トリニティ
前回までのあらすじ
ラジエルの書の力を手に入れたドミニクが、月斗とルスキニアに迫る。
東の空が僅かに青みを強めている。
昇ろうとするわずかな太陽の光でも分かるほどはっきりと、巨大な流氷が形成されていた。すでに半径300メートルほどはあるだろうが、さらに海面を凍らせ極寒の領土を広げ続けている。その急激な膨張に耐えかね、氷に呑み込まれた貨物船が金属の悲鳴を上げていた。
「式典を放り出してドコへ行くのカネ?」
六枚の氷の翼を打ち鳴らし急上昇したドミニクが、飛び去ろうとするルスキニアと月斗の前を塞いだ。高まっていく力を試したくてしょうがないのか、右の指先をうねらせている。
「お前はこのまま逃げろ!」
凍結の解けた月斗は左手で印を切ると、ルスキニアの腕を振り払った。
「きゃぁっ!」
「飛ばせ、風神!」
空中を蹴った月斗はドミニクへと突っ込んでいく。
「アスモデウスっ!」
『うふふ、二度目なんて欲張りね』
再び右腕に赤黒い炎をまとわりつかせ、風神の力で加速した月斗は、さらにありったけの霊力を込めてドミニクへ殴りかかる。
「またオナジカ」
ドミニクは失望の声を漏らし、正真正銘持てる力の全てを乗せた月斗の拳を、人差し指一本でピタリと止めた。
その指先から送り込まれた魔力が、一瞬にして月斗の右腕を肩まで凍りつかせる。
ドミニクが指先を弾くと、月斗はラケットで叩きつけられたかのように氷上へ、かっ飛んでいった。
「ぐがぁあっ! があっ! あっ!」
空中で体勢を整えたり受け身をとる余裕なんてない。氷上を削り取りながら転がり、突き出た氷の柱を二本砕いて、ようやく月斗の身体は止まる。
「月斗さん!」
心配の叫びとともにルスキニアが急降下してくる。ドミニクはルスキニアの方に興味は無いようだが、そのまま逃がすとも思えない。
「はぁはぁ……くそっ! もっと力を貸せアスモデウス!」
「駄目です!」『これ以上は危険です』
ハッとした表情のルスキニアと、真剣な様子のデュナミスが声を揃えて止める。もちろん月斗は聞く耳など持ちあわせていなかった。
「真面目にやれって言ってんだよ」
『え~、これで精一杯よ~。月斗ちゃんがもっともっと燃えないんと、あたしも火がつかないもの』
「この期に及んでふざけるな!」
月斗は声を荒げるが、アスモデウスの態度は変わらない。
『ふざけてなんかないわよ。まだまだこんなものじゃ全然足りない。あたしは憤怒の王、全てを燃やし尽くすほどの激情がないと、ビンビンにならないの』
四人が揉めるのをよそに、優越感たっぷりの笑みを浮かべドミニクが氷上に降り立つ。
「嗚呼、素晴らしいチカラダ。ヒトを超越するとはこんなにも気分がよいモノだったのカ。マヨイもウレイも全て消え去ッタ」
月斗を介抱しようとかがみこんでいたルスキニアを、ドミニクは無造作に蹴り飛ばす。
「きゃぁあああっ!」
ルスキニアは悲鳴を上げ氷上を転がるが、ドミニクは道端に落ちている空き缶でも退けたかのように気にしていなかった。
「見えるセカイが違ウ! 今まで小さなコトに固執していたのがクダナラク思エル」
ゆっくりと歩み寄ったドミニクは、月斗の腹を踵で踏みつけた。
「うっ、げほげほっ……普段から高尚なことを言ってる奴ほど、実際に力を手にしたらこんなもんだな……」
「そのチャンスはキミにもあったはずだ、クサナギゲット。今のワタシは連なる因果スラ見通セル」
「はっ、神の秘術を覗き見に使うとは、もったいねえな」
挑発しながら、月斗は左腕に意識をむけていた。体内器官に残っているエーテルと月斗自身の霊力を全て集中させる。
「他人のキタイなど無視すれば悲劇は怒らなカッタ。情など捨ててシマエバ、苦しまずにスンダ。そうして、ジユウに、イキルことこそタマシイのあるべき姿ダ」
「御託を並べて、余裕だなッッ!」
月斗の突き上げた手のひらから、天を衝くほどの閃光が放たれ、油断しきっていたドミニクの顔面が白く染まる。
「残念だ」
懐中電灯ほどにしか感じていないのか、ドミニクは目を伏せるだけだった。
「はて、ワタシは何が残念なのダロウカ?」
考える時間を作るように、ドミニクの足に押さえつけられた腹の部分から月斗の身体が凍り始めた。
「知るか、くたばりやがれ」
せめてもの抵抗と月斗は蒸気をあげる左手の中指を立てた。
「疑問の答えは得られぬか」
顔を上げたドミニクはふと遠い目をした。今まで歩んできた道筋を見返しているように思えた。
「……まあよい。スベテが氷に閉ざされれば、ナニモカモガ、どうでもヨクナル」
緩やかな眠りの縁にいるように、月斗の全身が氷に包まれていく。
『体表面の70%まで侵食されています。非常に危険です』
デュナミスの警告に月斗も必死に霊力を高め抗おうとするが、ドミニクの力の前では焼け石に水だった。
『あら、こんなところで終わりなの?』
期待はずれだとアスモデウスが息を漏らす。
「持つモノも、持たざるモノも、存在せぬセカイヘ――」
「神の敵を撃ち抜くのです、トリニティィイイイッ!」
ルスキニアの声が響いた。その存在を思い出したように振り向いたドミニクを、左方向から放たれた光の三重螺旋が飲み込んだ。
「なんだいったい?!」
月斗は驚愕のままに声を出していた。光の奔流はドミニクだけでなく、月斗の身体を包んでいた氷の侵食を消し飛ばした。
押さえを失った月斗は力の余波で氷上を30メートルほど転がされ、ようやく止まる。ドミニクは姿を消し、光の三重螺旋が飛んでいった先では氷に半ばまで呑み込まれた貨物船の船腹に大穴が開いていた。
視線を逆に振り光の放たれた方角を見ると、そこには身長と変わらない大きさの弓を構えたルスキニアの姿があった。
ポンコツとは真逆の雄々しい姿に驚きながらも、どこか腑に落ちる感覚もある。
「大丈夫ですか月斗さん!?」
構えを解いたルスキニアが駆けつけてくる。脇に抱えた弓が邪魔なのか、あと一歩の所でバランスを崩して転びそうになってしまう。
月斗は手を伸ばし、ルスキニアを支えた。
「もったいつけやがって。そいつは?」
翼を広げた鷹を思わせる弓に目をやり、月斗は尋ねた。
「ごめんなさいなのです……この弓は……」
ルスキニアは謝罪から始まり言葉を詰まらせた。言いにくそうな様子に月斗は、先ほど腑に落ちた予感に確信をもった。
「俺を殺すための弓だったんだろ」
こいつの口から言わせるのは酷だと、月斗は自ら声に出した。
「……はいなのです」
眉をギュッと寄せて辛そうに歯を食いしばるルスキニアの頬を、月斗はムギュッと掴んで引っ張った。
「その顔、似合わねえぞ」
「ふえぇ?」
「危ない奴らの監視だ、ひみつ道具の1つや2つもってて当然。ま、お前を怒らせなくてよかったってことだな」
そう言って月斗はルスキニアの頬を離した。プニッと頬がもとに戻ったルスキニアだったが、すぐにまたその相貌は崩れた。辛さに曇った顔ではなく、今度は心からの安堵の涙だ。
ルスキニアは月斗の胸に飛び込むと、顔をぐちゃぐちゃに濡らし声にならない声で泣いた。
「ったく。もうちっと綺麗に泣けないのかよ」
「ずみまぜぇえん」
グズグズの泣き顔をあげたルスキニアは、涙と鼻水を自分の袖で拭いた。
「ま、この弓のお陰で――」
『お取り込み中のところ誠に申し訳ありませんが、ドミニク・フーゲンベルクの魔力を再検知しました。警戒を怠らないで下さい』
デュナミスの言葉を認めるように、貨物船の大穴からダイヤモンドダストが吹き出した。
凍りつく空気と共に姿を表したドミニクは、身につけていた衣服を全て失い、血だらけのままラジエルの書と聖十字架を手にしていた。その姿はまさに宣教者の受難であった。
「そんな……」
全て終わったと思っていたルスキニアが絶句する。
「これほどのチカラを隠し持ってイタトハ。アナタを視なかったワタシの失態ダ。しかし、ココカラハ――」
ドミニクはラジエルの書を腹に、そして聖十字架を自らの胸に押し当てた。
「ゼンリョクダ!」
2つの聖具はドミニクの身体に張り付き、全身の傷を癒やし始めた。さらに失った衣服の代わりに、深海生物を思わせる禍々しい氷の鎧がドミニクを包み込む。
月斗は臨戦態勢でドミニクを睨みつける。距離にして50メートルほどだが、その存在感は目の前にいるのと変わらない。
「奴のダメージが回復しきらないうちに、もう一度行くぞ。今度は俺が囮になって、確実にぶっ倒す」
「ダメなのです。これ一度しか射てないのです!」
ルスキニアは手にした弓の弦と摘み、びょんびょんと弾いて見せた。
「打ち上げ花火かよ……」
『きます!』
デュナミスの切迫した警告。
ドミニクが右手をすっとこちらに向ける。嫌な気配を感じた月斗は、咄嗟に身体ごとぶつかるようにしてルスキニアを突き飛ばした。
直後、青白い光の線が駆け抜けていった。直撃こそ避けたが、踏み切った右足が遅れその線に触れてしまう。その一瞬で左膝から下が凍りつき、氷に包まれていていた。
「くっ……」
バランスを崩して倒れこんだ月斗は、左の鉄拳で氷を殴りつけたが壊れない。内側から溶かすエネルギーを生むほどエーテルも残されていなかった。
「月斗さん!」
立ち上がったルスキニアが月斗の手を引こうとするが、跳躍したドミニクがもう20メートルのところまで迫っていた。
至近距離で確実に止めを差すべく、その両手にには膨大な魔力を集中させている。あれを喰らえば、π自慢の太極炉といえ、3つの魂ごと完全に凍りついてしまう。
「これデ終わりダ、永久ニ閉ざされるがイイッ!」
あと10メートル、ドミニクが両手を振り上げたその時だ。突如、夜明け前の空が裂け、太陽よりも眩い光が氷上一面に降り注いだ。
『聞け、驕り高ぶりし人の子と邪悪な悪魔よ』
「この声!? クズイアル様っ!!」
目をまんまるにしたルスキニアが歓喜の声を上げた。そんなルスキニアの反応とは裏腹に、天から聞こえてくる声は酷く冷たかった。
『いま神罰の刻である』
全長一キロはあろうかという裂け目の中央には、シャボン玉のような皮膜越しに巨大な構造物が見えていた。
天使クズイアルの介入。
戦いはさらなる混沌へと突入する。
次回は『月曜日』の18時頃、投稿予定です。
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