エピローグ ~神聖喜劇~
「よろしいのですか、メタトロン様」
尋ねられたメタトロンは、机の上に置かれた眼球の1つを人差し指で撫でた。
眼球の映し出す映像が寄って行き、煉獄から人間界へとゲートを抜けていく少年の顔をはっきりと捉えた。なかなか良い顔をした少年だ。
「かまわん。天使の魂の1つを盗まれた所でなにも問題はない」
「しかし、あのルシフェルが手引をしているのです。見逃しては天界の威信に関わります」
メタトロンはただ事実だけを告げたつもりだったが、部下は納得しなかったようだ。
「大局を見よ。あの少年を泳がせておけば、奴の本体を引きずりだせるかもしれんのだぞ。クズイアルのように小さな成果にこだわる必要はない」
そのクズイアルは独断専行でラハブを使用した罪で更迭されている。然るべきのちに、第五天マティの監獄に幽閉されることになるだろう。
「分かりました」
「いいか、余計な手出しはするなよ」
退出しようとする部下にメタトロンは釘を差した。一言了承してから部下は改めて部屋を出て行った。
「そう、今はな」
三千世界に放たれた数十万個の目から得られる情報が、メタトロンにまだその時ではないと告げていた。
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ゲル化させた高濃度エーテルとタンパク質を主成分としたピンク色の混合物がチューブを通して、どろりと透明な容器の中に注がれていく。
ツンと刺すような薬品臭さが鼻の中に広がった。混合物は台上に置かれた高さ1メートルある円筒形の4分の1ほどまで詰められ、研究室のライトの下でプルプルと光沢を放っていた。
錬金術とはまさに料理だ。まずはメインとなる食材があって、そこにサブとなる食材を加え、調味料で味付けをする。
蒸して、焼いて、煮て、冷やして固める。
レシピが分かっていても、肉汁滴るハンバーグになるか、黒焦げの炭になるか、はたまた生焼けの肉塊が転がるか、出来上がりは料理人の腕次第だ。
生理用食塩水を50リットル注入し、スクリュー状の電動器具で撹拌を始める。細かくちぎれたピンク色の混合物が、食塩水の中でぐるぐると回り徐々に溶液全体が桃色に変わっていく。
そこにカルシウムやリンなど各種の無機物を少量加えてさらに撹拌する。メインとなる素材はこれで全て揃った。
ここからが術士としての腕の見せ所だ。
まずは聖別されたパンとぶどう酒を、それぞれ10gと10cc。真空パックからミルクを10cc投入する。ミルクは女児を産んだばかりの女性が出した母乳だ。
さらに人工ソーマを20cc。聖十字架を砕き中から取り出した、魔力の樹の欠片を隠し味として投入する。
ぐるぐると撹拌すると、溶け込んだエーテルに反応し、薄い桃色だった容器の中身が一気に赤くなり、再びドロドロとしたゲル状になった。
撹拌機を取り出した月斗は、ゲル状物質の中央に小さな穴を開けた。それから最後に残っていた蒼色の小瓶を手にした。蓋を開け瓶をそっと傾ける。中から淡い光が溢れ、ゲルに開けた穴にすっと入っていった。
ゲルの穴が自然に埋まるのを待って、月斗は容器に大型電極の付いた蓋をセットする。
変圧器のスイッチを入れると、落雷に匹敵する300万ボルトのスパークが迸った。出力が十分なことを確認した月斗は、最後の仕上げに右手でゆっくりと印を切る。
「叩き起こせ、雷神」
科学的な高圧電流を呼び水にして、霊力と雷を同時に容器に注ぎ込む。
赤いゲル状物質の内部に青白い雷が這いまわり、内部で局所的な蒸発が起こった。大量の気泡が発生しぶくぶくと激しく泡立つ。
そしてある瞬間にエーテルが臨界点を突破し激しい爆発を起こした。
容器は砕け散り、赤い煙がもうもうと立ち込める。
「けほっけほっけほっ……」
煙の向こう側から小さな咳が聞こえてきた。
「うぅ、すごく臭いのです」
容器が置かれていた台上で小さな影が動く。
「あ、おはようございます月斗さん」
赤い煙が薄くなり、白い肢体が露わになってくる。錬成されたばかりの肉体は当然裸だった。
「気分はどうだ、ルスキニア」
月斗は視線を逸らしながら布切れを渡した。
「はい、すっきり元気なので……」
身体に布を巻きつけていたルスキニアが何かに気づいたように手を止める。
「あれ? なにか月斗さん大きくなってませんか?」
ルスキニアは目を細めたり、頭を前後に振ってみたりと、まるで鳩のような動きしていた。
「逆だ、逆。お前が小さくなったんだよ」
そう答えた月斗は比較させようと、ルスキニアに手を差し出した。
手のひらとルスキニアのサイズがほぼ同じぐらいだ。
「…………えっ? えええええっ?! な、なんでなのです???」
月斗の手のひらと顔を交互に見比べたルスキニアが、大声を上げて目を丸くした。
『形代にした魔力の樹が破片だったため、肉体を同等の質量で再生させることが出来なかったからです』
デュナミスが月斗の代わりに答えた。
「そういうことだ。まあ、しばらくその姿で我慢してろ」
『手乗り天使ちゃんとってもカワイイわよ。食べちゃいたいぐらい……じゅるり』
アスモデウスが邪な舌なめずりをする。
「食べられるのも、小さいのも困ります!」
ルスキニアは息を呑み、ひどく深刻そうな表情を浮かべていた。
「なにがそんなに問題なんだ?」
あまりにも真剣な様子に月斗は理由を尋ねた。
「こんな身体じゃ、廊下の雑巾がけも、お夕飯の準備もできないのです! 月斗さんの耳掃除ぐらいしか、お役に立てないのです!」
そう言ってルスキニアはぴょんぴょんと飛び跳ねた。その拍子に身体に巻きつけた布がズレてしまい、慌てて座り込んだ。
「ぶはっ、あはははっ! そうだな、役立たずに逆戻りだな。ま、その方が安心できる」
自分でも何が面白いのか分からないが、月斗は腹を抱えて笑った。
「む~、何がそんなに面白いのですっ!」
ルスキニアは不服そうにぷっと頬を膨らませた。
「まったく、コメディだよな。知ってるか神曲ってのは日本での題名だ。ダンテ自身は喜劇って呼んでたんだぜ」
「コメディ? 面白いお話なら読んでみたいのです!」
頓珍漢な事を言うルスキニアに、月斗はまた声に出して笑った。
「お前が読んで面白いかはさておき、物語の結末がハッピーエンドだからそう呼んでたんだ」
こんなに笑ったのなんていつぶりだろうか。
「そうなのです! 物語はハッピーエンドが一番なのです!」
小さな身体を精一杯振ってルスキニアは力強く言い切った。
「ああ、そうだな。一番だな。ハハハッ」
月斗はおかしくておかしくて笑いが止まらなかった。
このポンコツ天使が側にいる限り、喜劇には事欠かないだろう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
楽しんでもらえたのなら幸いです!
機会がありましたら、またどこかで二人に会えますように自分も願っています。
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こちらもよろしくお願い致します!
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