アプリコットジャムを持ってピクニックへ
前回のあらすじ
ロリババアの足をしゃぶったよ!
「もう大丈夫でしょうか?」
ルスキニアは水を張った深鍋に手を入れ、アプリコットジャムがたっぷり詰まった瓶に恐る恐る触れた。火傷するほど熱かった瓶は、人肌よりも少し暖かいぐらいまで冷めていた。
瓶を持ち上げて乾いたタオルで滴る水をキュキュっと拭き取る。ガラスに閉じ込められた赤みがかった橙色は宝飾品のように美しかった。
味見のためにスプーンを瓶に入れると、流し込んだ時よりもジャムが重く感じた。冷めたことでトロ~リとした液状から、ドロッとしたジェル状に感触が変わっていた。
ひと匙すくったアプリコットジャムはテカテカと光沢があってまるで飴のようだ。
アプリコットの匂いに、口の中にじゅわっと唾液が広がる。
「ちょ、ちょっとだけなのです……」
ペロリのつもりでいたのに、パクリとスプーンの先を咥えてしまっていた。暖かなアプリコットの酸味は先制パンチとばかりにルスキニアの頬をキュッと刺激し、その後に爽やかな甘みが一気に口中に広がった。
「んっ! ん~~~~~~~~♪」
会心の美味しさにルスキニアは手にしたスプーンを、勝利を祝う旗のごとく高々と頭上に掲げた。
「上手にできたみたいですね」
昼食の準備を済ませたシェフの松内さんが、ルスキニアに微笑みかけた。厨房に押しかけたルスキニアに、松内さんは嫌な顔ひとつせずに調理器具の使い方やお砂糖の場所を教えてくれた。
「はい! 会心の出来なのです! これならきっと月斗さんにも美味しいって言って貰えるはず!」
自信を持って言えるぐらい、アプリコットジャムはあらゆる幸運が重なったかのような奇跡的な美味しさだった。
「このスコーンも合うと思いますよ」
松内さんは、意気込むルスキニアを後押しするように、丸いシンプルなスコーンを詰めたバスケットを渡してくれた。
「ありがとうございます! さっそく月斗さんのところに持っていくのです!」
ジャム瓶の蓋をキュッと閉めてバスケットに入れたルスキニアは、せかせかと厨房を飛び出していく。すれ違ったメイドさんが何事かと怪訝そうな顔をしていた。
(このアプリコットジャムをきっかけに、月斗さんともっと仲良くなるのです!)
ルスキニアにはそんなささやかな思惑があった。
地上に降りてきて一〇日以上経つけれど、月斗さんとの距離はまるで縮まっていない気がしていた。
庭にテントを張って住まわして貰っているし、お屋敷の人たちも優しくしてくれるけれど、月斗さんの心には全然近づけていない。遠くから見てるだけなのに追い払われたり、不意に目の前から姿を消してしまったりする。
ちょっと気難しい月斗さんだけれど、本当はすっごく優しい人だってことは、もうルスキニアには分かっていた。学校では生徒さんたちのことを、お屋敷では働いている人たちのことを、月斗さんは尊大な態度をとっていても心の隅では気遣っている。
そんな月斗さんだから、もっとお互いを知り合って、任務とは関係なしに友達になれたらいいのにと、ルスキニアは心から願うようになっていた。
バスケットの中でほんのりと温かみを放つアプリコットジャムはその第一歩だ。友達になるには、まず自分から踏み込んでいかなかいといけないのだ。
(美味しいジャムでハートもほんわか作戦なのです!)
ルスキニアがお屋敷の三階に上がるために玄関ホールまでやってくると、ちょうど月斗さんが階段を降りてくるところだった。
「月斗さん! アプリコットジャムができました!」
少し離れた廊下から声をかけると、月斗さんはこちらを一瞥しただけで、玄関の扉から外へと出て行ってしまった。
「できたての美味しさは今だけなのです!」
何かあったのか分からないけれど、ルスキニアは慌てて月斗さんの後を追って、開け放たれたままの扉をくぐった。
ドドドドドと連続して空気を打つ音が聞こえた。玄関の前にある広い駐車スペースに、魚のようなフォルムの機械が停まっていた。頭と尻尾のとこにくるくると回る風車を頭にのせている。
たしかヘリコプターという乗り物だ。飛行機と一緒で人間世界で空を飛ぶ時に、気をつけなければいけないと教えられていた。
「ひと口だけでも食べてください!」
追いすがるルスキニアを振り返らず、月斗さんは颯爽とヘリコプターに乗り込んでいった。
バスケットを揺らし駆け寄るルスキニアの目の前で、ヘリコプターの羽が急速に回転を増し機体がフッと浮き上がる。どこへ行くのか分からないけれど、月斗さんは自分を置いてくつもりなのだ。
「月斗さーーーん」
グッと背中に力を入れて翼を広げると、ルスキニアは地面を踏み切った。いまこそ練習の成果を発揮とばかりに、空気中のエーテルを捉え翼を羽ばたかせる。
ふわっとした加速度と共にルスキニアの身体が空へと飛び上がる。風を感じながら、上昇したヘリコプターへと迫っていく。
加速のためかヘリコプターは前傾姿勢を取ろうとしていた。
「待って下さい!」
ルスキニアはめいっぱいに右手を伸ばし、機体の下についている棒状の足に指をかけた。
翼と腕の力を振り絞って、ぐっと身体を持ち上げ棒を掴む。どうにか張り付いたヘリコプターが無情にも加速していく。
「ひあぁあああああ!」
腕から脇までがピンと伸ばされ、今にも引き剥がれそうだ。下界での飛び方は少し上手くなったけれど、どう頑張っても速くはならない。全速力のヘリコプターには追いつかないだろう。
「あわわ、あ、あぁぁ……ゆ、ゆびが……」
激流に流されるようにルスキニアの身体は後方に引っ張られ、握力が限界へと近づいていく。
「神さまぁあああああ!」
指の力が抜け身体が気流に吹き飛ばされたその時、ヘリコプターの扉が開き、ワイヤーが飛び出した。ワイヤーの先端はルスキニアの背中を掴むと、ギュルンと音を立てものすごい速度で巻き戻されていった。
「ふわああぁあああああ!」
絶叫とともにルスキニアはヘリコプターの中へと吸い込まれていった。
「練習してもまともに飛べないのか、マヌケ天使。もう今日からアホウドリって名乗れ」
呆れ顔の月斗さんはワイヤーを左腕に引きこむと、手首がちゃりとはめた。ルスキニアの背中を掴んだのはただのフックではなく、月斗さんの左手だと分かった。
「はぁ……はぁ……こんなに速くは飛べないのです~~」
安堵の息を漏らしルスキニアは、崩れるようにシートにもたれ掛かった。
「それで何の用だ」
苛立たしげに人差し指でシートをトントンと叩きながら月斗さんは言った。
「約束のジャムなのです!」
ルスキニアは自信満々にバスケットを差し出した。肝心のアプリコットジャムはもちろん、松内さんの焼いたスコーンもちゃんと残っていた。
「はぁーーーー……、ったく」
月斗さんは長い長い溜息を付いた。ラジエルの書の解読で随分と疲れているようだ。
いまこそ、このミラクルアプリコットジャムの出番だ。
「アプリコットは疲労回復によいのです!」
バスケットのそこにナプキンに包まれていたスプーンを取り出したルスキニアは、こぼれそうなほどたっぷりのアプリコットジャムをスコーンに塗って月斗さんに突き出した。
しばらく、無言でスコーンを睨みつけていた月斗さんは、何か小さくつぶやくとひったくるようにしてスコーンを受け取った。きっとお腹が空いていたのに、遠慮していたのだろう。
月斗さんは直径10センチもあるスコーンをひと口で頬張る。もぐもぐと動く口元を緊張しながら見つめ、ルスキニアは「美味しい」の一言を待った。
「ゴクッ……、おい、これで満足か。空港についたら、お前はそのまま屋敷に引き返せよ」
期待していた言葉はなかった。小さく息を漏らしたルスキニアの肩の力がふっと抜けてしまう。
いつも松内さんの作る美味しいお菓子や料理を食べている月斗さんを満足させるには、十分ではなかったのだろう。
「そうですか……でも、次は頑張ります!」
残念だけれどまた別のお菓子を作って、今度こそは美味しいと言わせたいと、新たな闘志がルスキニアの胸に湧き上がった。
「だから、お前は無駄に頑張るなって言ってるだろ」
呆れ気味に言って今度は月斗さんが肩を落とした。
「あの、それで空港というのは? 急いでどこへお出かけなのですか」
ついさっきまでは部屋にこもってラジエルの書の解読に挑んでいたはずだ。頭の良い月斗さんだから、きっと何かすごい手がかりを見つけたに違いない。
窓の外を見ると、速度を増したヘリコプターが市街地の上空を飛んでいることが分かった。
「ん、ちょっとシリアまでだ」
近所にパンでも買いに行くような気軽さで月斗さんは言った。
『しりあ』がどこか分からなかったけれど、きっと日本列島の本州ではないのだろう。
電車ではなくヘリコプターと飛行機を使うなんて、さすがお金持ちだとルスキニアは思った。
悲しいお知らせですが、ロリババアは強すぎる上位存在なのでしばらく出ません。
代わりに、月斗とルスキニアをシリアの遺跡での大冒険が待っています。
【宣伝】講談社ラノベ文庫より、高橋右手の名義で『白き姫騎士と黒の戦略家』というファンタジー戦記小説も出しています。
試し読みなど http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063815740
よろしくお願いします。




