんってイイわね~。こうやって拗ねてるとこなんて最高よ。あたしがあなたの魅力をた~っぷり教えて上げたい、ベッドの中で、うふふふ』
不穏な言葉とともに右手の小指が勝手に動き、何か小さなものを愛撫するように、プリントをいじり始めた。
もちろん無視だ。
「でもでも良いんです! こんな私でも努力を怠らず、世間の荒波と戦い続ければ、いつかはきっと白馬に乗った運命の王子様が――」
桃山先生が黒板にやたらと写実的な馬の絵を描き終えた所で、教室の扉が勢い良く開いた。
「会長、大変です! すぐに生徒会室に来てください!」
生徒会副会長が危急を告げに、教室へ飛び込んできた。
次回は明日の18時頃、投稿予定です。
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