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ルスキニア (一話抜けていたので追加しました)

すみません抜けてました。

『トリニティ』 → 『ルスキニア』 → 『暴走です』。

『いま神罰のときである』


 全長一キロはあろうかという裂け目の中央には、シャボン玉のような皮膜越しに巨大な構造物が見えていた。

 一言で例えるならばそれは大きな眼だった。中央の瞳孔の部分が、バネのごとく幾重にも連なるリングで作られ、その周囲を巨大な金の歯車が囲んでいる。


 それらはガラスのような光で互いにつながりあい、全体として懐中時計の内部のように一体となって絶えず動いていた。

 中央に並び円筒形を作るリングの間に、大量のエネルギーが集められている。


「俺たちを助けに来てくれたってわけじゃなさそうだな」


 月斗の言葉にルスキニアが怪訝そうな表情を浮かべる。

 ドミニクも天界の動向を警戒して、両手に集中した力を放たず様子を伺っている。


『天の意向に従わず、あやまちを犯せし天使ルスキニアよ。いま一度、機会を与えます。草薙月斗を抹殺し、その使命を果たすのです』


 声の反応しルスキニアの握る弓が輝き出す。力を失ったのではなく、セーフティロックが掛かっていたようだ。


「わたしは間違ったことなんてしていないのです! 月斗さんを助けたのは正しいことなのです!」


 ルスキニアは一点の曇りもない瞳で毅然と天を見返した。


『愚かな……』


 溜息のような声が天界の答えだった。


『トリニティはカラミティに』


 響く天からの声に呼応し弓の色が白から血のような紅へと変わる。

 独りでに動き出した弓は、左右に伸びるリムを羽ばたかせ、ルスキニアの手を離れた。そのまま大きく旋回した弓は再び戻り、ルスキニアの背中に張り付いた。


「きゃぁあああああ!」


 ルスキニアが悲鳴をあげて屈みこむ。弓の張り付いた部分が、植物の根のようにルスキニアの背中を侵食し始めたのだ。


「ナンダ?」


 ドミニクが訝しがりながら、溜めた力の矛先をルスキニアに向ける。


「い、いや……いやぁああああああああああああああ!」


 白い翼を覆うようにして、新たな一対の紅い翼がルスキニアの背中から周囲数十メートルを包み込むように広がった。


 翼からは紅い羽根がひらひらと雪のように舞い落ちる。

 天から注ぐ光、ときおり吹き抜ける銀雪、そして舞い散る紅い羽根、思わず息を呑むほどに幻想的で美しい光景だった。


『これは! すぐに退避してください!』


 何かに気づいたデュナミスが、切迫した声を上げた。いつにない様子に月斗も、凍りついた足を引きずり歩き出そうとするが――。


「身体がっ!」「ウゴカナイダト?!」


 すでに紅い結界に囚われてしまっていた。


『完全にやられました。高位の時間遅延術です。力づくでは解けません』


 デュナミスの言うとおり、物理的な全ての動作が遅くなっていた。普段は意識しない会話の区別も、発声ではなくエーテルを介したものだけになっている。


「ついでに聞いとくが、上のアレは?」


 先程から頭上にある機械仕掛けのシャンデリアは、その中心の光を強めていた。


『次元間横断砲ラハブです。ゲートを通ることなく、皮膜を超えて攻撃できる超兵器です。天界はここにいる全員を消し去るつもりです』

「念のため聞いとくが威力はどれぐらいだ?」


 水鉄砲ぐらいのショボさを願うしかないが、デュナミスがあっさりそれを否定する。


『半径10キロ圏内の人間、天使、悪魔が消滅します。さらに海水がおよそ94万立方メートル蒸発し、その影響で大津波が起きます。沿岸部は壊滅的な被害を受けるでしょう』

『あらあらどうしましょ~』


 煽るよう言うアスモデウスからは、心底この危機的状況を楽しんでいるのが伝わってくる。共感はできないが、悲観しても仕方ないのでアスモデウスにのってやることにした。


「はっ、どいつもこいつも大洪水が大好きだな!」


 ラジエルの書を持つドミニクがどう出るのかと思っていると。


「ワタシがこんなトコロデェエエエエ!!!」


 必死に藻掻こうとしているだけなので、期待薄であった。この状況で頼りになるのはルスキニアただ一人だった。


「クズイアル様、こんなことはやめてください! わたしの過ちだというなら、わたしだけを罰すればすむのですっ!」


 時間遅延の影響がないのか、ルスキニアは祈るように手を組み天に願っていた。


『大丈夫ですよ、ルスキニア。あなたの尊い犠牲を主は見ておられます。その魂は煉獄で清められ、再び天界へと至るでしょう』


 決定事項を告げるように、クズイアルは落ち着き払ったまま死を宣告する。取り合う気はまるで無いらしい。


「なるほど、そういうことか。全部お前らの計画通りってわけだな! クズ野郎が!」


 せめてもの抵抗と月斗は天に唾吐くように言った。


「計画通り? ど、どういうことなのですか、月斗さん?」


 ルスキニアが信じられないといった表情を浮かべる。こんなクソみたいな連中を信じさせたまま、天界にルスキニアの魂を持っていかれるのなんて冗談じゃない。


「俺とアスモデウス、デュナミス、それにドミニク、全員まとめて消してラジエルの書を回収、おまけに敵対者ルシフェルの力まで削ごうって魂胆なんだよ! 強欲さは悪魔もビックリだな!」


 天界にとって都合の悪い連中が一同に会し、さらに失われたラジエルの書まで揃っている。ルスキニアは天界にとって最高の状況作りに利用されたのだ。


「そんな……」


 何か言いかけたルスキニアがキュッと口をつむぐ。


『主のご意思です』


 免罪符をかざすようなクズイアルの言葉に、ルスキニアはキッと顔をあげて言い返す。


「そんなの絶対に違いますっ! 神さまはこんな酷いこと望んだりしないのですっ! 絶対にっ!」


 叫んだルスキニアは拘束する縄を振り払うように全身を震わせると白と紅、二対の翼を羽ばたかせ空へと飛び立った。


『主を問うというのですか? たかが下級天使風情が?』


 クズイアルの怒気をはらんだ言葉に同意するかのように、世界の皮膜が揺れていた。次元間横断砲ラハブに集結した力が臨界点へ達したのだ。


「はい! これが本当に神さまのご意思なのか、わたしが確かめるのですっ!」


 その場にいる誰よりも気高く力強く言って、ルスキニアは全てを受け止めるように両手を広げた。


「おい、やめろ……」


 月斗は手を伸ばすことすらできなかった。


「わたしが月斗さんを守るのです! それで間違っていなかったと証明するのです!」


 明け始めた空に真紅の翼が十字架の横木のように伸びていく。


『主を試そうなど思い上がりも甚だしい! その罪、千年かけて償いなさい』


 審判のラッパが吹き鳴らされ、


『次元間横断砲ラハブ発射!』


 滝のような閃光が迸った。


「やめろぉおおおお! ルスキニアぁああああああああああああ!!!」


 月斗の絶叫は届かず。放たれた光をルスキニアは自らの身体と広げた真紅の翼で受け止める。


「絶対にぃいいいい! 守るのですぅうううううううううううう!!!」


 鈴を鳴らしたようなルスキニアの声は、激突する白と紅の光に呑み込まれた。

 太陽が現れたかのように夜の闇が消し飛び、世界を白く染め上げた。

 月斗は叫んでいたが、耳が痛くほどの高音に全てかき消されていた。

 光は急速に収まっていった。押し出された薄闇が波のように戻り、氷上に静寂を取り戻していく。辺りを覆っていた紅い羽も全て地面に落ち、結界は効力を失っていた。


『なにっ?!』『ラハブを防いだのですか?!』


 その力の強大さを知るクズイアルとデュナミスが同時に驚きの声を上げ、沈黙を破った。

 すでに月斗は凍りついた左脚を引きずり、よたよたと不格好に走っていた。風神を一回使うほどの力もなく、ただ身体を動かすことしかできなかったが、その目は翼を失い空から落ちてくる小さな影だけを必死で追っていた。


 凍りついた左脚が千切れるほど急いだ。

 しかし、間に合わない。月斗の目の前でルスキニアの小さな身体が、軽い音を立てて氷上に落下した。


「ルスキニアぁあああああ!」


 駆け寄った月斗はボロボロになったルスキニアを抱え起こす。


「やりました……やっと月斗さんを……、助けられたのです……」


 全ての力を使い果たしたルスキニアの身体から光の粒が蛍のように立ち上っていた。強大な術の反動で肉体が崩壊し、エーテルへと還元されているのだ。


「デュナミス!」


 月斗は縋り付くように怒鳴る。


『残念ながら手の施しようがありません』


 分かりきった答えしか返ってこなかった。


「お役に立てたので……、もう十分なのです……」


 ルスキニアは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。


「こんなことで役にたったなんて思うな……こんな……こんな……」


 視界が水の中のように揺れていた。徐々に薄くなり消えていくルスキニアの顔がぼやけてしまう。


『再充填を急ぎなさいっ!』


 クズイアルの焦り声が聞こえてくるが、今の月斗には関係のないものだった。

 ただただ、顔が熱く濡れていた。


「なんで泣くのです……いつもみたいに……叱って欲しいのです……」

「バカが……この大馬鹿がぁあ……」


 絞り出した声は嗚咽にしかならなかった。


「お屋敷に帰って――」


 小さく掠れた声が最後の終わるまえに、ルスキニアの身体は唐突に凍りつき、そして砕け散った。


「あ……あぁ……」


 声を失った月斗はルスキニアだった破片を掴もうとしたが、さらに細かく砕けるだけだった。そうして光の粒へと還り海風に流れ消えていった。


「なぜ……だ……」


 呆然とする月斗。

 氷結の術を放ったドミニクは言い訳するように答えた。


「ソノ弓ハ厄介ダロ? ソレニ消エル苦シミヲ早ク終ワラセテヤッタノダ、彼女モ感謝シテイルダロウ」


 頭の奥の方で過負荷に耐えられなかった電線の切れる音がした。


「っざけるな……」


 眼球が小刻みに揺れ、定まらない視界の端が赤く濁る。

 眠っていた火山が突如として爆発し火山弾を撒き散らすように、失われていた感情が黒い濁流となって押し寄せた。


「ふざけるなぁああああああああああああああああ!」

『あはははっあははははっひははははっ! キタキタキタキタぁああああああああああ!』


 アスモデウスの馬鹿笑いのままに、右腕が激しく震える。溶鉱炉に腕を突っ込んだかのような熱を伴い、力が溢れ出す。


『いけない、草薙月斗! 怒りに身を任せてはあなたがあなたでなくなる!』


 デュナミスの言う通りだろうが、もうそんなものは関係なかった。

 この怒りと破壊の衝動を抑えるなんて、勿体ないことができるものか。


「てめえも天界もゆるさねえぇ……」


 頭上ではラハブが再充填を始め、眼前では力の昂ぶりに警戒したドミニクが氷結の波動を放つ。


「全部全部ぜんぶぅうう、ぶっ壊してやるよぉおおおおおおお!!」


 突き出した右腕が、月斗の求める力のままに赤黒く肥大化し、直撃する氷結の波動を握りつぶした。

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