煉獄
前回のあらすじ。
ドミニクを倒し、次元間横断砲ラハブを破壊した月斗。
彼の前に一人の青年が現れる。
「人間に楽しませてもらったのは、百年ぶりぐらいかな」
一切の予兆も気配もなく、その青年は月斗の前に立っていた。
身長は180センチ弱くらいだろう細身で銀縁の丸眼鏡をしている。よれよれの白いワイシャツに色の落ちた茶色のズボンと、カネのない貧乏学生か画家のような格好をしているが、もとの容姿は際立っていた。
ウェーブのかかった金髪に、艶っぽい憂いを帯びた碧眼、彫刻のように通った鼻筋、血を吸ったかのように濡れそぼった唇、万人が美しいと言う要素を詰め込んだような顔立ちをしている。
「誰だ?」
「誰でしょう?」
身構えた月斗の問いかけに、青年は人を喰ったような笑み浮かべた。
『彼はルシフェルです』
代わりに答えたのはデュナミスだった。
「ダメダメー、簡単に正解を教えちゃつまらないでしょ」
『相変わらずですね』
デュナミスが冷たく言い放つ。月斗でも分かるほど、敵対心を露わにしていた。
「終末の天使と呼ばれたキミが、ずいぶんとまあ小さくなっちゃって。アスモデウスもいるんだろう」
事態についていけない月斗を置いてきぼりにして、ルシフェルと呼ばれた青年は勝手に話を続けた。
『なによ、なんかよう?』
アスモデウスもデュナミスに負けず劣らず不機嫌そうだった。
「もと恋人に対してその言い草はないでしょ。300年ぶりに再会した感動を分かちあおうよ」
『うるさい、死ね』
地獄の氷のように冷たい答えだった。このちょっとした会話だけでも、目の前の青年がろくでもない奴だということは分かった。
「この態度どう思う、月斗くん」
「知るか。そんなことより、お前はドミニクに力を貸してたんじゃないのか。なんでピンピンしてる」
依代を破壊されると宿っていた神魔もダメージを受ける。アスモデウスが月斗に危害を加えないのも、魂を共有するほどに強く結びついているからだ。
「小指一本分だからね。ボクってフェアだろ」
貸した力が小さければ、その反動も小さいというわけだ。
降魔させた者の力を術者が100%全て使えるわけではない。ドミニクが引き出していたのはおそらく10%にも満たない。こいつ自身の力はそれこそ天地を揺るがすほどなのだろう。
「フェアってのはどういうことだ?」
月斗は不躾に聞き返した。相手が桁外れの力を持っていようと態度を変えるつもりはない。
「これキミのだろ?」
そう言ってルシフェルはポンと小さなモノを放り投げてきた。
キャッチして見ると、それは左手の小指だった。切断されているが血は出ていない。それどころか、身体に繋がっているかのように血の気があり、生きていた。
月斗は驚きに目を見開いた。わずかに成長しているが、その指から感じる魂の波動は紛れも無く月斗自身のものだった。
「少し前に処理した悪魔が持っていたんだよ。面白い魂の欠片が封じられてるから捨てずにとって置いたんだ。持ち主に返せて、ボクも嬉しいよ」
拾った財布でも届けたような気軽さでルシフェルは言った。
「……何が狙いだ」
礼を返すではなく、月斗はルシフェルを睨みつけた。悪魔の親切ほど信用ならないものはない。
「待って待って、こいつはまだサービスだって。本当の取引、というか提案はここからだよ」
ルシフェルはどこからともなく取り出した椅子に腰掛けた。
『彼の言葉に耳を貸してはいけません』
『そうよ、どうせろくでもない話に決まってるわ』
揃って否定されたルシフェルだったが、特に気にせず話を続けた。
「まあまあ話ぐらい聞いてよ。キミはあの天使を天界の魔の手から救いたくはないかな?」
足を組んだルシフェルは実に悪魔らしい笑みを浮かべる。
「魔の手?」
「知っての通り、魂という奴は三千世界をぐるぐる回ってる。魂とは力そのものだからね。天界にしろ魔界にしろ、いろんな奴が集めたがってる」
月斗は同意の意味で頷いた。
「その中でも天界の連中はえげつない。魂の循環、輪廻を否定しているものだから、手に入れた魂は全部漂白する。煉獄で記憶も人格も何もかも消して、天界に都合のいいように生まれ変わらせる。そうやって作られた無垢なる羊ってやつを牧場で飼ってるんだ」
「化物に魂を食われたり、どっかの魔女に掴まって強制労働させられるよりはマシかもな」
嫌味のつもりだったがルシフェルは可笑しそうに笑った。
「アハハハ、実感が篭っていて胸に響くよ。さて、肝心のキミの天使はすこしばかり事情が違う。堕天した魂がまた天界に回収された場合、二度目がないよう徹底的な洗脳と調教が行われる」
「本当なのか、デュナミス」
『わかりません。失われた記憶に含まれるのか、所属が違うことによる無知かも判断がつきません』
戦闘天使として、戦いに関することや敵である悪魔については優先的に記憶が残されているが、その他は大部分が失われている。
「本当さ。魂という美しい芸術品に唾吐く行為が嫌いで、ボクはあそこを出たんだから。まったく分かってない連中だよね」
魂を芸術品よばわりするあたり、こいつの考え方にも問題がありそうだ。
「早く条件を言え」
掴みかかりたい衝動を押さえ月斗は奥歯を噛み締めた。
「キミの魂が真っ黒な絶望に染まった時、それをボクにくれないか? 代わりにキミを煉獄へと送り届けようじゃないか」
「分かった。それで構わない」
月斗は即答した。北海の天然ガスの採掘権を巡る交渉よりも好条件だった。
「さすが草薙グループの当主は剛気だね」
椅子から立ち上がったルシフェルが、ほっそりとした指先で契約の握手を求めた。
『考えなおして下さい、草薙月斗。もし契約が遂行されれば貴方は永劫の苦しみに囚われることになります』
制止の声を無視して月斗はルシフェルの手を握った。
『うふふ、いいわね。女の子のために全てを投げ出すなんて、男の子にとって最高の人生よ』
どうやらアスモデウスは賛成だったようだ。決断の後に言葉にするあたり実にこいつらしい。
「契約成立だね。さあ、約束通り煉獄への扉を開こう」
ルシフェルが指を鳴らすと、目の前に錆びついた鉄の扉が現れた。扉は耳障りな音を立て開いていく。その奥には暗い闇が待ち受けていた。
「キミの周りは色々と面白いものが見れそうだ。期待しているよ」
開け放たれた扉へ誘うように、ルシフェルは慇懃に腕を広げる。
誘われるままに月斗は、扉の中へと足を踏み入れた。
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魂たちを乗せた船が荒涼とした浜辺にたどり着く。浜には一本の木が生えているほかは生き物の影はなく、白砂だけが左右に続いていた。
船頭の天使は魂たちをおろすと、浜辺の先を指差して言った。
「塔を登りなさい。さすれば貴方たちの魂は浄められ、楽園へと至ることでしょう」
島の中央には空の彼方へと続く高い塔があった。役目を終えた天使は船を出す。
残された魂たちは、導かれるままに塔へと続く坂を上り始めた。
坂は酷く急であったが、魂たちは黙々と進んでいく。巨大な塔が見上げるほどになった頃だ、道端に一人の老人が座り込んでいた。
ほとんどの魂が老人の横を素通りしていく中で、ひとつの魂だけが立ち止まり老人に話しかけた。
「どうしたのです?」
顔を上げた老人は優しげな声で答えた。
「地獄から来たのだが先達のウェルギリウスとはぐれてしまってね。一休みしていたところなのだよ」
老人が視線を向けた先には、地下へと続く穴が開いていた。
「それは大変なのです! わたしも一緒に探すのです!」
魂と老人はあたりをうろうろと探しまわったけれど、先達の姿はない。
「う~ん、見つからないのです」
「困りました。これは向こうに見つけてもらうしかないかもしれませんね」
「なら、見つけやすいように歌を歌うのです!」
そう言うと魂は唐突に歌い出す。
それは兄妹の冒険を歌ったものだった。恐怖と不安を抱えながら暗い道を進み、悪い魔女を協力して打ち倒す。宝物を手に家に帰った二人をそれから幸せに暮らした。どこにでもあるような素朴な歌だった。
始めは目を丸くしていた老人も、歌を聞き終える頃にはすっかり穏やかな笑みを浮かべていた。
「うまいものじゃ。わしも詩は得意じゃが、歌の方はからっきしでのお。もっと歌ってはくれんか?」
老人は白いひげを揺らして笑った。
「はいっ! おじいさんの友達が見つかるまで、いっぱい歌うのです!」
そうして魂が歌っていると、しばらくして塔の方から何やら揉めているような声と音が聞こえてきた。
「なんじゃろうか?」
二人が視線を向けると男の人が、大勢の天使に囲まれていた。
「おや、元気のいい若者じゃ」
男の人はこちらに気づくと、前を塞ぐ天使を殴り飛ばして駆け寄ってきた。
「どうやら、お嬢さんの方が先に待ち人と出会えたようじゃな。さ、お行きなさい」
老人に背中を押され、涙を流していた魂は男の人の方に近づいていく。
「いつまでこんな辛気臭いとこにいるんだ」
追いすがる天使を振り切った男の人は、魂に向かって手を伸ばした。
「いくぞ、ルスキニア!」
「はい、なのです!」
ルスキニアはその手をぎゅっと掴んだ。もう二度と離れ離れにならないように願って。
エピローグに続きます。




