お風呂にて
前回のあらすじ
自分の行動に迷いながらも天界への報告を行うルスキニア。
月斗と仲直りするために、行動を起こす。
セクシーサービス回!
「っ……」
皮膚がべろりと擦り剥けた足裏に湯がしみる。思わず身体を引きたくなるような痛みだが、すぐ慣れるだろうと無理やり風呂の底まで足を下ろした。
魔導回路に置き換えられた神経系を切断することで、痛みは消せるが月斗はそれをしていない。
痛みは精神と肉体の結びつきを実感させてくれる唯一といってもいいものだからだ。
痛みは記憶も呼び覚ます。脳裏によぎるのは、クラック・デ・シュバリエでの戦いとその後のことだ。
逃した女子供の世話をするなんて無駄なことをしたのだろうか。
自問しながら機械の右足も湯船に突っ込む。湯に触れる感覚とその温度は分るけれど、どこか偽物じみていた。
そういえば昨日、今日と鬱陶しいあいつを見ていない。そのお陰で屋敷の防衛計画の練り直しや机上演習、銃火器の手配など諸々の雑事がはかどった。
はかどり過ぎて睡眠どころか着替えもせずにいたら、風呂ぐらい入れと川岡にたしなめられてしまった。確かに学ランはあちこち破け、身体から嫌な臭いを放っていた。
雷神を何度か使ったせいで身体の金属部分が磁化し、砂鉄が関節に入り込んでいるのも不快ではあった。
「はぁーー」
肩まで湯船に浸かった月斗は長い息を吐き出した。
『お風呂で溜息なんて珍しいわね。なにか心配事でもあるのかしら?』
「別になんでもない」
アスモデウスの含みのある言い方に、月斗は努めて適当に返す。すると今度は何か勘違いしたデュナミスが言葉を継いだ。
『聖十字架が手に入らなかったことに落ち込んでいるのでしょう』
「それはもういい」
月斗は手を広げ大きく湯を掻いた。
『天使は鈍感ねー。ルスキニアちゃんと喧嘩したからへこんじゃってるのよ』
「なに勝手なこと言ってんだ。自分のこともまともに出来ないくせに、他人の心配ばかりしているようなポンコツに俺が影響されなくちゃならないんだよ!」
『なるほど理解しました。ルスキニアの姿を見ていないから寂しいのですね』
「だから違うつってんだろ!」
勢い良く立ち上がった月斗は右足で蹴り上げた。コンクリートすら砕く一蹴は大量の湯を巻き上げ、周囲を靄で包んだ。
さっさと身体を洗って出よう。月斗がシャワーに近づくと浴場の磨りガラスの扉が開いた。飲み物を持ってくるように命じてはいなかったが、川岡かメイド長の鹿野が気を利かせたのだろう。
「もう風呂を出る。食事は後で――」
「し、失礼しますのです!!」
緊張し上擦った声と靄越しに見える平たいシルエットは紛れもなくルスキニアのものだった。
「お、お、お前! なんで勝手に入ってきてるんだ!」
慌てた月斗は転がっていた桶を右手でひっつかみ、全力で股間を隠す。そこは数少ない生身の部分だった。
「えっと、日本では裸の付き合いというのがあって、仲良くなるためには、一緒のお風呂に入る必要があるって、その、川岡さんに聞いたのです……」
徐々に靄が晴れルスキニアの姿が露わになってしまう。大きめのタオルを身体に巻いて大事なところを隠しているけれど、かなり危険な状態だ。
上はいわゆるチューブトップのように、健康的に水を弾く首元から肩、そして鎖骨までがあらわになっている。下はさらにギリギリの股下10センチ、不用意に動いてしまったら完全にアウトだ。
さすがに恥ずかしいのだろう、ルスキニアは顔を赤らめタオルを身体に押し付けているのだが、それはそれで逆効果だった。薄い布地は月斗が舞いあげた水蒸気を急速に吸い込み、柔肌が透けるほどに張り付き始めていた。
「お、お背中を、月斗さんのお背中を洗わせてください!」
ルスキニアはまるで戦いに挑むかのように意を決した面持ちで言った。
「必要ない!」
不覚にも見惚れてしまっていた月斗は、やましい心と視線をごまかそうと怒鳴るように言い返した。
「必要あります! わたしは月斗さんのことを知りたいのです! もっと仲良くなりたいのです!」
「知るか! さっさと出て行け!」
月斗は空いている左手で浴場の扉を指差した。しかし、ルスキニアは頑として言うことを聞かない。
それどころか、タオル一枚の格好のまま近づいてきた。
「背中を洗わせてもらうまでは、出て行きません!」
「なら俺が出て行く!」
一方的に宣言した月斗は、股間を隠した桶を落とさないよう、狭い歩幅で浴場の扉を目指した。
『女の子に恥をかかせちゃダメでしょ、月斗ちゃん♪』
ルスキニアの横を通り過ぎようとしたその時だ。アスモデウスが不意に右腕の制御を奪い取り桶を離すと、あろうことかルスキニアのタオルに向かって蛇の顎のごとく掴みかかろうとしたのだ。
「ふぇっ!? 月斗さん?」
驚いたルスキニアが避けようとした拍子に、タオルがずり落ちてしまう。
ルスキニアの大事なところが、今まさに曝け出されようとするチラリズムにアスモデウスの欲望が限界を突破した。
『いただきま~す♪』
「このエロ蛇がぁあ!!」
月斗は自由の利く左腕で、肩からぐいっと伸びた右腕を掴む。そのまま抱え込んで押さえようとするが、アスモデウスも激しく抵抗する。
『なによ機械ぶっちゃって。月斗ちゃんだって、天使ちゃんとキモチイイことしたいでしょ?』
「そんなわけあるかぁああああ!」
「月斗さん! し、したが! したが!」
崩れたタオルを必死に胸に押し付たルスキニアは、桶を拾おうと懸命に手を伸ばす。
しかし、桶の落ちた場所が悪かった。裸で一人相撲を続ける月斗の目の前に、裸と変わらない格好のルスキニアが屈みこむ。
「どけ、ポンコツ!」
「うぅ、あと少しなのです!」
『ハァハァ、ハァハァ、天使ちゃんの後れ毛、うなじ、肩、鎖骨、胸、ぜぇんぶペロペロしちゃいたいぃい』
非常にまずい体勢だというのに、さらにアスモデウスが暴れるものだからついに力学的バランスの限界が訪れてしまう。
「まずいっ!」
体勢を崩した月斗がルスキニアの上に倒れこんでいく。すんでの所で最悪の事態を回避しようと月斗はあがき、左手でルスキニアの肩を掴んで押し倒す形をとった。
「きゃぁっ!」『いや~ん♪』
今まで感じたことのない柔らかさと暖かさが、月斗の下にあった。信じられないことだが、ほとんどが作り物の身体が、この触れ合った瞬間だけはまるで生身であるかのように思えてしまった。
「げ、げっとさん、あの、あの、あの、その、あの、えっと、えっと……ひあぁっ!」
月斗が感覚の不一致に混乱し固まっているとルスキニアが悲鳴を上げた。同時に右手から、ぷにもちっとした謎の感触が伝わってきた。
『んふふ、お姉さんが優しくしてあげる』
「ひっ、いや、月斗さん悪魔になんか負けないでくださいーーー!」
月斗はルスキニアの胸を弄ぼうとする右腕を振り払い、さらに床に全力で叩きつけた。超撥水タイルが派手に割れ、周囲に破片を飛ばした。
『あん、イイトコだったのに~』
不満そうなアスモデウスを無視して、月斗は大慌てで後ろに下がりそっぽを向いた。
「け、怪我はしてないか……」
なんて声をかけたらいいか分からず、月斗は分かりきっていることを聞いた。
「は、はい……大丈夫なのです……」
ルスキニアも少し気まずそうに答えた。背後からは拾ったタオルを巻き直す気配が伝わってきた。
「その……わ、悪かった……俺の注意が足りなかった」
タオル一枚という格好を見た時点で、アスモデウスが強硬手段に出る可能性を考えておくべきだったのだ。普段のルスキニアがあまりにも、女っぽくないので完全に失念していた。
「それで、あの、お背中洗ってもいいですか?」
「……好きにしろ」
流石にもう断ることは出来なかった。月斗は背中を向けたまま、シャワーのある壁際まで移動し椅子に座った。
ルスキニアは置いてあったハンドタオルに、ボディソープをたっぷり塗りつけ月斗の背中を洗い始めた。
「痛くないですか?」
「別に……」
ぶっきらぼうに言って月斗は視線を落とした。ルスキニアは小さな手に体重を乗せているけれど、ゴシゴシには程遠く、滑って背中に触れる小指がくすぐったいぐらいだった。
『あーん、月斗ちゃんばっかりズルい! あたしも天使ちゃんにぬるぬる洗ってもらいたいの~』
アスモデウスはついさっき暴れたことをもう忘却の彼方に葬ったようだ。まったく都合のいい性格をしている。
『裸の付き合いというには、アスモデウスは右腕しかありません。よって不適切でしょう』
『やだやだやだー、あたしも天使ちゃんとちょっとエッチな裸のお付き合いするーーー』
駄々をこねるアスモデウスだったが、タオルを滑らせたルスキニアの手が右腕に触れると上機嫌に鼻を鳴らした。
「前から気になっていたのですけど、アスモデウスさんはわたしにセクハラして楽しいのですか? 胸とかないですよ?」
意外にもまな板体型にコンプレックスがあったようだ。
『女の子の価値はおっぱいじゃないわよ。それに小さいのもこれはこれで良いものよ。ね、そうでしょ月斗ちゃん』
「そ、そうなのですか?!」
「違っ!」
月斗は咄嗟に否定した。その顔を上げた拍子に、鏡越しにルスキニアの姿が目に入ってしまう。背中を洗うことに集中しすぎて、完全にタオルが下がりきっていた。
屈んだ太ももの曲線と脇腹、そして話題に上がったばかりの――。
それ以上はまずいと月斗は慌てて視線をそらした。ルスキニアはその態度を強い不快感と思ったのか、声のトーンを落とした。
「やっぱり、男の人はおっきな胸が好きなのですね……」
『月斗ちゃん、ひっどーい。身体的特徴で人を差別するなんて最低よ』
「そんなこと言ってないだろ! 胸なんてどうでもいいんだよ!」
「胸じゃない? ということは……月斗さんはお尻好きなんですね!」
「そういう話じゃない!」
ルスキニアが元気になった一方で、精神的に疲弊した月斗はがっくりと肩を落とした。
しばらく無言のまま、ルスキニアが背中を洗うのに任せていたが、どうしても気になることがあって月斗から口を開いた。
「おまえさ……、怒ってたんじゃないのか?」
シリアで言ったことを直接取り消すつもりはない。でも少しばかり感情的になりすぎて、大人げなかったとは思っていた。
「えっ? 怒ってないのです」
ルスキニアは心底不思議そうに言った。あれほど毎日つきまとっていたのが日本に帰ってからは遠巻きにこちらを見ているだけだ。怒って避けられてるのだとばかり思っていた。
「じゃあなんで、裸の付き合いだなんて言い出したんだ? ご機嫌取りのつもりじゃないのか?」
「違うのです。月斗さんがいっぱい頑張ってるから、わたしも頑張るって決めたのです!」
なんだか知らないが、とりあえず元気にはなったようだ。
「ふん、お前は無駄に頑張るなよ。あとが面倒臭いからな」
『素直じゃないんだから~』
「うるさい」
『これで草薙月斗の寂寥感も軽減されます』
「黙れ……」
同居人がくだらないことを言ってる間にタオルで擦り終わったルスキニアが、シャワーを背中にかけていた。
「ふー、これでピカピカです!」
床掃除でも終わったような言い草だが、とりあえず背中はスッキリとしていた。
『じゃあ次は前よ。爪先から頭の天辺まで穴という穴をくまなく洗って、初めて裸のお付き合いは完成するの!』
アスモデウスがまたいい加減なことを言い出した。流石に、そんな馬鹿げた嘘に騙されないだろう。
「えっ! そうなのですか! わ、わかりました、わたし初めてだけど頑張ります! で、では前を、し、失礼するのです……」
そう言ってルスキニアはおずおずと月斗の正面に回り込もうとする。
油断していた月斗は大慌てで、太ももを閉じルスキニアを手で追い払った。
「前を洗う必要なんてない! そ、そうだ、俺はもうのぼせたから風呂を出る! そうだ、出るぞ! おまえは湯船で温まれ!」
普段メイドに指示し慣れているはずなのに、やたらとぎこちない命令口調になってしまった。
「は、はいなのです!」
背筋をピンと伸ばしたルスキニアから目を背け、月斗は急ぎ足で浴場の入口を目指した。即座に飛び出して行こうと思っていたが、扉のノブに触れた所でふと手を止めた。
「いいか、湯船からでたらきちんと身体を洗うんだぞ。爪の先までしっかりだ。屋敷の中で暮らす以上は身奇麗にしておけよ」
「え、それって……わたしもここに住んでいいのですか?!」
理解に少し時間がかかったようだがそのタメの分、大きな驚きの声が浴場に響いた。
「由緒正しい草薙家が、いつまでも庭に野良犬を住まわせておけないからな」
「ありがとうございます!」
振り返らなくてもルスキニアが深々と頭を下げているのが声の調子で分かった。
「メイドがひとり足りないと川岡が言っていた。その補充だ。知らない人間を集めて面接をするのが面倒臭いから、特別におまえを雇ってやるだけだからな! 調子にのるなよ!」
一方的に言い放つと月斗は浴場を出て、うしろてにドアをピシャリと閉めた。
「やったのです! ついに月斗さんのメイドになれたのです!」
浴場から聞こえてきたルスキニアの声は、頼んでいたおもちゃでも買ってもらったような喜びに弾んでいた。
さらに大きな水音も続く。興奮のあまり湯船に飛び込んだようだ。まったく、駄犬としか言いようのない奴だ。メイド長の鹿野の下でビシバシと鍛えねば使い物になりそうもない。
『月斗ちゃん、やっさしぃ~。これで天使ちゃんの可愛らしいアレやコレも……じゅるり』
実体もないくせにアスモデウスはわざとらしく舌なめずりをする。その手の挑発にはのらないと月斗が無視を決め込んでいると、デュナミスも評価を始めた。
『彼女は天使としてまだ未熟です。我々の目の届く範囲に置いておくのは良い判断でしょう』
デュナミスの言葉の通り、見えない所で何かされているよりは安心できる。そういうことだと月斗も自分に言い聞かせた。
脱衣所の籠からタオルを取ろうとすると、折りたたまれたルスキニアの服と下着が目に入ってしまった。見えないところにおけと一言いってやりたかったが、まるで意識しているようなので思いとどまった。
とりあえず、奴が風呂に入っている間に服と下着はメイドに用意させることにした。
タオルで身体を拭いていると、風呂場の方から歌が聞こえてきた。ゆったりとしたテンポの歌だ。最初は賛美歌かと思ったが歌詞を聞いていると違う。
野原での花摘みや粉挽き、朝夕の洗濯と田舎での素朴な暮らしがのびやかな歌声で紡がれていく。街中や学校で聞こえてくる流行りの歌とはまるで違う素朴な歌だ。
ルスキニアの歌声は、耳に残るのではなく胸の奥に染みていくような味わいがあった。普段はあわあわと慌ててばかりいるくせに、歌っているこの時は自信に満ちていて一切の淀みがない。本人には絶対に言ってやらないが、いい歌声だと思った。
『どうしました草薙月斗、なにか問題でも起きましたか?』
身体を拭く手を止め聞き入っていた月斗を疑問に思ったのだろう、デュナミスが尋ねてきた。
『天使ちゃんの歌に聞き惚れていたのよのね~』
「歌の調子が外れてたから気になっただけだ。」
言い返す月斗の身体は、すっかり乾いてしまっていた。
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「そうですか、ルスキニアは順調ですか」
地上から上がってきた報告書のまとめを聴き終えたクズイアルは満足気に微笑んだ。
ルスキニアは草薙月斗の信用を得てその懐に潜り込んだ。
そして、ラジエルの書と聖十字架もひと所に集まりつつある。
状況はクズイアルが思い描いたとおりに推移していた。
「これなら全て上手くいきますよ。ラジエルの書も、忌まわしい悪魔も、驕り高ぶった人間もすべて……」
そろそろ次の動きがあるだろう。
最後の時に備え、クズイアルは『ラハブ』の準備を急ぐよう部下に命じた。
ようやくメイドになれたルスキニア。
しかし、まだまだ草薙月斗の闇は深い。
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