表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/40

サン・フランチェスコ聖堂3

『今度は死ぬほど地味ね』


 地下墓所は地上に建てられた聖堂と形状こそ似ているが、その規模は半分以下だろうか。なによりあれほど目を引いたフレスコ画は一切なく、ただ悠久を語る石の壁面が奥に向かって続いているだけだった。


『フランチェスコと彼に付き添った四人の修道士のために作られた墓所です。現在は整備され一般に開放されていますが、1476年から1818年まで地中に隠されていました』


 墓所の奥には天井まで届く石柱があった。まるで何かを封じるように鉄格子で両側を押さえこまれたこの石柱に、聖フランチェスコの棺が収められている。


 石柱の前では3人の男が待っていた。ひとりは二〇代だろう白人の青年だ、これまで倒してきたテロリストと同じオリーブ色の軍服を身につけ、ナチスの鍵十字腕章を腕に巻いている。ジャラジャラと勲章を胸にしているところを見ると、どうやら部隊の指揮官のようだ。

 簡素な黒いローブを着た若い修道士が、このナチ野郎に羽交い締めにされ、こめかみに銃を突きつけられていた。その二人を前にし、老修道士が厚いレンズのメガネを曇らせ、口元を苦渋に歪めていた。


「黒髪の……東洋人?」


 ナチ野郎が訝しげに呟いた。地元のブルース・ウィリスだとでも思っていたのだろうか、月斗は小さく首を振って喋りかけた。


「人質のつもりか? やめといた方がいい。見ず知らずのおっさんの命を救うほど、俺はお人好しじゃないぜ」


 階段を降りてからずっと月斗はアマツカゼの銃口をナチ野郎の額に向けていた。


「黒のコートに白銀のカスタム銃、そして不遜な態度、なるほど貴様が噂のクロノハンターか」

「そんなくだらない噂もあるかもな」

「世界中に出没してマジックアイテムを集めている『不死身』のバケモノだって聞いていたが……意外と若いな」

「そのくだらない噂を身をもって体験してみるか」


 月斗は相手の反応を試すように言った。


「その必要はない。同士たちを倒して、ここまで単身乗り込んで来たのだ。そんな相手と私の戦闘能力で張り合おうとは思わない」


 ナチ野郎は殊勝なことを言いながらも、修道士に突きつけた銃を下ろそうとはしない。


「大人しく降参したらどうだ? 命だけは助けてやる」

「ふん、単純な力だけで有利に立っているつもりか? お前もここに眠るアレが目的なんだろ。こいつに封印を解いてもらわねば困るはずだ」


 拳銃のマズルが修道士の頬骨を撫でる。自分がこの場を制しているのだとでも言いたげな様子だ。


「……なるほど、ナチスのコスプレ戦隊のわりには道理が分かっているらしいな」


 誘いに乗ってやるかと、月斗は左手のアマツカゼをくるりと回し腰のホルスターへ戻した。


「日本人の狂ったコスプレと一緒にするな。我々はハイリゲス・シュタッフェル! 新たなる世界の明星となる神聖大ローマ帝国の尖兵であーーーる!」


 顔中の皮膚を伸ばすほどに目と口を開いた男は、鷲のごとく誇らしげに胸を張った。ヒトラー親衛隊ならば襟の部隊章が雷を表すルーン文字のSが2つ並んでいるはずだが、そこにはHSのふた文字が刺繍されていた。


「ただの懐古趣味かと思ったら、脳みそが未来にぶっとんでたか」

「愚民に理解など求めぬ! 我々は未来に生きているのだ!」


 ナチ野郎は顎を振って石柱を示した。


「さあ、早く棺の封印を解け!」

「おやめ下さい、司祭様! このような連中の言うことを聞く必要はありません!」


 命じられた老修道士の代わりに人質の若い修道士が身を捩り訴えた。


「あの本は人の手にあって良いものではありません! 私の命など――」


 若い修道士の言葉を遮り、銃声が鳴り響いた。


「あがっ……うっ、うぅ……」


 右の脇腹を銃弾に撃ちぬかれ血を流した若い修道士が、苦悶の呻きを漏らす。その様を見せつけられた老修道士は、自分の責任だと言わんばかりに歯を食いしばり頬を震わせた。


「次は確実に天国へ送るぞ」


 ナチ野郎はおもむろに銃口を若い修道士のこめかみに当てなおす。マズルに付着した濁りのない血液が修道士の顔に赤い筋をつけた。


「……分かりました」


 小さく頷いた老修道士は絞りだすように言った。


「司祭……さま……ぐぅっ……」

「主のもとへ向かうには、あなたはまだ若すぎます」


 優しく微笑みかけた老修道士は、フランチェスコの棺が収められた石柱へと向かい合う。懐から鍵を出すと、まず石柱を挟む右の鉄格子の錠を外した。

 老修道士が枯れ枝のような手で角を叩くと鉄格子の簡単に外れ、大きな音を立てて地面に落ちた。左の鉄格子も同じように外し、それから石柱の正面中央に作られた祭壇の銅板を動かす。


 現れた小さな穴に別の鍵を差し入れ回した。金属の金具が外れる音がし、重いものが動く地鳴りが轟き始めた。そして石柱がぼろぼろと剥離していき、内側から緑青色の金属の棺が姿を現した。棺の周囲は陽炎のように歪んでいて、何らかの術的な封印がかかっているようだ。

 老修道士は棺の前に跪き手を組むと、祈りの言葉を捧げ始めた。ラテン語の感謝のテ・デウムに似ているが細部が違った。


『なぜすぐに2人を助けなかったのですか?』


 興味を持った様子でデュナミスは、事態の推移を静観していた月斗に尋ねた。


「封印を解いてくれるってんだ。大人しく待ってる方が賢いだろ?」

『あら、そんな気を使わなくても。あたしがこの教会ごと、ぜ~んぶっ壊してあげたのに』


 アスモデウスの不穏極まりない言葉に、月斗は小さくため息をついた。


「こういう楽しくない冗談を言う奴がいるからだよ」


 狭い地下でアスモデウスに暴れられたら、ナチ野郎だけじゃなく修道士2人も確実に死んでしまう。


『なるほど冗談ではないと理解した』


 祈祷が高まるにつれ、棺を覆う陽炎は薄くなった。そして結びのアーメンの一言と共に完全に消え去った。


「終わったな。よし、開けろ」


 ナチ野郎は主張の激しい格好に似合わない用心深さで、老修道士に命じた。老修道士は脇腹を押さえ呻く若い修道士を一瞥すると、諦めたように棺の蓋に手をかけた。しかし、見るからに重量感のある鉄の蓋が老人の細腕で動くはずもなかった。


「手伝おうか?」


 月斗が気安く言うと、ナチ野郎は警戒しながらも視線で了承した。老修道士の左横に並び棺の鉄蓋を押し、反対側に滑り落とした。

 気圧の変化があったかのように地下墓所を緩やかな風が吹き抜けた。開かれた棺の中には在りし日の形に並べられた人骨と、まるでそこだけ時間が止まっているかのような鮮やかなサファイア色の本が一冊おかれていた。


「おお、これが全宇宙の秘密が記されているという、〈ラジエルの書〉! ようやく我らハイリゲス・シュタッフェルの手に!」


 ナチ野郎は万感の込められた重い呟きを漏らした。こいつらがどれほどこの本を求めていたのか知らないが、月斗も譲るわけにはいかなかった。


「爺さん、ちょっとばかり辛抱してくれよ」


 老修道士の耳元で囁くと、月斗は学ランの前裾に手を当てた。不審な動きにナチ野郎がすぐさま反応し、人質を放り出し月斗に銃口を向ける。


「不意をついたつもりかっ!」


 鋭い銃声が続く。月斗は広げた学ランの前見頃で老修道士を庇い銃弾をやり過ごすと、彼の細い二の腕を掴んだ。


「銃弾が効かないというなら、これでどうだ!」


 ナチ野郎は左手を突き出した。その人差し指にはめられた紫水晶の指輪が、弾けるような放電とともに輝きを放つ。銃は脅し専用で本命は魔術だった。


「不死身って言われる理由を知りたいか」


 月斗は右腕で老修道士を棺の中に押し込みながら振り向き、左掌をナチ野郎に向けた。


「裁きの雷を喰ら――!」

「はっ」


 迸る閃光がナチ野郎の声ごと、その左半身をかき消した。エーテル式魔導砲の膨大な熱量に耐え切れず、月斗の左腕を覆う人工皮膚が学ランの袖ごと燃え尽きた。


「機械……だと……」


 ひと呼吸の猶予を置いて、ナチ野郎の焦げ付いた傷口から大量の出血が迸る。

 一方の月斗は顕になった機械仕掛けの左腕から白い蒸気をあげていた。


「すみません……ドミニク……大……佐……ぁ……」


 ナチ野郎が崩れるのを見届けた左腕が放熱フィンを広げた。最低出力で放ったのだが、それでも放熱機構が作動してしまった。今回の改良でも連発は難しいようだ。


『草薙月斗はただの機械ではありません。魔導サイボーグです』


 デュナミスが律儀に訂正するが、誰も聞いていない。ナチ野郎はすでに事切れていたし、修道士2人もそれどころではない様子だった。


「悪いな爺さん、こいつは俺が貰ってくぜ」


 聖フランチェスコの骨に覆いかぶさる老修道士を引き剥がすと、月斗はサファイア色の本に手を伸ばした。


「それを棺から出してはいけません!」


 老修道士の静止を無視した月斗が本を棺から拾い上げる。

 鼓膜が痛くなるような甲高い耳鳴りがし、棺を中心に魔法陣が出現した。


「おっと、こいつは」


 月斗は反射的にその場を飛び退る。棺を通り抜けるようにして魔法陣から現れた顎が、月斗が一瞬前までいた空間に噛みつき牙を鳴らした。


「最後のトラップか、古臭い教会にしちゃ、まともな警備会社を雇ってるんだな」


 牙に手応えがないと分かった獣が、拡がりきった魔法陣から飛び出してきた。それは体長10メートルはあろうかという一頭の猛犬だった。血脂を塗りたくったようなどす黒い体毛に覆われた靭やかな体躯、人間など凶悪な鋭い爪のひと薙で血袋にできてしまうだろう。

 そいつは3つの首を月斗に向けて、石柱の破片が小刻みに跳ねる程の咆哮を放った。


「ケルベロスか。いよいよ、ダンテの地獄めぐりの始まりだな」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ